はちあわせ
最短距離で地下聖堂へと行ける通路は今までよりも若干幅が広く、壁の色も明るめだった。定期的に整備の手が入っているのだろう、近くに補修工事の途中のまま放置された資材が転がっている。
その通路を蛇に導かれるままに歩く。しばらく道なりに進み、ともすればうっかり通り越してしまいそうな柱の影に蛇が姿を消す。柱の向こうを覗き込んだ
「あれ、ここって俺たちが通った穴ですかねえ」
ベニヤ板を穴の横の壁に立てかけながら玖那が首を傾げる。
「覚えてないのか?」
「うーん、俺だって最初は乗り気じゃなかったんですよ。人を片付けるっていったって戦いにはなるだろうし、そうなると本性出ちゃいますから、嫌だったんです。でも
玖那の話を聞き、ローラムとシャノンがそれぞれ睨み、顔を顰める。
玖那はでも、と話を続けた。
「俺はまだ誰も殺してないですよ。瓦だって投げましたけど、一つも当たらなかったでしょう、親分」
「わざと当てなかったと?」
「あー……はい。そうですねえ」
曖昧に玖那が頷く。
ユハは玖那を指差し、ローラムに耳打ちする。
「あいつ、不器用なんです。狙ったところに飛んでいかないんです、わざとじゃなくて」
「聞こえてますよ先輩! それだって俺の特技なんですから。結果的には親分の嫌なことしてないんだからいいじゃないですか。どうせ当たらないんだから、先輩に色々投げつけてあげましょうか」
「ああもう、いいから。行くよ」
ローラムが玖那を押す。不満げに頬を膨らませていた玖那だったが、ローラムに促されて穴のほうへと明かりを向けた。
穴をくぐってすぐの場所で、蛇が待っている。
穴の中は温度が低く、ひんやりとしていた。整備されていない天然の洞窟が長く、緩い下り坂となって続いている。
剥き出しの岩肌のようにごつごつとした壁面に手を着きながらでなければ滑り落ちてしまいそうな場所もあり、ユハは二度も肝を冷やした。その内の一つはローラムが足を滑らせ、ユハを巻き込んで玖那にまで激突するという、一歩間違えば大惨事になりかねないものだった。
片目のローラムは距離感が掴み辛いようで、それ以外にも危うい場面が多々あった。手を貸そうとするも断られるのでもどかしく、ユハは何度もちらちらと後ろを振り返ってはローラムの足元を確認し、足場が悪いときには必ず声をかけた。
ようやく足元が平らになった。
そこはぽっかりと広くなっている場所であり、一見すると小さな広間のようだった。天井は高く、ユハたちがやってきた道のちょうど反対側に同じように口を開けている洞窟がある。その前に置かれたランタンが足元を照らし、洞窟前にいる人影を浮かび上がらせた。見える限り二人であり、一方は背が高く小太りで、もう一方とは頭一つ分も違う。
蛇がランタンの明かりへと向かう。
小さなほうが身を屈めて蛇を迎えた。その人物は痛ましい姿の蛇からワイヤーを引き千切ると、蛇とワイヤーをそれぞれ背後へと投げた。蛇が洞窟の暗がりの中へと回転しながら落ちていく。
蛇が落ちた洞窟の中から女が現れた。滑るように歩きランタンを拾う。明かりの元に晒されたその姿は、上半身が女で下半身は蛇だった。女は裸体にローブを引っかけただけの姿で、拾い上げたランタンをつい、と動かし、するすると横へと移動する。洞窟前の二人とは別の暗がりに座り込んでいる人物を背後から抱きしめるようにするりと腕を回し、もたれ掛かった。
女が手にしたままのランタンの明かりに照らされ、もたれ掛かられた人物の顔が明らかになる。
「エルトン様!」
叫んだのは、シャノンとローラムがほとんど同時だった。
両手を拘束した状態で座らされていたエルトンが顔を上げる。その目が二人を捕らえ、驚きに見開かれた。
「後ろだ二人とも!」
エルトンの言葉に被るように発砲音が響く。玖那の背に当たった銃弾は跳ね返り、地面にめり込んだ。
