心霊ノーパンティ~香しきものは何処に

 俺はダッシュで逃げた。後ろで待機していた秋音と春野と目が合う。


「春野ぉっ! 秋音ぇっ! もうマヂ無理! ぃみゎかんなぃいいいい! 逃亡しょおおおおおお!」


 俺は我武者羅に叫んだ。


「落ち着いて、夏木!」


 薄情にも、秋音が俺を取り押さえる。


「離せ秋音ぇ! あいつマジやばいよ! 目も鼻も口もあった! 髪の毛はサラサラだし、肌は綺麗だし、しかもちょっと可愛いんだっ!」

「だから落ち着いて! 足は? 足はあったの?」


 と春野。


「足ぃっ? 知るかよ! ただ太ももがちょっとエッチだった!」


 ガタガタと暴れていると、幽霊が追いかけてきた。


「無いのぉ。無いのよぉ。私のパンツがぁああ!」


 ソプラノリコーダーのような澄み切った美しい声が響き渡る。なんて恐ろしい声だ。


「あなたは、時任亜美乃さん?」


 春野が恐る恐る聞く。すると幽霊はピタリと止まる。


「えっ、どうして私の名前を知ってるんすか?」





「いやぁ、それが全然覚えてないんすよー。分かるのは自分の名前くらいでー」


 そう言ってケラケラと笑う時任を、俺は舐めるように見た。黒髪ロングの彼女は、結構な美人だ。しかし女子高生相応の小生意気な雰囲気もあって、親しみやすい。足のすねあたりから徐々に薄くなっていき、そして足首から先は無かった。


 時任は、間違い無く幽霊だ。


「しかもー、妙にお股がスースーすると思ったらー、パンツ履いてないっていうーっ! ちょーウケるっすよねえ!」


 ……こんな幽霊がいて良いのか?


「これ、見覚えあるか? 俺の下駄箱に入ってたんだけど」


 俺は件の恋文を時任に見せる。


「あぁー! なっつかしぃー! ……何だっけ?」

「……何なのお前」

「いやだってぇー、何も覚えてないっすもーん。ちょっと既視感を感じたんすけどねー」


 時任はぬけぬけと言った。


「名前を覚えている。ラブレターに既視感。ということは、ある程度の思い出は残っているのかも知れない」


 と秋音。おお、凄い。めちゃくちゃ頭良さそうに見える。


「だからもっと頑張ってみて。もしかしたら思い出せるかも」


 そして秋音は、俺から恋文を取ると、時任の目の前に見せつけた。


「ほら。ラブレターを書いたってことは、好きな人がいたんだよね。誰だか思い出せない?」


 秋音はグイグイと時任に詰め寄る。秋音は人見知りのはずだが、時任には平気らしい。幽霊だからだろうか。


「秋音、なんだか必死だな?」


 そんな秋音の姿に、俺は率直に述べた。ぶっちゃけ今回の目的は達成されたと言っていい。恋文は確かに心霊現象だった。しかしその原因となる幽霊は、こんな様子で全然怖くない。時任亜美乃に関して、俺たちは放置で構わないはずだ。


「だってさ。多分この子は、叶わなかったんだよ」


 しおらしく、秋音は言った。


「それってとても可哀想じゃん。叶わない恋って、苦しいんだよ」


 俺はその言葉で理解した。秋音は時任に、自分自身を重ねているに違いない。


「安心して、時任さん。好きな人と結ばれた辛さは、私も良くわかってるから」


 秋音はそう微笑んで、時任の手を握る。


「好きな……人……」


 秋音に手を握られながら、時任はたしかにこう呟いた。


「わたちゃん……」





「という訳で。作ってきたよ。都合の良い装置!」


 翌日の放課後。いつもの理科室にて俺たちは集まっていた。そこには時任もいた。意外にも幽霊は日が暮れていなくとも活動できるらしい。地縛霊という訳でもないらしく、理科室に集まるのに何の不都合も無かった。


