妄想テレパス~思春期のドスケベ妄想バトル

 11月上旬。秋と冬の境と言われるこの時期。過ごしやすかった10月と比べて、冬が近いと思わせるような肌寒さを感じる。


 コツコツとチョークが擦れる音が響く。古典の教師が、黙々と黒板に原文を書き連ねていた。俺たちはそれをただひたすらノートに書き写している。


 高校生の授業にしては、ずいぶんと静かだ。それもそのはず。二学期の期末試験が11月下旬にある。二年生のこの時期。いよいよ受験というワードが嫌でもちらつくので、皆真剣だ。


 かくいう俺も警察を目指すと決意した。少しでも良い大学に入れるようにと、授業は真面目に受けたい。


 しかしだ。世の中には天才という者がいる。そう、例えば複数の大企業に声を掛けられており、そのどれかに就職してしまえば勝ち組コース一直線。だから大学受験の勉強なんてする必要もなくて、何なら今の授業だって適当に受けるだけで良い、なんて考えている奴。


 そういう奴は大抵、真面目に受験勉強してる奴を面白がって邪魔をしてくる。


 俺は横目で右隣の席を見た。ニヤニヤしながら俺のを見つめている、秋音。


 まずい、目が合った。


 俺は慌てて目をそらす。今は大事な時期。いや、これからずっと大時期な時期なのだ。こんな奴にかまけている場合ではない。


 集中、集中……。


『おぉ、良いねえ。集中してるねえ』


 何だ何だ!?


 唐突に脳内に奇妙な音声が流れて、俺は周囲を見渡す。


 しかし授業は続行していた。今の音声に、生徒達がざわつく様子もない。


 俺は秋音を見る。やはりニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて、俺を見つめている。


 くそう、こいつか? また何かやっているのか?


『ククク……ご名答。さすが夏木。察しが良いね』


 またも脳内に響く音声。その内容に、俺は秋音の仕業だと確信した。


『名付けて妄想テレパス。特定の相手に妄想を脳内にて送受信し合える、優れものさ。つまりは夏木、君は今私の妄想を受信しているのだ』


 つまり、超能力ものの作品で良くある、テレパシーができるという訳か。


『受信拒否は』

『できない』

『ブロック、ミュート』

『できない』

『垢バン』

『私を殺せば可能』


 選択肢がない。なんてはた迷惑な。


「夏木、呼ばれてるぅー!」

「は、はいっ!」


 左隣の席に座る春野に声を掛けられ、俺はすぐさま立ち上がった。


 まずい。立ったのは良いものの、どうすれば良いんだ。


『任せて夏木。私の後に続いて』

『聞いてたのか、秋音』

『良いから。はい、立ち舞ふべくも』


 やむを得ない。


「立ち舞ふべくも」


 復唱したところで、俺は恐る恐る教師を見た。特に何の反応もない。それどころか、こちらを見ていないようだ。


 良し、問題ないようだ。


『あらぬ身の』

「あらぬ身の」


 俺はその繰り返しで、難なく最後まで読むことが出来た。


『心知りきや』

「心知りきや」


 俺は教師の顔色を伺う。


「うむ。良いだろう」


 満足気な教師の声。


 俺はほっと一息ついて、着席した。ぐぬぬ……中々便利じゃないか。まさかその有用性を実演で示されるとは。


『ふふ。私のおかげだね。感謝してよ?』

『ふざけるな。お前の所為だろうが』


 くそう、これじゃあ授業をまともに受けられそうもない。


『夏木。テレパシーの有効距離はね、約500メートルくらいなんだ』

『へえ、結構長いな。それで?』

『これを使えばさ。受験なんて不正し放題。楽勝だよ?』


 なるほど。確かにこいつを使えば、俺と秋音の二人掛かりで試験に挑むことができる。


『あのな秋音。俺は警察官になりたいんだよ。確かに俺は今それ程の正義を持ち合わせていない。かといって、俺なりの正義の追求を怠けて良い理由にはならないんだ』

『ふーん。要するに、プライドが許さないと』


 随分と雑に意訳しやがる。結構格好良いこと言っただろ、今。


『分かったら集中させろ。良いな』


 その後、秋音は俺の言う通り大人しくなった。俺もすぐに集中して、板書された内容をノートに急いで書き写す。


 再び訪れた、静かな空間。チョークが擦れる音と、シャーペンの芯が擦れる音のみが響き渡る。


 しかし、すぐに異変が起きた。


 モヤモヤと、奇妙なイメージが脳に強引に浮かび上がってきたのだ。


 お風呂場。視点の主は恐らくシャワーを浴びている。湯気で視界は悪い。目の前には鏡があって、曇っていた。それを視点の主が、手で拭う。


『……!?』


 クリアになった鏡が反射して、視点の主を映し出す。その視点の主は、秋音だった。鏡には、秋音のたわわな胸の部分まで映し出していた。見えてはいけない部分はギリギリ見えていない。しかし、これは……。


