あなたがいいのに
「あんなの子どもの口げんかの一つじゃないか! 本気に取るなんて!」
脇目も振らず一息に駆け抜け、着いた先は古い給水塔だった。旧式の給水塔は円筒型で、今では新設された給水塔にその役割のほとんどを譲り渡しており、好んでやってくる者も滅多にいない。
使われなくなって久しい給水塔は、早夏園からほど近い場所にあった。そこは川からは距離があるが、治水事業の関係で川の位置も昔と現在では異なるので、かつては立地も良かったのだろう。
その給水塔に寄りかかり肩で息をしているローラムは、ユハが差し出した水筒を手で押しやった。意地でも飲まないらしい態度にユハはあっさりと引き下がり、自分の喉を潤すとさっさと蓋をしてしまう。
「冗談は相手が冗談だと受け取って初めてそうなるものですからねえ。俺は冗談だと受け取っていないし、前領主の爺さんもそうでしょうし、何よりあなただって本気だったんじゃないですか」
「……だとしても、それでどうしていきなり領主様に怪我をさせなきゃならないんだ」
「はあ? 何を言ってるんですか? 怪我?」
「だから僕が、ナイフで――」
「怪我じゃなくて、殺害」
ローラムの肩がびくりと震える。走ることに集中していて、今まで考えないようにしていたのだ。俯き、急速に元気をなくして落ち込んでいく姿は、カシーには見ていられなかった。
「本当に死んでしまったのかな。腹だったし、もしかしたら……」
答える者はない。どんな返答をしても、可能性であるというだけで、誰もそれが正解ではないと知っているからだ。
「……どうして、僕だったのか、聞いても?」
「え? あ、すみません、聞いてなかったですね」
ようやく口を開いたのに関心もなかったと言外に言われ、ローラムは苛立った。勢いよく体を起こしたローラムだったが、しかしそこで目にしたものに驚き、ぴたりと動きを止める。
「何をしている」
「え? あ、すみません、聞く気ないです」
「手を離せ!」
パッとユハが両手を開く。その手の中にあったもの――首を抑え、替え玉をしていた女が激しく咳き込んだ。ローラムが慌てて駆け寄り、膝をついたその背を摩ってやる。
カシーはユハを見てため息を吐いた。相変わらず行動力が斜め上の方向へ突出しているやつだ。
「どうしてこの人まで!」
「どうして、って、連れて行ってどうするって話ですよ。放置して行ってもその後が気になるとか言われそうだし、だったら確実な安否情報を手にしていたほうが気が楽じゃないですか。大体、なんで連れて来ちゃったのかなあ、カシー」
急に当事者として引っ張り出され、カシーは言葉に詰まった。彼女を連れてきてしまったのは成り行きだ。あの場に残せば酷い目に遭わされることは目に見えているし、連れてこなければローラムに後から責められるだろうことも分かっていた。
正直にそう告げると、ユハは呆れたように首を振り、腕を組んだローラムには「そうだ。文句を言わないわけがない」と頷かれた。
事情がどうであれ、彼女をここで放り出すことはできないと主張するローラムとユハが睨み合う。互いに譲らなかったが、無関係な人間でなければいいんだろう、とローラムが彼女の手を握りしめて体を引き寄せたことで、ユハは慌てて自分の意見を引っ込めた。
自分の処遇について口を挟まずじっと耳を傾けていた彼女は状況に戸惑っている様子だったが、一先ず命の保証はされたと見て取ると安堵の表情を浮かべた。
だが、町の外れで人気もほとんどないとはいえ、領主の孫娘の替え玉をしていた彼女のドレスは遠くからでもよく目立つ。植物に紛れることのないその色合いを草木で隠すことは到底無理だ。どんなに太い木の陰に隠れたところで、ふわりと裾が大きく広がった形のドレスははみ出してしまう。今度は彼女のドレスを発端に連れて行くか否かで睨み合い始めた二人の仲裁をすることは諦め、カシーは給水塔の入り口を探した。