「名付けてヒストリーホログラム!」

「どんな装置なんだ?」

「ふふん。百聞は一見だよ!」


 ドヤ顔で言う秋音。略すなよ。それだとちょっと意味変わってくるだろ。


「まずは、ここに装置を設置します」


 秋音はそう言いながら、鍋型の装置を理科室の床に設置した。


「次に、装置に年月日と時間を入力します。取り敢えず今年の夏頃の適当な時間で……」


 ポチポチと装置に入力する秋音。


「よし。これで再生ボタンを押します。すると入力した時期に起きた出来事が、ホログラムで再生されるという訳!」


 秋音は再生ボタンを押下した。するとたちまち辺り一体に緑色のレーザー光線が照射され、やがて映像が空間に浮かび上がった。


 ガラガラと音がして、その場にいる全員が振り返った。理科室のドアが開いたらしい。しかしそれは映像内での出来事で、実際には開いていない。


 そこから一人の女生徒が入ってきた。その女生徒は秋音だった。夏頃の秋音。数ヶ月しか経っていないからか、今とあまり変わらない。しかしその表情は気味が悪かった。頰を紅潮させ、鼻息が荒いのだ。


「あら私だ。何だっけ」


 その映像を見た秋音が言う。映像の秋音は、もぞもぞと制服のポケットに手を入れて、やがてあるものを取り出した。


 それは、俺のパンツだった。ずっと無くしていたと思っていた俺の、お気に入りのパンツ。


「……やばっ!?」


 秋音が慌てて装置のスイッチを押した。しかし作りが悪いのか、すぐに再生は止まらないらしい。映像はそのままだ。


『はあはあ。夏木のパンツ。くんくん。はぁあ、良ぃい』


 映像の秋音の、艶かしい声が響く。秋音はあろうことか、俺のパンツに顔を埋めていた。


 匂いを堪能した秋音は、次に理科室の椅子に腰掛けた。そしてパンツを鼻に押しつけたまま、身体を弄りだした。


「おいおい、まさか」


 俺はドン引きの声を上げた。


「いやぁっ! ダメぇっ! 見ないで!」


 秋音はそう叫んで、空間に浮かび上がっているホログラムに重なるように立った。チラチラと見え隠れる秋音の自慰シーン。大事なところが見えそうで見えず、逆にエッチだ。


 やがて、行為が本格的になる前に映像は途切れた。


「はあはあ。これで分かったでしょ。この装置の威力……!」


 顔を真っ赤にしながらも、ドヤ顔を浮かべる秋音。ああ確かに。威力は充分だっただろう。秋音のダメージはデカそうだ。俺に見られるのは良くても、知り合ったばかりの時任に見られるのが恥ずかしいのだろうか。


「おい秋音。取り敢えず俺のパンツ返せよな。あれお気に入りなんだ」

「……まあ、気が向いたらね」

「いやすぐ返せよ」


 というかこいつは、もう少し気を遣えよ色々と。いっつも誰かに見られるじゃねえか。


「ふふん。秋音さあん。結構エッチなんすねぇ」


 うっとりとした表情で、時任が秋音に詰め寄った。


「冗談ならやめておいた方が良いわ時任さん。そいつ女の子でもイケる口らしいから」


 春野が真顔で言う。


「へえそんなんだぁ。秋音さあん。私もぉ〜女の子でもイケる口なんすよぉ〜」


 さらに詰め寄る時任。秋音の顎をそっと指で掴んで、クイっと自分の顔に近づける。


「い、いや……私は夏木一筋だからぁ」


 秋音は目を逸らして言う。


「だからその……性欲処理なら」

「何言ってるんだお前」

「はっ……!? ウソウソ! 性欲処理も夏木が良いから!」


 このハレンチな女め。俺は知ってるんだぞ。性欲処理は春野の方が良いんだよなお前は。


「というか時任さん。つまりラブレターの相手って女の可能性もあるのか?」

「ええー、どうかなぁ。私もどちらかというと性欲処理って感じっすー」


 と時任。まったく。どいつもこいつも。


「まあ、とにかくだよ!」


 秋音は時任から離れて言った。


「このヒストリーホログラムで時任さんが生きていた頃の映像を見れば、色々と分かるよね!」


 そう言いながら秋音は、再度装置に時期を入力した。確かに、この装置を使えば色々と手がかりが掴めるかも知れない。


「はい、ポチッとな」


 映し出されたのは、授業の様子だった。ここは理科室だから、理科の授業だろう。各々が真面目に授業を受けている。


「あ、いた」


 春野が指さした先に、時任がいた。時任は他の生徒と違って、あまり授業に集中出来ていない様子だ。


「何をモジモジしてるんだ?」


 そんな様子を見た俺は素直に呟いた。時任は顔を赤くして、膝と膝を擦り付けるような仕草をしていた。


「おしっこ我慢してる?」

「してないっすよ!」


 秋音が言うと、時任は咄嗟に否定した。


「ねえ、チラチラ誰かのこと見てない?」


 春野の言う通り、時任はそんな仕草をしていた。その目線を辿っていくと、一人の男子生徒に当たる。


「この男子が時任さんの好きな人……?」


 秋音は言う。おそらくそうだろう。俺たちはなんとかその男子の名前を探る。授業が終わって、その男子がノートを閉じた際、表紙に名前が書かれているのを見て、ようやく彼が渡辺わたなべという名前だと知ることができた。


