閑話ヴァイオレット~登場人物は自身が幸せになる物語の夢を見るか

 ”生配信プライベート〜秋音の取り扱い説明書” を投稿し終えた私は、カフェを出た。時刻は17時。いつも通りの時間だ。


 次は三話構成の結構気合いを入れた話か。私のペースだと大抵一週間で一話だから、約三週間掛かる見込みとなる。一週間空けたら閑話でも挟もうかな。


「いやあ、秋だなあ」


 家路を辿っていたら、秋風がひゅうっと吹いたものだから、すっかり過ごしやすくなったと実感した。今年の夏も、何だかんだ暑かったよなあ。汗をかきながらカフェ巡りをしたのが懐かしい。


「夏木ぃ。春野ぉ……」


 なんて思い耽っていたら、そんなワードが聞こえてきた。私は思わず立ち止まる。


「夏木ぃ。春野ぉ。ここはどこぉ……」


 私は声のする方へ向いた。そこには白衣を纏った幸薄そうな女性が、路上で泣いていた。


「あ、秋音……?」


 私は思わず呟いた。その女性は髪の毛がもじゃもじゃで、黒い縁のダサい眼鏡を掛けていた。胸が大きめで、よく見たら整った顔立ちをしている。


 そして夏木、春野と彼女は言った。


 そんな馬鹿な。


 私が連載している小説 ”マッドな科学で青春よ回れ!” 。その登場人物に瓜二つだ。


「だ、誰……?」


 彼女は私の方を向いた。秋音という言葉に反応したのだろうか。だとすれば、いよいよ彼女は秋音本人なのかも知れない。


「あ、秋音……さんですか?」


 いきなり名前呼びかよ、と躊躇ってしまったが、そもそも彼女達には苗字が無いのだった。何となくその設定を押し通してしまったが、不便極まりない。その上、良いことなんて全くないから、実は後悔している設定の一つだ。特に田島が夏木や春野を呼ぶ際に、かなりの苦労を強いられている。実は次の話で新たな教師が出てくるものだがら、中々悩ましい問題だ。


「え……あの……その……」


 私に話しかけられた彼女は、はっきりしない様子だった。そうだ。そういえば秋音は人見知りという設定だった。秋音のその設定は私も忘れがちだ。何せこの小説に出てくる人物のほとんどが、秋音が饒舌に話せる奴だ。秋音が吃るシーンを見せる為に、田島やタカ兄がいると言っても良いのではないだろうか。まさか作者本人がその役割を担うことになるとは。


 タカ兄といえば。良い加減一発で変換して欲しいものだ。


「実はね、かくかく、しかじか、おっぱいおっぱいで……」


 くどい描写。例えば、私が秋音に事情を説明して、それでも秋音は受入れられなくて、それでも受入れるしか無いと考えるまでの描写を書くのが面倒な私。その場合は得意の超話術で省略してしまうことが多い。


 果たして全ての事情を飲み込んだ秋音は、ひとまず私の部屋に居候することとなった。





「お、お風呂……その……」


 その声に、私は振り向いた。リビングにお風呂上がりの秋音がいた。


「へえ、なるほどなるほど。お風呂上がりの秋音かあ」


 私は秋音のそばまで近寄ると、舐めるように秋音の身体を観察した。もじゃもじゃの髪の毛はさらにもじゃもじゃになっていた。そしてダサい眼鏡は外している。すると端正な顔がはっきりとして、かなり美人といった感じになっていた。お風呂上がりだからか、クマも無い。パジャマブラを付けているけれど、それでも白衣より豊満な胸が強調されている。


 へえ。秋音ってお風呂上がりだとこんなに色っぽいのか。しかし、今後の話にお風呂上がりの秋音を描写する機会があるだろうか。


「あ、あまりじろじろ見ないで」


 頬を真っ赤にする秋音。そんなこと言いながら、実はめちゃくちゃエロい奴だってこと、作者だから当然知っているんだぞっ。


 食事。お風呂。そして私は一通りの家事も済ませた。そして私と秋音はPCデスクに腰掛けた。私はパソコンのスイッチを入れると、小説の原稿を立ち上げる。


「これが ”マッドな科学で青春よ回れ!” の原稿だよ」


 私は秋音に言った。そう、登場人物に小説を読ませてみるのだ。中々面白い試みだ。


「よ、読まないと、駄目?」

「駄目」


 頑なな私に折れた秋音は、渋々原稿を読み進めていく。原稿を読む秋音は、大変参考になった。私が普段、文章で表現し切れていない、もしくは想像すら出来ていない表情を豊かにするのだ。


