激昂ミラージュ~モンティフォール問題

「ああ、くそっ!」


 ぜえぜえと息を切らして、俺は走っていた。


 残り5分。あれだけあった時間が、今ではもうそれだけしかない。


 自転車を走らせていた俺は、道中で秋音に撃たれた。足を掠めて、タイヤがパンクして横転した俺は、どうやら意識を失っていたらしい。


 恐らく俺を撃った秋音は、複製された偽物だろう。


「あっ、くっ……」


 焦りすぎたのか、躓いて思い切り身体を打ち付けてしまった。その勢いでポケットに入れていたスマホが飛び出て、地面に転がった。


 そのスマホがバイブする。着信だ。俺はスマホを拾って相手を見る。秋音だった。


『タイムオーバーでーす』


 楽しそうに、秋音は言った。


「お、おい! 待ってくれ! 今そっちに向かって……」


 俺の弁明は届いていないようで、ガサゴソと音が聞こえてきた。


『い、いや……やめて!』


 春野の、痛々しい声。やがて、銃の発砲音と思しき激しい音が響いた。


『いやぁああ! 痛い、痛いよぉ!』

『何言ってるの春野。今私が撃って殺したのは偽物でしょう。痛い訳ないじゃん』

『やめて。もうやめてよ……』

『あらあら。夏木ぃ、もう春野の精神は持たないかもね。早く来ないと、壊れちゃうよ』


 電話越しだから現場が見えていないが、だからこそ俺は恐ろしく感じた。


『そうだ。学校の玄関に張り紙を貼ったんだ。ちゃんと確認しておいてね』


 そして通話が切れる。


「春野……。秋音……」


 心が折れそうだ。





 学校に着いて、玄関の前まで来た。秋音の言う通り、張り紙が貼ってあるのを確認した。


 内容はこうだ。


 秋音たちがいる場所は次のうちどれ。A、理科室。B、放送室。C、体育館。答えを間違えたら、春野を一人殺す。


「何だこれ。理科室じゃないのか……?」


 テレビに映っていたのは理科室だった。それに理科室は秋音のホームといって良い程に、彼女にとってなじみ深い場所である。


 しかしこんなことを考えたのなら、場所を変えている可能性も否めない。


「こんなの、何を選んだところで三分の一の確率だ」


 ならば俺は、俺たちにとってもっとも慣れ親しんだ場所に向かう。





 理科室の前に着いた。ドアにはまたも張り紙が貼ってある。


 内容は、放送室はハズレ。答えを選び直すか、というものだった。


「選び直すもなにも、仮に放送室がハズレと分かったところで、確率は二分の一だろ」


 俺が選んだのは理科室だ。張り紙には放送室がハズレと書いてある。つまり正解は理科室か体育館の二択ということだ。


 三分の一から二分の一に増えたが、だからといって俺に出来ることが増えたとも考え難い。だって俺が選んだ択が当たりなのかハズレなのかは、結局分からないのだから。


「いや、違う」


 そうだ。前に秋音と確率に関する面白い話を聞いたことがある。


 三択のうち正解は一つ。回答者が一つ選んだ後、司会者は回答者が選んだ択とは別の、ハズレの択を一つ教える。


 そしてその上で再度、回答者は正解を選ぶ。まさに今、俺が置かれている状況そのものである。


「そうだ。たしかこの状態から確率を上げる選択があった」


 これは単純な確率の話ではない。肝となるのは、司会者が必ずハズレの択を教えてくれること。


 仮に俺が最初にハズレの択を選んでいた場合。司会者によって残りのハズレの択が公開されるので、残りの択が必ず正解となる。


 つまり俺が最初にハズレを引いていれば、選び直すことで必ず正解を当てられるということだ。


 三択のうち一つが当たりだから、残りの二つがハズレ。よって俺が必ず勝てる確率は三分の二。二分の一よりも確率が高くなる。


 このセオリーを成立させるには、ハズレを引いたと仮定して、回答を選び直すこと。


