秋音レゾナント・シャウト〜初恋は花火のように

 初めて恋を自覚した瞬間って、花火が打ち上がった瞬間に似ている。


 それが叶わぬ片思いなら、儚く散りゆくその様も然り。


 あれだけ盛大に咲いても、終わりは切なくて寂しい。


「んん~」


 私は目を覚ました。


「ふぁあ。何を……頑張るんだっけ……?」


 朧気に私は呟いた。夢を見た気がした。頑張れって、誰かに言われた気がした。


「あ、そうだそうだっと」


 私は今日の楽しみを思い出して、ベッドから起き上がる。顔を洗って、歯を磨いて、黒い縁の眼鏡を付けた。


 身支度を済ませると、デスクについた。この前の花火大会の日に遭遇した、未来の夏木。彼は未来の素材を私に差し出したのだ。


 事故や病気にでもならない限り、未来にだって私は存在する。未来の私はきっと今よりも、マッドな科学によって夏木と春野を掻き回していることだろう。過去に戻るマシンだって、作られているのも頷ける。


 夏休み最終日。私はその未来からやってきた夏木に貰った素材を利用して、タイムマシンのようなものを作っていた。タイムマシンとは言うけれど、今の私では時を遡ることしかできない。未来には行けない。それに夏木から貰った素材には限りがある。


 まあでも、過去を変えられるのなら、なんだって良いよね。


 タイムマシンで夏木と春野が付き合う歴史を変えてやる。そして夏休み明けには、晴れて私と夏木のラブコメ学園ストーリーが繰り広げられるのだ。


「あ……」


 夏休みが終われば、文化祭が始まる。


「冬人……」


 かつて、私たちと一緒にいた男の子の名を呟いた。


 冬人。春野の弟。中学生の頃、私と夏木、そして春野と冬人でよく一緒に遊んでいた。


 しかし中学2年生の文化祭が終わってすぐに、冬人は行方不明となってしまう。


 そして、今日まで冬人が現れることは無かった。


「これが出来上がれば、その謎も解けるかもしれない」


 夏木と春野が付き合いだしたのも丁度その頃。都合が良い。


「はいっ……これで……完成っ!」


 出来上がったのは、数個の球体。野球ボール程の大きさのそれは、円周にメモリのようなものが表示されている。これをグリッと回すと、指定した時間に飛べる訳である。飛ぶときには、身につけているものと、手に持っているものも一緒に飛ぶようにしておいた。ぎゅっと抱き合っていれば、人だって飛ばせるかもしれない。理論上は可能だ。


「名付けて、えっと……た、タイムボール。そう、タイムボールだ」


 適当にネーミングも済ませた。あとは使用するだけだ。


「残りのタイムボール持った。一応、記憶をなくすスプレーも持ってっと。あ、あと白衣白衣」


 私は未だに寝間着だったことに気がついて、急いで着替える。


「はい、白衣着た。えっと、そうだ。確か透明になれるマントが……」


 私はタンスから透明マントを取り出す。


「というか私、こんなの作ったっけ。まあ良いや」


 私は透明マントを羽織った。急に現れたところを見られたら面倒だからだ。念のため姿見鏡で確認する。


 うむ。しっかり透明だ。さすが私。


「さて……」


 私はタイムボールの一つを片手で持った。そしてそれをマジマジと見る。


「これからタイムリープするのかあ。ドキドキだなあ」


 いよいよ私も天才科学者の仲間入りだ。


「では……いざっ!」


 私はタイムボールを、グリッと回した。





 夏木と私は幼稚園の頃からの幼馴染みだった。家が近所にあって、よく一緒にいたのを覚えている。


 そのまま小学校、中学校。さらには高校まで一緒になった。


 中学に入学した時。そこでようやく春野と出会う。思春期真っ只中でも一緒にいた私と夏木は、春野のはつらつとした性格に魅了されていった。


 そして中学2年生の秋。


「バンドをしましょうっ!」


 春野宅にて、そんな言葉を響かせたのは他でもない。春野だった。


「ええー! お姉ちゃん達、バンドするのぉー! すごーい!」


 透明マントで隠れていた私は、ハッと息をのむ。小学5年生にしては小さく、女々しい彼。眉は整えていないくせに細くて、目はくりっくりしている。化粧を施してしまえば、女子と間違えられてしまう程に、端正な顔立ち。


