愛玩キメラ~命短し別れよ乙女

 正月休み。


 私は家の近くの公園に赴いた。秋音からの呼び出しだ。


 冬の公園は物寂しい雰囲気が漂っていた。錆びた遊具。葉っぱのない木々。誰もいない砂場。ひゅうっと冷たい風が吹き抜ければ、地面に落ちていた枯れ葉が舞った。


 しかしベンチには特異な人物がいた。白衣を着たその女性は秋音だった。彼女はベンチに妙な物を広げて、しげしげと眺めていたのだった。


「秋音」


 私が呼ぶと、彼女は振り向いた。もじゃもじゃの髪の毛に、ダサい黒縁の眼鏡。眠そうに薄く開いている目の下には、隈がくっきりと浮かび上がっていた。


 もっとちゃんとすれば、この子も可愛いのに。


「やあ春野。夏木は?」

「今日は来ないよ。風邪だって」

「ああ通りで返事が無いと思った」


 そう言いながら秋音は、ふうっと深く息を吐いた。そして彼女は私の目の前に立つ。


「え、なに。どうしたの?」


 秋音の不自然な行動に、私は警戒した。秋音の所為で私は何度も辛酸を舐めている。秋音のことは好きだけど、だからといって信用している訳では無いのだ。


「まあまあ。そんな警戒しないでよ」


 そう言いながら、じりじりと詰め寄ってくる。私はそれに合わせるように後ずさりした。


「やめて。来ないで」


 私は突き放すように言った。


「ふふ。酷いなあ」


 秋音がそう言った瞬間。彼女は勢いよく私に近寄った。逃げ遅れた私は、秋音に手を捕まれてしまう。


 そして秋音は私の手を引っ張る。強く身体が引き寄せられて、私の顔と秋音の顔が接近した。


「んんっ!?」


 私は呻く。秋音は、そのまま私にキスをしたのだ。


 秋音の舌が唇を撫でる。湿った感触が伝わってくる。やらしい舌は、次に私の閉じた唇をこじ開けようしてきた。上唇と下唇の割れ目を突き進もうとしてくる。やがて呼吸の際に抵抗が緩んでしまって、あっけなく突破されてしまった。


 口内に侵入した舌は、傍若無人に動き回る。前歯の上と下の歯茎を舐められ、頬の裏側を舐められ、さらには領地を犯されて行き場を失った私の舌に絡みついてきた。


「ん……んん……」


 酸素が足りていないのか、ボーッとしてきた。肌寒い季節の中、秋音の温かい唾液が喉を潤す。身を寄せてくる秋音の身体からも、彼女の体温を感じる。


 私はぎゅっと秋音を抱きしめた。すると白衣に隠れた彼女の豊満な胸が、私の胸に当たって、そしてお互いの胸を押し潰した。


 暖かい。暖かくて、心地良い。


 もっと行為を激しくしたい。そんな考えが脳裏をよぎったその時。秋音はパッと私から離れた。


「よし。唾液の接種完了っと」


 あっけらかんと秋音は言うのだった。





「名付けて、愛玩キメラ」


 ベンチに立つ秋音は、高らかに宣った。何故だか口をモゴモゴさせている。行儀が悪いなあ。


「キメラって。本格的にマッドサイエンティストっぽくなってきたわね」


 その発明、法に抵触してない? 大丈夫?


