三話 ネコ橋

 あれから少し歩いたが、雨がやむ気配はない。なにがお洗濯物日和だ。家では母が大急ぎで服を取り込んでいるところだろう。そしてこの雨からして、ネコ橋は大荒れだろう。

 僕の家は学校から徒歩10分の距離にある。ルートは家を出てネコ橋を渡ってバス停を横目に学校へ向かう。殆ど一本道である。その通りにあるのがネコ橋。正式名称はなんだったか忘れたが、きっとありふれた名前である。そんなことよりも何故、ネコ橋と呼ばれるようになったかと言うと、何年もの間、ネコ橋の下にはネコが捨てられるようになったからだ。産みすぎてしまった、飼えなくなってしまった、病気を患わってしまった等の理由だろう。たしか母親が近所の人から聞いた話によると、二ヶ月前もネコが捨てられているのを発見した人が居たらしく、保健所に連絡したそうだ。ネコのその後はお察しだが、里親が見つかった等の良い知らせを聞いたことがない。その殆どは、二ヶ月前のネコと同様に保健所に連れていかれたり、食べ物にありつけなくて餓死したり、今日のように強い雨の日に川へ転落してそのまま溺死する等の悲惨な最期を迎えている。

 僕はその日、なにを思ったのかネコ橋の下を確認してみることにした。もしネコが捨てられていたとしても、母が猫アレルギーな時点で、保健所に連絡するしか対応ができないことも理解していた。それでも、自慢できない小さな正義感が僕を動かしたのだった。

 ネコ橋は横幅5m・縦幅10mと、とても小さなものだった。僕等の住んでいる町は田舎だから、ネコ橋の周りには住宅しかない。それに、住宅もネコ橋に隣接しているわけではなく、川を縁取るような形で生えている並木林を挟んで建っている。春になると桜が満開になり、土手でお花見をすると凄く綺麗だと母が言っていたが、今は冬なので寂しげである。

 僕は傍にある階段から土手を降り、橋の下へと足を進める。傘をさしていても、足元は濡れる。歩いてここまで来る途中に何度も水溜りに足を入れたし、今も川が荒れているせいでコンクリートの地面はベタべタだ。ネコなんていたら凍え死んでしまうのではないかと、ネコに詳しくない知識で想像していると、目の中に信じたくない光景が飛び込んできた。


「ニャー」


 ネコだった。小さなミカン箱のダンボールに寝転がっていた。僕は思わず後ずさった。本当にいるなんて思っても見なかったからだ。

 真っ黒な毛のネコは、両手に収まってしまうのではないかと思うくらい小さく、腹を鳴らしながら小刻みに震えていた。

 まったく、この日本にはろくな人間がいない。神に似せて作られた人間よりも可愛らしい生き物を捨てるなど、あってはならない。しかし、今の僕には何もしてやれない。空腹を満たしてやろうにも食べ物がない。温めてやろうにも毛布がない。ただ、気休めにもなりはしないだろうが、撫でてやるしかできなかった。すると、パシャパシャと水を弾く音が聞こえた。上からだ。橋を誰かが渡っているのだろうか。すると、寝転がっていたネコはおもむろに立ち上がった。足音が遠くなったかと思えば、近づいて水を弾く音が小刻みになった。階段を降りているのだ。僕はさっきまで使っていた階段の方をみる。すると、クラスメイトの女子が傘もささずにそこにはいた。


「え?」


 クラスメイトの女子は、僕が橋の下にいるのがそんなにも不思議なのか、おもわず疑問しか浮かんでいなさそうだ。

 僕はクラスメイトの名前は、ほとんど覚えていない。学級委員なのに。そもそも、僕は友達が少ない部類の人間であるから、名前を知らない人間がいてもおかしくはないのだ。当然、向こうも僕の名前を知らないはずだ。それならば、何の問題もない。いちいち、見たことある人間の名前を覚えるのは面倒な話だ。


