起業ニートは改革の果てに
牛盛空蔵
起業ニートは改革の果てに
どこにでもいるニート、西賀は決意した。
起業しよう。
幸い、資金は豊富にある。
西賀の家は古くからある商家で、規模こそ大きくはないものの、これまた代々のお得意様が大枚をはたいて取引してくれる。安定した強力な収入源を持っている。
一方、西賀自身はただの無職。そのような家に置いておくには世間体が悪い、とは家族の弁だ。
そこでつい先程、商家の主である祖父から、適当な額の金を渡され、「何か成果を上げるまで家に帰ってくるな」と言われたのだ。
とはいえ、そこは優しさがあったのか、起業するにはまず充分な金額である。ひょっとしたら祖父も、起業をさせるつもりで金を渡したのかもしれない。
……いや、それはないな、と西賀は考え直した。
彼は企業経営など未経験。経営学を学んだ覚えすらない。素養も熟練性も何もない。
だが、それでもなんとかするしかない。ちょうど彼自身、長年にわたるネトゲの経験から、事業の種のようなものをいくつか持っている。
そして勤め人の道は、彼自身は、どうも合わない気がする、と思っている。
当たって砕けろ。困難はどうにかするしかない。無謀だ、などという声は無視。
彼はまず事務所を借りるべく、一歩を踏み出した。
五年後。西賀の会社はそれなりに成長していた。千分の三といわれる壁、すなわち「軌道に乗せる」ことに成功した。
しかし頂点には程遠い。なんとか利益は出しているが、いまだ本社機能は最初の事務所から移転していない。
それはなぜなのか。西賀は沈思黙考する。
――利益が思うようにグングンとは伸びない。コストカットか。しかし人件費を削るのは愚策。
人件費。人。
「そうか、人か、人材だ」
彼は策を思いついた。
四年後。
旗揚げ直後からのメンバーは理由をつけて辞職させ、今は元々優秀だった少数の古株を除いては、ほとんど残っていない。
代わりに外部から優秀な人材をヘッドハンティングし、社内を精鋭で固めていた。
利益は上がった。しかし余剰資金をなにかに回したいところだ。
「そういえば一昔前、M&Aが流行った時期があったな。テレビを賑わせた」
「M&Aですか……しかし株式買収をして経営多角化するには、まだ、その」
言われた部下は、とまどう。
「分かっている。多角化するほど我が社は巨大化していない。しかし株か……」
しばし思案の後、またもやひらめいた。
「そうか、株だ、株式運用に余剰を回せばいい。M&Aはしないとしても、通常の株式運用で利殖だ。余剰だけを回せば失敗のリスクも大きくはない」
「株式の運用ですか……専門でもない我が社がやるのは……本業が、その」
ためらいがちに返す部下。
「気持ちは分かるが、新しいことをしないと、会社にカビが生えるだけだぞ」
「しかし、例えば辻堂専務は、そろそろ守成に回り始めるべきと。人材の『刷新』による不満も、まだ跡を引いていますし」
西賀は断固としてかぶりを振った。
「守成になど回るものじゃあない。世間の潮流は止まることなどないんだから」
「……分かりました。専門家が必要ですね。コンサル顧問をとりますか、それとも他社から引き抜きますか」
「引き抜きだ。部署を作るぞ」
「かしこまりました」
部下は意思伝達を速やかに行うべく、一礼して足早に部屋を出た。
三年後。
「一年前の世界恐慌を乗り切り、逆に隠れた需要を突けたのは奇跡だった。人材ヘッドハントもそうだが、株式運用の利益が出ていなかったらと思うと……」
「全くです。あの恐慌でいったいどれだけの社会的損失が出たか。一歩間違えれば当社も消えていました」
西賀の会社ももはや大企業の仲間入り。一部上場も果たした。東京の夜景を高みから見下ろす場所も手に入れた。
実家からも「戻ってきてほしい」という手紙が来たが、破り捨てた。
当たり前だ。見捨てた人間を、社会的に成功したからといって手のひら返しで呼び戻すなど、恥知らずのやることだ。合理的でない。
合理的でない。
「そう言えば、我が社はシステム化が進んでいないと聞いたな」
「は、じわじわと進めてはおりますが、なにぶん創業からまだ十二年、急激な成長に追いついては……」
「それだけではないな。十二年もあったんだから」
西賀は淡々と言う。もはやそこにニートの面影はない。
「反対勢力だな。古参の辻堂。現場のアバウトさを尊重する人間だ。会社が小さいうちはそれでよかったかもしれないが、もはや今の規模には合っていない」
「辻堂専務を……まさか」
「辞職させる。なにか尻尾をつかんで引きずり下ろした上で、システム化、業務管理の強化を徹底的に行う。このままでは頂点は狙えない。行き届いた管理にこそ栄光はある」
「しかし……辻堂専務は」
「やれといったらやれ。あまり怖がらせたくはないが、命令違背させるわけにもいかない。わかってくれ」
「……はい。承知しました」
部下の背を見送り、高層ビルの最上階から、夜の光景を見た。地上の光が少しうるさかった。
また三年後。
数少ない古参のメンバーが、たまたま休憩室に集まっていた。
「社長は変わったな」
「ああ」
「改革ばかりに走って、成果は上がっているが」
「最初はもっとこう、優しい人だった。社内管理もここまで厳しくはなかった。それが今じゃあ昼飯まで指定するとか」
「ヘッドハントで人材を切り始めた頃かな、あそこからだ。数年前は辻堂のおっちゃんまで切った」
「しかも謀略でな」
「成果のためになりふり構わなくなった。『頂点を目指す』んだったか。妄執だ。実家からの手紙も来ているらしいけど――」
「全部破り捨てているってなあ」
「気持ちは分かるけど、そろそろ家族を迎えに行ってもいいんじゃないか」
「本当に、変わってしまった」
「ああ。狭い事務所でキャッキャしていた頃に戻りたい」
――戻りたい。
それを物陰で聞いていた西賀は、静かに、豪奢な社長室に戻った。
それから三年後。街角。
「なあ聞いたか、一流企業の元社長の定食屋がオープンしたんだってな」
「えっ、『元』社長?」
「ああ。なんでもまだ四十手前で辞めたとか」
「その会社の新規事業とかじゃなくて?」
「いや違う。その会社とは何も関係がないらしい」
「へえ。ちょうど昼だし、行ってみるか」
しばらく歩くと、すぐにこぎれいな、そして慎ましやかな定食屋が見つかった。
「ああ、ここだ、間違いない」
「へえ。よさそうだ。入ってみよう」
奥から「いらっしゃいませ」と主人の声が聞こえた。
二人は暖簾をくぐると、見事な筆致の文字がはためく。
――和洋定食屋「西賀堂」と。
起業ニートは改革の果てに 牛盛空蔵 @ngenzou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます