第6話 その頃、町では 1


 教会前の噴水広場にサーヴの旧地区の住民が集まっていた。


「ソグさん、ネスはいつ帰って来るの?」


涙目の少年サイモンがソグの腕にしがみ付いている。


その足元にいるキャンキャンと鳴く白い砂狐のユキには紐が巻き付いていて、 その紐はソグがしっかりと握っていた。


「申し訳ないが、それは分からない」 


トカゲ族の元護衛騎士であるソグは、仕方なく重い口を開いた。


「ネス様にはとても大きな願いがあった」


ソグはサイモンに向けていた顔を上げ、広場に集まった住民を見回す。


「砂漠の調査だろ?」


教会の階段に腰かけていた褐色の肌の地主の青年が声を上げる。


「呪詛のことですよね」


足の悪い老婦人と共に駆け付けたエルフの女性が手を挙げた。


「どれも間違いではないが」


ソグは一呼吸置いた後、言いにくそうに話し出した。




「ネス様には想い人がおられた」


広場の者たちにざわめきと動揺が広がった。 


「ああ、あのヴェールをかぶってた姫様か」


ミランの言葉に、知っている者、知らない者、それぞれが顔を見合わせる。


 先のお祭りでネスが親密そうに女性と一緒に歩いていたのを何人かが見かけていた。


ネスは密かに町の女性たちには人気があったので、その噂はあっという間に広がった。


エルフの女性や教会で世話になっていた浮浪児の子供たちも複雑な表情をする。


「あの方も神ではない。 生身の男性であるからな」


しかも年頃の若い男性だ。 好きな女性の一人や二人いても不思議ではない。


日頃は子供たちの手前、そんな様子は見せないだけである。


ソグの説明に子供達もしぶしぶ頷いた。


「その女性が原因なのでしょうか」


砂族のガーファンがソグに訊ねる。


相手のことは知らないが、その女性に何かあったからネスが動いたということなのだろうと彼は考えていた。




 ソグは元々口数が少ない。


トカゲ族は顔をうろこに覆われているせいか、表情が分かりにくい。


そして、ここにいる誰よりも背が高いため非常に目立つ。


このような状態に慣れていない様子が哀れにも思えた。


 同じ隣国のデリークトの出身であり、同じ亜人である狼獣人のエランがソグの背中を叩いた。


「自分の主の話はしにくいだろう」


そう言うと、エランが交代して話し始めた。


「我々はネス様に雇われている身だ。 詳しいことは話せない」


エランとソグはただただ理解を求めた。


「分かった。 信じよう」


地主であるミランがそう言って立ち上がる。


「しばらくは様子を見ようじゃないか。 皆もそれでいいな」


こうなると他の住民たちは何も言えずに解散していった。




 ミランは峠の若い兵士の言葉を思い出す。


(「ネス様には何も言わずに信じてくれる者が必要なのです」か)


ネスの弟子だと公言している者は二人。


ミランが知る限り二人とも国軍の兵士だ。


あの砂漠の研究者は、自分のことは何も語らないが、国の主要な人物であることは明白である。


「ソグ、ちょっと来い」


「……はい」


ミランに嫌だとは言えず、ソグは大きな背を少し丸めて地主屋敷に入って行った。


 お茶が出され、座りなれないフワフワの高級そうな椅子に座る。


ソグが目の前のお茶に手を出さずにじっとしていると、「失礼します」と誰かが入って来る気配がした。


「お待たせいたしました」


峠の兵舎にいるまだ新入りの若い兵士だった。




 ミランに促されて、ソグの隣に座る。


二人は顔は見知っていても直接言葉を交わしたことはない。


お互いに緊張で硬くなっている。


「どうも」


ミランが各々の名前を紹介し、二人は軽く会釈を交わす。


「それでな、ソグ。 町の者たちはネスとは付き合いも浅い」


ミランの言う『浅い』というのは、主に年月という意味でだ。


どんなに深く濃い付き合いであっても、ネスがこの町に来てようやく二年と少し。


ソグはうむと頷く。


「このハシイスは少なくとも俺たちよりはネスの事情に詳しい」


そう言ってミランは若い兵士に視線を向けた。


「えっと。 ネス様に何かあったのでしょうか?」


兵士ハシイスは首を傾げた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 前日、サーヴの新領主と隣のウザス領主との間で話し合いが持たれていた。


その間、ハシイスたち兵士は町に何か騒動が起きないようにと目を配り、警戒していたのである。


砂漠の調査に出ていたネスが急遽戻って来て、会談はサーヴの不利益がないよう無事に終わった。


「さすが、元ご領主様」


彼が小さな声でネスに称賛を送っていたのは誰にも気づかれていない。


 明けた今日、兵士たちは交代で休みをもらえることになっていた。


ハシイスは下っ端ゆえ、そのまま町の警備の任務に就き、先輩兵士たちは先に休みを取った。


そこへ町の最有力者である地主のミランから呼び出しである。


若干の不安があった。


「ネスティ様は少し常識外れのところがあるからなあ」


ノースターでの奇行を思い出し、苦笑いを浮かべる。


ハシイスは昨日の話し合いで何かあったのではないかと思いながらやって来た。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「ネスがいなくなった」


「え?」


ミランの言葉にハシイスの顔は一瞬で青白くなる。


彼の胸に浮かんだのはノースターでの領主喪失時の光景だ。


子供たち皆で泣き喚き、大人たちの怒号は国軍の兵士たちを取り囲んでいた。


わなわなと震えるハシイスの肩に鱗で覆われた大きな手が乗った。


「消えたわけではない。 我が主、ネス様は『必ず戻る』と約束された」


ハシイスは涙の溜まった目でソグを見上げる。


「ほ、ほんとうに?」


ミランには、向かい側に座る若い兵士がどうしてここまで動揺し、震えているのか分からない。


ただ、ネスの行動をソグにだけ責任を取らせることは出来なかった。


住民の不安が亜人であるソグにどう影響が出るか、分からないからだ。


「ソグ。 悪いがこいつにだけは詳しく話してやって欲しい」


この町の者には話せない事情はあるだろうが、ネスの正体を知っているハシイスならば大丈夫だろう。


ミランはそう判断した。




 ソグはミランにも隠さずに話すことにした。


「ネス様は砂漠を渡り、エルフの森へと入られた」


「エルフの森?」


ソグはあまり喋ることが得意ではない。


だから事実をそのまま伝えることしか出来ない。


「エルフの呪術を習得し、解呪の方法を得るために」


「確かにネスティ様の声は呪詛のせいで失ったと聞いていましたが」


ハシイスはネスが戻ると約束したと聞いて少し落ち着いた。


ミランは鉱山のこともあり、呪術に関してはネスがいつかは動くだろうとは思っていた。


「しかし急だな」


どうしてミランにさえ何も言わずに旅立ったのか。


「先ほど申し上げたように、想い人のためだ」


ソグはミランに向かって大真面目な顔で語る。


「想い人?」


ハシイスはそっちのほうは知らなかったようだ。


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