「ねえ。自分の人生。いや、それどころか、心情まで細かに書かれている文章を読むって、どんな気持ち?」


 表情豊かな顔を見ていたら、思わず聞きたくなってしまった。


「う、うん。卒業アルバムを読む感覚に近いかな。そう、飛びっきり黒歴史が書かれた卒アル」


 そう言いながらも興味が尽きないようで、秋音は読み進めるのを止めない。


 そういえばこの秋音は、私の原稿で言うとどの辺りの秋音なのだろう。


「ねえ秋音。生配信で、でんでん虫の替え歌とか歌った?」

「うん? ああ、歌ったよ」


 ということは最新話だ。この秋音は最新バージョンである。


「あ、ここ。あれ? おかしいな」


 ”短小ダイナマイト~大きくなあれ萌え萌えキュン” の原稿で秋音は言った。


「どうしたの?」

「ここで替え歌を歌ってるでしょ? おかしいな。私、別の歌の替え歌をしたような気が。でも、これで合っている気もして」

「ああ、そこね」


 作者である私は一瞬で事情を理解する。


「投稿後に、改稿したんだ」

「改稿?」

「つまりね、かくかく、おっぱいおっぱい、ボインボインで……」


 この話では、某アーティストの楽曲の替え歌を秋音が歌うシーンがあった。しかし著作権のある楽曲の替え歌は規約違反である。というか規約以前に、法律的にアウトだ。それに気がついた私は、慌ててきらきら星の替え歌に変更した訳である。


「だからこの小説に出てくる替え歌の原曲は、全て著作権フリー、もしくは期限が切れたものなんだ」


 ふーん、と興味なさげに読み進める秋音。まあ、この子はそういう奴だよ。





「今日はなんと、秋音に出会いました、っと」


 日課である日記を書き終えて、就寝。あいにくベッドが一つしかない為、秋音と一緒に寝ることになった。


「ねえ、秋音」

「うん?」


 ベッドの中で振り向く秋音。


「エッチしようぜ」

「なっ!?」


 途端に顔を真っ赤にする秋音。


「秋音はね。一応は魅力的な女性の容姿をしているんだ。だから一緒のベッドにいるとね。やっぱムラムラしちゃうよね」

「しないよ! ばぁーかぁ!」


 秋音は怒って向こうを向いてしまう。そして露わになった背中。その背中に、私は鼻を押しつけて、クンクンと嗅いだ。ふむふむ。これが、リアルJKの甘い香り、か。


 まあ作者である私も、エッチしてくれないのは分かっていた。”性欲処理は春野が良い” の言葉の真意は、何も秋音は女の子なら誰でもエッチしたいという訳では無い。秋音にとって春野は、中学生の頃からの親友である。夏木を巡って争ってはいるが、秋音は春野が大好きなのだ。そんな春野だからこそ、秋音は春野とエッチしたいと思う訳である。


「ねえ、秋音」

「だからエッチしないってば!」

「違う違う、そうじゃなくて」


 早とちりも秋音らしい。


「夏木と春野に会えないのは、さみしい?」


 すると向こうを向いている秋音の肩が、ピクリと動いた。やっぱり聞かない方が良かったのかな。でも、聞きたくなってしまうのだ。


「うん。さみしいよ」


 その声は、私が思っていた以上にさみしそうな声だった。


「でもさ。やっぱり私って邪魔じゃん。元の世界で私がどうなっているのか知らないけど。少なくとも今の私は二人を邪魔する必要もないんだ」


 秋音の声は震えていた。


「だからね。凄くさみしいよ。私は、二人には関係のない存在なんだなって、実感する」


 それは、現実に生きる私たちが、小説や漫画、アニメなどの物語が完結する度に思うことだった。ああ、物語は終わってしまうけれど、彼ら彼女らは変わらず生きていく。私たちに認知されることなく、生きていくのだ。作者自身ではない私たちに、彼ら彼女らの人生に関わることは絶対に出来ないし、影響も与えることは出来ない。それはちょっとだけ、死に連想した、さみしさだ。


 恐らく秋音は、その想いを夏木と春野に抱いているのだろう。近しい人間だったから、ダメージは深いのかも知れない。





「カフェでデートしようよ」


 日曜日の昼頃。私と秋音はカフェに赴いた。私は休日、カフェで小説の執筆をするのが趣味だった。


 SNSに同じ場所のカフェの画像を投稿しているが、あそこは日曜日が定休日なので必ず土曜日に赴いている。秋葉原という人がごった返している場所にも関わらず、必ず席に座れる程空いているし、窓からの風景は良いし、さらに広々としていて開放感もあるから、かなりのお気に入りの場所だ。特定されたくないから、場所は絶対に教えないようにしている。


 一方で、日曜日の今日行くのは、家の近くにあるカフェである。この場所はSNSで一切の写真を投稿していない。理由は簡単だ。撮影禁止だからである。私はマナーが守れる人間なのだ。