 まさしく、冬人だった。


「バンドって春野。ハードル高くない? というか三人でか?」


 中学2年生の夏木が言った。ぷぷ。あまり今と変わってないな。


「そうそう。私がギター。夏木がドラム。秋音がボーカル」

「ぼ、ぼぼぼボーカル!?」


 中学2年生の私がおどおどしながら言う。ああ私も、髪の毛はボサボサだし、今と同じ眼鏡だし、全く変わってないや。


秋姉あきねえ、鼻唄大好きだもんねっ」


 冬人がキラキラした表情で言った。冬人は何故か私に懐いていて、私のことは秋姉と呼んでいた。


「む、むむむ無理無理無理っ! わ、わた、私人見知りなの知ってるでしょっ!」


 うわあ、私めちゃくちゃ吃ってるなあ。この頃は春野にまだ慣れていなかったんだね。そもそも兄にだってまだ慣れていないのに、どうして春野に慣れるのは早かったんだろう。


「秋姉が歌うところ、見たいなあ」

「うっ……」


 目をキラキラさせながら、冬人は私を見つめた。ああこれこれ。これに弱いんだ私は。冬人は何故か私に期待するから、こういう困ったことがよくあった。


「うう。わかった。とりあえずやってみる」

「ほんとーっ! わーい! 秋姉、大好きぃー!」


 なんて無邪気に冬人は言うと、中学生の私に抱きついてきた。


「わっ! もうっ、冬人ぉー」


 嫌そうに言っているけれど、この時の私は満更でもなかったはずだ。





 その後、私は結局ベースまでやらされることになった。ベースが無いと音が薄っぺらくなるから仕方がないが、それにしたって私の負担が重い気がする。


 まあでもこの頃の私は密かに開発した楽器演奏トレーニングマシンによって、メキメキと演奏力が上がっていた。だから残る問題と言えば、人前で歌うということだ。


「うう……ごめん二人とも。まさか体育館ステージが、あんなに怖い場所だなんて」


 文化祭の準備が本格的に始まった頃の放課後。体育館のステージで試しに合わせてみたのだが、肝心の私がロクに歌えず散々な結果で終わったのだった。今はその帰りだ。


 もう日が暮れて紫がかった空は、すっかり秋模様だった。


「ま、まあ秋音は人見知りなんだから仕方がないわよ。まだまだ時間はあるし、じっくり慣れていきましょう」


 春野が優しい。まだこの頃はお互いの気持ちを知らないから、仲が良いのだ。


「おーい、秋姉ぇー!」


 薄暗い交差点付近に、冬人がいた。私たちに手を振っている。


 信号は赤。歩道橋には辛そうに階段を上がっているおばちゃんがいた。夏木がそのおばちゃんに駆け寄る。


「持ちますよ」

「あら、良いのかい?」

「ええ、もちろん」


 そんな夏木を、春野はうっとりとした表情で見つめていた。やっぱり春野はこの頃から夏木のことが好きだったんだね。


「おーい、冬人ぉー」


 当の私はというと、そんなことに全く気が付かずに冬人に手を振っていた。ああもう私ってやつは。


 やがて信号は青になった。冬人は横断歩道を走って私のところにやってくる。


「秋姉っ!」


 私に飛びつく冬人。こう側から見ると、本当に懐かれていたんだなあ。


「あーよしよし。良い子良い子。冬人は私の癒しだよう」


 まるで大型犬と戯れているかのように、冬人の髪をわしゃわしゃと撫でる私。


 一方その頃。


「夏木、やっぱり優しいね」


 そんな私と冬人をよそに、春野は夏木に言い寄っていた。ああもう、こういうところで差がついたんだろうな。


「そうじゃないよ。ただ、どうも放って置けなくて」

「だからね。それはあなたが優しいからよ」

「そ、そうかな」


 夏木が春野の言葉に、ちょっと紅くなっている。


「そうだよ。ほら、よしよし」

「ちょっ!? 頭撫でるなよ。恥ずかしいって」

「ああごめん! 冬人の癖でつい。えへへ」


 そして二人して恥ずかしくなってしまい、俯いてしまう。ああ何だよこれ。私の知らないところで、こんなラブコメしてたのか。


「夏木ぃ! 春野ぉ!」


 冬人と戯れていた私が二人を呼んだ。


「行こっか」


 春野は俯いたまま、そっと目だけを夏木に向けた。なんて自然に上目遣いをするんだこの女は。


「お、おう」


 夏木もまんざらでも無さそうだ。畜生。どんどん二人の仲が深まって行っている気がする。





 文化祭当日まで残りわずか。私と夏木と春野は同じクラスで、喫茶店をやることになっている。コーヒーや紅茶、ジュース等の飲み物は用意するのも簡単だし、菓子だってクラッカーを用いた簡単なものなら誰だって作れる。


