1‐4



 ダンスに打ち込み、そのあとはバイトへとメグミの一日の予定はみっちりと詰まっている。

 最近はカウンセラー室のソファベッドに倒れこむことも多くなってきている。真面目な生徒が勉学に励む間、メグミは日中のほとんどを睡眠に費やし、尽き掛けそうな体力の回復に努めているが、身体が心配だ。そんなことをふと思う。


 倉庫のような建物の中は賑わっていて、彼女に背を押されながら店に入る。コンクリートの地面は屋外と地続きだ。店内にはカウンターとテーブルがいくつか置かれているけどそのどれにも椅子はない。腰を落ち着けられないおかげでふらっと出歩きやすいのはきっと客にとってメリットでもあるのだろう。中には初対面同士で盛り上がっている客もいる。

 とりあえず生ビールを頼んで、ガツンときそうな肉のつまみを幾つか頼んで店員に値段に応じた額を渡す。

 テーブルの上に置かれた皿から肉を何枚か箸で摘み、次々に網の上に乗せる。

「そんで思うわけよ。熱中しすぎじゃないのかって。というかそんなことより勉強しなさいよ。それが学生の本文なんだから」

 ジョッキを重力のままテーブルに置き、虚ろな眼差しで彼女、西宮沙友里を見た。

 すると「そっかー」と微笑み、首を傾けてサユリは此方を見る。

 垂れた琥珀色の毛先がくっくっと笑うたびに露出した鎖骨の上で弾んだ。

「それでその子とは……大丈夫なんだよね」急に微笑みが消える。

「ハイ。モウシマセン。カノジョトハ、ケッパクデス」

「よろしい」と微笑むサユリの顔を見てほっとした。やっぱり女の子は笑ってないとな。

「ほら網の上」

「なんなりと」

 俺は感傷に浸る暇もなく、焼き肉を焼くマシーンとなっている。

 ちなみにサユリ曰く、今日はあの騒動を許してやろうじゃないかの会らしい。もちろんというのも情けないが会計はすべて俺もちだ。

 何でこんなにも怖い女と付き合っているのか。いまだにわからないが。なんだかんだ言ってもう付き合い始めてから五年が経つ。

 サユリは前働いていた精神科の医療事務をしていた。その時俺は俺なりに問題を抱えていて弱っていた。きっとそこにサユリの笑顔が刺さったんだろう。

 それから付き合うようになり、俺の浮気が原因で喧嘩をしたり、記念日に大学の同級生と旅行に行ってやっぱり喧嘩をしたり、とまぁ繰り返しながら(あれ、思い返してみれば原因が俺にあることばかり……)ここまで二人で時間を共有してきた。捨てられないようにしよ。そう思いながら俺はせっせと肉を焼き続ける。

「さーくんはさ、その子みたいに熱中したことないの? 」立ち上る煙越しにサユリは俺を見つめた。

「ない、かな」

 思い返してみれば熱中していた時なんていつのことだろう。まぁどうでもいいか。いずれにしろ俺の黄金期、言葉を変えれば青春なんてとうに終わっているし。

「そっか。少しも? 」

「そうだねぇ」

「それってつまんなくない? 」とは言わず、その代わりなのか、「ふーん」とだけサユリが呟き、あとは教職員、主に教頭のセクハラに対する愚痴で時間が流れていった。


 彼女の住むアパートへの帰り道。夜風にあてられすっかり酔いがさめた俺はサユリの手を引く。今手を放せば、サユリは次の一歩すらおぼつかないだろう。

「うぅ……気持ち悪い」

「もうすぐだから」

「ぁい」

 愚痴をこぼし始めた時から酒のペース管理が杜撰になっていた。それからはあっという間で、サユリはすぐに肝臓をアルコール漬けにした。

「さーくん。犬」

 指先はふらふらと揺れていて、いまいち指した場所が分からない。

 サユリの指先を追っていくと、ぽつんと光る街灯の下に老犬が立っていた。

 こんばんは―――老犬はわんと吠えることなく、そう呟いた気がした。噂ではもうこの犬は亡くなっていたはずだ。まぁ所詮、ジジババの噂話か。

「いぬ、しゃべったよね? 『こんばんわん』って」

「そうだねぇ」

 いつの間にか老犬の前にしゃがみ込んでいたサユリは、うりうりと言いながら老犬の鼻先を指でこねくり回した。老犬の方は今にも「やめてください」としゃべりだしそうに怪訝な顔つきで唸っている。

「酔っぱらいが世話掛けたな」老犬の頭に手を置いた後、サユリの脇に腕を滑り込ませる。そして彼女の両肩をしっかりとホールドし、引き摺っていった。

 俺の持ち方が気に食わなかったらしく、「その運び方って人攫う時の奴だよね。レディに対してのデリカシーがさ……」と説教される。「そんな状態でよく言えたものですね」と悪態をつきながら俺はサユリをせっせと運んでいく。

 見上げた空は暗くそして黒く、厚い雲が星を月すらも覆う。そのため月の輪郭はぼやけてしまっていて、雲というフィルター越しに朧げに滲んでいる。見上げた景色が今の俺の心境と重なって見えた。


 熱中すること、


 あったかもしれない。

 だけどそれは過去のことで、今になってはっきりと思いだせない。ということは執着もその程度だったんだろう。

 だからこの話を語るのは先伸ばしにしておこうかと思う。


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