ぐるりと半周ほど回り込んだところに、ぽっかりと口を開けている穴がある。
中には中央に複雑な模様を施された太い柱が一本立っているだけで、ほかには何もない。
カシーは柱に手を当てぐるりと一周した。指先に神経を集中させて模様を触り、そこに隠されたものを探し出す。
「ここか」
模様の中に巧みに隠されている印から真っ直ぐ延長線上にある壁へと進む。滑らかに整えられた壁と床の継ぎ目に指をあて、さらにそこから拳三つ分左の位置に当たりを付ける。見ただけではわからないが、この一部分にだけ内と外の壁の間に空洞があるのだ。
ココン、とリズムよくその場所を叩けば、ほどなく何もないはずの壁の向こうから同じリズムが返ってきた。
ゴトン、と何かが動く重たい音がした。ずるずると引きずるような音がしてくるのを確認し、カシーは外へ出る。
「まだやってるのか」
未だにいがみ合っている二人に少し驚いた。ユハもここまで頑固者ではなかったはずだが。二人とも意地になっているのだろう。
「ユハ、腹を括れ。俺はもう決めた」
諭すように声をかければ、ユハが面食らったように振り向いた。
「連れて行くしかないって言うのか? この替え玉も? 生かしておくことには同意したんだからいいだろ。連れて行っても不利益しかない」
「損得じゃなくてな、こちらにいても、彼女は追われるだけだ。一緒に逃げていれば、いずれいい案が浮かぶだろう」
「でも荷物になる」
「痕跡となるよりはマシだ」
「めんどくさい」
「あとで泣くなよ」
「は! 誰が!」
「そういうのは、好かれない」
ローラムへと意味ありげに視線を移せば、ユハはぐっと押し黙った。言いたい言葉を時間をかけて無理やり飲み下してから、彼はやっと「わかったよ」と呟いた。
「女。もしも俺たちの邪魔になるようなら、その時は一秒だ。その体は見られたものじゃないようにして、葬ってやる」
ユハの言葉に女が頷く。真っすぐな瞳の中に真摯さが見られる。大丈夫だろう。万が一裏切られてもユハのことだ、その言葉を違えず、容赦なく手をかける。
「では、これから何があっても何を見ても、他人に口外することはないようにお願いします。誓って頂けるのなら貴方の保護に尽力しましょう」
ユハの宣言に続きカシーが言うと、またこくりと女が頷いた。領主にたてついた者たちと、成り行きであっても一緒に逃げ出してしまった時点で手配書ものだ。それを抜きにしてもすでに領主側の怒りを買っていると自覚しているらしい。どこにいても自分の安全に不安があると承知していれば、どこにいても境遇はさして変わらない。変わるとすれば一緒にいる相手だろうが、彼女側からしても、この面子に不満はないようだ。
カシーは全員を給水塔の中へと促した。ずるずると物を引きずるような音もちょうどよくピタリと止まる。
女に続きローラムも中に入りかけたところで、その足が止まった。するりと彼らの脇を抜けて中に入り込んだユハと違い、カシーにはそれは無理だった。二人を押し込むように自分も中に入り、驚いた顔をしているローラムに説明をする。
「早夏だ」
中央に立っていた柱は半円を残し繰り抜かれたようになっており、元々その柱があった部分には早夏が生えていた。狭い場所で育てられた宿命か、細身だがすらりと縦に長い。日頃見慣れている早夏の倍の背丈はあるだろう。まるで背伸びをするように大きく根が盛り上がり、上方には指の先ほどの白い実がついている。
未成熟であるとしても、こんな色はまず見かけない。通常、熟す前の早夏は緑色をしているはずである。
「いつものと違う。別の品種?」
ローラムが振り向き、カシーに問う。
「いや、いつも見ているのと同じものだ。日が当たらないなど特定の条件が揃うと、全く別物のような実になる」
「ほう」
ぜひともそれはエルトン様に教えないと、とローラムは早夏の幹を撫でた。
「痛っ」
ささくれた幹に引っ掛けた指の先から血が滲む。ローラムは手を返し怪我の具合を確認し、やっちゃった、と呟いた。
――ぽとん。
ローラムが自分の頭を押さえ、上を見上げる。
「何か落ちて……」
――ぽとん。ぽとん。
カシーは落ちてきたものを拾い上げ、ユハにも見せた。
赤色の実だ。
「確かに」
ユハが頷く。
カシーはローラムに声をかけた。何事かと振り向いた彼の前に、ユハと二人、同時に膝をついて頭を垂れた。
「宣言通り、あなたには権力を手にしてもらいます、ローラム様」
先に口を開いたユハの声は重々しく、間違っても冗談などには聞こえなかった。
「……は? あれはだから、つい口から出てしまっただけで、それにまだ、絶対生きてます。最近の医術はすごいと聞くし、領主の座が欲しいと思ってしたことではないので」
「わかってます。だから、ここの権利なんかではありません。あるに越したことはありませんが、ここの領主なんて比べようもない、もっと大きなものです。そのために俺は来たんです」
「どこから?」
それは純粋な疑問だった。
脳が主語を無意識に探すように、反射的に口から出てしまっただけ。
そんな疑問に、ユハとカシーはほとんど同時に答えた。
「
――地面を、指さして。
「……どこ、だって?」
耳には入ったのだろうが、聞き返される。カシーは繰り返し告げた。
深幽境。
地の下の、幽鬼の郷とされる場所。
人々の間では桃源郷と似たり寄ったりの伝説並みの地だ。だが確かにそこは存在しているし、人と同じく時の流れの中に息づいている。
「ちょっと、わかんない……」
ローラムが緩く首を振る。ふらりと下がり、早夏の木にぶつかった。
「カシーはずっとエルトン様のところにいたじゃないか。僕と一緒に」
「十六の時からな」
「……その前は、ってこと? なんで僕が? そういうのはエルトン様のほうが」
「資格云々の話なら、あなたのほうが持っているんですよ、ローラム様。あなたはこの早夏の実を染めた。早夏は日の光の下で育てれば黄色く、日を遮って育てると白くなる果物です。どちらにしても赤くはならないんです、普通」
説明しながらユハがカシーの持つ早夏を示す。
「その普通じゃないって言うのが、こんな感じです。ね、これがものすごい例外」
あっちにもこっちにも、落ちている早夏は全て、白でも黄色でもなく、赤色だ。
ものすごい例外。
その言葉を証明するように、ユハがあちこちから赤色の早夏を拾い集めてくる。ずらりと足元に並べられた赤色の早夏をローラムが嫌そうに見た。背には早夏の木があり、さらに自分を取り囲むように並べられてはそんな心境にもなる。
ユハはローラムをさらに追い込んでいく。
「さて、ローラム様。これは何色でしょう。あなたの目が使えることは知ってますよ」
ずい、とユハに目の前に早夏を一つ突きつけられ、ローラムは逃げようのない状況にため息を吐いた。
「黄色くも白くもない」
「だから?」
「……赤だよ! 普通じゃない色! それと僕が何の関係があるんだよ!」
ころりと手の中で早夏を転がし、ユハはローラムの手を取った。
「早夏が赤色に染まるのは、
先程幹のささくれで切った箇所を強く押される。滲んだ血にユハの持っていた早夏を押し付ければ、その実はさらに濃く色付いた。
突然判明した自分の出自に呆然としているローラムの手を取ったまま、ユハがカシーに早夏を投げる。直接血を吸わされた早夏は、すでに深紅に近いほど鮮やかだ。
血の果実。別名、絆の柑と書いて、
「さあ、深幽境に行きましょう。今の王が正当な時期後継者を待ってます」
「嫌だ」
きっぱりとローラムが言う。もうユハに気を使うこともないと判断したらしい。少しでも嫌悪を抱けば一線を画し、拒絶へと走るローラムの性格を考えると、あまり良くない傾向だ。
