No.1 校長先生とShall we dance?

1‐1




「えーっと、これから全校集会を始めます。一同起立」

 最近の心労がたまっているのか、くたびれた顔で教頭は司会を進める。疲れているのはあんただけじゃないっての。ため息を漏らしながら立ち上がる。

「校長先生のお話。校長先生お願いします」

 校長が立ち上がった瞬間、席に近い生徒たちが肩を跳ね上がらせた。無理もない。校長の纏う雰囲気は教職者というより、暗殺者と言った方がふさわしいのだから。

 歳をとっているのにもかかわらず、体育教師並みに鍛え抜かれた体はいったい何に使うんだろうか。その頑強な腕で気に入らないやつの首でも絞めるのだろうか。それに目の奥には光を感じられない。あの眼で見られたらきっと何を言っても脅し文句に聞こえるだろう。

 校長が壇上に上がると、ふざけていた生徒達が黙り、ふざけていない生徒たちも含め全員が息をのむ。これから皆さんには殺し合いをしてもらいます。そんな台詞を言われても、違和感がない緊張の中で、校長は短く息を吸い―――


「校則強化週間です。節度ある行動を」マイクの前で重たい体を傾けそれだけ言って壇上の前から立ち去った。


「校長先生、ありがとうございました。これにて全校集会を終わりにします」

 それだけ!? 

 口にはしないが心の中でつっこんでいる人が俺以外にもたくさんいるはず。毎度のことだが、やっぱりこの光景には慣れない。俺が感じた動揺と共振を起こすように生徒のほとんどがざわつき始めた。

 普通、校長先生の話といえば、興味すら湧かない世間話から入り、三十分ほどそのくだりをした後、本題を長々と垂れ流すもので、大概の生徒にとってそれは退屈でしかない時間のはずだ。一般的な校長先生の話が、甘ったるいマックスコーヒーだとすると、うちのはスプーン一杯のエスプレッソというところだろうか。一言あるいは二言で終わる校長の話は端的にそして淡々と用件を伝えるのみだ。こんな異常な日常が続くと、たまに飲むマックスコーヒーが美味しいように、長い前口上が欲しくなる。

 校長の場合、長い時でも俳句並みの文字数で、短い時は今日のように、たったの一言だ。この学校の場合、校長先生の話、というより「校長先生からの連絡事項」と言った方がふさわしいと思う。

 心の隅にわだかまりを残しながら、全校生徒の波に揺られて講堂を出ていく。

 出てすぐの鉄扉を開け外に出ると、講堂の手前にまだ咲き続けている桜の樹を見つける。

 見上げると太く勇壮な幹の上に桜の天蓋が広がっている。根を張ったのは高校が創立された頃らしい。視界いっぱいの桃色に目と時間と意識を奪われる。

 どこかで一服と思っていたが、さすがにこの足元では吸えないなと思い、少し離れて扉前のステップに座り、煙草に火をつけた。

 窓の方へ目を向けると、廊下では窮屈そうに隊列を為し、教室へと向かう集団。止まることが許されないというわけでもないのに、立ち止まってこの景色をぼんやりと見ていく人など誰もいない。

 ふと、高校へ赴任する前に精神科で働いていた頃を思い出した。あの頃の俺はきっと隊列を為して急かされる窓の奥の住人の一人だっただろう。

 臨床心理士になりたての頃は眼の前の仕事、患者のことに追われ、視野がぐんと狭くなっていた。だからただ前を向いて進む以外に道はなかった。でもそれは俺が他の道を見ようとしなかっただけなんだろう。今ならわかる。

 あの子達もきっとそうだ。恋人と上手くいかない、とか、今度の大会こそ優勝しなきゃ、とかそんなことで頭がいっぱいにでそこしか見られないのだ。

 なんてもったいない。

 溜め息の交じった煙を空に向かって吐き出した。煙草を吸いきるまでぼんやりと窓の奥に視線を漂わせていると、あの気弱な先生、斎藤孝則の受け持つクラスの列を見かけた。

 何となしにそのまま眺める。

 すると、列の後方にメグミの姿が見えた。俯き、爪先を振り子のように動かして彼女は揺れ動く足元ばかり見ている。その姿は端につまらなそうにも見えるし、居場所がなさそうにも見える。窓越しに見えるメグミの心境は分からないが、一つ確かなのは彼女も窓の奥の住人の一人だということだ。




 息が詰まる。というか息が出来ない。

 一度、吐き出せばその瞬間、切りかかられても不思議ではない。もう少しでそっちへ行くかもよ、と俺は心の中で空の上にいる故人に告げる。

 今すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいだったけど、体は微動だにしない。いやできない。

 どこかへ旅立ってしまいそうな心を抱えながら視線だけを目前の人物に固定し続ける。

 朝の回が終了後、授業も聞かず、ここに入り浸り、のびのびと時間を過ごしていたメグミも今は顔、身体共に強張っているように見える。

 目の前で手を組み、脚を広げ泰然自若とそこへ座る男は向かい合う俺たちに何を言うのでもなく、じっと見つめている。

 カウンセラー室に入ってきて座るのはいいけど、早くなんか喋ってくれないかなー。黙ってるとこの人余計怖いな。

「復讐をしたい……」

「え、なんて? 」

「だから復―――」

 風貌にぴったりな言葉を二度にわたって口にしたこの男の名は、尾形総一郎。たしか亡くなった国民的俳優に同じ苗字の人がいた気がする。

 四角い輪郭に、武骨に隆起した頬。そんな特徴も亡き俳優に似ている。風貌は似ているが、背中の後ろで蠢く殺伐とした雰囲気からは国民的俳優似より、バイオレンス映画の首領。と言った方がふさわしい。ちなみにだが、尾形総一郎はこの高校の学校長である。

「天誅、ですか? 」

 臆面もなくそういったのかと思いきや、よく見るとメグミの唇はふるふると小刻みに揺れている。この子にも怖いものがあるのか―――というか、俺はいつからカウンセラーから必殺仕事人となったんだ?

「捉え方によっては……そうとも取れるな」

 問いかけの後、さっきより早く答えは帰ってきた。悩む時間が少ないということは、繕う間も少ないということだ。いよいよ物騒な話が幻想ではなく、現実となってきている。

「まさか、人を殺めるとかではないですよね? 」

 恐る恐る、岩のような顔を窺うと、そこで岩のような顔面は音を立てて崩れた。幾つもの落石が山肌を転げ落ちるような笑いが部屋を揺るがす。

「そんなわけないだろう。私はそういう人間に見えるか? 」

 ひとしきり笑い終えた後、校長から信じられない一言が飛び出す。しかし口が裂けても、そうですね、とは言えず―――

「いえ。そんなことは少しもありません。なぁメグミ」溢れそうなものを寸でのとこでぐっとこらえた。

 校長の視線を感じて緊張したメグミは「ソウデスネ」と片言だった。校長は首をかしげる。汗腺から脂がわっと溢れる。

「それで、相談事というのは一体なんでしょうか? 」

 校長が自分の見え方に疑念を持つ前に、俺はわざと音を立てて身を乗り出す。

 すると、「熱心だな、君は」と、校長は笑顔を浮かべたつもりなのかはわからないが、口端をほんの数ミリほど上げた。何とか一難去ったみたいだ。

「まずは相談に乗ってくれて感謝する」

 ひきつった顔で、「校長の頼みであれば、なんなりと」思ってもない言葉が無意識に飛び出す。というか、頼むからこれ以上こっちをみないでくれ。見方によっては威嚇とも取れるその笑顔と目力の強さで胸騒ぎは止まらない。




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