 時任が理科室から出て行ったので、装置は一旦切る。


「要するに時任は、渡辺って男子に片思いをしていた。ラブレターで告白しようとするけど、途中で死んでしまう、と」


 俺は推測を述べてみる。


「まあ、おおよそはそれで間違いないね。それで、どうしたら時任さんは成仏できるのかな」


 秋音は言い終えると、時任を見つめた。俺と春野も、時任を見る。おそらくだが、好きな人は判明した。何か進展はないだろうか。


「ごめんなさい。わからないっす。さっきの男子が私の好きな人、なんすかね。それも今一ピンときてなくて」


 時任は申し訳なさそうに言った。まあ殆ど覚えていないらしいから、仕方がないだろう。


 とりあえず。俺たちは時任と渡辺が会話しているところを確認することにした。ヒストリーホログラムで歴史を辿っていき、約一時間。


『はあはあ、どうっすか。よっしー』

『あ、亜美乃さん。駄目よ。こんなところで』


 時任とよっしーと呼ばれる女生徒が、艶かしくいちゃついているシーンが映し出された。


「あ、よっしーだ。このこお金持ちの子なんす。絶対嫁入りしないって、張り切ってたっすけど。今はどうしてるかなー」

「どうでも良いことはあっさり思い出すわね、この子」


 春野が呆れながら言う。こういう、時任の如何わしい場面と何度も遭遇するものだから、俺たちは不本意にも慣れてしまっていた。


『わたちゃん!』


 さらに歴史を辿っていき、ようやくそれらしい場面を見つけた。廊下を歩いて下校するところだった渡辺を、時任が呼び止めたところだ。


『亜美乃……』


 渡辺が振り返って時任を確認すると、そう呟いた。


「あだ名と名前で呼び合ってるわね。案外、仲は進んでいるの?」


 春野が言う。何せ二人は全然会話をしないのだ。


『今日は、思い出せたんだ』


 と渡辺は言った。


 思い出せた? 何のことだろう。


『どうして。どうして話しかけてくれなかったすか!?』


 と時任は必死な形相で言った。


「なんか、意味わかんないっすね」

「お前の会話だろうが」


 ちんぷんかんぷんな会話は、本人ですら理解できないらしい。


『だってさ。結構傷つくんだよ。他人行儀に話されるのって。どうせ約束だって、忘れちゃってるんだろ』


 渡辺の言葉に、時任は俯く。


『ごめん……』


 そして悲しそうに、そう言ったのだった。





 渡辺と時任が会話をしていた日の翌日に設定して映像を確認していると、渡辺から時任に話しかけるシーンを 見つけた。


『あ、あの。時任』


 先の会話とは打って変わって他人行儀だ。


『え……と……』


 時任は警戒したように身を退いて、そして上目遣いで渡辺を見る。そしてこう言い放った。


『あなたは、誰っすか』


 俺を含め、その場にいる全員が言葉を失った。


「お、おい秋音。翌日に進めるんじゃなかったのか? かなり前に戻ってないか」


 俺は慌てて秋音に言った。


「う、うん。そうだね。ちょっと確認してみる……いや、ちゃんと翌日になってるよ」


 どういうことだ? 前日は親しげに話していたのに、次の日はまるで初めて知り合ったかのような感じだ。


「ね、ねえ。もしかして、時任さんの記憶……」


 春野が言う。時任の記憶が、無くなっているのか……?


