第3話 アニマ

「それってSFのインベーダーだよね? 侵略者。じゃあさ、君は僕を抹殺して入れ替わるつもりだったってこと? あの時、僕を本気で殺す気だったってことなの?」息を呑むカオルにアニマは「本気よ。あたし、大佐の命令だったら、〝自分〟を殺す事だって出来るのよ」アニマの真剣な瞳の、真っ直ぐ眼差しが決意を物語っている。「もしかして、子供の父親って――」カオルの言葉に一瞬複雑な表情を見せたアニマに、〝自分〟だからこそ察することが出来るアニマの気持ちをカオルは感じた気がした。


「馬鹿ね。大佐はあたしの直属の上官なんだから。そんな事ある訳ないじゃない」そう言って目を伏せた。そして「安心して、もう貴方を襲ったりしない」そう言うと、自分の世界と交信できる〝あの無線機〟で、本部に報告をはじめた。


「大佐わたしです。作戦に重大な問題を確認しました。人体への影響が強過ぎる為、高度な訓練を受けた者でも作戦遂行には支障をきたす可能性があります」そうアニマが報告すると、無線機から、「そうか、残念だが計画は一時中止して次の段階に移る。しかし、現在こちらも新たな問題を抱えている為、すぐには対応できない。任務が決定次第、追って連絡する。それまでお前は待機していろ」大佐はそれだけ告げると、通信を一方的に切った。


 ベッドの上で力なくうなだれるアニマの目にうっすらと涙が光っていた。

「もうあなたを殺す理由はなくなったから、あたしのことは、もうほっといて頂戴」そう言うとアニマは、カオルに背を向け「独りにして」と、言った。  





 夜が明けるとカオルの両親が病院を訪れた。病院のロビーで、カオルは両親に簡単な説明をした。不思議なことに自分そっくりな少女と出会ったこと、少女は病気で救急車で運ばれ緊急入院したこと。勿論、並行宇宙の話は伏せている。両親に心配を掛けたくはなかったし、理解してくれるとも思えなかった。ただ、自分にそっくりな女の子を保護したことにした。 


 アニマが移った病棟へと上がるエレベーターの中で、カオルはアニマは今後どうなるのかを考えていた。一度は自分を殺そうとした女ではあるが、自分へと向けられたあの時の銃の小刻みな揺れは、病気の所為せいだけとは到底とうてい思えなかった。彼女は嘘が下手だ、自分のように。そう思えてならなかった。そして、別の世界の人間とは言え、自分と同じ人間を、命令されたからといって簡単に殺せるものだろうか、とも思った。

 

 エレベーターが停まり、ナースステーション前を通ってカオルが病室のスライドドアを開けると、ベッドの上にアニマの姿はなかった。カオルが視線をベランダの方へ向けると、そこにはベランダの手摺てすりに足を掛け、両手で身体からだを支えている、今まさに建物から飛び降りようとしている白い病衣を着たアニマの姿が見えた。

「止めろ! ここ、五階だぞ! 落ちたら死んじゃうんだぞ!」カオルの声に、一度カオルを振り返ったアニマは、無表情な顔に薄っすらと微笑ほほえみを浮かべ、そのまま手足を使い、一気にちゅうへと舞った。


 駆け寄り、咄嗟とっさにアニマの足を掴んだカオルだったが、アニマの勢いに引かずられ耐えきれずにアニマもろともに落下しようとしたその時、カオルの両親が必死に二人の体を繋ぎとめていた。やがて、騒ぎを聞き付けた看護師たちと両親の助けによって、二人は引き上げられた。





 一度落下して、眼下の地上を目の当たりにしたアニマは、目を見開き必死の形相になっている。そんな放心状態のアニマをカオルの母親は強く抱きしめ涙を流しながら訴えていた。「お願い、もう逝かないで!」と、哀願する母親の涙をのあたりにしてアニマもまた「お母さん」と、小さく呟くと母親を抱きしめ返し涙を流した。


