にがくてあまい

「落ち込んでるやつに苦い食い物って、ないだろ!」

 俺もそう思います勇隼いさはや先輩、と玖那くなは心の中で賛同した。

 臥朋がほうと買って帰った昼食はたっぷり三人分だったが、癖になる苦みが売りの苦茶屋にがちゃやの特製丼だった。店名を裏切ることのない丼物は、美味しそうな見た目とは裏腹にいかにもな匂いがする。選んだのは一番無難そうな肉を卵で閉じたものだったが、その下に潜む米が曲者だった。

 苦茶屋特製、苦茶で炊いた苦味米。

 色からしてもう苦い。一口食べてみると、抹茶のものすごく渋い物と苦瓜を合わせたような感じがする。時々ピリッとした辛みは、ぶつぶつと見える唐辛子だ。玖那の好みとしては唐辛子はもう少し小さく刻んでほしいところだが、昼時の煩雑している厨房に文句は言うまい。でもせめて、今の十分の一くらいには、なんて思う。

「差し入れに文句を言うな。お前は三日ほど満足に食べていないだろう。病気になるぞ。何がまずい」

「だから不味いんだよ」

「苦いだけだ」

「泣きながら言うなよ」

「これは美味い泣きだ」

「なんだそれ」

「甘い物だとほんわかするし、辛い物だと出るのは汗だからな。これが一番だと思ったんだ」

 苦い苦い美味い、と薄っすら涙を浮かべながら頬張る臥朋に、勇隼が思わず笑みを零す。少しは気がまぎれたのか、勇隼は苦丼を引き寄せ、一口食べた。

「う!」

 盛大にむせる勇隼に驚き、臥朋がその背を撫でる。撫でると言うより叩くと言った方がいいほど力加減を間違え、勇隼はさらなる苦しみにうめいた。

 冷えた麦茶を渡してやると、勇隼は一気に飲み干してしまった。二度おかわりを要求され、三杯目を少し残した辺りでやっと落ち着き、一息吐く。

「苦い……甘さが圧倒的に足りない」

「玖那に甘やかして貰ってるだろう。何を言うんだ。贅沢者め」

「そっちの甘いじゃない」

 相変わらずの二人の会話を聞きながら、玖那は唐辛子を避けつつ、どんどん平らげていく。

「玖那も、よく食えるな」

 勇隼に信じられないというような目で見られたが、慣れれば謳い文句通り、癖になる味だ。

「唐辛子は食べてませんよ」

「気に入ったならこっちのも食べていいぞ」

「ねえ勇隼先輩、善意は弾いちゃいけないと思うんです、俺。米粒一つと同じですよ。信心深い人間じゃありませんけど、そんな俺たちだって信じちゃいけないわけはないですよね」

「残したら祟られそうな言い方するなよ。……なあ、『ユハ、頑張って』って言ってみて」

「ゆはがんばって」

 何のことだかわからないが望まれた通りに言ってやる。しかし勇隼は衝撃を受けたような顔で首を振った。

「……違う。絶対的に違う。俺は馬鹿か。馬鹿だったのか」

「人に言わせておいて何ですか、それ。失礼だなあ」

 玖那は傍らに置いていた紙袋を引き寄せると、音を立てて中身を取り出した。

 黒蜜たっぷりのきなこ団子だ。

 見せつけるように顔の横に持ってきて、勇隼を見る。

「お嫌いでしたっけ?」

「いいえ、お好きです」

 まあ食後にですけどね、と言えば、玖那へと向かいかけていた勇隼の手が急に転回し、苦丼へと伸びた。舌の上を通過する時間を少しでも短縮しようと咀嚼の回数さえ減らし、まるで飲むように手早く平らげていく。涙ぐましい努力は見ていて応援したくなる。