「舟橋くん?」


 しかし、彼女の場合は異例だ。僕も彼女の名前は知っている。何故かというと、彼女はクラス単位を超えて学年単位でも有名だからだ。


「平沢さん?」


 平沢ノゾミ、彼女の名前はそういった。たしか、ネコの里親を探しているはずだ。一週間ほど前に、里親募集のチラシを校内に貼っていいかと、僕に許可を得ようと話しかけてきたから覚えている。そして僕は担任に言えと、平沢ノゾミを突き返したのも覚えている。


「舟橋くんじゃん、どうしてここに?」


 平沢ノゾミはリュックサックを背負っており、中から重い金属音が聞こえた。そのまま彼女は橋の下へと小走りで入ると、黒猫が生きていることを確認した。


「たまたまだよ」


 そのまま、リュックサックからバスタオルと暖かそうな赤色をした毛布をとりだすと、毛布を僕に押し付けてきた。


「たまたまじゃこんなところには来ないよ」


 僕がおとなしく受け取ると、平沢ノゾミはバスタオルで猫についた水滴を丁寧に拭き取ると、僕の持っている毛布と交換にバスタオルを押し付けてきた。そのまま僕はおとなしく受け取った。


「たまたま、橋の下が気になったのさ」

「そんな風に、隠したりしなくてもいいよ。普通に嬉しかったし」


 平沢ノゾミは、まるで僕が平沢ノゾミに何か隠し事をしていて、それを彼女が知っているという風に言った。僕はその話し方が気になったのだが、当然図星というわけではない。本当に、僕は何も知らない。

 そんなことを考えていると、平沢ノゾミも、僕が何も隠そうとしていないことを察したらしい。


「え、舟橋くんが猫ちゃんの世話をこっそりしてたんじゃないの?」


 何の話かさっぱりわからなかった。たしかに僕は猫派ではあるが、それほど猫が好きというわけではない。聞く話によると、猫派の中でもモフリストと呼ばれる狂愛者は、猫を見た途端に撫でたくなるそうだ。しかし僕は違う。擦り寄るものなら撫でてやらんこともないが、自分から好き好んで撫でようとはしない。今回は、たまたまこの黒猫が可哀想だと思ったから撫でたが、普段ならそうはしない。そんな僕がネコ橋の下までわざわざやってきて、こっそりと餌を与えているわけがないのだ。夢遊病だとしたら完全否定はできないが。

 僕が首を振って違うことを訴えると、平沢ノゾミも首を傾げて考え事を始めた。


「じゃあ誰だろう、猫ちゃんの世話をしてくれてた人」

「平沢さんだって世話をしているんじゃないの?」

「ああ、私も勿論世話をしてるよ。缶詰を持ってきたりね!」


 平沢ノゾミは笑顔でリュックの中身を見せてきた。なるほど、意外にも響かない金属がリュックサックの中に入っているんだなと思ったら、ネコの缶詰だったのか。たしかに、ネコの缶詰同士が接触しても大きな音はならない。


「けどね、私が缶詰を置き忘れる日には、絶対にシーチキンの缶詰が置いてあるんだよ。私はマグロ味しか持ってこないから私じゃないのは確実なの。だから、いつも缶詰を持っていく時間より少し遅い今日、ネコ橋の下にいた舟橋くんが、猫ちゃんにこっそり餌をあげてたのかなーと」

「残念ながら違うよ」

「そーなのかー」


 最後まで聞いてみた感じ、特におかしな点はない。ちゃんとした筋の元、成り立っている話であるから、僕を『黒猫に餌を与える人物』と間違えた理由は把握できる。しかし、僕ではないのは確かだ。それに、この橋の下に猫が捨てられるのは、この街に住んでいれば誰もが知っていることである。自宅では飼えないものの、情の心からこっそりと餌を与えている人間がいても不思議ではない。


