第10話 異形ノ器達

 登場するは、この地に幕府を開闢した男の怨霊であった。


「――天海ィいいいいいいい私はぁあああああああスルガへぇえええええええ!!!!!」


 天守を崩して出張ってくる巨大な狸、野太い声で叫んでいる。


「あれが、家康公」

「死後側近だった坊主に自分の宗派の権威付けのために改葬された」

「その結果が狸山の狸への憑依ですか。

 クノウ山にずっとそっと置いといてやればよかったんでしょうか?」

「さぁね、お偉いさんなんて大概ままならないものでしょうから。

 それがラクーンドッグキャンセラーの副次作用で表出したわけね」

「神として祀られても故郷から魂を引き剥がされたとしたら――あまり報われないな」


 挙句コウシンエツから西南はラクーンドッグキャンセラーへの防疫措置が早期に固まって、狸らがそちらへ向かうことは叶わなかった。その結果の代替行為がメイレキ年間に灼けおちた自身の元居城の天守へと向かうことだったとは。


「わびしいものね」

『だが彼という“神格”をもとに旧首都圏の狸は束ねられた。

 一網打尽とするのはまさに今日このときから始まるんだ』

「?」

「どうかした?」


 村正は見開いていて、既に鋳造の話を聞いていなかった。


『なぁ由比、きみらの目にはいまなにが映っている?』

「なにか、誰か浮いています、女の子です――右腕が、狸の毛皮で接(つ)いである」

『それって』

「千子っ!!?」


 すると村正はコックピットを開いて叫んでいた。

 しかし答えたのは天守の傍で宙に浮いた娘ではなく、天守から出てきた一際大きな狸である。そしてやつは村正を見ると言った。


「これは道化ではないか」

「なに?」


 先ほどまで怨嗟に叫ぶばかりだった野郎が、豹変したかのように饒舌である。


「“楽”だったかな、お前を喰らったのは?」

「えぇ」


 千子は肯き、答えた。


「千子っ、お前なのか! 生きて――!」


 村正は呼びかけ続ける、しかし千子の彼を見下ろす視線は冷たいものだった。


「私を助けてくれなかったひとです。

 私の腕を奪ったひと」

「!」

「それはそれはかわいそうに……」


 由比は悪趣味な狸らと村正を交互に見る。


「あれが、妹さん?」

「由比さんにも見えてる、幻覚でも幻聴でもない、のか」

「もしくはふたりして狸に化かされているのかしら。

 あの子、浮いてるけど」

『そうなったらなにが来てもおかしくない、警戒は怠るなよ、ふたりとも』

「わたしはとかく、――村正くん、無事?」

「……そこにいるんだな。

 どうしてこっちに戻ってきてくれない?」


 理解力のない兄に、妹は厭きれている。


「あのとき、私の腕に怯えていたでしょう。

 あのときただの腕を忌まわしいモノに変えてしまったのは、あなたですよ、お兄。

 おかげで私はもう戻れない――だから、死んで」


 そして狸色に染まった彼女の腕の輪郭が歪むや、直立する彼女を“支え”にして、狸色は世界を飲み込んだ。コクピットを閉じて村正は防御姿勢に移るが、遅い。


「なに!? アラート!!?」


 由比が緊迫感を含んだ声をあげる。

 タヌキヲンのモニターは狸の毛色の茶一色で塗りつぶされていく。


「村正くん、殻を脱いだ状態であれを受けるのは非常にまずい!」

「でしょうね、くそっ!」

『お兄は女連れで楽しくていいよね、わたしのことなんて忘れてのうのうと――』

「!?」

『だからわたしはあなたを絶対に許さない』


 狸色が破裂すると、周囲にはタヌキヲンの周囲には蛆虫でもそうしているように無数の巨大狸がたかって、アラートがこれまでにないほどけたたましく鳴り響いている。


「なんなんだこいつらは!!?

