秋音アサシン~あなたをずっと見ているよ

 科学は青春を生む。


 パソコン。スマホ。今ではコミュニケーションツールとして必須だ。


 ゲーム。音楽。SNS。共通の趣味として欠かせない。


 そして我が科学も、然り。


「この装置の名は、名付けて幻影パブロフっと」


 パソコンのディスプレイには、私が入力した文字列が表示されていた。そして最後に署名をする。”秋音”と。


「ふふ。最高傑作だ」


 私は自身の人差し指の指先を、恍惚な表情で見つめた。その指先には、一匹の蚊が止まっている。この蚊こそ、幻影パブロフの装置である。


 この蚊には超小型カメラと、催眠装置が内蔵されている。蚊を遠隔操作し、内蔵した催眠装置によって対象を催眠状態にする。そして超小型カメラで対象を観察する訳である。


 これで夏木の視覚を弄くる。目に映る人々全てを私に誤認させるのだ。私の情報によると、明日は春野とデートらしい。つまり夏木は私と恋人デートをするようなものだ。そして最後には……。


「ムフッ」


 私はほくそ笑む。この実験が終わった頃には、夏木は春野を見る度に私を彷彿させることだろう。もしかしたら、行き交う人々を見る度に、私を思い浮かべてしまうかも知れない。


 そう、パブロフの犬のように。


「ムフッ! ムヒッ! ムハハハハハハハハハ!」


 私は高らかに笑う。


「さあ幻影パブロフ。行きたまえ」


 プーンとストレスフルな音を響かせながら、夜闇に消えていった。





 一眠りついた私は起床した。私は顔を洗い歯を磨くと、服も着替えずにパソコンデスクについた。


「セッセッセックス♪ よいよいよいっと♪」


 アルプス一万尺のリズムで鼻唄を歌いながら、私はパソコンのスイッチを入れた。


「夏木の一万尺♪ アソコの上で♪ 腰振りダンスをさあ踊りましょ♪」


 幻影パブロフの画面を確認する。装置は無事に夏木の部屋へ侵入できたようだ。無防備に寝ている夏木が映し出されている。


 やった。成功だ。


「あぁん♪ ああっあぁん♪ あっあっあっあぁん♪」


 身体を揺らし上機嫌で鼻唄を歌いながら、私は遠隔操作によって催眠を開始した。催眠波は一切感じ取ることが出来ないはずだが、夏木は何かを感じ取ったようだ。うーん、うーんと寝ていながら苦しそうに唸っている。


 ピピピ……。


 スマホのアラームが鳴った。夏木はすぐに起き上がって、部屋中を見渡す。


 特に異常は見られない。夏木は既に催眠状態のはずで、この装置を認識できないようになっているはずだ。


 私は遠隔操作で装置を夏木の目の前に移動させてみた。


「よし」


 しかし夏木は、部屋の片隅に置いてあるバックを見て呟くだけだった。蚊を認識していない。催眠状態の可能性が高まった。


 そして夏木は、服を着替え始めた。


「う、うわあ。夏木の着替えだあ」


 頬がじんわりした。年頃の男子の生着替えを見て、興奮してしまっているらしい。だって大好きな夏木の着替えだもの。そりゃあ興奮するよ。


 夏木の上半身の裸体が露わになる。やばい、結構良い身体してる。


「はぁああ。もっと、もっとアップしよう」


 遠隔操作にて装置を操作し、画面一杯に夏木の身体を映し出した。広々とした、男子高校生の背中。


「はあ、はあ」


 私は息を荒げ、いつの間にか服の上から両手で両胸を揉んでいた。やばい。抱かれたい。もうしちゃおうかな。


 夢心地でそんなことを考えていた時だった。ガタンと部屋のドアが開いた。私は一瞬で我に返り、キーボードのショートカットを即座に入力して別画面に切り替えた。


「なあ、秋音」


 部屋に入ってきたのは兄だった。


「な、な、何、お兄ちゃん」


 人見知りの私は、慣れ親しんだ兄に対してさえ吃ってしまう。


「お前さ、鼻唄煩いよ。まだ7時じゃん。起きちゃったよ」

「え、あ、あ、ごめ、ごめん……」


 私は必死で誤った。しかし、あれ、今の鼻唄の内容、不味くなかった?


