激昂ミラージュ~崩壊の序章

 俺は起床した。あと数日で正月休みが終わる朝。本日は何も予定がないので、俺は寝巻きのまま部屋を出て、顔を洗い歯を磨く。


 リビングには誰もいなかった。そういえば、親二人とも今日は仕事だったはずだ。


 俺はトースターで食パンを焼きながら、コップに牛乳を注ぐ。そしてテーブルについてテレビを付けた。


 ニュース番組が流れる。ニュースキャスターの人が熱心にニュースを読み上げていた。


『ここで臨時ニュースです』


 ニュース番組の雰囲気が突如として一変した。俺はニュース番組に釘付けになる。


『中東の過激派組織が、日本人ジャーナリスト一名を人質に声明を発表しました』


 そして映像が切り替わった。石造りの閉鎖的な建物内。そこで武装した一人の男性が、椅子に拘束されている日本人男性に銃口を向け、カメラに向かって話していた。


「うわぁ、怖いなあ」


 俺は呟いた。ヤバイ奴らに身体を拘束され、銃口を向けられるってどんな心境だろう。


 俺は秋音に銃を向けられたことがあった。あの時、身体は自由に動かせたが、それでも怖かった。


 この人質の日本人は手足が拘束されて、至近距離で銃口を突きつけられている。引き金を引かれてしまったら、一瞬で人生が終わるのだ。その恐怖は、恐らく当事者でないと想像できないだろう。


 人質が俺の身内でなくて、本当に良かったと思う。


「うん?」


 テレビの映像が乱れた。そしてまるでゲーム画面のように空間が書き変わっていく。


 やがてそこは、俺が見慣れた場所に一変した。


「……はっ?」


 俺はすっかり書き換わったテレビの映像が、理解できなかった。


『やあ夏木。おはよう』


 石造りの建物内は、俺が通っている高校の理科室に、先程まで銃を握っていた男は秋音になっていた。そして人質として手足を拘束されていた日本人は、春野となっていた。


『そろそろトーストを焼きながら、リビングでテレビを見ている頃だと思ってね』


 映像の秋音が言う。まさにその通りだった。


 拘束されている春野がもがく。口を布で塞がれていて、声が満足に出せずウーウーと唸っていた。


『さて。見ての通りだよ、夏木。私は本気なんだ』


 しばらく見ていなかった、あの狂った笑顔を見せながら秋音は言う。


 そして春野をまじまじと見つめた。やがて、思いっきり目を見開いた。その瞬間……。


『パァン!』


 テレビから響く銃声に、俺は息が止まった。秋音が引き金を引いたのだ。椅子に拘束されていた春野が、椅子ごと倒れた。


 突然のことで、俺は言葉を失った。


 頭を地面に打ち付けた春野。そこから、じわっと血が溢れていく。


「お、おいっ!」


 俺は思わず立ち上がって、テレビを掴み掛かった。頭を撃たれていた。倒れた春野はピクリともしない。


「し、死んだのか……? 本当に」


 俺はそのまま座り込む。


『ムフッ』


 奇妙な声がテレビから響いて、俺は目を向けた。


『ムハハハハハハハハハ!』


 秋音は盛大に笑った。返り血を顔面に浴びて笑うその顔は、狂気そのものだ。


『殺してやったよ! 夏木が大好きで大好きな春野を、殺してやった! はは、ずっとムカついてたんだよ。いやあ、すっきりしたなあ!』


 俺は呆然とその光景を見つめる。脳が追いつかない。何が起きているんだ。


『夏木ぃ。学校で待ってるよ』


 そして映像は元に戻った。


 しばらくして、テーブルに置いていたスマホが震えた。俺は取る気が起きず放置していたが、いつまでも呼び出し続けるので、俺は力なく立ち上がってスマホを取った。


 着信だ。相手は……秋音だ。


『夏木……助けて!』


 先程とは全く違う雰囲気の秋音が、俺に助けを求めてきた。





 電話越しの秋音が詳しく説明してくれた。


 秋音は企業からの仕事の対応に追われていた。そこで秋音は、自分をもう一人生み出す発明に取り掛かる。そして産み出されたのが先程映像に映っていた秋音だ。彼女はどうやら、秋音の負の感情を極端に受け継いでしまったらしい。


『ごめんね。猫の人形では上手くいったんだけど』


 負の感情は癒してやらないと、どんどん膨れ上がっていく。そして抑えきれなくなった感情によって、もう一人の秋音は暴走してしまった。元の、つまりは電話越しの秋音を拘束し、春野を誘拐した。


『大丈夫。春野は生きているから』


 秋音のその言葉に、俺はようやく落ち着けたのだった。どうやら先程のテレビの映像で殺された春野は、つまり秋音同様に複製された春野とのこと。


『でも急いで。もう一人の私の、本当の狙いは……きゃっ!?』


 激しい物音の後、電話越しから悲鳴が聞こえてきた。


「秋音……? 秋音っ!?」


 俺はすぐに異変に気付いて、秋音を呼びかける。


『ムフッ。テレビの映像は見てくれたかな。夏木ぃ』


 もう一人の秋音の声が聞こえて、俺は心臓が止まりそうになる。同じ身体で、声色も同じなのに、別人だと分かる。


『本物の私の言う通りだよ。私は複製された偽物。先程殺したのも、複製した春野だよ。だから春野は生きてる。でもね、本物の春野も、私も、この私が拘束しているんだ。ほら』