 実は、カオルは稀にある男女の一卵性の双生児だったと両親は語った。もうひとりのカオルは運悪く生きながらえることはできなかったが、カオルの女らしさに両親は、命を続けられなかった女の子の面影を感じていた。だから無事育ったカオルには、男女どちらにも呼びかけられるカオルという名前つけた。カオルは、生きられなかったカオルの半身への思いが込められた名前だった。 





 しばらくアニマと話し込んだ両親は家路についた。この世界でひとりぼっちのアニマを、両親はまるで昔からの自分の娘であるかのように優しい眼差まなざしででていた。病院には、遠方の親戚に養女に出していたカオルの妹と説明して、すべてを丸く収めてくれた。両親にとって、アニマは幼くして失った本当の娘の生まれかわりに感じられたのだろう。両親のアニマにそそぐ眼差しは、いとおしい我が子に向けらるもの、そのものだった。


 二人きりになるとカオルはアニマに「何故あんな事をしたの?」と訊ねた。

 アニマは、「同じ時空間に同一人物が二人居てはいけないからね。あたしたちは双子と違って、まったく同じ人物なんだから、因果律によってどちらかまたは両方が死ぬことになる筈よ。ドッペルゲンガーのようにね」と、説明した。


「だからって自分と同じ人間を抹殺するだなんて間違ってるよ」というカオルにアニマは、「あたしが病気でさえなかったら、躊躇ためらいなくあなたを殺したのよ」そう言い返しはしたが、本心でないことをカオルは痛いほどわかっていた。神社でのアニマの苦悶の表情は、病気だけの所為とはどうしても思えなかった。 


 自殺しようとしたのも、自分の世界からたった一人で見知らぬ世界へと送り込まれ、戻ることはかなわない。愛する人と別れ、生まれ来る命をも失ってしまった。それがアニマの心を絶望へと追いやったに違いない。カオルはそう思っていた。

 

 今回の自殺騒ぎで、アニマの行動はカオルが常時見守ることになって、トイレと清拭せいしき以外は目を離さないことになった。兄妹という事で、看護師たちもそれほど気を使わなかったので、カオルはアニマの着替えなどに出くわし、少女しなやかな裸体に出くわすこともあった。一応年頃であるカオルが慌てて、頬を紅く染めるものだから、看護師に「可愛い~」などと、からかわれたりもした。 






 神社で拾った銃は壊れてしまったのか、もう作動しないようにカオルには思えた。アニマに見せると、「バッテリーを交換すればまた使えるよ」というので、銃のグリップの底にある玩具に付いているような、ちゃちなプラスチック風のフタを開けてバッテリーを取り出してみたが、カオルにはどうしても単三乾電池にしかみえなかった。

 

「じゃあさ、乾電池入れればまた使える様になるってことだよね?」そうアニマに尋ねると「馬鹿ね、アルカリ乾電池を入れたってライトくらいしか点かないよ」と笑われてしまった。

「あたしの世界のコンビニに、反物質乾電池が売ってるからさ、カオル入れ替えといてくれる?」と言いケタケタと笑った。


 カオルには、アニマは所謂いわゆる箸が転んでも可笑しな年頃の、普通の女の子にしかみえなかった。 

「へー軍事国家にもコンビニってあるんだね? 」とカオルが不思議そうに言うと、アニマに、また笑われた。

「じゃあさぁ、カオルが時空間越えて、コンビニで買ってきて頂戴ちょうだいよ!」もう、笑いが止まらない様子だ。自分でも自分を笑わせて「そうそう! 熱帯で注文して黒猫に宅配頼も!」と、大爆笑している。