「え、お、お兄ちゃん。今の鼻唄聞いてたの」

「ああ聞いちゃったよ。相変わらずひっどい内容だったな」


 兄は笑いながら部屋を出て行った。まあ、いつものことだし、別にいいや。


 さて、と私はパソコンのディスプレイを見た。


 しかし状況を確認する前に、スマホがバイブする。これをアソコに押し当てたら気持ち良いかも知れないなあ、なんて思いながら私は着信に応答した。


「やあ。おはよう夏木。どうだい、気分は」


 通話の相手は夏木だった。恐らく、催眠の効果を実感して、連絡をしてきたのだろう。


「おい秋音。何かしただろう。説明しろ」


 夏木が焦ったように言う。言われなくたって、せっかくの発明だ。たとえ嫌だと言っても説明させてもらおう。


「さすが夏木。察しが良いね。名付けて幻影パブロフ。脳の錯覚を利用して、見える人全て私の姿として誤認させてしまう装置だ。君は今、その装置に影響されている」


 催眠の影響と説明する訳にはいかない。催眠と自覚してしまったら、効果は薄まってしまう。


 私は説明しながら、モニターを確認した。夏木の表情は思いの外普通だ。私の発明にも慣れてきた夏木。きっと頭の中で分析をしているに違いない。


「ねえ夏木。今日は春野とデートだよね」


 すると夏木は、ハッとした表情を浮かべた。


「中止にするしかない。お前の所為だぞ、秋音!」


 夏木は怒って言う。私はちょっとイラッとした。夏木が私を好きにならないのがいけないんじゃない。どうして春野の為に私を怒るのよ。気に食わない。


「どうして? 春野からは普通に見えているんだよ? 私に見えてしまうのは夏木だけ。なら、夏木が我慢すれば良いことじゃない」

「それはそうだが……」


 そして呼び鈴が鳴った。夏木が玄関を開けると、そこには春野が立っていた。白のTシャツに、デニムのショートパンツ。髪の毛は櫛で綺麗にとかされていて、シュシュで一つに結わえられていた。普段の春野よりも格段に魅力が上がっている。


 くそう、可愛いじゃないか。


 しかし、今日だけは好都合。その魅力は、そのまま私の姿で上乗せさせられる。きっと夏木には極上の美女の私が見えていることだろう。


 そして、これだけではない。


「さあ、これが幻影パブロフの力よ」


 私は、VRゲームのデバイスのような、大きな眼鏡を装着した。すっぽりと目の部分が覆われて、眼前にはディスプレイが現れた。そのディスプレイには目の前の映像が流れていた。その映像越しにパソコンを操作する。幻影パブロフの装置である蚊を、春野に接触させた。そしてとある機能を実行する。


 すると映像が切り替わった。私の目の前には、愛する夏木がいる。頰を紅潮させて、目をそらしていた。


 これは春野視点の映像である。


「ムフ。成功成功」


 完璧だ。蚊が春野の視神経をジャックし、私が装着しているデバイスに春野が見ているものを映像として送信。私はVRゲームのように春野の視界を体験できるという訳だ。


 夏木は春野が私に見え、春野の体験はそのまま私に伝達される。これはもうデートだ。擬似デートだよ。もはやデート相手の春野が蚊帳の外である。蚊だけに。


「春野、実は……」

「夏木!」


 夏木が何か言い出す前に、春野は夏木に抱きついた。


「ひやあぁぁあああ」


 眼前に迫る夏木の胸板。夏木に抱きついているという感覚が、あまりにもリアルで、私は嬉しい悲鳴を上げた。


「あきっ……春野」


 夏木が口走ったのを、私は聞き逃さない。やはり夏木は私に見えているらしい。つまり今、私と夏木は抱きしめあっているのだ。夏木はたしかに私を抱きしめているし、私はたしかに夏木を抱きしめている。


「夏木……」


 春野が誘った表情をしているのだろう。夏木はこれ以上ない程顔を赤くしていた。それもそうだろう。その誘った表情だって私に見えている。私の誘った表情なんて、見慣れてないはずだ。


 そして夏木の顔がゆっくりと近づいてくる。


 あ、これキスするやつだ。


 夏木の顔がすぐそこまで来た。しかし、そこから一向に近づいてくる気配がない。多分、夏木が躊躇っているのだ。ふふ、可愛い。相手は春野なのだから、キスしてしまえば良いのに。


「もう、焦れったいな……えい」


 春野は待ちきれず、自分からキスをした。目を閉じたようで、寸前のところでどうなっているのかが分からない。しかしどうでも良い。今、夏木は私とキスをして、私は夏木とキスしている。感触は分からないけど、そう思うだけで心がキュンキュンした。


