0-4




 翌日、無条件降伏させられた俺は、放課後のうたた寝の時間を削って外へ出た。


 校門を出てすぐ右に曲がり、しばらく歩いて奥に伸びる商店街通りに入っていく。

 たまに寄る肉屋のコロッケを齧りながら歩いていくと、昨年改修工事を終えたばかりの真新しい駅があり、その正面の通りにはファミリーレストランや、牛丼チェーン店、ボーリングセンターなどが軒を連ねている。

 商店街とは違った現代的な景色を見ながら直進し、駅前の信号を越えて二本目の細い通りに入ると、コンビニ奥に五階建てのマンションが見えた。

「やっと、ついたか」

 地図を見ながらおよそ三十分弱。

 脇に駐車場があったのなら車で来ればよかった、などと後悔しつつ、エントランス前におかれたインターホンに指定された番号を打ち込みチャイムを押す。

「どちらさまでしょう」

 落ち着いていて中性的な声に出迎えられる。そういえば昔好きだった子もこんな声していたっけ―――なんて思った。

 数秒の沈黙が流れたことで、声の主は訝しみながらもう一度俺を呼び掛ける。

 慌てて自分の所属している高校と娘に会いに来たと告げると「メグミはバイトで夜遅くに帰ってきますよ」とインターホン越しに言われ、仕方なしにその場を一端立ち去った。

 帰ろうかとも思ったが、使命感、いや生存本能が身体に現場での待機を命じている。もう爪剥ぎもどきだけは勘弁だ。


 マンション脇のコンビニで張り込み、ひたすら時間を潰して夜が訪れるのを待った。スマートフォンで暇でも潰そうかと思ったが、充電が切れかけていることに気づき、仕方なしに街を眺める。

 この街は都市部に近い駅側と、学校側で景色ががらりと変わる。

 駅側にはビルが立ち並び、改修工事で沿線が一つ増えたことにより交通の便が良くなった。不動産屋の飲み友達によると、駅側だけでなくその周りにも道路を増やし、そこにテナントを置き、更に都市化させるために土地開発が着々と進んでいるらしい。

 また数年前のように―――デモ騒動にならなければいいけど。

 そのデモ騒動は数か月で終わるものと予想されていたが、モール建設時に鉄骨落下事故に巻き込まれて死亡者が出たことで自治体と商店街の住民たちの闘争は長期に亘った。騒動によって学校は下校時間を早めたりと、まぁその期間はいろいろ面倒なことが続きだったらしい。

 駅側は確かに便利であるが、その分治安は良くない。

 駅の裏手は風俗街が広がっていて、この街の事件やトラブルってのは大概そこで起こる。噂によれば抗争一歩手前の暴力団組織の事務所があるらしい。

 俺みたいに健全に遊べば問題はないのに、たまに騙されたのか調子に乗ったのかはわからないが、オッサンや近所のヤンキーが誰も通らないガード下のゴミ置き場に干されていることがある。

 それに比べ、学校側通称、商店街側はいたって平和だ。

 付近の平均年齢は六十歳以上から七十歳代で、もうそんなにアクティブに動き回れる歳でないのが功を奏しているのか、事件はおろか、トラブルだってほとんど起きていない。

 最近の出来事といえば、八百屋と魚屋の亭主が二人で呑んで酔っ払って双方の奥さんにこっぴどく叱られたとか、年をとっても美しいスナックのママを巡って男たちの戦いが日夜行われているとかそんなところだ。

 あとは―――商店街の顔だった「がんちゃん」という老犬が亡くなったらしい。なんにせよ、どれも取るに足らない出来事だ。

 まとめると、商店街は駅前のように物騒ではなく、いたって平和だ。あそこにはぬるま湯のような雰囲気がいつも漂っている。そこにつかると、心がほぐれ全身の疲れも……


 いつのまにか眠ってしまっていたようだ。

 透明なガラスの向こうは暗く、いつの間にか夜が訪れていた。

 夜遅くまでバイトとなれば、考えうるのは居酒屋か、それ以上か。なんにせよまだ帰っては来ないだろうと俺はコンビニの中でカップラーメンを買い、早めの夕食をとりながら待つことにした。