 俺は体育館に向かった。





「モンティフォール問題。私が前に話したこと、覚えてくれたんだね」


 体育館ステージに秋音は立っていた。


「よかったぁ。大好きな春野を、殺さないで済んだよ」


 ニタアと、秋音は不気味に笑った。


 俺はステージに向かう。ステージには秋音のほかに、口を封じられて、手足を縛られている春野が三人、整列させられていた。


「じゃあ本番、行こうか」

「本番だって?」


 俺は思わず足を止めた。


「うん。夏木はさ。この三人の春野の内、どれが本物か判らないでしょ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は呼吸が出来なくなる。秋音がこれからしようとしていることを、何となく察してしまったのだ。


「さーて、この中のどれが本物の春野でしょうか。夏木が選んだ春野以外を」


 秋音は目を見開き、口元を歪ませ、狂った表情で宣う。



「殺しまーすっ!」



――ダァアアンッ!


 秋音は体育館の天井に向けて発砲した。凄まじい音が体育館中に響き渡る。拡散した弾丸は体育館の照明にぶつかったようで、盛大にガラス片を撒き散らした。


 ショットガンだ。本物であることも、たった今証明された。


「そんなゲーム、やれる訳ないだろ!」

「良いのかな。春野の命はまだ、私が握っているんだよ」


 ガチャリと、秋音は銃口を春野に押し付ける。


「大丈夫。さっきやったのと同じだよ。夏木が勝つ確率は三分の二。楽勝だって」


 秋音は厭らしい笑みを浮かべて言う。


 確率は三分の二。しかしそれは、全てが正常に行われた場合に限る。だが実際は、この秋音が常にルールに則って動くとは限らない。ハズレを教えるところで、嘘を言わないとは限らないのだ。


「お前の要求を飲めば、このゲームはしなくて済むのか」

「要求? ああ、あったね。そういえば」


 秋音はそして、つまらなさそうに言う。


「もうそんなの、どうでも良いんだよ。だって無理じゃん。これで夏木が私と付き合ったとして、私たちが幸せになれる訳がないよ」


 ……なんだよそれ。


「そこまで理解しているのに、どうしてこんなことをしたんだ」

「だってさ。もう全部分かっちゃったんだよ。夏木は絶対に私と付き合ってくれない。夏木と春野にはもう、私の知らない世界があるんでしょ。私が知らないところで、私が知らないことを話して。私の知らない表情を向けて、私の知らない幸せを感じている。そんなの……」


 秋音は銃口を天に向けた。


「耐えられない!」


――ダァアアンッ!


 悲痛な叫びが体育館中を反響して、そして照明が一つ割れた。パラパラとガラス片が辺りに撒き散らされる。


「言ったよね、夏木」


 秋音は絞り出すかのように、震わせた声で言う。



「叶うことの無い片思いって、辛いんだよ。苦しいんだよ。心がね、張り裂けそうなくらいに痛いんだ」



 その見開いた目には、涙が溜まっていた。


「だからもう、お終い。そうだよ夏木。お察しの通りだよ。こんなゲームどうでも良い。私は結局、本物の春野を殺すつもりだった」


 そう言った後、秋音はおもむろに春野へ銃を向ける。


――ダァアアンッ!


 再度銃声が鳴った。秋音に最も近くにいた春野が撃たれたのだ。


「春野っ!」


 俺は堪らず叫んだ。


 しかし撃たれた春野に俺の声は届かない。叩きつけられるように倒れた春野は、ステージの床を血に染める。しかしそれも束の間。流れた血ごと霧散して、その霧はもう一人の春野に吸い寄せられていった。


「あーあ、本物の春野がバレちゃったね。そうだよ。偽物が死ぬと、偽物の記憶や感情等が霧状となって本物に吸収されるんだ。こんな風にね」


――ダァアアンッ!


