心霊ノーパンティ~約束はJKのアロマ
告白予定日と事故が遭った日が同じ日、ということが分かったのは大きかった。俺たちは事故が起きた日は把握している。だからその前日の放課後の下駄箱をヒストリーホログラムで見れば、時任が渡辺の下駄箱に恋文を入れるところを確認できる。
もう日が暮れていたので、捜査は翌日にすることになった。
ヒストリーホログラムで俺の下駄箱付近の歴史を再生すると、確かに俺の下駄箱に時任が恋文を入れているのを確認した。
「あとは時任さんが、放課後までに思い出せるかどうかだけど……」
秋音が不安げに言った。時任は寝て起きると一部の記憶を忘れてしまうらしい。だから恋文で呼び出したことを、もしかしたら忘れてしまうかも知れないのだ。
「まあでも、毎日付けている日記に書いておけば大丈夫じゃない?」
と春野。おそらく時任はその日記を毎朝読んで、重要なことを把握していたはずだ。
「でも突発的に記憶が飛んだりするんだろ? それが起きなきゃ良いが」
俺は言った。
「まあ、翌日を見れば分かることだよ」
秋音はそう言いながら、翌日の日時を装置に入力する。そして再生ボタンを押した。すると装置はたちまち翌日の学校の様子を映し出した。
制服を着て、鞄を持って、いつも通りに登校する生徒たち。続々とやってくる生徒の群れの中に、渡辺君の姿を確認した。渡辺は上履きに履き替えるために下駄箱を開ける。そして時任が仕込んだ恋文を見つけた。彼はその恋文をそっと鞄の中に隠す。
「あれ、その場で読まないっすか」
「そりゃそうだろ。ラブレターもらったってバレたら冷やかされるだろうし。多分トイレとかでこっそり読むんだよ」
渡辺がそのまま去って行き、時任も登校したのを確認したので、秋音は放課後まで時間を進める。授業中などの渡辺と時任の様子を見る必要は無い。肝心なのは、放課後に下駄箱へやってきた時任が、どんな様子なのかだ。
一番にやって来たのは渡辺だった。彼は真剣な面持ちで、しかし頬を少し紅潮させて、玄関を出て行った。
遅れて時任がやってきた。渡辺とは打って変わって普通である。和気藹々と、よっしー含む友人達に囲まれながら靴に履き替えている。異常な程に、普通だ。
「おい、あれって……」
俺は恐る恐る言う。
「うん。思い出してないだろうね」
秋音が答えた。
そのまま友人達と一緒に玄関を出て行ってしまったので、俺たちは装置を持って後を追った。
案の定、時任はそのまま校門を出てしまう。不運にも、突発的に記憶を忘れてしまったのだろう。
「渡辺君。真っ先に待ち合わせ場所に向かったなら、せめて声かけて行けば良かったのに!」
春野が言う。そうは言うが、時任は記憶を忘れて友達に囲まれていた。渡辺からしてみれば、話しかけ難いのだ。
「でも、これじゃあ告白出来ないよ!」
秋音が言う。
「大事なことすら忘れたまま、死んじゃう!」
「それはちょっと、嫌っすね」
秋音の言葉に、時任は胸を押さえた。
そして辿り着いたのは、モンロー橋でお馴染みの歩道橋だった。空がほんのりオレンジ色に染まる頃。時任はその歩道橋の階段を上っていく。自動車の音に混じって、コツコツと足音が響く。友人達と別れたのか、今は一人だった。
「モンロー橋……」
俺は呟く。先日、この歩道橋の階段にて春野が盛大にスカートを翻したのを思い出した。
「時任は今、パンツを穿いているのか……?」
いや、穿いていない可能性が高い。日記で告白のことを明記されていれば、恐らくは朝の内に脱いでいるはずだ。
「ちょっと待って。じゃあ時任さん、この後……」
春野は口を押さえた。
「私、確認してくる!」