「……ん? 何か言いました? さあ行きましょう」
「だから嫌だ。胡散臭い。そもそも王様の元で育てられなかった僕が今更行ってどうするの。一度捨てたものを拾うなんて、貧乏な王様もいたもんだね。品位を問われる事案だ」
「品位ですか……。でも貧乏じゃありません」
「貧乏性だって話。別に本当に貧乏だろうが裕福だろうが品位だってどうだっていい。僕には関係ないんだから」
「関係ありです」
「どうしてそこまで? 何も僕でなくても、それこそほかに適した人がいるだろうに」
「そんなのいるもんか! 俺たちはあんたに王位についてほしいって言ってるんだよ! いちいち説明しなきゃわからないのか!」
ユハが怒りのあまり叫ぶ。ローラムは目を丸くしたが、すぐに顔を背けた。
「わからない」
これは、とぼける気だ。
知らぬ存ぜぬというか、何もわからない腑抜けを装って見切られようとしている。
頭にきているユハはこうなったらと一から説明しようとしているが、そのほとんどをローラムは聞き流し、相槌のように「それってどういうこと」「よくわからない」「もう一回言って」と口を挟んではユハをイラつかせている。
カシーはユハに同情し、二人の間に割って入ろうとした。
「いい加減わかれ!」
ユハがローラムの手首を掴む。ローラムがもがいてもびくともせず、がっちり掴んで離さない。
「俺はあんたがいいって言ってるんだよ! ほかの奴じゃダメなんだ! あんたと一緒になりたいんだ!」
「……馬鹿か」
ハ、とユハが止まる。二人の距離は今や鼻と鼻がくっつきそうなくらいに近い。手首を掴まれたままのローラムが真っ赤になった顔を見られないようにと背けているのを見るうちにユハも真っ赤になっていく。
そこで頭に血が上っていたユハもようやく己が何を口走ったのかに気付いたらしい。
「へ、変な意味じゃないぞ。あんたのことを好きとか嫌いとかどう思っているかとか別に関係なくてだな」
「何言ってるの、プロポーズとか思ってないから。王様に二人で一緒になれるわけないだろって話でしょう。やっぱり馬鹿なの」
冷ややかなローラムの視線に、ユハは凍らされてしまったらしい。ぱくぱくと口を動かしても言葉が出てこない。ローラムはユハに捕まれていた手を引き戻すと彼の肩をとん、と押した。
「退いて。王様になりたいなら自分だけでなればいい。僕は辞退する」
「あんまりだ!」
「知らないよそんなの。僕はエルトン様みたいにできた人じゃないから、誰かのために何かなんてできない。自分のことだけで手いっぱいだし、自分が良ければそれでいい。根は薄情なんだ」
「でもあの女を助けた!」
「エルトン様だったらそうするだろうな、って、真似しただけ。僕の性分じゃない」
そもそもこんな見た目で孤児だから、人気のあるエルトン様の真似をしていれば自分も周りに少しは馴染めるだろうと思ってしていたことだ――そう言い、ローラムはユハから離れた。そのまま入り口を見据えて歩いていく。
「ローラム、どこへ」
「カシーがずっと一緒にいてくれたのは、見張ってたってことなんでしょう。それなら、わかるんじゃないの。僕がどれだけ自分の異質さを嫌ってたか、過去がないことを気にしてたか、カシーだけは知ってると思ってた」
「……悪かった」
隠している自覚はあったが、騙すつもりはなかった。
言ったところでどうしようもないことだ。家族に会わせてやれるわけでも、故郷へ帰してやれるわけでもない。
今更な言い訳だ。
それ以上何も言えず、カシーはただ頭を下げた。ローラムが動くのが気配でわかる。彼は一瞬入り口の辺りで止まっただけで、給水塔から出て行った。
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