 残った偽物の春野を呆気なく殺して、そして同じように霧散し、その霧状の粒子は春野に吸収されていく。


「んーっ! んーっ!」


 すると春野は発狂するかの如く暴れた。


「記憶と感情を吸収しているからね。直前の恐怖心が辛いんだよ、きっと」


 そう説明しながら、秋音は銃口を本物の春野に向けた。


「これで終わりだね」


 秋音は表情も変えず、ただ言った。


「何もかもお終い。私たちの関係も。私の片思いも。青春も。ラブコメディのような日々も。全部、ぜーんぶ、お終い」


 俺は別れを実感した。大好きだった春野との別れ。そして、幼なじみの秋音との別れ。春野が死んでしまえば、今まであったものが全て壊れてしまうだろう。


「待ってくれ」


 俺は手を伸ばして懇願した。


「そんなのは嫌だよ、秋音」


 何もかも壊れてしまう。しかし俺に止める術はない。


「秋音、頼む。やめてくれ」


 秋音は俺の声に反応しない。


「秋音ぇ!」


 俺が叫んだその瞬間だった。体育館中のあちこちから、霧のようなものが発生した。その霧は一直線に、俺と、秋音と、そして春野に向かってくる。


 俺は迫り来る霧を吸収した。すると途端に、俺の知らない記憶や、様々な感情が流れ込んでくる。ミルグラム実験と称した、拷問のような実験をさせられた記憶。秋音と結婚した仮の将来を見せられて、そして偽物の秋音を愛した記憶。そしてその時の激流のような感情。


 そうか。秋音に撃たれて気を失っていた時、秋音は俺の複製を作ってこんなことをしていたのだ。


「はは、そうなんだ」


 俺は流れ込む記憶と感情に戸惑いつつも、秋音の声に向いた。銃を向けていた秋音は膝を付き、もじゃもじゃの髪の毛を掻き分けて、額に手のひらを当てていた。


「複製した私の心を、こんなにも癒やしてくれたんだね」

「秋音……?」


 それはおかしなことだった。先程の秋音の説明によると、偽物の記憶や感情は本物に還るはずだ。なのに何故か、偽物であるはずの目の前の秋音に、それらが吸収されたようである。


「おいおい、そんな……嘘だろ」


 俺は呟くように言った。そうだ。よく考えてみれば、目の前にいるこの秋音が偽物なら、本物の秋音はどこにいるんだ。


 答えは簡単だ。


 目の前にいるこの秋音が、本物なのだ。


「バレちゃったか。まあ、もうどうだって良いけど」


 秋音は吐き捨てるように言ったそれは、俺の考えを決定づけるものだった。


「複製した私が本物の私を解放した後に、自殺したんだよ。そしたら彼女の記憶や感情が流れ込んできてね。もうめちゃくちゃにしちゃえって、思っちゃったんだ」


 それはあの凶悪な秋音の、俺に対する最大限の嫌がらせだったのだろう。だとしたら効果は覿面だ。


 激昂していた秋音が正気に戻っているのは、先ほど吸収した秋音の感情が比較的穏やかなものだったからだろう。俺の偽物の賜物である。


「もう、お終いだね。私たち」


 秋音はそして笑った。それは狂った笑顔ではない。涙を零して笑うその様は、儚く、そしてただ悲しい笑みだった。


 秋音は銃を下ろし、ステージを降りた。そして体育館出口に向かって行く。


「待て、秋音!」


 俺は呼び止めるが、しかし秋音は止まらない。


 このまま行かせてはならない。でないと本当に壊れてしまう。


 俺は走って秋音の元に近寄ると、手を握った。


「離してっ!」


 秋音は叫んで、暴れるように振り解いた。


「お終いだって、言ってるでしょ」


 ギリッと秋音は俺を睨み付けた。その眼光はとても鋭くて、敵意に溢れている。発した声は怒りや憎しみに溢れ、それを何とか押し殺そうと震えていた。


 正気に戻っているはずの秋音。それでもこうしてあからさまな敵意を向けられたことがショックで、俺は動けなくなってしまう。


「さようなら」


 俺たちの関係は、壊れた。

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