ハーフムーン 逆転世界

宮埼 亀雄

第1話 侵入者 前編



「気持ち悪い! 近づかないでよ!」そういうと少女はカオルを突き飛ばした。

 予期せぬ彼女の行動に、カオルは咄嗟とっさに受身も取れず、レンガ敷きの歩道へ尻もちをつくしかなかった。ざらざらとした、レンガの感触がカオルの背中全体を覆っていた。





 地面へと取り残されたカオルに、気にも留めずに少女は立ち去ってゆく。


 これで何度目だろう。彼女の後姿を見送りながらカオルは思い出している。異性を意識し始め、女の子に好意を持ち始めて以降いこう経験した、カオルの何度目かの失恋の記憶であった。


「大丈夫かよ!」そう声を掛け起き上がるのに手を貸してくれたのは、幼馴染の涼太りょうただった。

「散々だったな」「もう慣れたよ」会話しながら涼太はカオルの背中を軽くはたいてくれた。


「しかし波多野さんに告るとは無謀じゃないのか?」

「そうかな? 涼太はそう思う?  やっぱり僕は気持ち悪いのかな?」カオルの問いに、「どうかなぁ? 俺に言わせんなよ、女子に聞きな」と涼太は言うだけだった。


『その女友達が居ない事が悩みなのに……』


「じゃあ俺ゲーセン寄ってくからさ、気をつけてな」そう言った涼太は去り際に振り返って、「またナンパされるなよ!」とカオルを冷やかした。




 

「大きなお世話だ!」

 大きく声を張り上げたカオルだったが、妙に子供っぽく聞こえる。それを背中で聞き流した涼太は、チャラ男らしく軽く手を振り去っていった。


 カオルは公立高校一年の男子生徒だが、名前と小柄な体格。そして整った女顔がコンプレックスだった。高校を決めたのも、男子の制服が今時では珍しい学ランだったからというくらい、自分の見た目を気にしていた。


 カオルは、ショーウインドウを見掛けては服装をチェックする。男らしい制服がなんとなくコスプレに見えてしまうくらいだ。『この線の細さが女子にキモがられる原因なんだよな……』


 ショップにディスプレイされている鏡で眉間にシワを寄せてみたり、男っぽく装おうと努力はしてはみるのだけれど、どうしても宝塚の男役にしか見えない。

 

ふと何者かの視線を感じて、鏡の端に目をやる。すると、春の心地よい陽気にもかかわらず目深くフードを被った人物が映っていた。

「さっきのショーウインドウでも見かけた奴だ、体格からして女らしいけど――」

『もしかして後を付けられてる? 芸能事務所の人とか? まさか。それとも僕、じゃない俺の追っかけ――じゃなくて告られたりして、まさかね。アハハ』






 そんなナルシスト全開のカオルは追跡者を意識しながら、商店街の路地を抜け、人気のない狭い脇道へと追跡者を誘い込んでいた。途中、涼太の『ナンパされるなよ』という言葉が思い出されて、『馬鹿にするな、これでも立派な男だ!』と意気込んでいた。


 曲がり角で一瞬、姿が見えなくなるのを利用して待ち伏せをする。姿を見失い、慌てて駆けてくる追跡者の足音をブロック塀に背を付けて待つと、「俺は回りくどいのって好きじゃないんだよね!」と、女の前に立ちはだかり言い放った。

 追跡者はカオルの姿と対峙すると慌てて立ち止まったが、うつむいたまま別段あわてる様子もなく右手に持った拳銃のようなものを構え、カオルに狙いをつけた。 


 冗談だろ……。拳銃のような物を突きつけられ、言葉も出ず呆然としているカオルに向けてフードの女は言った。

「月野カオル君だよね」

「あっ!」

『何で僕の名前を……』

 返事を躊躇ためらうカオルの顔をフードの奥から見詰める女は、銃口で指図してカオルを更に人目の付かない、廃ビルと壁に囲まれた裏路地へと進ませてから、肩に掛けていた大き目のバッグから、いかにも軍用と思われるオリーブドラブ色の大型な無線機を取り出して、どこかと連絡をとり始めた。





「大佐、三号計画段階ハ完了、目標を捕獲、指示をどうぞ」どこかで聞き覚えのある不思議な女の声色に、随分と時間をおいて返事が返って来た。

「よくやった、計画通り排除しろ」その声に女は幾分躊躇ちゅうちょするように、確認を問い返した。

「排除、ですか? 」

 返事を待つ女に、柔らかな夕暮れの木漏れ日が女の瑠璃色のジャケットに影を作っている。静かな路地には、遠くから都会の雑踏が聞こえていた。

「そうだ、排除だ」

 巨大な通信機から低く響く声が聞こえ、女が一瞬緊張したように思える。


 先ほどから、女が構えている銃を観察していたカオルは、女の銃が奇妙な形をしている事に気づいていた。『僕は拳銃に詳しくないけど、こんな奇妙な銃は記憶にない。昔、涼太に見せてもらったモデルガンとは随分と形も違っている。銃口さえ無くて丸くて黄色い突起だし、素材もプラスチックみたいで安っぽい。色もメタリックのモスグリーンで、まるで子供の玩具おもちゃじゃないか……』





 カオルは思い切って口を開くと、「ねぇ君、それって本物なの? 僕には玩具に見えるんだけど?」そう問いかけてみた。


 そのとき、女は何か考え事をしていたのだろう、慌てた素振り《そぶ》を見せて、「何言ってんの! 本物に決まってるじゃない!」と、大きな声でカオルを威圧しようとした。

 それこそ怪しいと感じたカオルは、咄嗟とっさに女が持つ銃のような物に自分の手を被せると力いっぱいにひねった。すると女には思った以上に力があって、抵抗したために二人は揉み合いとなってしまった。


 その時、女のジャケットからフードがズレて、夕日に照らされる街に女の顔があらわとなった。カオルの眼前に晒された女の顔にカオルは思わず声が出ていた。「僕だ!」そう、女の顔は紛れもなくカオルと同じ顔だった。


 あまりの衝撃しょうげきにカオルが女の手を離した次の瞬間、おもちゃの銃らしき物を握り締めた女の手からピロピロと効果音のような音が流れたか思うと同時に、黄色い玉の先端から眩い光が発せられて、二人の姿を隠していた廃ビルの一角いっかく忽然こつぜんと消え失せた。

 次の瞬間、からだの芯まで響く鈍い音と共に重い振動がカオルの全身を震わせ伝わってくる。 消えた廃ビルの一角に支えられていたコンクリートの大きな塊が、カオルと女の目前に落下していた。

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