『夏木ぃ! 夏木ぃ!』


 聞こえてきた悲痛な声は、明らかに春野の声だった。


「何が目的なんだよ」


 俺は怒りを押し殺して問う。


『目的? そんなの決まってるんじゃん。春野と別れて。私と結婚して。私の処女を奪って』

「そんなの、お断りだ!」

『良いの? 春野も、本物の秋音も、殺しちゃうよ?』

「やってみろよ。それをした瞬間、お前の望みは一生叶わなくなるぞ」

『ムフッ! 強気だねえ。でも私が言っているのは、夏木が想像しているような生易しいものじゃないんだよ』


 そしてまた物音が聞こえてきた。


『今ここに、本物の春野と複製した春野がいます。まず、複製した春野を痛ぶります』


 秋音がそう言った瞬間。


『い、いやぁあ! やめて! 痛い! 痛い痛い痛い痛いぃい!』


 壮絶な叫び声が聞こえてきた。普段、絶対に聞かない声。しかし、明らかに春野の声だった。


「おい、やめろよ!」


 俺は堪らず叫ぶ。電話越しで何をしているのか分からないから、それが余計に不安を煽ってくる。


『甘々だなあ夏木は。まだまだ、これからだっていうのに。さて夏木。複製した春野を痛ぶっているところをね。本物にも見せているんだよ。あーあー、暴れちゃ駄目だって……ばっ!』


 ドスンと、えぐい音が聞こえてきた。俺は思わず目を閉じた。


『想像できるかな。全く同じ身体に人格を宿した人間が、目の前で痛ぶられているんだ。つまり同じようにやったら、自分も同じような苦しみを感じるし、同じような悲鳴を上げる。その事実を見せつけているんだよ。複製した春野は心が折れて、ただただ痛い痛いとのたうち回る。そして……』


 またもや嫌な音が聞こえてきた。


『えぐっ……!』


 そして生々しい、春野が苦しむ声も聞こえてきた。


『ムフッ。たった今、殺してやったよ。複製した春野を。ほら春野。君も同じようにやったら、同じように死ぬんだよ』

『いやぁあああああああああああ!』


 音割れする程に大きな悲鳴が、俺の鼓膜を刺激した。


『あーあー駄目じゃない。君は本物の春野なんだから。まあそう言われても難しいだろうけど。ムフッ』


 高らかな笑いが聞こえてきた。


『これを1時間置きに行う。ほら夏木、春野の心が壊れちゃう前に、早めにした方が良いよ。まずは学校に来てね。そこで私の処女を奪ってもらわないと』


 そして通話は、一方的に切られた。





 とりあえず俺は着替えて家を出た。秋音の指示に従うにしても、抗うにしても、学校に行く必要がある。


 自転車に乗って、いつもよりも数倍のケイデンスでペダルを回す。普段なら学校まで約15分。全力でペダルを回して、10分くらいだろうか。あの残虐な行為は1時間置きと言っていたから間に合うはずだ。だが、あの状態の秋音が約束通りに動くとも思えない。


「頼む。無事でいてくれ」


 秋音の悲鳴と、春野の叫びが何度も俺の中で響く。すると心拍数が上がって、呼吸の数が増える。もう俺は既に、息切れしてしまっていた。


――パァン!


 先程聞いたものと同じ銃声が響いた。その瞬間俺の自転車のバランスが崩れて、激しく横転してしまう。


「がっ……!?」


 アスファルトに強く身体を打ち付けられて、俺は痛みに呻いた。特に左足に激痛が走る。見てみたら普通の怪我とは思えないほど大量に出血していた。


「やあ夏木。痛そうだね」


 そしてやってきたのは秋音だった。銃を片手に、俺を見下している。そして彼女は片膝をついて、倒れている俺の左足の容態を見た。


「ふむ。派手に出血しているけど、銃弾を掠っただけだね。運が良かったじゃん」


 何が何だか分からなかった。複製した秋音は、学校で俺を待っているんじゃなかったのか。俺はとにかく学校に向かうつもりだった。それを邪魔してどうするんだ。


「まさか」


 俺は呟く。理由は一つだった。


「ムフッ。夏木ぃ、最近勉強を熱心にしているものだから、頭が良くなったのかな。察しが良いね」


 秋音はそう言って、不気味に笑う。


「そうだよ。さっきの映像とは別の、複製された私だよ」


 俺はゾッとした。これでは、複製された秋音が一体何人いるのか分からない。先程の映像に映っていた秋音で手一杯だというのに、俺はあと何人の複製された秋音を相手にしなくちゃいけないのだろう。


「とりあえず、来てもらうよ」


 俺は意識を失った。

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