第7話 その頃、町では 2
ハシイスは黙ってソグの言葉に耳を傾ける。
「その女性も呪いを受けている」
ああ、とミランは思い出す。
祭りの夜、ネスと共に会った三人組。
その中の一人の女性は顔の半分を青黒い痣で覆われていた。
ネスは自分の呪いよりもその女性の解呪を優先しようとしているのだろう。
「そんなに急ぐ必要があるのか?」
ミランが尋ねると、ソグは大きく頷いた。
「その女性に断れない縁談がきた」
ハシイスは思いがけないネスの恋愛話に混乱しながらも、
「その縁談を断るためにですか?」
と、座っていても顔の位置が高いソグを見上げた。
「いや、そこまでは我らは口を挟むことは出来ぬ」
他人の縁談に迂闊に手を出すことなど出来ない。
「まあ、ありゃあどっかの高貴な令嬢だろうしな」
ミランが彼女たちの様子を伝える。
魔術師らしい侍女と、一人とはいえ若いが腕の立ちそうな騎士の護衛が付いていた。
ソグはミランに頷き、話しを続ける。
「下手をすれば国同士の諍いになる」
それにはさすがにミランもハシイス同様に驚いた。
だからソグは住民に詳しい話が出来なかったのだ。
ミランは思ったより大事だと顔を顰めた。
「縁談うんぬんより、嫁いでしまえば手が出せなくなるということか」
女性のために解呪をしようとしても、相手の男性が、国が許さない。
そうなる前に、とネスは急いで旅立った。
「ソグ、一つだけ教えてくれ」
ミランは顔を顰めたまま「その女性が嫁ぐ相手はどこの誰だ」と訊ねた。
「南方諸島連合の代表だ」
それを聞いたミランは頭を抱えた。
「あいつか!」
「お知り合いですか?」
ハシイスがオロオロしながら訊くと、ミランは不機嫌そうに答えた。
「残虐非道と言われる男だ。ある意味、魔獣よりもタチが悪い」
そんな男の元へ嫁ぐ女性も、その女性に恋するネスも、ミランは哀れに思った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
自室に戻ったミランは、使用人の女性を呼んでお茶を入れてもらう。
「はあ」
ややこしいことになった、と嘆くミランの前にカップを置きながら、使用人の女性は心配そうに声を掛ける。
「ミラン様、そんなに恐ろしい話なのですか?」
ほんの少しだが声が漏れ聞こえていた。
彼女も既婚女性である。 若い女性がそういうところに嫁ぐ辛さは想像出来る。
「南方諸島連合はデリークトとは古い付き合いだったな。
噂ぐらいは聞いたことあるだろ?」
「はい」
使用人の女性は最近まで砂漠を越えたところにある隣国デリークトに住んでいた。
そのデリークトの港から沖合にある島々をまとめたのが南方諸島連合である。
「南方諸島連合の代表はまだ若い男性でしたね」
「ああ、歳は俺の少し上だったかなあ」
その国の慣例ということで何人も妻を娶っている。
「気になる女性はとりあえず攫って身近に置くらしいな」
ミランは女性の顔をじっと見る。
この女性は砂漠を研究していたネスが拾ってきた。
砂漠で娘ともども行き倒れていたのだ。
何とか命は取り止め、二人は今、ミランの屋敷で働いている。
彼女は砂族と呼ばれる少数民族であり、何があったかは分からないが、住んでいた村から逃げて来たそうだ。
「私も不本意な結婚をしたものですから、そのお嬢様のお話は身につまされます」
富豪や名家、国の重要な家柄の娘などは政略結婚の駒でしかない。
それはごく普通の話だった。
この砂族の女性の場合は少し違う。
少数民族ゆえ、血を残すために同じ種族同士の結婚を強要されたのである。
「だけど、心まではどうにもならんよなあ」
ミランはお茶の入ったカップを受け取り、すうっと鼻から息を吸う。
使用人の女性が入れてくれたお茶は、ほんのわずかお酒の匂いがした。
ミランは口元をうれしそうに歪めてグイっと飲む。
「でも、女性自身にはどうすることも出来ません」
彼女の言葉は、ネスの想い人の現実、そのままである。
この砂族の親子は逃げることを選択した。
無謀というか、度胸があるというか。 ミランはこの女性のそんなところも気に入っている。
だがその令嬢にすれば、家のため、国のためと言わたら、逃げることも出来ないだろう。
「そういや、お前の旦那のこともどうにかしなきゃな」
「ミラン様」
頬を染めた女性が俯く。
この二人はごく最近、恋仲になった。
しかし、彼女には夫がいる。
別れさせるためには相手を説得しなければならない。
「ネスに知恵を借りるつもりだったんだが」
サーヴの町の若者に人気だった食堂の看板娘をサラッと大工の嫁にした。
娘の強面の父親も、恋敵だった町の連中も、
「ネスさんが仲人なら仕方ない」
と納得した。
それほどネスは町の者たちには人気があった。
ある日フラりとやってきた若い魔術師。
路上の子供たちを救い、潰れかけの店を立て直し、食料を調達してくれた。
「皆、感謝してるんだよな」
だけど、住民がネスのために何か恩返しをしたことがあっただろうか。
後ろめたさもあるのか、町の者たちはネスのいうことは良く聞くようになった。
「祭りの夜の、あの姿を見りゃ、あいつが長年苦しんでたんだろうってのは分かる」
ネスは、全くといっていいほど金や名誉に興味がなく、エルフや綺麗な女性にも見向きもしない。
その理由があの顔に痣を持つ女性だったのだとミランは知った。
「年上の俺があいつを頼ってばかりじゃなあ」
ミランは自分を見つめる女性の顔をしっかりと見返し、微笑む。
「心配するな。 ちゃんと話はつける」
「はい」
ミランは女性を引き寄せた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
地主屋敷を出たハシイスは、自分の不甲斐なさに唇を噛んだ。
峠の見張り台にある兵舎に戻ると、先輩の兵士に謝りながら任務に戻る。
しかし頭の中は今日のソグの話でいっぱいだ。
(ガストス様や、クシュト様は知っていらっしゃるのだろうか)
自分の上司である引退した兵士たち。
ハシイスは彼らに元・ノースター領主であるネスティの近況を伝えるという任務に就いている。
元・領主の青年は金髪緑眼から黒髪黒目という姿になっていた。
北の領地から国中の魔法柵を修理しながら旅をして、今は最南端の砂漠の町にいる。
ハシイスは王都で、上司であるクシュトから、その砂漠が王族と関係があることを教えられた。
「あいつはあれでも王族のひとりだ。
国のために、民のために、何か出来ることを探しているんだろう」
どんなに王宮の貴族たちに疎まれていても、他の王子たちに嫌われても。
そんな中で、彼はひとりの男性として、ひとりの女性に心を捧げていた。
ミランの話では北領に来る前からの、もっと昔からの知り合いのようだったという。
その夜、ハシイスは出来るだけ淡々と書いた報告書を、王都へと出す。
罵倒される返事が来ることは覚悟の上だ。
それよりも、そんな事情も知らず、自分がちゃんと彼を見ていなかったことに苛立っていた。
「俺は何も知らなかった」
ハシイスはギリッと歯ぎしりをする。
悔しいのは知らなかったことじゃない。
自分はあんなに近くにいたはずなのに、そんなことも分からなかったのかということだ。
子供たちの世話をする元・領主の青年の姿を、相変わらずだとため息を吐いて。
自分たちが置いて行かれた不幸までぶつけて。
「うっ、うぅ」
ハシイスは零れた涙を、声を押し殺して拭った。
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