第4話 消滅する宇宙 前編

 アニマが退院する日、手の空いている看護師達が集まって皆で見送くってくれた。事情を知らない人なのだろう、タクシーの車窓から「次に来る時は、是非赤ちゃんを生む時にきてね」と、全快祝いの言葉を送ってくれたりもしたけれど、アニマは気にもとめない風に、「カオルの方が早いかもしれませんよ?」と言って微笑み、冗談で返す余裕さえ見せた。


 カオルの家に着くと。アニマは両親に温かく迎えられて自室を与えられ、父親が役所に働きかけて、戸籍のないアニマを養子にする準備もできていた。 

 カオルの両親の喜ぶさまは、まるで古い友人の来訪のように家庭を明るく変えて、特に母親はアニマを実の子供のようにいつくしんでいた。


 学校も双子の兄妹としてカオルと同じ高校に入学することになった。アニマは編入試験を歴史社会を除けばほぼ完璧にこなすことができていたのだ。ところが、問題はその後だった。





「月野アニマです。海外生活が長かったから、わからないことも多いですから、皆さん色々と教えてくださいね。よろしく」


 教室では今、アニマの紹介が行われている。学校も気を使ったのだろう、アニマはカオルと同じクラスに編入してくれていた。


『何あれ、ナルシスがもう一人ひとり増えちゃったよ』クラスの女子達がひそひそと噂する声が聞こえてくるようだ。

 まるで鏡を見るほどにそっくりな二人が同じクラスにいる。それも今度は女だ。クラスの生徒達の反応は様々だった。

 

 カオルは美少年ではあったが、その少女っぽい雰囲気が女子からは敬遠される原因だった。何しろカオルは、女の子以上に可愛らしかったから、女子としては女のプライドが邪魔をしていたし、男子は女子の目を気にしていた。カオルと仲良くしていると、すぐにホモセクシャルと噂されてしまう。だから、学校では幼馴染の涼太だけがカオルの味方だった。


 そこへ女のカオル、アニマが現れたのである。





「なんだよ、水くさいぞ! あんなかわいい妹を隠してたなんて!」と騒ぐ涼太に、「僕も最近知ったんだよ」と、カオルは答えるしかない。

「やっぱ、彼氏とかいるんだろうなぁ」涼太がしつこいので「遠距離の彼氏はいるみたいだよ」と、カオルが答えると、涼太が本気で残念がるものだから、「代わりに僕が女装してやろうか?」とかいってからかうと、「よせやい!」と涼太は不機嫌になってしまった。


 それだけではない。アニマときたら、学年主任の先生でさえも誘惑してしまうである。何しろ、アニマに上目遣いで見詰められてしまうと、たとえ強面こわもてな先生であっても顔が赤く反応してしまうものだから、「お前の妹可愛いよな、しかしいくら外国暮らしが長いから仕方ないとは言え、もう少し大人しくしてもらわないと、風紀が乱れるからな。お兄さんからよく注意しておきなさい」などと、カオルが注意されてしまう始末なのだ。


 生真面目きまじめなカオルは、アニマにこのことを問いただすのだけれど、「男を骨抜きにする訓練くらいは受けているからね。カオルが必要なら、先生を味方につけてあげてもいいよ?」などと、あっけらかんと答えた。


 手練手管てれんてくだたけけたアニマに翻弄ほんろうされ続ける当のカオルは、スパイって女の子を口説く訓練もするのかな? と、少し羨ましくも思っていた。





「アニマちゃん学校はどう? 少しは慣れたかしら?」カオルの母親が優しくアニマに声を掛けた。

「はい、クラスの人気者カオル君がよくしてくれるから、ね? 」アニマに持ち上げられこすてられたカオルは、途端に居心地が悪くなってしまう。


「アニマは僕と違って出来る人だからさ、心配なんかいらないよ」と、返してカオルは、「でもさ、女子とはあまり話してないよね。男子が多いみたい」とも言った。するとアニマは「それは仕方ないでしょう。だってあたしは異性にモテモテだからよ」と返すのだった。


 事実、アニマは女子の輪にとけこめていない。





「波多野さん、先生が二人で教材のパソコンを教員室に運んでおいてって」、そうアニマが声を掛け、長い廊下を当番のアニマと波多野が備品をまとめた古いパソコンを重そうに運んでいた。

 波多野が、「先生も男子に手伝わせればいいのに」と不満を漏らす。そして、「それにしてもあなたたちって本当にそっくりよね。たまにどっちがどっちかわからなくなって混乱しちゃうわ」というので、アニマは「気持ち悪い! くらいに?」と笑って言い返した。


「あの時の事、彼が言いふらしたのね? 最低!」波多野はカオルがアニマにフラれたときの事を喋ったと思い、憤慨ふんがいした。


「違うよ! あたしあのとき見てたんだから。カオルは確かに馬鹿だけど、フラれた腹いせに言いふらしたりするような奴じゃない。馬鹿がつくほどお人好しで、女を見る目が無いだけなの!」と、気の強いアニマも言い返すものだから、途端に廊下は険悪な雰囲気に変わっていた。





 普通の女子じょしのケンカならこのままお互いを無視する程度のものだけれど、勿論もちろんアニマは違っていた。足元に荷物をおろすと、不意に波多野にからだを密着みっちゃくさせると、息がかかるほどまで顔を近づけて、面食らっている彼女の顔を細かく観察するように視線を動かすと、「波多野さんってさ、やっぱ可愛いよね。面食いのカオルが惚れるだけのことはあると思うよ」と言った。


 アニマの突拍子もない行動に、流石の波多野もあっけにとられ固まってしまう。

「でもね、あたしの方が波多野さんより、断然可愛いんだからね!」

「なっ! 何を!」

 アニマの術中じゅっちゅうはまっている波多野は顔を上気させて、もう何も言い返せなくなっていた。


「悔しい? カオルにそっくりなあたしなんかに言われちゃってさ」

 そしてアニマは波多野の手を取り「でもね、あたし女の子なんだよ」アニマは艶かしい相貌をさらに近づけて、焦りと困惑の見える、見開かれた波多野の瞳をジッと見詰めながら、波多野のてのひらを自分の胸へと押し当てた。呆然と立ち尽くしている波多野の唇に、少し爪先つまさき立ちなアニマの唇がやさしく重ねられる。

 驚きと恥ずかしさに正体をなくし、頭の中が真っ白な波多野は、その場を逃げ出すことしか出来なかった。波多野の後姿を見送りながらアニマはクスクスと笑っていた。

 




***


「だってね、クラスの女子たちったら生意気なんだもの」

 ソファーに寝そべるアニマが意地悪そうに片方の口角を上げて微笑んでいる。

「そんな事してるから女の子の友達ができないんだろう」

 アニマはカオルの心配など、どこ吹く風で「あたしにキスしてもいいよ。今なら波多野さんと間接キスだぞ!」と、茫然自失ぼうぜんじしつしていた波多野の顔を思い出し、クスクスッと笑っている。

「もう! そういうのやめてよ」

 カオルもアニマにはからかわれっ放しだ。 


「あたしもその後、取り残されたパソコン運ぶの大変だったんだからね。近くに居た男子誘惑して運んでもらったけどさ」


 一頻ひとしきり笑ったアニマは続けて、「それよりもさ、波多野さんカオルのこと本当は嫌ってないと思うよ?」などと言った。そして「えっ、それ、ほんと?」と態度が豹変し喜んでいるカオルに、「ホント、カオルはホント単純なんだから、そんなんだから彼女出来ないんだぞ」となげいてから微笑ほほえんでみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る