第3話 婚約


「俺はイズミを愛する自信があるから求婚しているわけだが、今すぐイズミに俺を愛してくれとは言わない。

 いずれ愛してくれればそれでいい、それよりも」


 腰に手を回され、抱きかかえられる。


「イズミの国とは違うかもしれないが、この国では父も夫もいない女性が1人で生きていくのはかなり難しい。普通の女性は自分で外へは出ないし、意思表示は身近な男が代わりに行うものだ。

 未婚なら、父以外の男の前に出ることも良くないこととされている」


 ああ、そういやさっきの神官さんもそんなことを言ってたっけ



「だから、とりあえず俺を夫にしてみないか?

 後のことはその時考えるとして」



 それを聞いたツィリムくんは私の膝に乗り上げるようにして痛いほど強く手を握った。



「俺も」



 目は口ほどにものを言う、とはよく言ったもので、

 ほとんど何も話さないツィリム君からも、強い想いが伝わってくる。


 視線に圧力があるみたいだ。




 本当はこんな風に打算にまみれた結婚はしたくないのだけれど、この2人の好意に頼るしか、この世界で上手く生きていくすべがない。


 私はこの世界では赤子も同然なのだから。





「おふたりの真剣な想いに嘘はつきたくないから、正直に言います」



 カイルセルさんの腕から抜け出して、ふたりともが見えるように座る。



「私は何故ふたりが私を好いてくれているのかわからないし、そもそもふたりのことをよく知りません。

 だけど話を聞く限り、私がこの世界で1人で生きていくことはとても難しいみたいです」



 2人はとても真剣な目で私の話を聞いてくれる



「だから、この世界で生きていくために助けてほしいです。

 そのために、とっても失礼だってわかってるけど、私をどちらかのお嫁さんにしてほしいです。

 もちろんいつかどこかで必ず恩返しをさせてもらうし、絶対にその人を傷つけないようにします。

 当たり前のことだとは思うけど」



 私が話す間、黙って聞いてくれていたカイルセルさんが口を開いた



「俺たちが求婚しているんだから、イズミが気に病む必要はないし、恩返しをする必要も全くない。

 そこの心配はないのだが、結婚できるのは、どうしてもひとりだけなのか?」



 ん?どういうこと?


 私のキョトン顔をみて、説明を続けてくれる。



「一般的には7人か8人くらいの夫を持つ。男女比がそのくらいだからな。

 体が弱いとかの特別な理由があっても、最低5人の夫は持つ。そうしないと家の事が回らない。」



 そういや、男女比のいびつな世界だったのを完全に忘れていた。


 普通に複数前提の世界だから、ふたりが同時に求婚してきたのだろう。





 なんとなくの違和感が払拭されたけど、複数前提というのはそれはそれで心のハードルが大きい。



 だって私は普通に日本の社会で生きてきた人間で、政略結婚みたいなことですら受け入れるのに凄く時間がかかりそうなのに…


 その上その契約結婚が複数前提だなんて受け入れにくいなんてもんじゃない




 でもまあ、今悩んだところで仕方がない。


 日本人らしく流されておこうかな






 納得したというよりも、考えることを放棄したかのような感覚だったけれど、それはそれでいいじゃない。



 いつの間にか私はこの世界で生きていくことを受け入れたし、この違和感は時間が解決してくれると信じておこう。


 幸いにもカイルセルさんもツィリム君もとても優しそうな人だし2人に任せてしまおうかと思う。



 うん、とりあえず心の整理はついた。






 私が考え込んでいる間、黙って待っていてくれた2人に向かって話し始める。



「考えがまとまりました。待っていてくれてありがとう。私を2人のお嫁さんにしてほしいです」



 そして、まずカイルセルさんの手を取り、甲にキスを落とした。


 ツィリム君はまだ床に膝立ちのままだから私も床に降りて正座して、それから手の甲にキスを落とした。



 2人とも、目を丸くする、という表現がぴったりなほど驚いた顔をしていた。




「あれ、違いました?」



 あまりの驚かれっぷりにちょっと焦る


「いや、普通の女性は『許す』と言って終わりだ。

 イズミのように男に自分から口付けることなどしないから少し驚いただけだ」



 うわぁ、ちょっと痴女っぽい仕草だったってこと?



 恥ずかしすぎるぅぅう!




「ご、ごめんなさい。求婚は手の甲にキスをするって言ってたから…

 逆もそうなのかなって思っちゃった」



「意外だっただけだ。可愛いぞ?」


 可愛いぞ、と来ましたか……




 私ももう21歳、まぁまぁの歳になってきてるんだけどね…


 この人には一体私がいくつに見えてるんだろう?