 すっかりそのカフェの常連になってしまった私。店員さんも気を利かしてくれて、いつも座っている席が空くと快く案内してくれる。このカフェに二人で来るのは初めてだ。


 私がいつも座っている窓際の端の席は、空いていた。そこは二人がけの席なので、遠慮無くそこに座った。


 私は注文を済ませると、タブレットにキーボードを付けて、執筆を開始する。


「ね、ねえ。私が来る必要あった?」


 人見知りである秋音は、カフェというオシャレ空間に耐えがたい様子だ。


「うん、まあね。というか秋音。君は科学者でしょう? 私の秋音は、こういう状況になったらテンション爆上げのはずなんだけど」


 実は次の話で、そういう秋音の描写をしようか迷っている最中だった。


「あ、そうだ。”秋音とカフェデートなう” って投稿しておこ」

「どういうこと?」

「うん? ”マッドな科学で青春よ回れ!” はウェブ小説だからね。当然、私の他に秋音を知っている人たちはいるんだよ」


 ほら、と私はウェブ小説サービスに投稿した小説の感想欄を見せつけた。


「うわっ! 本当だ! 死にたい!」


 彼女はようやく実感したようで、頬を真っ赤にした。


「ああそうだ。熱心に応援して貰っている読者の方から伝言を承っていたんだよ。妄想テレパスで秋音の妄想を送って欲しいんだって。田島抜きで」

「あれの有効範囲は半径500メートル以内だから」

「どうにでも出来るんじゃないの?」

「まあ仮に出来たとして。田島よりヤバいのをぶち込んでやるけど。ムフッ」


 うわキモ。キモい笑い方って曖昧な描写をしたけれど、本当にキモいな。


「ねえ、それよりさ」


 秋音は改まって言う。


「他の作品も読ませてよ」


 と秋音が言うので、見せてやった。タイトルは ”処女童貞の恋愛テロリスト”。思春期で片思いを拗らせた高校生二人が、夏休み直前の終業式で自爆テロを決行する話である。私を好きになれ、じゃないとこの爆弾を爆発させるぞ、みたいな内容だ。私の今後の作品の方向性、コンセプトが決定したきっかけの作品でもある。


 ”マッドな科学で青春よ回れ!” もこの作品のコンセプトに影響を受けている。こういう言い方をしているのは、多少はマイルドにしたつもりだからだ。


 教師に抱いた叶わぬ片思い。そんな主人公達に、秋音はどう思うのかが気になるところだ。


 数十分後。秋音は泣いていた。


「叶わないんだ。やっぱり」


 ボソッとそう呟く。


「まあ、ね。周囲に多大な迷惑を掛けているもの。あの二人が幸せになるようには、絶対にしないよ」


 なお、そのこだわりは今後あっけなく捨てるつもりである。


「ね、ねえ。私もさ……」

「うん?」

「……ううん。何でもない」


 秋音はそして、ため息をついた。





 カフェからの帰り道。


「そもそもさ。私は短編を書くのが得意なの。だから連作短編って、私が長編小説を書くには打って付けの構成だと思ったのよ」


 連作短編とは、要するに短編集みたいなものだ。どこから読んでもある程度楽しめる内容になっている。短編集との違いは、同じ登場人物や舞台、設定を利用すること。


 ”マッドな科学で青春よ回れ!” は連作短編のつもりだった。しかし各話で繋がりを持ってしまっている。冬人は ”秋音レゾナント・シャウト” からの新キャラだ。さらに言うと、その前の話で伏線まで張っている。まあ、でも楽しめる内容にはなっているのかなあ。


「それでね。まあ、一応? 私の頭の中では現時点で、最終話までの話の流れは出来上がってる」


 私の言葉に、秋音は立ち止まった。振り返って彼女の顔を伺うと、とても悲しそうな顔で私のことを見ている。


「聞かないでおこうと思っていたんだけどね」


 秋音は恐る恐る言う。


「私は最後、どうなるの?」


 秋音の言葉によって、周囲が静かになったような気がした。


 まあ確かに。当然の疑問だろう。でも、それを彼女に伝えるのは良いのだろうか。


 私は逡巡した後、もう一度秋音を見た。彼女はじっと私を見つめていた。決意は固いのかも知れない。秋音は天才だ。その天才が色々考えた上で、その決断をしたのなら、それでも良いだろう。


「”さようなら秋音” が最終話のタイトルだよ」


 私は言い放つ。媚薬フェロモンから始まり、生配信プライベートまで、漢字とカタカナを合わせるというルールでタイトルは決まっていた。最終話はそのルールを敢えて無視して、インパクトを重視する。


