なりすましましょう

 急遽変更された会合の場は、芝桜が一面を彩る領主自慢の町の名所だった。

 ちょうど見頃を迎えたのでそちらでどうか、と記された手紙を握り締め尋ねてみれば、そこにエルトンの姿は見つけられなかった。それどころかかなりの数になるはずの一行まるごと行方不明だ。

 たった今過ぎ去った予定の時刻。ここから先は一分過ぎるごとに相手の機嫌を損ねてしまうだけである。

 たとえ、相手の女がいなくとも。

 エルトン一行のために設営された簡易テントの中で、カシーはじっと自分を見上げてくるローラムの視線をできるだけ避けようとふらふらと体を動かしていた。何を考えているのか、カシーに合わせてローラムも動く。

 いや、考えていることはわかる気がする。

「……俺は嫌だぞ」

 先回りして拒否してみれば、ローラムはカシーの腕をばしんと叩いた。

「嫌だとかじゃない! エルトン様がいない以上、カシーが代理で出席して何とかするしかないんだよ」

 一行丸ごといないとなれば、ここにいる人員で対処するほかなく、その役回りが可能なのは、カシーくらいのものだった。

「それはエルトン様が許さないし、第一相手にも失礼だろう」

「ふん。先に失礼なことをしたのは、あっちだ」

 マコーレーの屋敷に入り込み、部屋も庭も荒らした。空気でさえ淀ませたと憎々し気に吐き捨て、ローラムはカシーに指を突きつけた。

「とにかく、背格好が似ているのがお前なんだから! カシーがやるしかないの!」

 その間にローラムがエルトンを探し連れてくる手筈にしよう、と持ち掛けられ、カシーはだが頑なに首を横に振った。

「嫌だ」

「だから嫌だじゃなくて!」

「ローラムは相手があの女性でいいと、思っているのか」

「……それは」

 思い起こされるのは、数分前の出来事だ。風の噂に聞く虫も殺せぬ深窓の令嬢とは程遠い、自らが嵐の目とも成り得ていた領主の孫娘。

 ローラムは髪を隠していた布をするりと解いた。

 焦げた色、と本人自ら揶揄する髪が明るみに出る。

「嫌われてるのは僕だけで、エルトン様じゃない。僕じゃ、代役は務められないから」

 カシーに見せつけるように現されたローラムの髪。何を言ったところで、妥協などしそうにない。カシーはやれやれとため息を吐いた。ローラムから布をするりと奪うとその頭にきゅっと巻き付ける。彼の頑固さと根の深さは、嫌になるほど知っている。

 これは、付き合わなければ一生ものだ。一生、ことあるたびに持ち出されてグチグチ言われる案件である。

「お前が隣にいるなら、やってやらなくもない」

「それじゃあ誰がエルトン様を探しに行くんだよ」

「もう一人いるだろう」

 該当者を指さしてやれば、急に矛先が回ってきた男が気づいてへらっと表情を崩した。

「そう言えば、どちら様?」

「俺の……弟。……みたいな?」

「おやま」

 まじまじとローラムは男を見た。濃い茶色の髪、体格はローラムよりはいいがカシーほどではなく、筋肉もどこにあるのかわからないくらいだ。薄っぺらい顔つきはカシーよりもむしろ自分に似ている気さえする。猛禽類を思わせる目元が細くなり、彼は微笑んだ。

「いさはや……いや、ユハです。よろしく。ちょっとあって、つい最近戻って来たんです」

 ローラムも礼儀正しくあいさつを交わす。訳ありだと悟るとそれ以上深く追求もせず、ユハに領主からのエルトン宛の手紙を差し出した。

「エルトン様にこれを」

 ユハはなかなか受け取ろうとしなかった。しびれを切らしたローラムが無理やりその手を取って、やっと握らせる。

「本来なら君に頼むことではないんだけれど、圧倒的に人員不足なもので。頼みます。ぞろぞろと着飾った一行なので、顔を知らなくてもわかるはずです」

 ローラムが深く頭を下げる。ユハは渋々といった様子で手紙を持った手を胸の辺りまで持ち上げて見せた。

「それじゃあカシー、行こうか」

 カシーもローラムも、縁談を結びに相手の家を訪れる貴族としてはあるまじき格好だ。それでも主人の晴れの日である。見送りをするだけではあるが祝いの気持ちを込めて朝から着込んでいた一張羅なので、貴族のものと比べると見劣りはするが、普段着ている服よりはよほど綺麗で品がいい。

 ちょうど様子を見に来た領主側のメイドに、ローラムがカシーをエルトンだと紹介する。やはり領主家に仕える者は目が肥えているようで、カシーの服に怪訝な視線を向けたものの何も言わず、領主たちが待っている場へと二人を連れて行った。

