1‐5

 個人レッスンを終えてメグミは一人で踊る分にはかなり良くなってきた。

 課題曲のステップは最初、単発では出来るものの、音に合わせて踊ってみるとその姿はぎこちなく断続的だった。それが今は、足の運びが一つの連なりとなって流麗に動いている。

 あの「SING,SING,SING」を踊った時のように此方に向かって訴えかけるものはないものの、前島先生と踊る姿は様になっている。だけど、本番で踊るのは校長とであり、前島先生とではない。

 ダンスというのは華麗なステップや姿勢、体幹のバランスも大事だが、何より優先されるのはペアとのシンクロニシティだ。

 つまりお互いが息を合わせなければボールルームダンスとは言えない。そして今日、尾形・岩田組は初の合同練習を迎える。


 放課後、多目的ホールを貸し切り、レッスンは行われる。

「失礼します」

 恭しく頭を下げ中に入ると、「待っていた」ともうすでに待機していた校長が俺たちを出迎えた。メグミはレッスン室に入った時とは違い、小声で「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 レッスンが始まった。

「普段通りホールドしてみて」

 前島先生が手を叩いたのを合図にお互い組み合っていく。慣れた手つきで定められたポジションに身体のそれぞれを置いていく校長に対し、メグミは少々おぼつかない。

 ストーカー騒動の後ということもあり、初対面の男性に触れることに抵抗があるように感じられた。

「ゆっくりでいいわ。ペアのことだから。お互いのタイミングでホールドを組みなさい」後で聞いたのだけれど、ここで敢えて急かさないのが前島先生のテクニックで、前島先生曰く、ステップなどの個人の技量は努力さえ積めば、時間とともに上がるけれど、ペア同士のことは個々人のタイミングがあり、それを無視してしまうとしばらくは信頼関係が築けなくなるらしい。

 たしかに、ボールルームダンスというのはペアの調和が要となる為、相手の動き、考え方をお互いに許容し合わねばならないし、フォローは特にリードの思考に敏感に反応しなければならない。そこまで考えているのかこの人は。流石多くの生徒を見てきただけのことがあるな、と思わず感心した。

 そんなことを考えながらぼんやりと二人を見ていると、ゆっくり確かめるようにメグミが掌を、腕を、そして体を校長の頑強な体に委ねていく。

「よし組めたわね」前島先生の掌から弾けた一拍がホールに響く。

「では試しに踊ってみましょうか」俺たちに背を向け、ディスクプレイヤーの再生ボタンを押す。


 ボールルームダンスという競技はスタンダードと、ラテンの二種類があり、スタンダードもラテンも更に五種目に分けられる。

 ちなみにメグミたちの踊るスタンダードはワルツ、タンゴ、ヴェニーズワルツ、スローフォックストロット、クイックステップの五種目だ。

 普通はこの種目すべてをペアで踊るが、月野宮杯の場合はその五種目の中から一つ選んで踊るというのが伝統である。

 正式なセオリーに乗っ取らないのは邪道ではあるが、これは月野宮義時による気遣いでもあった。彼曰く、「引き出しの少ない若手にも力を発揮してもらい、すべてのパフォーマーがダンスをより楽しんでもらいたい」ためだそうだ。崇高に聞こえる志はパフォーマーでない俺には分からないが、理由はどうであれ助かる。なんにせよ時間は大会当日に向けて今も差し迫っているのだから。

 サンキュー月野宮。


 五種目の中で前島先生と校長はメグミが初心者であることを考慮し、レッスン生が最初に習う、ワルツを選んだ。

 ワルツという単語には回るという意味もあり、その名の通り、踊りには回転するステップが多く使われる。更にワルツと言われると煌びやかな豪邸の中での舞踏会を思い浮かべた人達も少なくないはずだ。何が言いたいかと言うと、つまり、ワルツには優雅さが必要不可欠なのである。

 回転と優雅さ―――ざっとまとめればワルツというのはこんな感じだ。しかし、それが分かったことで不安の種がまた一つ増えた。一つ目の特徴はまだ粗は見えるが熱心な特訓によってクリアできているとしても、もう一つの優雅さはこの二人にあるのだろうか。

「ほらもっとスイングゆっくり」

 前島先生のカウントに熱が混ざっていく。

「二人ともぎごちないし、速いわ」鞭のような檄が飛ぶ。

 二人はステップの軌道を準えている。しかし踊っている姿はまるでコマ送りの映像を見ているみたいだ。

 互いに息の合わないまま踊るというのは余計なところに力が入り疲れるのだろう。個人レッスン最終日に踊りを確認していた時よりもメグミの呼吸は浅い。

 結局、最後まで出来はボロボロのまま、ペア練習一日目は終わった。



「ちょっといいか」

 レッスン後、校門の前でいきなりそう言ったので何事かと俺たちは振り返った。

「付き合ってほしいところがある」

 メグミは無意識に自分の体を抱いた。俺はなぜか震えながらファイティングポーズをとっていた。

「いや、そうじゃない。ただパートナーとしてどういう人間かを少しでもいいから知っておきたいんだ」校長は俺の前まで来て、名刺を渡した。

 グラウンドから差し込むライトに照らし出されたのは一軒の小料理屋の住所。

「夜七時に駅前で待っている」そう告げて俺達の顔も見ずに校長は車で去っていった。


「どうするよ? 」

「うーん。最初は少しだけ怖かったけど、意外とまじめな人だし、行けば分かるでしょ。それにボディガードはここにいるんだしさ」俺の腰を軽快に叩いて、メグミは颯爽と前を駆けていく。