秋音はそう言って歩道橋に走り出した。階段を駆け上がって、そしてホログラムの時任に追いつく。しかしその頃にはもう、モンロー橋の階段を上り終える頃だった。
「吹き荒れるぞ――エロ・ブラスト!」
その瞬間、風速35メートルの風が吹く。それにより、時任と秋音のスカートが盛大に捲れた。
『いっやぁーん!』
「いっやぁーん!」
ホログラムの時任の声と、秋音の声が重なった。
俺はその非日常的な光景を、唖然として見上げた。夕日の後光に照らされて、神々しくさえあった。
秋音は水色のパンツを穿いていた。素材はコットン。端々がレースになっているものの、シンプルなデザイン。ウエスト部分には小さなリボンが施されている。
一方で時任は、穿いてなかった。
『よっ! No・パンティ!』
「よっ! Oh・パンティ!」
ホログラムの声と、俺の声が重なった。昔の人はアドリブも効くらしい。
がつんと後頭部に衝撃を感じた。振り返ると、顔を真っ赤にしながらも歪んだ形相を浮かべている春野が、握り拳を握っていた。
『……わ、わたちゃん!』
顔をこれ以上ない程に真っ赤にさせた時任は、おもむろに叫んだ。そして走って来た道を引き返す。
「時任が言ってたな。記憶は刺激で思い出す。羞恥とかでも」
時任がパンツを脱ぐ理由はそれだったのだ。記憶が不安定な彼女にとって、最後の保険だったのである。
「時任さん、凄い勢いで走って行ったよ!」
「待て、秋音!」
追いかけようとする秋音を、俺は呼び止めた。
「追いかけるのか? その先は、俺たちにとっても辛い光景が待ってる」
秋音は、俺と春野が交通事故で死ぬ場面を何度も見ている。それに俺も春野も、そして時任だって、見て気持ちの良いものではない。
「そうか……そうだね」
秋音は悲しげに笑った。
*
おおよその事実が明らかになった。しかしそれでも、時任が成仏する様子はない。
「私は、わたちゃんに想いを伝えられなかったことが、心残りで仕方がないっす」
彼女はそう言うと、目を閉じた。様々な感情が綯交ぜになって混乱しているから、気持ちを整理しているのだろう。
「おい、お前たち」
それは、老齢の男性の声だった。ヒストリーホログラムは起動していない。なのに、咲いていないはずの梅の花びらが舞い散った気がした。
俺たちは振り向いた。声の主は吉田だった。
「わたちゃん……」
時任は目を見開いて、そう呟いた。
「わたちゃんだって……?」
時任の言葉を繰り返し、俺は吉田を見た。
「どうして、俺の昔のあだ名を知ってる」
吉田が驚いたように言う。
「いや、やはりか。お前たちが何やら嗅ぎ回っているのは知っていた。まさか本当にそうだったとは」
ヒストリーホログラムで歴史を辿っている俺たちは、さぞ目立っていたことだろう。案の定、吉田にも怪しまれていたようだ。
「時任亜実乃さんから聞きました」
「何だと。そんな馬鹿な」
「ここで、待ち合わせをしていたんですよね」
「そこまで知っているのか」
「これを飲んでもらえますか。俺たちがそこまで知っている理由が分かります」
俺は秋音が作った錠剤を吉田に差し出した。吉田は俺を疑惑の眼差しで睨みながらも、恐る恐るその錠剤を飲んだ。
錠剤は、秋音がすぐに効き目が出るよう改良していた。それを口にした吉田は直ぐに時任が見えるようになるはずだ。
「それで。薬を飲ませてどうす……る……」
吉田は言うのを中断した。俺の後方で泣きじゃくっている時任を、目を見開いて凝視する。
「あ、亜実乃……」
「わたちゃん……わたちゃんっ!」
約40年ぶりの再会。俺たちは距離を取って、隠れながらその様子を見守る。