 それでも一粒残らず綺麗に平らげた彼に、玖那は心の中で喝采した。

「よく……用意してくれた」

「そうでしょう、そうでしょう。いいんですよー、もっと褒めて。これぞ美味い泣きですね」

 余程苦かったのだろう、何とか苦丼をかき込んだ勇隼は本当に泣き出しそうな顔で黒蜜だけを掬って舐めている。団子は食べないつもりなのかと思っていると、途端に噛り付いた。彼は好きなものは先に食べるタイプだと思っていたが、今回は強烈な苦味のために順序が狂ったようだ。

 何はともあれ、喜んで貰えてよかった。

 それに少しは気持ちも上向いたようだ。少なくとも表面的に取り繕えるまでには回復している。玖那は自分の分の団子を口に放り込み、その甘さを噛みしめた。

 ユハ、って何だろう。

 嫌なことがあり過ぎて改名でもする気なのだろうか。まさか本業のほうで人には言えないような悪さでもしたのか。

「勇隼先輩……自首するなら付き合いますからね」

 二つ目の団子を食べようとしていた勇隼が首を傾げる。

「え? あ、馬鹿」

「あ」

 机に手を叩きつけ、派手に椅子をひっくり返し、臥朋が立った。団子に夢中で大人しかったからうっかり口走ってしまったが、彼の前では失言だった。

 ――ごめんなさい、先輩。

「勇隼! どんな罪を犯したんだ! みんなで償えばきっと許して貰える!」

「えっ。俺も勘定に入ってます? それ」

「責任取れよ玖那! 俺は何もしてない! 痛い!」

 説得せんと意気込む臥朋に肩を掴まれ、勇隼は悲鳴のように訴えた。すっかり熱くなっている臥朋は聞く耳持たず、自分の額を勇隼の額に打ち付ける。

 ――凄く、痛そう。

「目を覚ませ、犯人はまずはそう言うものだ! 誠意を見せるのだ! 誠実に勝るものなし!」

「……誠意? たとえばどんな?」

 勇隼が興味を示した。これは何かしでかしたことは確実だ。

「浮気ですか先輩」

「違う」

「借金」

「するか」

「仲違い?」

「うわああああの野郎! 玖那のくせに言い当ててるんじゃねえよ!」

「おお。荒れてますねえ」

「混乱の極みというやつか。いや、これは錯乱か? 発狂? とにかくしっかりしろ!」

 臥朋の二度目の額突きが繰り出される。二度は食らうものかと勇隼は頭を横に倒して避けた。臥朋の額は失速することなく、そのまま真っ直ぐ、彼自身の手の上に落ちた。

 勇隼の肩を掴んだままの、手に。

「お、お前、俺の肩を壊す気か……!」

「避けられて予定の位置で勢いが止まらなかったのだ。すまん」

「あ、いいけど」

「え、いいの? 勇隼先輩、肩じゃなかったら額ですよ」

「そりゃよくないわ」

「すまん。俺としたことが、共に罪を償うつもりがさらに増やしてしまうところだった。よく避けてくれた。本当に悪かった」

 臥朋が深々と頭を下げる。両腕は勇隼の肩から外され、自身の両脇にぴたりとくっついている。模範のようなきっちりとした謝罪だ。

「勇隼先輩、見てください。これが誠意ってやつです。覚えて」

「……お前は俺を心底馬鹿にしているよな」

「まあ、時々?」

「普段は?」

「そこそこ。あ、もちろん嘘です。尊敬してます。素敵です」

「そこまで言われると嘘くさいんだよ」

 鐘が鳴る。

 玖那は手早く昼食を片付け、勇隼を見た。

「じゃ、誠意を見せてくる」

「はいはい。しっかりやってきてくださいね。明日は仕事、代わりませんからね」

「精一杯やる。それが誠意だ、勇隼」

 臥朋の言葉に一瞬ぽかんとした玖那と勇隼だったが、二人はほとんど同時に頷いた。

「それが誠意ですね」

「それだな。覚えたてだし、しばらく粘ってくるよ」

「行ってらっしゃい、先輩」

 勇隼に手を振り、その背を見送りながらふと思う。彼のしばらくは、今回はどのくらいの日数のことを言うのだろう。

 

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