「硬てぇなあ、おい。お前もバケモンかよ」
「やだあ、痛いじゃないですか……それ、大嫌いな呼び方なんですよね。だからあんたも嫌いです」
カシーが横ざまに倒れ、シャノンの首に腕が回され締め上げられる。それとは別に玖那に発砲した黒手袋の男が玖那が繰り出した拳を避け、ローラムをその場に組み伏せ腕を背後に捩じり上げた。流れるように玖那に拳銃を突きつける。
カシーは打ちどころが悪かったのか、倒れたまま動かない。
「サヴィアン……!」
ローラムがシャノンの首を締め上げている男を睨み、サヴィアンの靴へと手を伸ばす。
喋れる余裕があるのかと黒手袋の男がローラムの背に膝を載せ、体重をかける。胸を潰されたローラムが呼吸とは別に肺から無理に空気を出され、苦し気に呻いた。
咄嗟に助けに走ろうとしたユハの足元に銃弾が撃ち込まれ、牽制される。それでもなお隙を見て飛びかかろうとするユハの名を、背後から呼ぶ声がする。
ユハは唇を噛み、振り向いた。
「
とろりとする声が耳の奥でこだまする。夕立に遭ったように唐突に、ユハは全身冷や汗をかいていた。
長年体に染み込んだ声が、耳の奥からユハを支配する。この声に従うようにと刷り込まれ、刷り込んだのは自分だ。
「アララギ……なんでここに」
愚かだったと思う。
ローラムに再び会いたくて、彼の戻れる場所を維持しておくための名目で自分のいいようにしてきた。本来の
体は動こうとするが、意思の力で懸命にその場に踏み留まった。堪らず一歩踏み出した足から全身に針で刺されたような痛みが走る。体が引き裂かれそうになる。
そんなユハの状態を知ってか知らずか、呼びつけたにも関わらず、アララギは自ら歩み寄ってくる。わざとかと思うほどゆっくりとした足取りに否応なしに視線を絡めとられる。
蘭の香りが鼻孔をくすぐり、ユハは眉根を寄せた。アララギが纏う香りは好きではない。
アララギが腕を上げ、さらりと薄絹が流れる。レースとはまた趣の異なる透ける素材の服は袖ぐりが広くいくつも重ね合わされ、一つの芸術品のようにアララギを美しく仕立て上げていた。
黒く染め上げた髪には赤い小さな玉をいくつも合わせ花に見立てた飾りをつけ、耳には髪のと揃いの玉飾りが揺れている。
生きる人形のような淑やかさで、アララギがユハの首に抱き着く。
近くなった顔を背ければ腹を立てたアララギに頬を叩かれるだろうが、ユハはそうせずにはいられなかった。
唯一のユハの抵抗は案の定、頬に痛みを招いた。
アララギの傍らにいた小太りの影が近付き、小声で窘める。その一言でアララギの激情が急激に萎み、ユハはアララギに爪で頬を撫でられた。
アララギの隣にいた小太りの影は男だった。年嵩で酷いだみ声のため聞き取りにくい。
フードの付いたローブを頭からすっぽりと被っていて、その人相ははっきりとしない。
小太りの男はユハたちからローラムたちのほうへと顔を向けた。小太りの男が身振りで合図をすると黒手袋の男がローラムの背から降り、背後に腕を捩じ上げたまま玖那を警戒して銃を向け続ける。
サヴィアンが眉を上げたが、手袋の男がその腕を離すように言うと渋々シャノンを解放した。膝をつき咳き込むシャノンの腕を持ち上げ、サヴィアンがその指を確かめる。シャノンのどちらの手にも指輪はなかった。
小太りの男がアララギの背をとん、と押した。反動で押し出されたアララギが不思議そうに振り返る。小太りの男は自分の考えを理解していないアララギに舌打ちをすると、半分女で半分蛇のラミアを呼びつけた。
エルトンに気だるげにもたれていたラミアが、だるそうに体を起こし、蛇の足で蛇行しながらエルトンを連れてアララギたちのほうへと寄っていく。ラミアはアララギの隣にまでやってくるとエルトンにその蛇の半身で巻き付いた。エルトンの肩に顎を載せ、ふう、と息を吐く。