「ハハハッ! も、もうお腹痛い」

「そんなに笑って大丈夫なの? 」

「大丈夫なの? だってハハハハッ! くっ苦しいっ」

「もう、心配してるのに!」

 そうはいってもアニマの明るい笑顔を見るのは、カオルもまんざら悪い気はしていなかった。 





「ねぇ、向こうで付き合ってる人とか居るの?」との、問いにはアニマは一瞬カオルの目を見てから視線を外した。

 迂闊な質問に気まずい雰囲気になり、「ごめん。いつもの癖でつい」と、条件反射で謝るカオルに「いいよ、カオルって何もかもあたしとは逆だよね」と言った。


「あたしはね、初等士官学校のエリートだったからさ、モテすぎて男子を振るのに疲れたよ」そして、また押し殺すようにクスクスと笑う。


「大佐はさ、ずっとあたしの憧れだったんだ……。第二次世界大戦終結後、多くの資本主国家は衰退してね、換わりに共産主義に対抗する為に世界中で社会民主主義が台頭したの。自由民主主義は社会をリードする人材たちのが育成と確保が肝だからね。数少ない本当に優秀な人達を指導者にする為に社会主義を目指した。こっちの世界で自由民主主義が勢力を伸ばすのと同じように、向こうでは因果律で社会民主主義が栄えたって訳よ。カオル君に、わっかるかなぁ?」

「僕、あまり近代史得意じゃないからなぁ……」そう言ってカオルは頬を掻く。

「ふふっ、馬鹿ね。教科書になんか載ってないよ。じゃあ、あっちの世界史の続き――」





 アニマはベッドのヘッドボードに枕を立て、背もたれにして胡坐あぐらをかいた。

「向こうの世界でもやっぱり共産主義は失敗して、世界の力関係は再編されることになっちゃった。そうなるとね、国家間の防衛が重要になってくるから、軍国主義化が進んだって訳よ。国民には兵役の義務があって、才能のある人は軍人か産業人の英才教育を受けるの。カオルの世界では集団的自衛権で自由主義経済圏が繁栄して、経済的に共産主義を倒したでしょ。ミサイルじゃなくて経済だった。あたしの世界では逆に、個別的自衛権だから軍事技術を発達させていったのよ。大佐はね、その中でもエリート中のエリートなんだ、あたしを情報部に引き上げてくれたのも大佐なんだ……」

 アニマは急にしおらしくなり、声のトーンも低くなっていた。


 アニマは気を取り直し、一度鼻からフッと息を吐いて、胸を張り腕を組んだ。「ではカオル君、ここまでで何か質問はありますか?」

 カオルはずっと気になっていた事を質問してみようと思った。「あの、大佐ってさ、独身なの?」

勿論もちろん、妻帯者よ」「へぇ、でも、その……好きなんだよね?」アニマは少し首をかしげ唇をへの字にする。

「そうだねぇ、作戦参加ではなればなれにはなったけど、でも、あたしは構わなかったよ。大佐の御役に立てて、国家の為にこの身を捧げられるのだもの」 





 そこへ看護師が検温に訪れて、「なぁに? 二人して難しそうな話してるねぇ」と言うと、「現代社会の話です。学校の」そう答えたアニマに、看護師は体温計を渡すと「勉強を頑張りすぎて、知恵熱が出ないといいわね」と微笑んだ。

 アニマは笑顔で「カオルには難しすぎて頭が沸騰するかもしれないけどね?」と冗談を言いって、カオルに見えるようにワザと病衣の胸元を大きく肌蹴はだけ、体温計を脇の下に挟んだ。

 アニマの、小振りだが張りのある美しい半円形の乳房を身近にしたカオルは、思わず上気してしまい、慌てて顔を手で覆い隠す仕草さなければならなかった。

「ふふふっ、これじゃあお兄さんの方が血圧MAXになって大変だわ! 気分が悪くなったらナースコールで呼んでちょうだいね!」そう笑いながら、看護師は病室を出ていった。


「カオルは本当にウブなんだから」クスクスと笑いながらはしゃぐアニマは今、幸せそうな普通の少女だ。「みんなで僕をからかって! ひどいよ!」少し拗ねた顔をして顔を背けたカオルに、アニマはおだやかに「自由っていいよね」と言った。

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