「私の頬袋には、春野の唾液を溜めています」

「やだ汚い」


 ハムスターかっ。


「それをこの人形に……ヴォヴェ~~~~~」


 猫を模した人形に唾液をぶちまける秋音。想像を絶する下品な光景に、私は言葉を失った。


「はい。この人形には私の唾液と春野の唾液が掛かりました。言い換えると、私の時任さんと春野の時任さんが掛かった状態です」

「DNAでしょ。デオキシリボ核酸のことを時任さんと言ったって分からないわよ」

「分かってるじゃん」


 本当だ。なんで分かったんだろ、私。やばいな、病院で視てもらったほうが良いかな。


「この人形こそが私の発明品でね。二つのDNA情報を組み合わせて、意思のようなAIを生み出すんだ。そしてそのAIによって人形は独りでに……」


 秋音が説明している途中、唾液が掛かった人形が独りでに動き出した。


「ご覧の通りさ」


 そう言いながら秋音は、タオルで人形に掛かった唾液を拭き取った。猫を模した人形は、まるで本物の猫のように秋音に身を委ね、タオルに拭かれている。


 そして解放されると、とてとてと覚束ない足取りで歩いた。


 生命の誕生を垣間見た気がした。秋音はAIと言っていたけれど、仕草などの動きが生々しい。


 産まれたての子猫のように不器用に歩き回ると、やがて秋音の足に身を寄せた。


「ああなるほど。春野のDNAが含まれているからねぇ。本能で私に懐いちゃったんだ」

「どういう意味よ」

「だって春野。私のこと好きでしょ?」

「うっさいなぁ」


 秋音は白衣を気にしつつ屈むと、その猫の頭を撫でた。するとまるで本物のように、目を細め、気持ち良さげな顔になった。


「……何だこの気持ちは」


 頭を撫でた秋音の様子が変わった。頬を紅くし、目をまん丸にして、妙なことを呟いた。


「結構可愛いじゃない。私にも撫でさせてよ」


 私が興味本位で言うと、秋音は何故か複雑そうな表情を浮かべた。


「結構じゃない。すっごく可愛いの」

「は?」


 頬を膨らませてプンスカと怒る秋音。急に何を言い出すんだこの子は。


「にゃぁあ!」


 猫のような人形が私を見るなり近寄ってきた。そして嬉しそうに私の足に頬ずりする。


「当然、秋音の唾液の方が多かっただろうしね。そりゃあこうなるよね」

「ど、どういう……」

「だって秋音。キスするほどに私のことが好きじゃない」


 したり顔で言ってやった。秋音は悔しいのか恥ずかしいのか、顔を紅くさせた。ざまあみろ。


 私は秋音のように屈んでその子の頭を撫でてやる。


「よしよし。可愛いなあお前は」


 喉元も撫でてやる。するとやはり気持ちよさそうに私に身を委ねてきた。


 あまりに無防備で、構ってあげたくなる。無性に守ってあげたい気持ちが湧き上がってきた。


「……何だこの気持ちは」


 つい私は秋音と同じようなことを呟いてしまった。


「ほらほら、春野じゃなくて、こっちにおいで」


 秋音はそう微笑んで手招きした。しかしその様子はどこか必死だ。


「にゃぁあ!」


 その手招きに応じて、私から離れて行く。


「ああ、ミケ!」


 すると強烈なもの寂しさが湧き上がってきた。離れゆくそれに手を伸ばすが、無情にも秋音の手に収まるのだった。


「あーよしよし。お前はミケじゃなくてトラだよね。よしよし」

「ちょっと秋音! うちの子に勝手な名前を付けないで! その子はミケなの!」

「いいえ。この子はうちの子ですぅ! トラって名前の子なんですぅ!」


 ……。


「私たち、何でこんな必死になってるんだろ」


 急に我に返った私たち。秋音は神妙な面持ちで呟いた。


「にゃぁあ!」


 秋音に抱かれたミケが鳴いた。


「はいはい、よーしよし。よーしよし」


 まるで赤子を扱うかのように、秋音はミケをあやす。


「トラ、お腹が空いたのかしら。おっぱい飲みましょうね~」

「あんた母乳出ないでしょうが」


 秋音にツッコみを入れながら、私はミケの口に指を向けた。ミケは私の指をペロペロと小さい舌で舐める。


 不思議な雰囲気だった。私と秋音とミケがいる空間。その空間はどこかほんわかしていて、妙に落ち着く感じで、どこか幸せだった。


「まさかこれが、この気持ちが……母性!?」


 ハッとしたように秋音は言った。


「でもそうだ……トラは私たちの遺伝子を引き継いでいる。そして私たちもそれを理解しているから、母性が芽生えたんだ」

「そんなまさか……」


 なんて話していると、ミケは秋音から離れてとてとてと歩いて行ってしまう。


「ああ待ちなさい! 一人じゃ危ないからっ!」


 私と秋音は堪らずミケを追いかけ、そっと抱き寄せた。


「……母性かも」


 まるで母親のような態度を取った自分を見て、私もついに自覚したのだった。





「ここで悲しいお知らせ」


 このミケに対してお互いに母性を自覚したところで、秋音が言った。


「トラ、あと数分で死にます機能停止

「そんな……」


 まるでお腹を痛めて産んだ子が、短命であることを告げられたような絶望感だった。


「どうにかならないの!?」

「ごめん。安物の素材を使っているから、電源が落ちたら記憶が飛んじゃうんだ。改良でなんとかできるかもしれないけど、この今の記憶はどうにもならない」


 どうにもならないことを秋音から告げられると、いよいよ別れを実感してきた。押し寄せる悲しみに耐えられず、私は涙を零す。


「嫌よ! ミケと別れたくない!」


 私は涙で顔をぐしゃぐちゃにして、叫ぶように言った。


「春野、元気出して。また二人で作れば良いじゃない」


 秋音は私を慰めるために、肩に手を回した。私はすぐそばにある秋音の頰に、寄っ掛かるように自身の頰をくっ付けた。すると彼女の体温を感じて、強烈な悲しみは少しだけ和らぐ。


「でもこの子は。この子とはもう会えないのよ」

「うん、そうだね。それはちょっと寂しいね」


 くっ付けた頰を伝って、滴が私の顔に流れた。秋音も涙を流していたのだ。


「ごめん秋音。そうだよね。秋音だって辛いのに」

「ううん、良いんだよ。それより、トラにきちんとお別れしなくっちゃ」

「そうね」


 私はミケの顎を撫でてやる。するとミケは気持ち良さそうに身を委ねた。しかし寿命が近いのだろうか、先ほどよりも元気がない。


「ありがとうミケ。こんな気持ちは初めてだった。ミケのお陰で、知らなかった自分を知ることができたわ」


 感謝の気持ちはすんなりと出てきた。こんなにも穏やかな気持ちになれたのは久しぶりだ。


 やがてミケはぐったりと身体を横にした。それでも私の手の感触が欲しいのか、必死に顔を私の手に寄せる。それが何だか痛々しくて、より一層ミケの死を予感させられた。


「慈しむ気持ち。母性というものをトラのお陰で知れたよ。ありがとう」


 秋音はぐったりと倒れているミケの身体をそっと撫でた。



「にゃぁあ」



 それはミケの最後の一鳴きだった。人間である私たちには何を言っているのか分からなかった。ただそう鳴いた後、苦しそうに前後していたミケの腹周りは完全に停止した。ミケが死んだことは間違いなかった。


「秋音……!」


 私は秋音に顔を埋めた。秋音は私の身体をギュッと抱きしめる。その抱擁はきつくて、痛かった。


「春野。大丈夫。ほらトラの顔を見て」


 私は涙を拭って、ミケを見た。


「ああ、本当だ」


 私は呟く。


 ミケの最後の言葉は分からなかった。でも秋音が言うとおり、大丈夫だということは分かった。


 だってミケの顔はこんなにも安らかで、幸せそうな表情をしているのだから。

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