第4話 約束
男が息を切らして、細い路地を走って行く。サッと道ではない場所で曲がり、更に狭くなった家と家の間に沈む、闇の内へと身を潜めた。
そのすぐ後から数人の男性が走って、隠れた男に気付かずに通り過ぎていく。
しばらくして誰も通らなくなり、隠れた男はゆっくりと身を出して辺りを見回した。そして忍び足で一歩、路地へと踏み出す。月光と家から漏れる明かり、間隔をあけて設置された、魔石を使った外灯のオレンジの灯り。頬に淡い光を受けて左右を慎重に確認しているが、人影は一つもなく、辺りは静まり返っていた。家の中から聞こえる、家族と思われる談笑。
薄闇の中、男は追手が来た方と反対側に向かって慎重に歩き始めた。
「さあ、どこへ向かうかしら? あとはしっかり頼んだわ」
「はい、ハットン司令」
私はそれを屋根の上からこっそり眺めていた。三人の男性と一緒に行動をしていて、返事をしたのは私の副官、マルコス・デル・オルモ。
「じゃあね、みんな。くれぐれも慎重にね」
追っていたのは他国の工作員。逃げられたように見せかけて、アジトを突き止める予定なの。
三人に任せれば問題ないわ。今までこういった仕事で、失敗をしたことがない人達だから。
私は一週間ぶりに、最近のお気に入りになったバーへと足を向けた。対象と不用意に鉢合わせて段取りが狂っても困るし、ウロウロするわけにはいかなかったのよね。
茶色い木の扉を開くと、この前座った二人席の、同じ椅子に男が陣取っていた。片腕をテーブルに付けて、突っ伏してグラスを眺めてる。
「何やってるの? 眠いなら帰ったら?」
「……っ! アナベル! なんだよ、一週間も来ないじゃねえか!!」
私が声をかけると突然バッと身を起こして、非難がましくこちらを見上げた。
前回ここで出会った男、カレヴァ。大した能力がない、無礼な乱暴者という噂のカールスロア侯爵家の次男。
「やだわ、仕事で忙しかったのよ。貴方も仕事をしてなさいって、言ったじゃない」
「言われたけどよォ……。俺が行かない日にお前が来てたら、会えないじゃんか」
拗ねたように口を尖らせる。ちょっと可愛いとか思ってしまうあたり、私も疲れているのかしらね。
「呆れたわ。一週間も通ってたの?他にやる事ないの、貴方って」
「……会いたかったんだから、仕方ねえじゃん……」
思わず笑ってしまう。子供みたいな男。全然タイプじゃないはずなんだけど。
「じゃあ、貴方のおごりでご飯にしましょ!」
「お前って遠慮がねえのな……!」
聞こえないフリをしてメニューをめくる。チーズのピザとサラダを頼んで、シェアすることにした。それと、ライムが香る青いカクテル。
「お待たせしました。待ち人もいらっしゃって、良かったですね」
どうやら一人でもバーで大人しくしていたみたいで、料理を運んできたウェイトレスは笑顔だ。
カレヴァはフルーツのジュースを注文していた。
「……あら、もう飲まないの?」
「……酔ったら、逃げねえか?」
「人を食い逃げ犯人みたいに言わないでよ」
「ぷぷっ!」
ツボにハマったみたいで、笑っている。もうしっかり酔ってるんじゃない?
食事をしながらこの一週間の話を聞いたら、バーに通った以外にあまり何もしていないみたい……。本当にどうしようもないのね。
私の事を聞かれたけれど、はぐらかして料理やお酒の好みの話にすり替える。気付いているのかいないのか、カレヴァはピザを味わいながらへー、と適当な相槌で返事をしていた。
薄暗い部屋に肌色の輪郭が浮かぶ。
「ん……っ」
何度も口付けて舌を絡める。溢れた唾液を追う様に、口端から顎へと唇が移っていった。
顏を徐々に下に移動させ、彼の中心を両手で包み込み、舌を這わせた。
指で刺激しつつ、口に含む。
「……んっ、お前…、今までの中で一番、うまい」
「……ちょっと、他の女と比べないでよ」
「いいじゃん、一番なんだから」
比べられるのが嫌だって言ってるじゃない。ホントにデリカシーのない男!
「……貴方のキスは、今までで七番目にうまいわ」
「なんだよ七って!! 傷つくんだけど!」
いやあねえ、これでも良く評価してあげた方よ。身を起こして首に腕を絡ませ、耳元で悪戯っぽく囁く。
「あとはねえ……」
「うわあ、言うな! 俺が悪かった!!!」
急に抱き締めて、ベッドに押し付けられた。
絡みつく視線は切羽詰まった色をしている。
「ヘコんだから責任取れよな」
「そんな殊勝な女じゃないの」
笑った唇に彼のそれが重ねられる。体を包む手が悪戯に動いて、ゾクリとした。
あとはもう、熱に浮かされるように本能に従うだけ。
「次はいつ会えるんだよ?」
身支度を整える私の背中に、言葉がかけられた。
「解らないわ」
「じゃあ毎日待つ」
暇な男ね。でも私を何日もあのテーブルで待つ姿を想像すると、少し笑える。アレからは大人しくしていたみたいだし、いいお客様なのかしら。
「一週間後に」
「長い」
即答。かけ引きのない会話は、調子が狂う。
「……仕方ない人。四日後なら時間が空くわ」
「……絶対だからな!」
「気が向いたらね」
ひらひらと手を振って、鍵を開けた。
「向かせろよ!絶対だからな!!」
こんな風にせがまれるのは、初めてかもしれない。
胸の奥がほんのりと、暖かくなった気がした。
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