 夏木と私がキス。夏木と私がキス。夏木と私がキス。夏木と私がキス。


「ムフッ。あはぁっ! しちゃったね、キス!」


 私は堪らずそんな声を上げた。夏木とキス、しちゃった。


「行こっか、夏木」


 春野は言う。さすがに慣れているような、声の調子だった。春野もまさか、夏木が別の女を意識してキスしていたなんて、想像もしていないだろう。


「あ、ああ。行こっか」


 一方で夏木はやはり顔が紅い。それは紛れもなく、私とキスした証だった。


 きっと私の頰も紅い。


 お揃いだね、夏木。





 夏木との擬似キスが予想以上に良かった為、本日の一番の目的に期待が高まる。


 夏木と春野は今日、二人きりのデートである。そして、デートの最後には大抵、アレをするものだ。


 そう、セックスである。


 春野が私に見えている夏木は、当然私としている気分になるだろう。一方で春野視点の私も、きっと夏木に抱かれている気分になる。


 これはもうセックスだろう。擬似セックスだ。


 セッセッセックス、よいよいよい、だ。


「ほら、夏木」


 春野が夏木の手を引っ張った。さすが春野。強引にでも部屋に連れ込む気だ。


 しかし、夏木はさらに強い力で振り払った。二人の手と手が離れる。


 ズキンと心が痛んだ気がした。夏木には春野が私に見えている。今の拒絶は、私に対する拒絶だったのかも知れなかった。


「夏木、今日ずっと変だったよね」


 夏木は明らかに動揺していたから、春野も違和感を感じていたようだ。


「私のこと、嫌いになっちゃった?」

「そんなことない!」


 またズキンと心が痛む。それは私に対して、春野への誠意を見せつけられているようだった。


 やめてよ。私にそんなこと、言わないで。


「じゃあそれとも、私のことが愛せなくなっちゃった?」

「それも違う」


 どうして。今、夏木の目に映っているのは私なのに。夏木と今日ずっと一緒にいたのは私なのに。それでも夏木の心は揺るがないの。


「私を愛せるのであれば、全部関係ないでしょう?」


 そして春野は、夏木の手をもう一度握って自宅へ引き込んだ。


 もう良いよ。今日の目的は擬似セックス。これさえしてしまえば、夏木だってきっと気が変わる。だってセックスだもん。年頃の男子が一度抱いた相手に、好意を抱かずにはいられないよ。


 自室まで連れ込んだ春野は、そのままベッドに夏木を押し倒した。


 真っ正面から夏木を凝視する。しっかり夏木の顔を見たのは、久しぶりだった。顔が真っ赤だ。なんて切なそうな表情をしているのだろう。初めて見る表情だ。春野に対していつもそんな感じなんだね。それとも、私に見えているからかな。


「夏木。私はあなたを愛しているわ」


 春野が言い終えると同時に、アラートが鳴り響く。


『ターゲットの手が接近中。視点を切り替えて緊急離脱します』


 おそらく春野が首筋に違和感を感じて、掻こうとしたのだろう。幻影パブロフは所詮、蚊だ。耐久性も蚊と同様にしかない。


 春野の首筋から離脱する。高い位置から二人を見下ろす。夏木は自身に跨っている春野に釘付けだ。


「ああ、もう。良い雰囲気なのに。うるさいわね」


 しかし春野はしっかりと装置を捉えていた。


 ベッドから起き上がって、浮遊する装置を目で追いかける。目つきは鋭く、苛立っているのは明らかだった。


「やっば……!」


 私は遠隔操作で避難を試みた。


「そこっ!」


 そんな声を発した後、まるで猫のように背中の筋肉を存分に活かして、パチンと手と手を叩いた。


 ブチッ……。


 それは見事に装置を捉えた。


「あぁー!」


 ディスプレイは通常の画面になった。なんてことだ。アレ作るのにかなりの費用と労力をかけたのに。


「何がパチンだよ! 猫かよ! 猫騙しかよ!」


 私は苛立ってディスプレイを思い切り外し、ベッドに投げつけた。


「秋音」


 唐突に声がして、私はドアの方を向く。そこには兄が腕を組んで立っていた。


「お、お、お、おおお兄ちゃん……」


 私は罰が悪くて目を逸らした。


「秋音。お前また夏木君に迷惑をかけたな」

「か、かけてないもん。ただ覗き見していただけだもん」


 私の兄は私と違ってしっかりしている。こういうことには厳しくて、結構こわい。チッ。私の兄の癖に、どうして私みたいにならないんだよ。


「あのな秋音。何度も言うけど、そうやって強引な手段を取ったところで、無理だよ」


 兄は言い難そうに目を背けて言った。


「秋音。諦めなさい。お前の高校生活、片思いに悩んだまま終えるのは嫌だろう」

「嫌だよ。諦めるなんて嫌だ!」


 私はヒステリックに叫んだ。


「秋音。それでも、諦める努力をしなさい。人生、必ず引き際という時が必ずある。どんなに悔しくても、退く時は退いて、そして気持ちを切り替える。それが出来るように練習しなさい」


 兄は言う。そんなこと分かってる。何でも発明出来る私が分かってない訳無いじゃないか。


「でも、今でも夏木が好きなの。好きなんだから、仕方がないじゃん!」


 私は泣き喚いた。


「どうしようもないの。もう、どうしようも」


 心が好きだ好きだと訴えて煩いのだ。その訴えはあまりに激しく、私はただ身を任せるしかない。


「もういい! オナニーして寝る!」

「はあ?」

「オナニーして寝るって言ってるの! 恥ずかしいから出てって」

「なら、せめて恥ずかし気に言えよ……」


 兄はため息をついて、ドアを閉めた。


「もう、やだあ……」


 私は消灯しベッドに潜る。


 我が科学は今日も青春を生んだ。


 二人を混乱させ、私を欲求不満にさせ、そしてベッドのシーツは涙で濡れた。


 それでも甘酸っぱい青春だと、私は主張する。

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