 そして残る準備は部屋の内装だった。


「うーん。やっぱりテーブルが普段使っている机だと、味気ないよね」


 クラスメイトの女子がそんなことを言った。特に男子の机なんて、汚くてとても客に見せられるものではなかった。


「じゃあテーブルクロスを掛ければ良いよ。椅子も、オシャレな布でカバーを作ればさ」


 と春野。


「ああ! 良いねそれ。飛びっきりオシャレな布を買わなくっちゃ」


 クラスメイトの女子は春野の案で大喜びだった。容姿端麗、頭も切れる春野は、クラスメイトから大人気だった。


「春野はさすがだなあ」


 と言って夏木が声を掛けた。


「え? いやいや、そんなことないよう。えへへ」


 嬉しそうに春野は言った。


 そんな様子を遠目で見つめる中学生の私。切なげな表情をしているが、何故かわからないけど羨ましい、とその程度にしか思っていなかったはずだ。


 やがて準備を切り上げて、私たちはバンドの練習に向かう。


「とりあえず今日は、秋音の人見知り対策に集中しよう」


 と夏木が言った。バンドの演奏はほとんど仕上がっていた。あとは私の人見知りが直れば、完璧だった。


「秋音。いざとなったら私が代わるから、気軽にね」


 と春野は私の肩に手を置いて、優しくそう言ってくれる。


「は、は、春野はどうして、わ、私にボーカルを?」

「んー? だって秋音、歌うの好きでしょ? それに秋音がボーカルって、インパクトあるじゃない」


 そう言ってニカッと笑う春野。


「俺も、ボーカルは秋音で良いと思うぞ。普段小声でボソボソ言ってるだけなんだから、たまには大声を出した方が良い。それに……」


 と夏木は少し照れて言う。


「秋音は結構、良い声してると思う」

「夏木……」


 中学生の私は、顔を真っ赤にさせて俯く。


 ああそうだ。覚えてる。凄くドキドキしたんだ。


 心の中で湧き上がる感情。美しくも、持て余してしまうその感情に、私は胸を押さえた。


「花火みたい」


 私の中で何度も主張してくるこの気持ちは、まるで花火のようだった。





 文化祭当日。体育館ステージの舞台袖に、私たちはいた。


「ややや、やばいやばいやばいよ夏木」


 ガクガクと足を震わせる、中学生の私。


 舞台袖から観客席を覗けば、今までと全く違うことがすぐに分かる。


 今まで何度も練習で体育館のステージに立ってきたけど、全生徒の前で歌うなんて、今日が初めてのことだった。


 大丈夫。私の記憶では、それでも頑張ってボーカルとして出て、無事に成功で終わるはずだ。


「落ち着けって。よしよし」


 夏木が私の頭を撫でた。


「秋音。大丈夫。客はみんなジャガイモよ。そう、ジャガイモなの」


 春野が良く分からないことを言っていた。


「む、む、む、無理っ! こ、声が、ふ、震えて……演奏は出来ても、う、う、歌が……」


 私のそんな調子を見た春野は、ぎゅっと私を抱きしめた。


「ごめんね。無理させちゃったね。でも大丈夫だよ。私が歌うから」


 春野の言葉に、私は少しだけ震えが治まる。


「う、うん。そ、それなら……」


 私がそう言った直後に、司会者から呼ばれる。出番だ。


「秋音、気を取り直して。な?」

「うん」


 夏木とそんなやりとりをした後、私たちはステージに出た。


 舞台袖から三人を見届ける、透明マントを羽織った私は、一抹の不安に駆られていた。


 私がボーカルをやらない、だって……?


