第2話 酔えない夜

注、第一話から数年後です。



 こういうのってどう思う?

 夜寝る時に一人なのは、寂しくて嫌なの。でも、起きた時に隣に誰かがいるのも、煩わしいわ。



 男の汗が私の肌に落ちる。

 動きに合わせて、腰を揺らす。

「……アナベル、気持ちいいのか?」

「……あ、もっと……」

 なわけないでしょ、そこじゃないのよ。下手だから手伝ってるのよ。

 ブランデーでも頂戴、酔った方がまだいいわ。とは、言えないわね。


 男が口付けてきて、舌が私のそれを絡めとる。私は誘うように腕を首に絡ませて、体を引き寄せた。太い指が腰を支えながら撫で、もう片手は乳房を弄んでいる。

 爪を切ってキレイに整えられた、この男の指は嫌いじゃない。ただ、自慢話ばかりするのには辟易するわ。大した功績もないのに。


 つまらない、魅力のない男。



 町を歩いていると、同僚のエクヴァルを見掛けた。遠い国に任務で出向いていたけど、今は一時帰国している。

 彼が現在、護衛兼お目付け役として付いている魔導師の女性と並んで歩いていて、長男夫婦まで一緒で。

 皆が楽しそうにしている…。

 護衛している女性を、彼が好きになったとは他の同僚に聞いたわ。

 途端に酷く惨めな気持ちになる。


 彼は私と同じ。

 両親に関心を持たれず、兄弟ともうまくいかない。私は妹がいるけど、妹を溺愛する両親も、彼女も私なんて目もくれない。妹は、欲しいものを強請る時だけこちらに来るわね。

 彼は兄が二人いるけど、長男は彼を何処か避けていて、次男はいじめていた。長男の方が本当に避けていたのは、乱暴者の次男だったみたいね。両親はそんな次男を溺愛しているの。子供の頃に優秀だったから。今ではただの人、以下よ。


 何か似てると思ってた。

 だから彼が幸せになれるなら、私も幸せになれる筈。

 恋をしたらうまくいって欲しいと、思っていたのに。


 ……何故私は、笑っている彼を喜べないんだろう。こんなに、暗い所に立っている気持ちになるの。


 結局声を掛けずに通り過ぎて、そこら辺のバーに入った。カウンターで一人、ウォッカをあおる。もともとお酒は強い方だし、今夜は酔えそうにないわ。


「私にも同じものを」

 隣にエクヴァルが座った。

「……彼女はいいの?」

「あのね、付き合っているわけじゃないし。むしろ相手にされてないようなんだけど……」

 あんなに楽しそうにしてたのに?

 彼は皿にある生ハムをひょいと口に入れた。


「私はあんまり、好きになれそうにない。鈍感で悩みもないようなだったわ」

「彼女もそれなりに色々あったんだよ。ま、今はとても楽しそうだね」

 彼女が笑っている事が、幸せだと言うエクヴァル。

 こんな穏やかな瞳もできるのね。

「……貴方の幸せを、祈れると思ってた。難しいものなのね……」

「別にいいよ。誰かの幸せを願うなんて、自分が相手よりも幸福だと思えなければ、無理じゃない?」

 もしくは自分より大事な相手じゃなきゃね、と付け加える。

 それが彼女なの。彼女が貴方にそう思わせたのね。


「そんな話じゃないんだけどね?」

「ああ、あの男は他国のスパイね。確定だわ。ただ、それにしては発言が不用意だったわ。……おとりじゃないかしら? 目を引き付けさせて、その間に本命が動く気がする」

「……次は大物が釣れるかな」

 今度はもう、いつもの意地悪そうな笑顔。


 私の一番の仕事は、スパイのあぶり出し。工作活動もするけどね、殿下の周辺のお掃除の方が大事な仕事。最大の政敵であった前魔導師長は、最後は自滅で亡くなったけど、それまでは情報戦を仕掛けて来ていたわ。他にも技術や国の方針を知りたがる他国だったり、利益を求める貴族だったり。

 そんなのが常にこちらを探っているのよ。


「つまらない男だったの。……慰めて、くれるかしら?」

「……私は誘わないんじゃなかったかな?」

「そんな気分の時もあるわ」

「いや、ないね」


 そう言った男の顔が私の横にきた。手が頬を覆い、周りからは口付けているように見えるかも。

「私を付けてきている男がいる。探ってもらいたい」

「……そう」


 それだけ告げて、何事もなかったように届いたグラスを口にする。

 グラスを置くまでは待っていてあげるわ。

 コトン、とテーブルに水の染みができる。


「エクヴァル」

「なに?」

 不用意にこちらを向いた頬に、店中に響くようなビンタをあげた。

「何よ!! 彼女の所に行っちゃいなさいよ、浮気者っ!!!」

「は? ええっ!?」

 思いっきり怒鳴ってみたら、素で驚いてるわ。

 私は呆気にとられて片手で頬を押さえる彼の襟を両手で掴んで、引き寄せて軽く口付けてやった。


「これで絶対、接触してくるわよ」

「まあねえ……、だからって叩かなくてもいいじゃない!」

「慰めになったわ」


 ここで笑ったらダメよね。

 フラれた傷心の女に近づいて情報を奪おうとする、不埒な輩をおびき出さないとね。


 エクヴァルが立ち去るのを見送りもせずに、肘をついて手の甲を目にあてた。泣いているように、見えるように。

 しばらくして、男が後ろから声をかけて来た。


「大丈夫ですか? 失礼ながら先程から見ていたのですが……、彼が浮気をしたので……?」

「……彼はもともと、気が多い男性なの。それでも好きな、私が悪いの……」

 水の入ったグラスを揺らす。

 カラランと軽快な音がして、透明な氷がグラスの中でぶつかり合った。


「私で良ければ、話を聞きますよ。言葉にすると、気が楽になるものです」

 男は笑顔で私の隣の席に腰かけた。ちょうど、先ほどまで彼が居た場所に。

「……そうね、一人で居たくないの。ありがとう。私はアナベル。貴方は?」

「私は……」


 さあ、私のお仕事開始。

 少しは私を酔わせて頂戴。

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