 領主たちは芝桜が一面を彩る野原のちょうど中央に、本日の場を設けていた。

 領主は優雅な曲線を描く背もたれを持った木製の椅子を持ち込んでおり、椅子の足の裏が汚れるのを嫌って芝の上に絨毯を広げている。しかし椅子は一脚しかなく、当然そこには領主が陣取っていた。

 あちら側のほかの者は、領主の座る椅子を始点に左右にずらりと並んでいる。

 老齢であることを考えれば領主のみが座していることにも納得できそうなものだが、ほかの面々が立ったままでいるというのは、何となく落ち着かない。

 先を行く案内係を見つめるふりをして、カシーはこっそりと立ち並ぶ面々を見回した。

 領主の息子、その嫁、この二人の間に生まれた幼い息子が並んでいる。逆側には領主の娘、娘婿、そして孫娘。

 孫娘はベールで目元を隠していたが、淡い空色のドレスは記憶に新しい。真っ白なレースの手袋をした手が髪を攫う風に飛ばされないようにと、帽子ごと髪を押さえる。

 誰ですか、と。

 ベール越しに目が合ったのだろう、赤い唇だけを動かして問いかけてくる。カシーは気付かぬふりをして、ふいと視線を下向けた。

 なぜ、カシーたちよりも先にこの場に孫娘がいるのか。

 なぜ、初めて見る顔だと驚いてみせるのか。

 あの鬼気迫る雰囲気を、どこへ隠したのだ。

 足を止めた案内係に次いでカシーも止まる。震える声で案内係がエルトンの来訪を告げた。

 レースに包まれた手が赤い唇の前にやってくる。

 カシーとローラムはその場に跪き、カシーは今朝がたエルトンが繰り返し練習をしていたセリフをそっくりそのまま口にした。

 朗々と告げるカシーの名乗りに聞き入っていた領主が、一区切りついたところで口を開いた。

「マコーレーのエルトンとやら。服装については、最早何も言うまい。何ゆえそなたは我が孫娘をと望むのか」

 そんなこと、知るわけがないだろう。

 咄嗟に出てこない言葉にカシーは唇を噛んだ。エルトンの内に秘めた思いを代弁するなんて、できるわけがない。

 できない。

 その時、ふと、ローラムの囁きが聞こえた。本当に微かで、空耳だと言われればそれまでの、小さな声。

 カシーは顔を上げ、領主を、孫娘を、見た。

「彼女でなければならないのです。理由を明確に口にしてしまえば、快く思わない者たちにあらゆる方面から攻撃させる建前を与えてしまうようなもの。そんな醜い言葉を一片たりとも彼女の耳に入れたくはありません。そこから心へ入り込み彼女を蝕んでいく恐れさえあります。彼女を真に想うからこそ、思いを内に秘め原動力とし、彼女を守りたく思うのです」

 よくもまあ、べらべらと口が回るものだ。

 ローラムに助けられて訴えれば、領主はほう、と息を吐いた。それが感嘆のものであれば、と願わずにいられない。

 領主は孫娘を呼び寄せ、自分の前に立たせた。

「のう、シャノン。お前はこの者をどう思う」

 孫娘シャノンはカシーをちらりと見た。今のところ騙されてくれているのに、ここで彼女に公にされるのはまずい。下手なことを言われる前にどうにかしなければと気ばかり焦る。

 シャノンは祖父である領主に向き直り、口を開いた。

「彼は素晴らしい人物です。……わたくしには、もったいないほどの御方です」

 カシーの下手な芝居に付き合ってくれるつもりらしい。

「お前にはもったいないほどの男である、か」

 領主は小姓に杖を持ってこさせると、それを支えに立ち上がった。

「何を言っている。これほど似合いの二人はおらぬではないか」

 領主が万歳をするように両手を上げ、――杖をシャノンに振り下ろした。

 杖で強く突かれた彼女はどさりと倒れ、ベールで隠されていた素顔が露わになる。

 お世辞にも当国一の美女とは言えない、女性の顔。

 領主の自慢の孫娘では、ない。

「私を騙し通せると思ったか! シャノンはどこにいる」

 杖の先で突かれ、替え玉となっていた女が悲鳴を上げる。

「答えよ!」

「……シャノン様は、朝からその、お姿が見えずに……やむなく」

「そのお零れを掻っ攫おうとでも思ったのか」

「違います! わたしはそんなことはちっとも!」

 老齢の力とは思えないほどの威力で、杖が容赦なく何度も振り下ろされる。掠めただけの箇所がそれゆえに裂け、血が滲む。

 さらに振りかぶられた杖が女に一撃を加える前に、間に人影が割り込んだ。

「貴様!」

 ローラムだ。

 頭に巻いていた布を両手で細く握り、杖を受け止めている。相手の得物が刃物でないからこそできる芸当だ。

 ローラムの異彩を目の当たりにし、周りがひそひそと囁き合う。だが当人達の力は均衡し、互いに微塵も動かない。

 カシーはその隙に替え玉の女に手を貸し、杖の届かぬ距離へと誘導した。

 均衡を破ったのは、ローラムだった。

 片手を緩め、するりと布が手をすり抜けるのに合わせて自分も杖の下から抜け出る。急に支えを失った杖はそのまま突き刺さるように地面にぶつかった。

「どうぞお静まり下さい。何やらそちらにもご事情がある様子。此度の席は、後日改めてやり直すというのはいかがでしょう」

 領主がローラムをじろりと睨む。最早最高潮に達した機嫌の悪さはその視線に如実に表れ、それだけで小さな獣なら射殺せてしまいそうだったが、視線を一身に受けるローラムはきゅっと口を引き結び、回答を待っている。

「ふん。勝手に場を移動させておき、さらに別の者を寄越した上でこちらの事情を酌むと言うか。勝手もいいところだ。わしがエルトンの顔を知らんとでも思ったか。偽者などにくれてやる孫は持ち合わせておらん!」

「ローラム!」

 鈍い音を立て、杖が力任せにローラムの体に叩きつけられる。歯を食いしばってふらつきながらも耐えたローラムに、領主が杖の先を突きつける。

 ぴたりと、首元に。

「態度を改めよ。今なら額を地に擦りつけ、みっともなく許しを請うのなら本人が来なかったことは許してやろう」

「……それ以外に罪がないとされるのであれば」

「無論だ」

 杖がローラムの膝を打つ。

 無理やり跪かされたローラムを見下し、領主が冷たく言い放つ。

「無理だな。罪しか持たぬ者には、あとは灰になるしかないだろうが」

 ローラムは頭を下げることなく立ち上がり、普段の彼からは信じられない冷たい声で領主を批難した。

「あなたには国から地方を任されたという自負はないのか。民を守り生活を支え、それによりまた支えられるのが領主の仕事だ。ここの代表として、あなたには善意を尽くす義務がある。それすら満足にできず、権力を振りかざすだけの領主は、ただの馬鹿だ。そんなのでいいのなら、僕にだってできる」

 ひたと睨み合う二人に、息を呑み、ざわつく周囲。

 そんな不穏な空気を破るように、どこからか拍手が贈られた。

「戻ってくるのが早すぎなんじゃないですか、ユハさん」

 拍手のほうを向き、ローラムが声に怒気を含ませる。ユハは手をひらひらと振りながら近づいてきた。

「いや別に? エルトンを呼びに行くつもりなんてもともとないんですよねえ。そもそもきちんと契約もしてないじゃないですか。口約束の類だってした覚えはないですよ。渡された手紙を受け取っただけ。俺としては絶妙のタイミングで登場したつもりなんですけどね、ローラム様」

「……様?」

 ユハが場違いなまでの笑顔を見せる。怪訝に眉をひそめたローラムの視線を意に介すこともなく、その手を取る。

 その手元が光を弾いた。

「手を離せユハ!」

 カシーの強い声に、ユハがぱっと両手を上げる。

「先に事実を作っておいたほうがいいんじゃない、とか言われたもんで」

 過激過ぎてビリビリしますよねえ、と他人事のように言い、ユハはローラムから離れた。

 カシーのいる位置からローラムが丸見えになる。その手はやや高めの不自然な位置で制止し、見る見るうちに赤く染まっていく。

「ちょっと浅かったですかね?」

 ローラムの背後に回り込み、ユハがその肘をとん、と押し出す。抵抗も見せずに簡単に動いたローラムの手が、さらに深く、

 

 ――領主の命を、奪いにいく。


 染み出す血液は滲むという言葉では全く追いつけないほどの量となり、足元へ滴り落ちる。

 領主の背に隠れて状況がよく見えていなかったらしい一族の誰かから悲鳴が上がる。悲鳴と混乱は徐々に伝播し、遠くに控えていた護衛たちが騒ぎを聞きつけ駆けてくる音がした。

「過激過ぎるだろ! おいローラム、逃げるぞ」

 ユハがローラムの手首をとんとんと指で突き、その手を開かせる。からくり仕掛けのようにぱっと開いたローラムの手を取り、ユハがくるりと振り返る。

「さあ行きましょー、どんどん行きましょう」

「ま、待て。領主様が、僕が」

 強引に腕を引くユハに抵抗しつつも、ローラムの足は引かれるままに動いている。カシーは替え玉の娘を連れ、自分も二人の後に続いた。

「待ったなし! 自分でしたんじゃないですか、宣言。実行するほかないでしょう」

 ローラムの腕を引くユハは、もうほとんど駆け足だ。カシーの位置からローラムの顔は見えないが、恐らく、何とも言えない不細工になっているだろうことは容易に想像がついた。

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