 そんな過去、記憶にない。


 私は何もしていないというのに、歴史が変わったというのか。





 ドラムの余韻。エレキギターの音が体育館中に響く。私たちのバンド演奏が終わった。


 歓声。そして拍手喝采。後は退場するだけ。


「夏木ぃー!」


 しかし春野は、マイクを持ったままそう叫んだ。熱狂に包まれていた体育館内が、一気に静寂に包まれた。


 なんだ。何が始まるんだ。


「夏木。聞いて」


 春野はマイクを持って、夏木に向く。


「私は、あなたが好きです」


 まさかの、全生徒と教師の前での愛の告白劇が始まった。


 夏木は呆気にとられて、ただ春野を見つめている。私も同様だ。


「誰にでも優しくて。誰にでも真剣になれる。そんなあなたが、大好きです!」


 透明マントごしでも、顔を隠したくなるほどの光景だった。こんなの、全く記憶にないよ。


 夏木は、ずっと黙ったままだった。それも仕方が無い。こんなの、春野の気持ちを予め知っていた私でさえ、狼狽えてしまうよ。


「……っ!」


 そして耐えきれなくなった春野は、ギターを持ったまま逃げるように走り出した。


「春野っ!」


 即座にドラムから立ち上がって、夏木は春野の手を掴んだ。


「言うだけ言って逃げるなんて、ずるいぞ」


 夏木はそのまま春野の手を引っ張る。


「俺の気持ちも、ちゃんと受け取って行けっ!」


 そしてマイクを取り上げて、思い切り息を吸い込んだ。



「春野っ! 大好きだぁああああああ!」



 その気持ちの大きさに耐えきれず、マイクがハウリングした。


 そして判明した両思いに、カップルが成立した瞬間に、静まりかえっていた観客が一斉に沸いた。


 歓声。拍手喝采。


 夏木と春野は戸惑いながらも、祝福してくれる客達に笑顔で手を振った。


 これも、記憶と違う。





 私が何もしていないのに、歴史が書き換えられていく。


 その事実が不気味で気持ちが悪い。


 未来の私がこの時代にいる。それが原因なのかと最初は思った。


 しかしそれは違う。だって未来の夏木は言っていた。歴史は容易く変えられないと。


 ならば今、何が起こっているのだろう。幸いにもまだタイムボールは一つしか使っていない。何が起きようと、やり直すことは出来る。


 しかし例外はある。万が一、歴史に無い事実が起きて、この時代の私が死んでしまった場合。おそらく、その瞬間に私はいなくなる。つまりは、やり直しも出来なくなる。それだけは注意しないといけない。


 放課後の帰り道。満足げな二人と、複雑そうな表情をしている一人が並んで帰っていた。


 ここだ。


 本来なら、ここで私は夏木に告白する。しかしこの時点で春野と夏木は付き合っていて、私は振られてしまう。


 しかし今回はどうだろう。私は既に二人が付き合っていることを知っている。


「ねえ、夏木」


 とても不安げな表情で、私は言った。


「私も……私も、夏木が好き」


 目に一杯涙を浮かべて、それでも健気に夏木をじっと見つめて言った。春野と比べて、なんてショボい告白だろう。


 でも、言うんだね。告白するんだ。それもそうか。恋をしてしまったら、もう、仕方が無いよね。そうするしかないよ。


 夏木は、顔を紅くして、そして情けなく笑う。


「ありがとう。嬉しいよ」


 その言葉に少しだけ救われたのか、私の表情は少しだけ明るくなった。


「うん。それだけ。それだけだから」


 答えはわかっていた。だから私は、そのまま早歩きで二人を追い越し、顔を隠す。


「おーい、秋姉ぇー!」


 交差点。横断歩道の向いに、冬人がいた。無邪気に私に向かって手を振っている。


「冬人……」


 傷心した私は冬人の名を呟いて、力なく笑う。


「秋姉……? 秋姉っ!」


 冬人は私を心配してくれたのか、信号が青になった瞬間にこちらに走り出した。


「危ないっ!」


 夏木の声が響く。


 その声によって、横断歩道の丁度真ん中を走っていた冬人が振り向いた。そして私もそちらを向く。


 信号無視の暴走トラックが、今まさに冬人に向かって走っていた。


――困っている人を見て見ぬフリなんて、出来ないよ。

――そうじゃないよ。ただ、どうも放って置けなくて。


 夏木の言葉が脳裏を過る。


 まさか……。


「冬人ぉおおおお!」


 夏木はそう叫んで、一心不乱に走り出した。


 無理だ。間に合わない。


 しかし夏木はそれでも、冬人に飛びかかった。そして、トラックが……。



 ドォオオオンッ!



 人か何かがぶつかったような、そんな凄まじく重い音を響かせて、やがてトラックは止まった。


「夏木っ! 冬人っ!」


 顔面蒼白の私と春野が駆け寄る。冬人は気を失っているものの、怪我はなさそうだ。


「な、つ……き……」


 立ちすくむ春野に、私は恐る恐る。近寄る。


 そこには、およそ生きているとは思えないほど無残な姿の、夏木が横たわっていた。

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