『どう夏木。私のお風呂シーン』


 案の定だった。こいつはどこまでも俺に茶々を入れたいらしい。


『おい、秋音。いい加減に……』


 俺が責めようとするが、その前にまたイメージが送信される。場面は切り替わって、とある一室が映し出された。どうせこれも視点は秋音で、その場所は秋音の部屋だろう。見たところ寝巻きを着ているようだ。


 秋音は部屋の電気を消して、読書灯にて室内を薄暗くした。どうやら眠るらしい。ベッドに横になって、スマホのディスプレイを眺める。


 なんだ? 何が起きるんだ? もうこの後は、スマホで暇を潰しながら、眠りにつくだけだろう。


 しかし、この場面を俺に見せる秋音の真意は、すぐに知ることになった。


『はあはあ、夏木ぃ』


 妙に湿っぽい声が聞こえてきた。俺は秋音が見ているスマホを注視する。そこに映っていたのは、着替え中の俺の動画だった。


『夏木ぃ。夏木ぃ』


 そのまま仰向けになった秋音。右手でスマホを眺めながら、もう片方の手を自身の胸に当てがった。


『お、おい。これって……』


 俺はようやく察した。


『そんなの、オナニーに決まってるじゃん。言わなくても、分かるでしょ?』


 頰を紅潮させながらも、とても嬉しそうに秋音は言った。


『お、おい! やめろ』


 俺はただ、やめろと言うしかない。これが現実なら、目を背けたり、その場から逃げたり出来た。しかしこれは一方的に送りつけられたイメージで、俺は目を背けることが一切できないのだ。


 そうこうしているうちに、秋音の行為が本格的に熱を帯びてきた。寝巻きの中に手を入れ始めたのだ。


 潜めていた声も、徐々に過激になっていく。


『おーい、秋音』


 唐突に部屋のドアが開いて、秋音の兄、タカ兄が入ってきた。


『お、お、お兄ちゃん!?』


 秋音が驚いたような声を上げる。これはつまり、秋音がオナニーしているところをタカ兄が見てしまったのか……?


 しかしタカ兄は、特に慌てる様子がない。それどころか、呆れたようにため息を一つ。


『秋音。お風呂上がってすぐは早すぎだろ。せめて皆が寝静まった時にしろよ』


 そしてタカ兄は最後までやれやれと言った感じで、開けたドアをそっと閉じた。


『……』

『……』


 なんだこれ。


 お風呂上がってすぐ? というかタカ兄のあの落ち着きっぷりはなんだ?