「あのぅ、ぉ客様」

「あ、どうぞお構いなく。人を待っているんで」

 痩身で気弱そうな学生のアルバイトを突っぱねて、麺をすする。腹がいっぱいになったところでまた眠気がやってきた。


「ついてこないで」

 悲鳴が体を跳び起こさせる。

 寝ぼけてまだ開ききらない瞼の先に見えた景色の中で、外灯に照らされ光りながら揺らめいた金糸がコンビニ前を過ぎ去っていった。

 俺はコンビニを出て後ろ姿を確認する。

 すぐにメグミだと分かった。

 しかし分かったところで馬ではないので今から全速力で追いかけても捕まらないだろう。「今日は見かけたけど、話は出来なかった」

 そう言って一日猶予をもらい明日から頑張ろう。

 手掛かりが一つでもあればきっと彼女も許してくれる、はずだ。

 追いかけるのを諦めてコンビニに戻ろうとする。

「え―――嘘でしょ」

 あの悲鳴がけたたましい足音とともに帰ってきた。

 一瞬目が合うとメグミは「ダァーリィーーーン」と叫びながらこちらへ駆けてくる。

 メグミの背の奥には四十代半ばの男の姿が見える。息を切らしながら縋るように「メグミちゃん」と叫んでいた。

「やぁ、マイハ二―」

 この場に彼女がいないことを祈りながら俺はメグミに向かって手をあげた。するとメグミは何の躊躇もなく俺に「会いたかった」といって抱き付いてきた。女性の起伏のそれぞれが柔らかく当たる。

 これはあくまで人助け。人助け。

 念仏のように心の中で唱える。そしてそのままメグミは手を俺の腰に回したまま後ろへするりと回り込んだ。間もなく俺は駆けてくる男と向かい合わせになった。

「メグミ。帰る家が無いなら俺と一緒に暮らそう。俺が娘のように大事にしてやるから」

 満月のように真ん丸な顔つき、そしてクレーターのような肌の凹凸。男は縋るようにメグミに笑いかける。

「はぁ? 何言ってんの」

 メグミが目の前のオッサンに対して抱いている嫌悪が俺の背中越しに吐き出される。

 オッサンもとい、ストーカーは朗々と目を輝かせ、幸せな未来予想図をどこかに描いているのか焦点が定まっていない。

「そうだな。いきなり娘となるとハードルが高いか。そしたら恋人なんてどうだ? 」

 身勝手極まりない言い分にもかかわらず、あたかもメグミのためだと言わんばかりだ。

「何言ってんの? 」

 巻きこまれたことに対しては不本意だったが、あまりに人のことを考えていない言動に流石に腹が立ってきた。

「うるせぇ! 部外者は引っ込んでろ」

 そしてストーカーもとい、水牛男が直線的な軌道で俺の方へ向かってくる。一瞬の内に自分が吹き飛ばされる光景が頭の中をよぎった。

「来ないでっ!」

 怯んだ瞬間、メグミが俺の背中を掌で思い切り突き飛ばした。

 バランスを崩し、俺は前傾姿勢のまま倒れそうになる。

 周りがスローモーションに見える。

 顎をあげ前を見ると水牛男が足の回転数を減らし減速しているのが分かった。正面衝突することに対して躊躇したのだろう。

 しかし、威力は減ったものの互いの顔面は衝突し、水牛男の唇が衝撃のせいで、

 俺の唇に強く吸い付いた。

 今日一番、死にたくなった瞬間だった。


 のけ反るようにして倒れた後、取れない不快感がいまだに身体の中を這いまわっていることに気づき、俺はすぐに身を翻し、四つん這いになって誰に言われたわけもなく、本能的に咽頭を刺激した。胃の内容物をコンクリートの上に吐いたが、それでも悪心は収まらない。

 どうしてくれるんだとメグミを見ると、彼女は彼女で目の前の出来事が衝撃的過ぎて腰を抜かしてしまっている。

「サトさん、ごめん。手貸して」

 ごめんというのは突き飛ばしたことに対しての謝罪なのか、それとも単に頼みごとを切りだしづらくてわざと殊勝に振る舞っているのかはわからないけど、俺は手を伸ばしてしまった。

 こんなに酷い目にあったのに、それにこれから先には面倒なことが起こるに決まっているのに―――


 その後、メグミの家に上がらせてもらった。母親にあいさつしようとしたが、メグミの母は既にスーパーの夜勤に出かけた後だった。

 リビングのソファに横になって少し休んだ後、「ストーカーのボディガードになってくれるなら」という条件を飲まされ、代わりにメグミは高校へ登校することを約束してくれた。

 話は纏まったが、やっぱり面倒なことが増えてしまった。

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