第4話 人ノ味ヲ知ッタモノ

 もはや狸の徘徊する脅威のために開店休業状態となったバス会社の路線図を頼りに、チョウフ駅南口からフタコタマガワ駅まで東南東に移動していた。

 低空を低速度で移動しやすいほうが、狂暴化した狸たちを下手に目をつけられず、挑発しないのだという。


「タマ08経由、フタコタマガワ駅行きでございます」

「いまどき止まった路線バスのアナウンスなんて呑気に覚えているわけ?」

「気分の問題だ、それに狭い道はさきに見切って端折っていることだし」

「……、なぜあれを埋葬した?」

「犬猫をそうしてやるようなものだろう」

「あの陰八相とかいうのの二匹はひとを喰ったんだぞ?」

「そうだな、ひとの血肉と魂の味を憶えた狸だよ。

 ひとが一番恐怖するのは喰われることだと言うそうだが、するとあれはもっとも惨い連中だ。

 だが、死ねばみな仏だからなぁ」

「けっ──なにが仏だ、あれがそんな尊いものなわけがあるものかよ」


 それにこの狸、仏教であるのかすら怪しいところだ。


「だが何故あの二匹、チョウフに現れたものかね」

「知るか」

「でもそれがなければ、少なくともきみの妹さんが喰われる、という事態にはならなかった可能性はあった。

 死ななかったかは知らんがな」

「っ」

「そう、人の肉を喰らうのは主に陰八相──ただし八相縁起ではなく表情などの様子にあてがったとされる、言わば八面相的なものと今日では考えられてるが、喜怒哀楽、意馬心猿の四字熟語それぞれの八文字を割って喜、怒、哀、楽、意、馬、心、猿と各自に呼称されている、群体を束ねる頭目らだ。

 だがほかの狸が喰わないという保障があるではない、なんせ八頭も本来普通の狸であって変異種というわけではないんだからな」

「人の肉の味を覚えた熊と同じか。

 変異種でないといったところで、それはラクーンドッグキャンセラーの撒かれる前の基準でしかないじゃないか」

「そう、あれのためにカントーの狸は一斉に巨大化した。いまとなって遺るのはそれへの耐性と人間への深い憎悪を植え付けられた種だ。

 そして彼らが人の肉を喰らったことに、彼らなりの変化はあったのだ。

 狸というのは通常、単独もしくは一夫一妻のペアで生活するものとされ、家族単位で三から五頭のグループで活動するとも言う。餌付け次第では10頭を超える空間グループの形成もあるようだが、陰八相のあれは家族のそういうのとは違い、単純に強者が弱者を侍らせているんだ」

「?」

「やつらは人肉を日々糧としたことで、やがて知性を得た。これが一人や二人程度だったなら、そういうものに覚醒することもそうなかったが、中毒症状を乗り切った末の特に強固な八つの個体がそう呼ばれるようになった。

 そして頭目らは知性を得た故にそれまでの狸に有り得なかった“縄張り”や“結託”という手段を身につけた、それだけでも実に驚異的だ」

「……」

「復讐が済んで、少しはスッキリしたか?」


 村正は問われて、首を横に振る。


「なにも残ってなどいないさ。

 達成感というほどのもない、狸はあまりにも多くて、自分だけが幸運にも業を拾えたつもりになってる。死んだひとは何も救われちゃいない、それなのになにを満足できるんだよ。

 でもやらなければ、俺は人として大事なものをまた無くしていたと思う。確かに、あの“楽”というやつが千子をっ……喰ったのは確かなんだ。

 わかりやすい目印があった、右肩に開けた白い古傷」

「なるほど、そうそう見間違えようもないわけか」

「あんたには感謝してる、俺が取りこぼしてきた報復の機会をそれでも与えてくれたことには」

「つけはデカいぞ」

「これから何をしようってのさ。

 この信楽焼で、狸らを皆殺しか?

 此奴があれば可能だよな、どうして今まで誰もやってこなかったんだ」


 復讐にひとつの終止符を打った少年は、もはや狸を狩ること即ち生き甲斐としようとする。家族の命を目の前で慈悲なく奪った連中を憎悪し、闘争に身を投じよう、実に退廃的な思考であり、しかしこの時代のカントー民は彼のような滾らせる憎悪を無力なために押し殺しているのだから、タヌキヲンの圧倒するのに魅入られるのは必然と言っても良いだろう。

 しかし、そんな彼を見て鋳造は嘆息した。


「別に若さゆえの前のめりを求めてはいないよ。

 きみは自分のことしか言わないのな。

 いいか少年、私ときみの目的は違うところにある、それはきみもすでになんとなくわかっているんじゃないか?」

「……」

「私が君にやらせるのは、狸を殺すことも無論含むが、なにもそこに目的があるわけではない」

「じゃあ、なにをするつもりだよ」

「簡単なことだ」


 鋳造は言った。


「狸を救ってやるんだよ」

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