「秋音はね。自身が開発した装置の暴走で、夏木と春野を命の危機にさらしてしまう。夏木の主人公パワーによってなんとか回避するけど、春野はトラウマを抱えてしまう。それを悔いた秋音は、二人から逃げるように、高校を退学し海外の大企業に就職する為に、日本を発つんだ」


 言い終えた後に秋音を見た。まさに、絶望的な表情、だった。



「ふっざけんなぁああああああ!!」



 秋音は絶叫した。散らすように涙を流して、そしてキッと私を睨んだ。ズカズカと早歩きで私に詰め寄って来て、思い切り胸ぐらを掴んだ。


「私がどれだけ夏木が好きなのか、分かってるでしょっ!」


 秋音は叫ぶ。


「叶うことの無い片思いって、辛いんだよ! 苦しいんだよ! 心がね、張り裂けそうなくらいに痛いんだ!」


 ”平成シンク~ドキドキ恋心略奪大作戦” での言葉だ。


「私にそう感じさせたのは。私にそう言わせたのはあなたでしょう!」


 すっかりクマのなくなった目が、眼鏡越しに私を睨む。


「私はその言葉の通り、辛かった。苦しかった。心が、張り裂けそうなくらいに痛かったよ!」


 そうだろう。そうさせたのは、私だ。


「あなたはそれでも。それでも私を、幸せにしてくれないと言うのっ!?」


 秋音は私の胸ぐらを掴んだまま、泣き崩れた。


「秋音。君は二人を命の危機にさらす。言ったよね。周囲に多大な迷惑を掛けた人間を、私は幸せにはしない」

「じゃあ! じゃあその話も無かったことにしてよっ! まだ投稿してないんだから、出来るでしょ!」


 私はゆっくり首を振った。


「それを抜きにしてもだよ。媚薬フェロモンで学校の関係者全員の記憶を弄ってる。春野は取り押さえられているし、夏木は押し倒されている。味覚ポイズンでは春野は何も悪くないのに、嘔吐させられた」


 そもそも春野は、夏木が秋音に迫られてかなりの不安を感じている。色々な理由で割り切ってはいるが。


「だからね。私の判定では、アウトなんだ」

「そんな……」


 秋音はそのまま、地面に崩れた。


「はは……」


 そして、乾いた声で笑う。


「私、幸せになれないんだ」


 もう涙も涸れてしまったのか、泣いてすらいない。


「神様が言うんだもん。間違いないよね」


 秋音は言った。秋音にとって私は神様である。何せ彼女の人生も、それを取り巻く人物の人生さえも、意のままなのだ。


「まあ。だからさ。”マッドな科学で青春よ回れ!” は秋音のバッドエンドで終わる予定、だったんだけどね……?」

「予定……?」


 秋音はおもむろに顔を上げた。


「秋音に合ってから、気が変わっちゃった」


 私が言うと、秋音の表情はパァッと明るくなった。


 そりゃ気も変わるさ。書いていた小説の登場人物が現実に現れて、私が想像していない様子を見せつけられてしまったら。


 ああは言ったものの、秋音というキャラクターには愛着があった。今回の件で、それはより深いものとなったのだ。


「まあ。もしかしたらバッドエンドのまま行くかもしれないけれど。善処してみるから、さ」

「善処だけでも良い! 余力があれば夏木と付き合える方向でっ!」

「はは。わがままな奴」


 私が笑うと、秋音も笑った。





 翌日。月曜日。ベッドから起き上がると、隣に眠っていたはずの秋音はいなくなっていた。


 テーブルに置き手紙が置いてあった。


”何だか、帰ることが出来るみたいです。色々ありがとう御座いました”


 という内容だった。ふむ。置き手紙とは律儀だ。秋音のキャラだっただろうか。


「さーて。今日も一日頑張りますかっ!」


 私は都内のIT企業に勤めている。ウェブサービスからゲーム開発まで何でもやる会社だ。少し前まで仮想通貨関連の事業をやっていて、私はそこでエンジニアをやっていた。今はゲーム開発をしている。


「電車内で ”心霊ノーパンティ” の続きも書かなくっちゃなあ」


 身支度をしながら呟く。”心霊ノーパンティ” は次の話のタイトルだ。三話構成の気合いの入った話。反応が楽しみだなあ。


「ああそうだ。三週間空くから、間に閑話を入れるんだっけ」


 そうそう。流石に三週間も待たせたら、申し訳ないもんね。


 そうだ。一昨日から不思議な出来事があったじゃないか。丁度日記にまとめてあるし、それを小説風に書き換えるだけならすぐ終わるんじゃないか。


 あとはそう、タイトルか。


「そうだなあ。例えば、こんな感じかな」


 私はスマホを手に取って、候補を入力する。


”閑話ヴァイオレット~登場人物は自身が幸せになる物語の夢を見るか”

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