 顔立ちも身体付きも西洋人に近いみたいだし、私の童顔も手伝ってかなり若く見られてそう…





「さて、話もまとまったところで晩飯にするか」


 確かにお腹はめちゃくちゃ空いてる。



 ツィリム君がさっと立ち上がり、外へ出ていった。

 誰かにご飯を頼みに行ってくれたんだろう。


 ぼんやりしていると、カイルセルさんにお姫様抱っこされてテーブルへと連れていかれた。






「もう夜も遅いから軽いものしか準備してもらえないとは思うが、食べないよりはマシだろう」



 椅子に座らせてもらえるかと思いきや、ナチュラルにカイルセルさんの膝の上に乗せられる



「カイルセルさん、私1人で座れますから」



 この状況でご飯を落ち着いて食べることなんて出来なさそうだから、自分で座らせてほしいとアピールしてみる。



「君は女の子なんだから、こうされてればいいんだよ。それよりもそのカイルセルさんっていう呼び方は良くない。結婚するんだから愛称で呼んでほしいんだが」


「愛称ですか。うーん、カイル、でどうでしょうか」


「いいな、カイル。この国では結婚してできた家族の間でのみ、愛称で呼び合うんだ」


「良い習慣ですね。なんか特別感があって、ロマンチックで。私にもつけてくれますか?」



 カイルセルさんの場合、前の方を切り取ってカイルとするだけの単純な愛称をつけたけれども、私の名前は略すほど長くはないし…



「イズミというのは、この辺りではあまりない名前だからなぁ…イズミという名前をこちら風にするとしたら、イズミル、というのはどうだろう?」



 学生の頃のあだ名でもあったなぁ、あだ名の方が本名より長いっていうパターン。


 でもイズミルっていうのはとっても綺麗な響きだし、気に入った


「ありがとうございます、カイルさん。とってもステキです」


「気に入ってくれたようで何より」


 そう言って、カイルさんはとっても無邪気な顔で笑った。

 まるで褒めてもらった子供みたい無邪気な笑顔。



 王子様スマイルは見慣れてきたと思っていたけど、こんな風にも笑う人なんだなって、不覚にもちょっとドキッとした。


 私は、カイルさんのことをまだ何も知らないし、これからカイルさんともツィリム君とも仲良くなっていけたらいいなって思う。



 そんな話をしているうちに、ツィリム君が戻ってきた。

 お盆に乗った、緑っぽい色のポタージュスープとパン。


 でも、なぜ1人分?



 カイルさんはそんなこと気にせずに、なぜか私の首元に顔埋めて匂いをスンスン嗅いでるし。

 ちょっと気持ち悪い。



 パンはフランスパンみたいなちょっと固いタイプで、それをちぎってポタージュに沈めて柔らかくしてくれる。

 それぐらいやるよと手を伸ばそうとしたけれど、後ろのカイルさんに腕を掴まれているから出来なくて。



 スープを吸って、ひたひたになった美味しそうなパンを、スプーンですくって私の口元に差し出す。


 えっ、これ食べさせられる感じ?

 ちょっと落ち着かないんだけど。


 とりあえず差し出されたパンをパクッと口に含む。


 でも、この見つめられ続けながら食べる感じすっごく落ち着かない。


 だってツィリム君は私の目の前に座っていて、こっちをガン見してきてるから。



「ツィリムくん、お皿ちょうだい、私自分で食べるから。ツィリム君もカイルさんも自分の分食べて」


 ただ私のその発言は無言で拒否された。

 絶対に渡さないぞと言わんばかりに強く器を持ち、首を左右に振ったのだ。


「妻の世話を焼くのはするのは夫の仕事だし楽しみでもある。何があってもいやだという程でもないなら好きにさせてくれないか」


 まぁ、そこまで嫌ではないし、この先も私はこの世界で生きていく。

 郷に入れば郷に従えという言葉もあることだし、黙ってされるがままにしておこう。



 なんだか不思議な沈黙の中、ご飯を食べ終わった。

 正確には食べさせてもらい終わったって言うべきかもしれないけれど。


 無言でお盆を持ち、片付けに行くツィリムくん。




「色々あって、疲れただろう。もうこのまま寝るか?」



 優しいカイルさんの声に軽く頷く。

 もう今日は疲れた。

 疲れたっていう表現で収まりきらないぐらいに疲れた。人生で一番変化の大きい日だったから。



 ああ、でも。

「ツィリムくんが帰ってくるまでもうちょっとだけここで待っててもいいですか?ちゃんとお礼を言いたい」


「別に構わんが」


 カイルさんの膝の上に座ったままうつらうつらしてしまう。


 まるで子供をあやす時みたいにトントンと軽く私の胸元を優しく叩いてくれるのがとても心地良くて。

 自分がツィリムくんが帰ってくるまで待ちたいって言ったのにそれまで耐えていられず、眠ってしまった。









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