『……同じクラスメイトの、渡辺だよ』

『渡辺さん。う、うん。よろしくっす。へへ』


 あからさまな愛想笑いを浮かべる時任。そして渡辺は、がっかりした様に去って行った。


『ああ、うん。そっすか。また私は……』


 去っていく渡辺の後ろ姿を見ながら、時任はそう呟いた。そして彼女は身支度をして下校する。俺たちはその後を追うことにした。





 たどり着いたのは、件の梅の木があった場所だった。ヒストリーホログラムの映像によって、梅が綺麗に咲いている。その木に、時任は寄り掛かっていた。


『渡辺君。傷つけてしまったっすね』


 目を伏せて、時任は呟いた。数分間、彼女は梅の木に寄り掛かったままじっとしていた。物思いに耽っているのだろう。


 やがて、ぽつりぽつりと雨が降り出した。


『わわ。雨っす。早く帰らないと』


 慌てて梅の木から離れようとした。しかし突然時任は立ち止まって、おかしな程に目を見開く。


『わたちゃん……』


 そして忘れていたはずのあだ名を、呟く。どうやら、思い出したらしい。


『わたちゃん……ごめん、わたちゃん!』


 大切な人を傷つけてしまった実感がしたのだろう。彼女はダムが決壊したかのように、号泣した。雨に打たれても構わず、再度梅の木にもたれ掛かる。


『はは……ベタな心理描写でもされてるみたいっすね』


 すっかりびしょ濡れの髪の毛をだらりと垂らして、時任は空を仰ぐ。


 雨が降る曇天の空に、力なく笑った。





 その後、時任は一通り泣いた後、何もせずにそのまま帰宅したのだった。俺たちは一旦理科室に引き返した。


「うう、わたちゃん……わたちゃんっ! ぇぐっ……うぇーん」


 時任が無様に泣いている。目はボロボロに、鼻水はだらだらに。先程の映像ではもっと見栄えが良かったのに、何で今はそんな無様なんだ。


「うう。少し思い出したっす。私にとってわたちゃんは大事な人だったっす」


 涙を拭いながら時任は語る。


「私は持病で、特異な記憶障害があったっす。朝起きると、いくつかの記憶を忘れているっす。毎日付けている日記で補っているっすけど、たまに突発的に記憶が飛んだりもするっす。それでも夜には、ほぼ全て思い出せるっすけどね」


 はは、と時任は自嘲気味に笑った。


「無理矢理、思い出すことは出来ないのか?」

「何らかの刺激で思い出すことはあるっす。痛みとか、あとは羞恥とか」

「忘れている記憶に傾向とかは?」

「多分、自分が重要だと思えば思うほど、忘れやすいっす。わたちゃんが好きな私は、ほぼ毎日、忘れていたっす」


 時任は目を伏せた。時任は自分の意に反して、彼のことを傷つけてしまっているのが悲しいのだ。そして渡辺も、それにはうんざりしている様子だ。


「……進展したな」


 俺は言った。時任が記憶を取り戻した。成仏の条件が精神的なものによるとしたら、記憶を取り戻すのは大事なことのはずだ。


「でも、まだ肝心の事故現場が特定できてないのよね」


 春野は言う。そうなのだ。俺たちが、時任が事故に遭う前後を見ていないのは、時任の事故現場が大雑把に記録されていた所為だった。ヒストリーホログラムは設置した場所の歴史を再生する。だから時任の事故現場を正確に特定しなくてはならないのだ。


 さらに言うと、俺たちは精々学校とその近辺しか調査できない。時任の私生活を見るためにヒストリーホログラムは使えないのだ。それを行うには、時任に家に行く必要がある。当然、現在は誰かの敷地となっているはずだ。


「時任は、何故パンツを脱いで告白しようとしたんだろう」

「それ、考える必要ある……?」


 俺の疑問に、春野は呆れ顔を向けてきた。


「でも、確かに不思議だよね。だって、わざわざラブレターに書いてあるんだよ。つまり穿き忘れたとかそういうのではなく、敢えて脱いでくるつもりだった」


 秋音は言う。


「でも私、変態っすよ。わたちゃんに敢えてノーパンであることを伝えて快感を得たかったのかも」

「……確かに」


 時任の言葉に、俺たちは納得せざるを得ない。


「えっ? つまり、ノーパンは考慮するべきなの? しないべきなの?」


 春野は戸惑った様子で俺たちに聞いてきた。こいつの変態性の所為で、物事が余計難解になってしまっている。何とかならないものか。


「時任、今ノーパンなんだっけ」

「そっすよ。何すか夏木っち。ムラムラしちゃったっすか」

「うるさいぞブドウ糖。クエン酸みたいな名前しやがって」

時任ときとう砂糖さとうみたいに言わないで欲しいっす!」


 グルタミン酸の戯言を華麗に避けて、俺は思案した。


「つまりノーパンの時に死んだ。告白しようと梅の木に行く途中で事故に遭った、ということか?」


 俺の呟きに、秋音も思考する。


「そうか。事故に遭った日と告白の予定日は同じ」


 秋音が言った。であれば、事故に遭う前日に遡り、時任さんが恋文を下駄箱に入れるところから告白するまでを追える。


 きっと限りなく真実に近づけるはずだ。

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