小太りの男は自分は裏組織サルトリのボスであると名乗り、懐から小さな包みを取り出した。包みの中には小さな箱があり、綿の敷き詰められた箱の中には金属の輪が納められていた。飾りのないシンプルな指輪に見えないこともないが、腕輪並みのサイズである。
「さて、ビジネスの話だ。きみらはこの町の領主の座を争っている。そしてきみらが求めるエルトン・マコーレーも我が手にある。取引如何によっては領主の証もくれてやろう」
サルトリのボスの持つものに目をやり、サヴィアンが鼻を鳴らす。
どう見てもただの金属の輪でしかないそれを領主の証と偽るにもほどがある。
「何が言いたい。領主になった暁にはサルトリを引き立てよという話か。そんな金属の輪で」
「実際に見たほうが話は早い。アララギ、腕を」
アララギが袖を捲り上げ、左腕を晒す。
金属の輪の上に差し出したアララギの腕にサルトリのボスがナイフで筋を入れた。
肌にぷっくりと浮かんだ血を、アララギが腕を逆さに返して落とす。
ぽたり、ぽたり、とゆっくりと落ちる血の滴に触れた金属の輪が変色し始めた。輝くようだった金属の輪は鈍い色となり、とろりと溶け始めた。アララギが手を下げたところ入れ替わるようにラミアがエルトンの腕を差し出す。
サルトリのボスがエルトンの腕にナイフを突き立てた。アララギにしたのとは格段に乱暴で容赦がない。エルトンが叫ぶがサルトリのボスは突き立てたナイフを抜こうともせず、わざとぐらぐら前後に動かしてから引き抜いた。
傷口からどっと溢れたエルトンの血が、箱へと流れ落ちる。
箱を満たしてもエルトンの血は止まらない。
エルトンの腕の下から箱が引き抜かれる。
シャノンがエルトンに駆け寄り、先に傷口を手で押さえていたラミアの手を叩いて退かし、ハンカチを宛がった。どさくさに紛れてシャノンはラミアの尻尾も踏みつけたので、ラミアが悲鳴を上げ、ラミアは煩いとアララギとサルトリのボスに睨まれた。
アララギが箱に向かって何事かを呟きかけた途端、サルトリのボスの手の中で箱が震え出した。
箱が振動するごとにエルトンの血が減っていく。どんどんとその暈を減らし、底が見えた時には、箱の中には赤く染まった綿が潰れ、指輪のサイズとなった金属の輪があった。シンプルで何の加工もされていなかった金属の輪は、今ではすっかりその面影を失くし、名工が仕立てたと言ってもいいくらいの輝きを放ち、その中央には翼を広げ葉の付いた果実を咥えている鳥の印章が現れていた。
「……領主の証だ」
覗き込んだサヴィアンが呟く。その手に取ろうとしたが、サルトリのボスがさっと箱を動かし隠してしまう。
「何の真似だ。金属を加工する特殊な技術を自慢したかっただけか」
「いやいや、本物よ、これは。本物の領主の証だ」
「それはシャノンが持っているのではないのか」
サルトリのボスは箱から指輪を取り出すと、自分の節くれだった指にはめた。そのすぐ後にはするりと抜き取り、手の中でくるりくるりと引っくり返しながら弄ぶ。
「あの女は持っていない。歌劇場の外で見せつけたあれは真っ赤な偽物だ。本物は、あそこの小僧が元領主を刺したときに破壊してしまった」
皆が一斉にローラムを見る。黒手袋の男に身柄を拘束されているローラムは、ただ首をゆるく左右に振った。
「知らぬなら教えてやろう。この町の領主は、
男が両手を広げる。
蛇が女となり出てきた洞窟の入り口に、有象無象の影たちがひしめき合っている。話をしているうちに誰にも気づかれないよう忍び寄ってきていたのだ。
喉を鳴らし、涎を垂らし、殺気を放つ。
飢えた目で皆をじろじろと舐めるように見つめているあの幽鬼たちは、アララギに対しても貪欲な眼差しを向けている。
あれらは、深幽境の幽鬼たちではない。
別のどこかから連れて来られた魔物たちだ。
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