「それに、それにね。高級料理店だよ。こんな機会、滅多にないじゃん」

 前略校長先生―――あなたが真摯に考えようとしているパートナーの頭の中は今、食べることと安易なミーハー心でいっぱいだそうですよ。


 駅前でメグミと待ち合わせして、都市部へ向かう電車に乗り二十分。そこには田舎町の景色はもちろんなく、かといって都会のがちゃがちゃとした喧噪もなかった。

 鎮座するようにタワーマンションが並び、ビルにはクラブや、料亭の看板が並ぶ。

 夜が良く似合う街だが、地元の駅裏みたいにしつこいキャッチや、どこの国籍かわからない外国人がアクセサリーを売っているわけでもない。

「大人な街だねー」

「いいから、店探すぞ」

「はーい。ねぇ似合ってる? 」

 レッスン終わりのジャージ姿で行かせるわけにもいかなく、かといって学生服で来させるとメグミが補導あるいは自分も捕まりかねないため、サユリに事情を話し、普段着ていないパンツスーツを彼女に無理やり誂えた。長身が功を奏してとりあえずは大人に見える。


 小料理屋に着くと、「待っていたよ」とすでに校長はお猪口を傾けていた。酔っていても表情は解れることなく相変わらず武骨のままだ。

「かけてくれ」と言われて俺たちははっとして席につく。あ、なんか面接を思い出す。

 カウンターからお通しが出され、俺の前にはお猪口が置かれた。メグミの前にはオレンジジュースが注がれたグラスが置いてある。

「乾杯」

 急かされるように俺は器を交わす。何を話していいのかわからずただ注いでは呑んでを繰り返す。

 行く前は楽しそうだったメグミも無心でお通しを噛み続けている。きっともう味がなくなっているだろうにガムみたいに噛み続けている。

「尾形くん。二人が堅い顔してますよ」

 状況を見かねて恵比須顔の店主が校長に助け船を出した。校長は俯いていた顔をやっと上げる。

「なぁ、そんなに俺は、怖いんか? 」俯いていたのは話すことを探していたのではなく、酔っ払っていたからだとすぐにわかった。林檎のように校長の顔が赤い。

「この人、ざるみたいな顔して、実は下戸なんですよ」

 恵比須顔の店主が目尻に皺を寄せて笑う。

「うるさいよ」

 ムキになっているせいで顔がさらに紅潮していく。今にも煙が立ちそうだ。そんな姿を横目で見てメグミは笑った。

「そんな顔もするんですね。いっそのこといつもお酒を飲んでればいいのに」

「どうゆう事だよ」

「そうすれば怖くないもん」

「お前なぁ……」

 俺は慌ててメグミを叱ろうとしたが、横で校長がまた例の笑い声を隣で轟かせた。店主も「面白いお嬢さんだ」と笑っている。

 それからはいろんなことを聞いた。

 ここの店主は校長の幼なじみで昔、校長の亡き妻を店主と彼で争っていたこと。小学生の頃の校長の破天荒伝説とか。

 刺激的な昔話を肴に酒は進んでいく。出される料理はどれも洗練されていて余すところなく美味い。出来るのであればタッパーで持ち帰って二、三日楽しみたいくらいだ。

「ほんとどれも美味いんだけど」

 お通しを噛み続けていたメグミは緊張で言葉に詰まっていたからではなかったかもしれない。そしてひとしきり笑い話が過ぎ去ると、校長は咳払いをした。解れた雰囲気の中に帯を締めるような緊張が一瞬走る。

「メグミさん。あの時はすまなかった」

「え―――」

「いや、私が知らなかったばかりに君の頑張りを無碍にしてしまった。本当にすまない」

 校長はそう言った後、椅子から立ち上がって頭を深々と下げた。メグミは慌てて立ち上がる。

「暴れたあたしも悪かったので。だからこちらこそごめんなさい」

 互いに深々と下げた頭をまぁまぁと割って入るのはなんか違う気がしてただそれを眺めていた。流れる沈黙の中で状況にあった最適解を探していたが、結局、眺めていることしかできなかった。

「顔をあげてください。そして席について」店主の声に救われた。

 カウンターに出されたどんぶりの中を覗くと、だしの香りと黄金のように輝く卵を纏ったカツ丼があった。

「尾形くんから聞いています。二人とも慣れないことにつき合わしてしまってごめんね。これはうちからのサービスだから、あがって」

 いえ、俺は何も、と言いかけてそれも無粋だなと思い、一心にどんぶりを搔きこんだ。

「おふたりさんともいい食べっぷりだね。作り甲斐がありますよ」

 口にした料理全てに心の中で唸ったが、やっぱり貧乏根性が離れないせいでこういった一品の方が直接身体に響く。

 口へ運ぶ手が止まらない。ちらりと隣のメグミを見ると同様に搔きこんでいる。もっと女の子らしさをわきまえた方がいいんじゃないか。

 是非ともワルツで優雅さを学んでもらいた―――にしても美味いな、コレ。



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