「へへ。わたちゃん、老けたっすね」
「お前は、あの頃のままだな」
普段は怖い表情の吉田も、この時ばかりは表情が和らいでいた。
「そりゃそっすよ。だって私、死んじゃったんすもん」
笑いながら時任は言うが、吉田は悲しげに顔を歪める。
「結婚したっすね」
「ああ、婿入りしたんだ。今は渡辺じゃなくて、吉田だよ」
「吉田って……もしかして、よっしーと?」
「ああ、そうだ」
「マジっすか」
他愛も無い話だったが、二人は幸せそうだった。
「これを」
吉田は小さく薄い桐の箱を取り出した。その箱を開けると、綺麗に折り畳まれた桃色の布がしまってあった。吉田はそれを丁寧に取り出して広げる。
それは、一枚の女性用下着。パンツだった。全く汚れていない。痛んでもいない。かなり丁寧に洗濯されてきたパンツだ。
「私の……パンツ……」
「そうだ。お前の形見として、俺が貰い受けた」
「それ、借りても良いっすか」
「ああ、もちろんだ」
手渡しで、意中の相手から自身のパンツを受け取る時任。
「何が始まるというの……?」
春野が眉間にシワを寄せて言う。
「儀式だよ」
俺は、ただ短く答えた。
「儀式?」
「ああ。洗濯済みのパンツに、価値を付ける為の儀式だ」
俺はそう言って、その儀式を見守る。
「見ててね。わたちゃん」
「ああ、ちゃんと見てる」
時任はパンツのウエストの端を両手でつまみ、広げた。片足を上げ、ゆっくり、見せつけるようにパンツを穿いた。
「見たか。時任がパンツを穿いたんだ。洗濯済みのパンツから、使用済みパンツとなった」
俺の解説に、春野は複雑そうな顔をした。
「分かるっすか。私、パンツ穿いてるっす」
「ああ。分かる。分かるよ」
時任はそして、自身の下半身を優しく包み込んでいるパンツを、脱いだ。
「わたちゃん……」
吉田をあだ名で呼ぶ時任の顔は紅かった。
「すこ」
放たれたその言葉は、ひゅうっと吹いた一陣の風に乗って通り過ぎていった。
時任はようやく、想いを告げたのだ。
「ずっと。ずっと前から、すこでした」
時任はそう告げると同時に、涙を流した。
「ああ。俺も、すこだった」
吉田がそう告げて、二人は笑い合う。涙を流しながら笑うその様は、雨上がりの花の様だった。
時任は、脱いだパンツを吉田に差し出す。
ーーどうせ約束だって、忘れちゃってるんだろ。
渡辺が口にしたその言葉を、俺は思い出す。今まさに、約束が果たされようとしているのだ。
「遅くなっちゃったすけど、約束のパンツだよ」
「ああ」
吉田はパンツを受け取る。そして、そのパンツに顔を埋めた。
「すぅうう、はぁああ」
果たして、幽霊に匂いがあるのか。少なくとも、幸せそうに堪能している吉田には、時任の香りを確かに感じ取っているのだろう。
「ようやく、渡せたっす」
時任は、キラキラと輝きだした。彼女の身体から、光の粒子が上昇していく。成仏が近いことは、すぐに分かった。
「亜美乃っ!」
吉田は叫ぶように呼び止めた。
「じゃあな」
その言葉に、時任はきょとんとした表情を浮かべた。そして、すぐにまた微笑んで、口を開いた。
「うん。じゃあね」
まるで、下校のような別れだった。
それを皮切りに、時任の輝きが増した。上空に昇っていく光の粒子の量も増す。
やがて時任は消えた。
「亜美乃……」
それを見届けた吉田。ぼそりと彼女の名を呟いて、再度パンツに顔を埋めた。
きっと今夜は、彼女を想いながら眠るのだろう。
残り香が匂うパンツを、枕カバーにして。
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