第2話 侵入者 後編

「危ないじゃない! 馬鹿!」女の叫び声を聞きつけたのか、表通りから路地に向けて、どこからともなく人が集まってくる気配がした。

「来て!」女がカオルの腕を強引に引っ張って走りだした。否応いやおうもなくついて行くしかないカオルの脇腹には、あの玩具の銃が突きつけられていた。


 都会の片隅にある、いにしえの残る街はずれの神社で、カオルは人生最後の時を迎えていると感じていた。

 あの銃は本物で、それも一トンほどもあるであろう鉄筋コンクリートを消滅させる威力を持っている。あの銃で撃たれたなら、人間など跡形もなく消え去ってしまうことだろう。そして何者かの意思によって、自分は今自分そっくりな女に、抹殺されようとしている。

 鳥居の朱色が夕日の色に染められ赤さを増している、小さな祠(ほこら)がカオルの最後を見届けるのだろうか。


 見れば見るほど、自分にそっくりな女だ、歳も同じくらいだが流石に自分よりも一回り小柄に感じる。それは自分のイメージだから、他人には自分がこの女のように見えているのだと思うとカオルは不思議な気持ちになる。女がカオルを睨む、その厳しい眼差しには決意がこもり、今にも銃の引き金を引きそうだ、しかし睨みつける美しい顔からは汗が噴きだしているのが見える。白い肌は青白く、血の気が無いように見える。


「何で僕が? どうして死ななくちゃいけないの?」思わず発したカオルの言葉に「黙ってて! 決心が鈍るじゃない!」押し殺した声を、早口に発する赤い唇が小刻みに震えている。歯の当たる小さな音がカチカチと静かな空間に漂っている。





 女の腕がビクリと動いた時、突然茂みから鳥が飛び立った。瞬間、カオルは女の銃に手を掛けていた。

「あ! また」力なくうめいた女は、今度はすぐに銃から手を離した。おもちゃの様な不思議な形をした銃は、あっけない程軽い音をたて地面へと落ちた。


 だが、落ちたのは銃だけではなかった。カオルに手を捻られた女のからだはふらふらと力なく揺れカオルに任せられた、交差したカオルの腕が女の胸の感触を感じる。「うぁ、ちょ、ちょっと!」そのままの体勢でずるずると倒れこむ女を支えるカオルの左手のあたりが、ぬるりとした生暖かい液体で滑り、女の下半身へと滑りこんだ。慌てて引き抜いたカオルの左の掌は赤黒い血で染まっていた。

 カオルが、からだで支えている女の足に目をやると、その細く伸びた白い足は赤い血にまみれている。

「な、なんだよこれ! きゅ、救急車!」 



 

 

「うん、僕は大丈夫」

 カオルは救急病院のロビーから、自宅に居る両親に、今病院にいる事を説明してHCU《高度治療室》へと戻った。カオルを待っていた様子の看護師が、書類の束を渡して「先生が説明にみえられますから」とだけ告げた。


 やがて訪れた医者は、カオルの顔を見ると少し怪訝けげんそうな表情を見せたが、「ご兄妹ですか? 容態は安定していますが、子宮からの大量出血で輸血をしました」と説明した。「それと、お腹のお子さんは残念ながら亡くなられておりまして、死産で処理しますので。患者さんへの説明は慎重に願いますね」と付け加え、唖然あぜんとしているカオルから目を逸らすと詰め所へと戻っていった。


 女の名前さえ知らないカオルだったが、仕方なく、その晩は家族として自分を殺そうとした女の病室で付き添うこととなった。

 カオルがなんと言ったとしても、顔がそっくりな二人が見ず知らずの他人である筈はなく、訴えても、誰にも通用してくれないだろう。とりあえず書類には名前をアニマと書いた。アニマとは心理学用語で、男性の内的女性象だという。カオルにとっては、女版のカオルだからという単純な理由でしかなかったのだけれど、やがて目を覚ました女が予想通り、自らをカオルと名乗ったので、カオルは彼女のことをアニマと呼ぶことにした。


「君は何者なの? 何故、僕を殺そうとするの?」カオルの問いに頑として口を開かなかった女ではあったが、「大佐って誰? 君の恋人かい?」との問いに対してだけ「違うわ、あたしの直属の上官よ」とだけ答えた。

「じゃあ、お腹の子の父親は?」と訊くと顔を背けていたが、カオルが子供は死んだと告げると、ベッドに顔を伏せて泣きはじめた。シーツを掴む手が震えていた。





 しばらくして、少し落ち着きを取り戻した彼女は口を開いた。

「いいわアニマで。名前はあなたにあげる。だってこっちの世界はあなたたちのものなんだし――」 


 信じられない話だが、アニマは平行世界の住人なのだという。そんな話、SFか漫画の世界の話だ、真面目に話せば精神を疑われるに決まっている。しかしカオルの目の前には、自分そっくりな〝自分〟が確かに居る。名前も血液型も同じ、同じ顔をした見ず知らずの自分が。 


 アニマが言うには、一部に相違点はあるが、因果律で二つの世界は繋がり、お互いに影響を及ぼしながら時間軸を共有しいるのだという。まるでオカルトに登場するクローンや双子のように。カオルの世界との大きな相違点は、世界の大半が民主主義ではなく未だ帝国主義であることだ。第二次世界大戦で民主国家は敗れた。日本は戦争に勝利し、多大な犠牲を払いながらも連合国との和平にこぎつけたというのだ。カミカゼ攻撃も行われ、原爆も投下されたが、僅かな因果律の揺らぎが二つの世界を大きく変え、歪ませてまったのだという。


 小さな揺らぎは本来、寄せては返す波の様に因果律の和で調整され修正される。しかし、アニマの世界は強権的な科学の推進によって脅威の科学技術を手に入れた。進歩し過ぎた科学は、修正不可能なほどの歪んだストレスとなって二つの世界に蓄積されているらしい。皮肉にも同調を促し修正へと向ける因果律が、歪みのエネルギーを増大させる増幅器の役目を担ってしまったのだという。そしてアニマ達エリートが所属する平行世界の日本の諜報機関は時空を越えることで、歪みの影響を緩和しようとしていた。それがカオル達の世界への侵入の目的だったのだという。歪みがあるのなら、どちらかを消して入れ替えてしまえばいいということらしい。

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