 気持ち悪い!」

『なんだ!

 いったいなにが起こってる!?

 ――状況を報告しろ!』

「村正くん、“化かされないで”!

 たかってるやつらすべてが本物とは限らない!」

「そういうこと!」


 由比の言葉をヒントに村正はタヌキヲンの額の木の葉で妹の放った異能に対処する。

 “虫喰い”、知性を得た狸の用いる幻術への耐性を有しているのだ。

 しかし、


「!!?」


 確かに術はすぐ解かれたが、いつの間にかより強大な二匹が機体に貼りついてぶらさがっている。


「陰八相の余りものか!

 村正くん!!」

「っ――らぁあああああ!!!」


 二匹を力業で撥ね退けると、タヌキヲンも後退した。


「まずい、家康の周辺にいると陰八相の狸もそのぶん強化されてる」

「そのようですね、骨が折れる」

「体勢を立て直すしかない、ここは一旦退いて」

「俺にはっ、……千子をここには置いていけない!」

「待って!」


 コックピットをふたたび開いて、村正はタヌキオンの装甲のうえへとよじのぼり、そこへ立ったなら、異形の腕になった千子と家康をきっと睨みつける。


「千子を、返してほしい」

「ほほう小僧、この娘を生かしておいてほしいか?

 ならばタヌキヲンとかいうのの霊核を抜いてその器を寄越すがいい、タヌキニティに成り代われば、もはや私を止められる存在などいない」

「その子は俺の妹だ、なんで条件なんて設けられなきゃいけないそんなのおかしいだろう」

「これは我という天下太平を齎した神との交渉だぞ?

 なぜただで大事なものが手に入ると思っている?」

「自分の世話も見れない神様にどうのこうのしてもらいたかないわな!」


 村正はいい加減に苛立っていた。


「大体、なぜ千子なんだ!」

「確かにほかの誰でも役は務まったのか、だが因果なものよな、まさかタヌキヲンに身内が乗っていようなどと、千子も我も露程も思わなんだ」

「?」

「私が“楽”の胃袋からこの娘を選び引き取ったのは、それはひとえに」

「――」


 村正は息を呑んだ。


「“名器”の持ち主だったからだ、端的には我が側室の席に加えたい」


 村正は家康のその言葉を飲み下し、やがて意味を了解すると、


「くたばれロリコン狸糞親父がっつ!!!!!!?」


 罵倒した。


「私のどこがロリ体型だっていうのお兄?」

「千子?」

「やっぱり死んで」


 ふたたび異形の腕がのたうち、村正に襲い掛かる。

 しかし、


「!?」


 村正を庇った影がある。

 背中に浅くだが傷を負って、裂けた上着から白い肌の背中にぱっくりと血の一閃を引く、


「由比さん!!?」

「っ」


 そのままコクピットまで引っ張られ、放り込まれる。


「退いて! お願いだから!」

「……でもっ!」


 そして彼女は千子の襲いくる腕にすでに掴まれている。

 このままでは、


(千子に由比さんが殺される)


「だめだ、それはだめだ!!」

「きみだけでも退くの!」

「――千子っ! そのひとを離せ!

 でないと俺は一生お前を許さないからな!」


 村正は決心だけは確かで、自分の存在が千子を逆上させても、この場でなにをすべきかは見失っていない。

 だから由比の胴を抱き締め、狸の異形の腕を振り払おうとし、あと少しのところで及ばない。

 が、ふたりを捕らえているふさふさした腕は、急に拘束力を失った。


「痛っ」


 背中の傷に触れて、由比の温い身体が痙攣する。


「少しだけ我慢して……ください!」


 彼女を抱えた村正は、異形の腕を蹴って拒絶したなら、コクピットにふたたび潜り、すぐにタヌキヲンは後退を始めた。

 その様子をまた千子は冷たく暗雲が垂れる空から見下ろしていた。


「また私を置いていくんだ、お兄ちゃん」

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