第37話 その頃、某国では 2
デリークトの森はエルフの森に続いている。
その入り口には、昔のエルフ族との交易の名残りがあった。
エルフの商人たちが滞在した館と、人族の商人たちが集まっていた小さな村。
交易がほぼ途絶えた今では、寂しい場所になっている。
「姫様、少しでもお食べになりませんと」
食堂にいるのは金色の髪の侍女と、館の主であるデリークト第一子でありながら公宮を出た姫。
「ごめんなさい。 今はあまり食欲がなくて」
海を接する隣の国、南方諸島連合から婚姻の申し出があり、姫は嫁ぐことが決まっていた。
しかし正妃でもなく、何番目かの夫人であるかも分からない。
フェリア姫は、それほどたくさんの女性がいるのなら、自分ひとりくらいはひっそりと暮らせるかも知れないと思った。
国のために、自分が出来ることはそれくらいなのだと。
しかしあまり良い噂は流れてこない。
南方諸島連合の代表である男性は、気に入った女性はさらってでも手元に置きたがる。
だが、その女性たちのその後を知る者がいないのだ。
フェリア姫の不安は募る。
「はあ」
目の前の好きな料理にも手を出せないでいた。
「まったく!、あの男は何をしているのかしら」
姫の手つかずの皿を下げ、小さな厨房で侍女は愚痴をこぼす。
厨房には、狩って来た獣を
姫と侍女、そしてこの騎士は幼馴染で、子供のころから知っている仲だ。
「仕方がないさ。 あいつの言うことも正論だしな」
姫の想い人である魔術師は、侍女が駆け落ちを進言したにもかかわらず、それをやんわりと拒否した。
「それでも、何かやり方はあるはずよ。さらわれたとでも言って、行方知れずにしてしまえば」
ギリッと指の爪を噛む侍女の手を、騎士が掴む。
彼は、やれやれとため息を吐いた。
「そんなことをしたら、護衛の俺たちがどうなるか。 姫も望んでないだろ」
自分たちだけの問題ではない。
この館の使用人たち、姫を慕ってついて来てくれた数少ない者たちも断罪されるだろう。
そして、姫の家族、この国さえ危うくなる。
「南方諸島連合の代表がどんな手段に出るか分かったもんじゃやない」
あの男はどんな手を使ってでも女性を手に入れて来たという噂がある。
「私たちに出来ることは、どこまでも姫の側についていてやることだ」
「アキレー」
二人は手を握り合い、そしてお互いの身体を抱き締めあう。
「姫様のお心のままに」
侍女は小さな嗚咽を、騎士の厚い胸板に
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ガーファンは砂族でも首長と呼ばれる一族の出身だった。
しかし、砂族は現在では国の内外に散り散りになっており、全体でどれくらいが生き残っているのかも分からない。
彼自身も砂漠を遠く離れ、家族とも離れて、ひとりでアブシース王国の王都で働いていた。
ある日、ガーファンは教会を訪れた。
王都には現在、使用されていない古い教会があった。
彼は仕事の休みの日はそこを訪れるのが日課だった。
そこには、忘れ去られた砂族の神が祀られている部屋がある。
そしてその場所は、散り散りになっている砂族たちの連絡所にもなっていたのだ。
「ガーファン様」
廊下で一人の男性に声をかけられた。
眼鏡をかけた灰色の髪をした、多少くたびれていたが、身なりの良い人族の男性だった。
「何でしょうか」
突然名前を呼ばれたことで、ガーファンの人好きのする笑顔は固まる。
「パルシーと申します。
信じてもらえないとは思いますが、怪しい者ではありません。
少しだけ、私の話を聞いていただけませんか」
全身から怪しい気配を醸し出している男性が、たった一人で目の前に立っている。
ガーファンにはどうにも逃げられる気がしなかった。
近くの部屋に案内される。
いやにニコニコした男性がお茶を運んで来たが、すぐに部屋を出て行った。
「この本を見ていただけますか」
パルシーという名前の男性が持ち出した物は、有名な本だった。
ガーファンたち、砂族にとっては忌々しい本。
この本は、砂族が悪しき魔術を使う一族だと世の中に広めた本である。
もちろん、でたらめだ。
顔を顰めた彼に、その男性は話を続けた。
「あなたはサーヴの町のご出身とか。
実はそのサーヴで砂漠の研究をしている若者がいましてね」
その男性の手伝いをして欲しいという申し出だった。
「そのことと砂族の本と、どういう関係が?」
ガーファンは目の前の男性をじっと睨んでいた。
それくらい砂族にとっては激しい憎悪の元になっている。
「その研究者は魔術師でしてね。 呪術の研究もしているんですよ」
「呪術」
その可能性は考えていた。
呪術と言うエルフ族の魔法がある。
彼らは砂族と一時期対立していた。
「その呪詛を解呪出来る者だということですか?」
ガーファンの言葉にパルシーはいやらしそうな笑顔を浮かべた。
「それは、あなた方の努力次第ではないでしょうか」
「は?」
ガーファンは目を瞬く。
「その魔術師に解呪しようという気にさせるのは、あなた方、砂族次第だということです」
「そ、その魔術師はそれだけの力があるのですか?」
「それはあなた自身でご確認されればよろしいのではないでしょうか」
そう言って、ガーファンの目の前の男性は席を立った。
最後までその眼鏡の男性は丁寧な姿勢を崩さなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そうしてガーファンは、ネスからの依頼を受け、デリークトとの国境へとやって来た。
アブシース王国とデリークト公国との国境にある砂漠。
その砂漠のデリークト側に小さな砂族の村があった。
砂族には一族特有の砂の魔術があり、連絡を取り合うのもそれを使う。
国境には明確な境界線などなく、とりあえず警備兵の巡回があるくらいで、砂漠からの出入りは緩い。
ガーファンは村の住民からの手引きで国境を越えた。
村の長老に出迎えられ、ガーファンは一番良い家の、一番良い席に座る。
見回しても、村の住民は二十人ほどしかいない。
働ける者は皆、デリークトの港へ出稼ぎに行っているとのことだった。
「今夜、戻るように連絡を取ります」
ガーファンと護衛について来てくれたトカゲ族のソグと、砂狐のアラシはそれまで待たされることになった。
粗末な食事は言うに及ばす、一番良い状態だという家も傾いている。
「これでは砂嵐が来たら壊れるのではないですか?」
ソグは口数は少ないが、本当に心配している。
背の高い彼は家の出入り口など、ぶつかって壊さぬよう、慎重に動いていた。
「申し訳ございません」
砂族の老人は小さな声で謝るばかりだった。
夜になって、働きに出ている者たちが集まって来た。
ソグは預かっている荷物から肉や野菜を取り出して渡す。
若者や子供たちは喜んでくれた。
しかし、ガーファンの言葉に、大半の者は信じられないと疑ってかかる。
「アブシースは砂族も亜人とみなしていると聞いています」
「それは本当だが、働ける場所はあるよ」
ガーファン自身も砂族ということを隠してはいたが、普通に働いていた。
「しかも今回の雇い主は、砂族の者が必要だと言っているんだ」
ネスが書いた依頼書は、ガーファンに取りまとめをすべて任せると書かれていた。
村の住民は顔を見合わせ、とりあえず様子を見るため、独身で身の軽い者が同行することとなった。
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