 俺はちらりと秋音を見た。秋音は額に手を当てていた。やってしまった感が滲み出ている。


『……あの、秋音?』

『……ごめん、忘れて』


 一方的に送りつけておいて、そんな勝手な。こんな衝撃的な映像、忘れられるはずがない。むしろ脳に刻み込まれてしまったかも知れない。


『因みに、何時頃にしてたんだ?』

『……八時頃かな』


 は、早い……。そりゃあ事故も起きるだろう。ノックのし忘れだってあるだろうし。


『タカ兄の反応が、妙にあっさりしてたけど』

『うん。まあ、あれが初めてじゃないし』


 やっぱりかよ。ロクでもないな本当に。


『ふ、ふんっ! これで勝ったと思わないで!』


 なんて悪役じみたことを言うんだこいつは。


 そんなことを思っていると、また場面が切り替わる。


 それは屋上の入り口付近。何故か目の前には春野がいて、その春野は壁際に追い込まれていた。


『はあはあ、春野ぉ、可愛い』


 低刺激で低トーンの声が響く。秋音の声だ。ということはやはり、これも秋音視点の映像なのだろう。


 しかし状況が掴めない。秋音と春野は何故二人きりなのだろう。


『秋音。そんな、駄目だって』


 春野の湿った声に、思わずドキッとしてしまう。なんだこれ。もしかして春野は興奮しているのか。


『私たち、女の子同士なのに』


 そう言う春野の顔は、すごく火照っていた。


『言ったでしょ』


 至近距離まで顔を近づける、秋音。仄かに紅潮した頰。広角は緩み切って、紅い唇は唾液で艶やかに煌めいていた。秋音もどうやら興奮しているらしい。


『私、女の子でもイケる口なんだ』


 秋音の言葉は、確かに聞き覚えがあった。


『秋音は夏木が好きなんでしょう』

『うん。恋人は夏木が良い。でも』


 秋音はそして、ふうっと息を送り込むように吹いた。それによって春野が、ビクッと身体を震わせた。


『性欲処理は、春野が良い』


 最低か、こいつ。やがて下の階を通りがかったカップルの会話が聞こえてきて、二人は息を潜めた。


 その会話でようやく俺は、これが文化祭の日に起きた出来事だと察することが出来た。


『春野……好き』


 そして、秋音が春野に唇を重ねた。


 春野は抵抗していた。していたけれど、秋音キスに絆されてしまったのか、抵抗はすっかりやめてしまう。


 なんだこれは。どう受け止めれば良いんだ。浮気? でも女の子同士だぞ。


 俺は春野の顔を見る。もはや秋音とのキスに、メロメロといった感じだ。というか、様子が変だ。なんだか苦しそうにしている。


 そして春野は、膝を折って、秋音とのキスをやめ、がっくりと項垂れた。


『お、おい秋音! 春野は大丈夫なのか!?』

『大丈夫だよ。眠っただけ』


 その眠気はどうやら秋音にも及んでいるらしく、視界が徐々に狭くなっていき、やがてイメージが途切れた。


『もしかしてその後、二人は入れ替わったのか』

『おお、さすが夏木。察しが良いね』


 文化祭の時のあのキス合戦。俺は大雑把にしか事情を聞かされていなかった。


『まさか、文化祭の日に二人が。そんな……』

『まあ、実はあの時媚薬も盛っていたのは内緒なんだけどね』

『なんだと……』

『うん? あっ……』


 またも余計な情報を送信してしまったようで、秋音はあからさまに動揺していた。


『お前はなんでもかんでも媚薬を盛りすぎだ』

『だって、そっちの方が面白いじゃん』


 とんでもない奴だ。


 だがおかげで気持ちの整理ができた。媚薬を盛られていたのであれば、春野は冷静ではなかった。ならば仕方がなかったと判断して良い。


 しかし、そろそろいい加減にしなければ。こんな秋音の悪ふざけに付き合っていたら、授業が終わってしまう。


 そうこう考えているうちに、また妄想が送られていきた。今度の舞台は教室。しかし周りには女子しかいない。机には体操着が置かれている。そしておもむろに脱ぎ始める女子生徒たち。


 今度は女子の着替えシーンか。くそう。良くもまあ、次から次へと。


 しかし関心している場合ではない。春野はともかく。他の女子の裸を見てしまってはマズイ。どうすれば良い。これは妄想。秋音が今抱いている妄想。


 そうか。ならば、無理やり別のことを考えさせてしまえば……。


『田島田島田島田島田島田島田島……』

『!?』


 俺は脳内で田島をひたすら思い浮かべた。生徒指導の田島。強面で筋骨隆々の田島。生徒から畏怖され、そして。


『秋音、サマ』


 媚薬フェロモンによって秋音の手の甲にキスをした、田島。


『ちょ、ちょっと!』


 焦り始める秋音。しかしこれは、俺にもダメージがある。俺の精神がどれ程持つか。


『!?』


 さらに起きた異変に、俺と秋音は驚く。お互いのイメージが混ざり合って、狂気的なイメージが出来上がってしまったのだ。


『秋音サマ。秋音サマ』


 そう言いながら、脱ぎ始める田島。見たくもない男の脱衣シーンに、俺は多大なダメージを負う。


『おい秋音! 変な妄想はやめろ!』

『む、無理! どうしよう、止まらない』


 完全にパンツ一丁になった田島。ああ、そうか。このまま秋音に抱きついて、そして……。


『ちょっと夏木!? 変な妄想しないで!』

『はっ!? しまった!』


 しかし時すでに遅し。俺が思い描いてしまった妄想が、映像としてお互いに送信される。


 舞台はラブホテルの一室。田島と、俺と、秋音がベッドの上で……。


「うわぁああああああああっ!」

「いやぁああああああああっ!」


 あまりに凄惨な光景に、俺と秋音は発狂した。俺たちは立ち上がって、実際に声に出して叫び声を上げた。


「な、夏木!? どうしたの!?」


 唐突に奇声を上げた俺たちを見て、春野が言った。春野だけではなくて、教師やクラスメイト全員が俺たちに注目する。


 白けた教室内。どよめくクラスメイト。


 妙に緊張した空間のおかげで、俺はようやく冷静になれた。


「ああ、いえ。すいません」


 俺が謝罪した直後。女子生徒の一人の顔が田島の顔になった。その女子生徒は、田島の顔で、片手を口元に添えて、女の子らしくクスクスと笑った。


 その隣の座る男子生徒の顔も田島になった。その隣も。クラスメイトの顔が次々と田島になっていく。


「もう分かったから。二人とも座れ」


 至極冷静な教師が俺たちに言った。しかしその教師の顔が、徐々に田島の顔に変わっていく。


 その光景は、狂気そのものだった。原因は明らかだ。


『お、おい秋音。落ち着け』


 右隣に立っている秋音を見た。眼鏡越しでも目を回していることがよく分かる。


『全員田島全員田島全員田島全員田島……』


 人見知りの秋音は、極度の緊張による混乱によって、“全員ジャガイモ”と自分に言い聞かせるつもりが、あろうことか“全員田島”と言い聞かせてしまっていた。


「な、夏木。さっきからどうしたのよ」


 左隣から春野の声。俺は恐る恐る振り返る。


「ねえ、夏木」


 田島の顔になっていた。


「おい、何してる」


 教師の声に、俺は振り向く。


 ギョロリと、まるで蓮コラのように陳列された田島の顔が、一斉にこちらを向いた。


「ひぃいい!」


 情けない声を上げてしまうが、それどころではない。


「な、夏木……」

「あ、秋音……」


 俺と秋音は手を繋ぐ。


「もう、無理ぃいいいいいい!」


 俺たちは叫んで、教室を飛び出した。



 余談だが、その後複数人の田島に追いかけ回され、一生忘れられないトラウマとなったのだった。

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