「それにしても、このサイズの猫が食べるには少し多いんじゃない?」


 平沢ノゾミのリュックサックの中にあった缶詰の数は4。缶詰を食べられるようになった猫が食べるにしては、少し多い気がした。でも、もしかしたら、猫という生き物はこのくらい食べるのが自然なのかもしれない。僕が知らないだけで。


「うん、少し多いよ。多めに持ってきたの」

「どういうこと?」

「今夜はこの子にご飯を持って行ってやれないから」


 なるほど、平沢ノゾミにはなにやら事情があって、その事情故に多めに缶詰を持ってきていたのか。

 そう考えながら黒猫を見てみると、よほどお腹が空いていたのかシーチキン味の缶詰を貪り尽くしていた。その必死さ故に口元には食べカスがこびりついていて、それを平沢ノゾミが拭き取ってあげていた。不良が雨の中、捨て犬を拾っている瞬間をヒロインが目撃して恋に落ちる展開があるが、よく分かる気がする。

 そんなことを思っていると、平沢ノゾミが僕に言ってきた。


「あのさあのさ、舟橋くんがこの猫ちゃん貰ってくれない?」

「僕は無理だ」


 即答した。


「どうして?」

「母親が猫アレルギーなんだ」

「そっか、残念」


 平沢ノゾミ肩を落としてしまった。


「でもさでもさ、こっそり飼うとか庭で飼うとかできたりしないの?」


 平沢ノゾミは負けじと僕にネコの里親になることを押し付けてくる。勢いのある頼み方に、母に頼んでみようかな。という気持ちに少しだけなったが、我に帰るとどうやって拒否しようか考えることにした。


「こっそり飼うにしてもそれは平沢さんでも出来ることだし、庭で飼うのもネコ橋の下で飼うのも変わらないでしょ」

「そっか、残念」


 平沢さんは先程以上に肩を落としてしまった。

 こっそり飼えないこともない。母から隠す場所もあるのだが、それよりも何故僕が母から隠すようにして、平沢ノゾミのためにしてやらねばならんのだと思ってしまった。あまり話したことのない間柄だったからより一層、その思いが強かった。好きな女の子に頼まれたりしたら別だが。


「じゃあさじゃあさ!」

「もういい。これ以上、どんなに頼まれても家では飼えない」

「わかったよ。おとなしく引き下がる」


 最初に断られた時点でそうするべきだ。

 直接言ってやろうかと思ったが、流石に女の子にそんなことはできない。平沢ノゾミはきっと落ち込んでしまうだろう。気まずくなっても明日から困るのは僕の方だ。


「じゃあ最後に。舟橋くんの方でも、里親を探してくれないかな? 仲良い友達とかに」


 僕には仲の良い友達が少ない、というか殆ど1に近いくらいしかいないのだが、その微かな希望が僕の頭に浮かんだ。


「わかった。明日にでも連れてくるよ」

「え、ほんと? それってホントにホント?」

「うん、1人だけアテがいそうなんだ。前に、平沢さんが猫の里親を探していることを気にかけていたし、多分飼ってくれるんじゃないかな」


 そう。今日の放課後、山田トモミが里親探しで町中を走り回っているという平沢ノゾミの件について話してくれた。あれから1週間経つけど里親は見つかっていないそうだとか、近所の人に保健所に連絡される前に里親を見つけなければとか等。必要以上に、ネコの里親を探しているようだった。

 山田トモミならきっと、平沢ノゾミの力になってくれるだろうと思った。


「ありがとう! さすが学級委員だね! これからは困ったことがあればすぐに舟橋くんに相談することにするよ!」

「それはそれで困るんだけど。それにまだ里親が決まったわけじゃないし」

「まーたそんなこと言っちゃって! 希望が高いから紹介してくれるんでしょ?」


 間違ってはいない。だが、平沢ノゾミにことを進められるのが少し癪なだけだ。


「明日、ここに待ち合わせしないか?」

「明日? 明日ってクリスマスだよね」

「そうなるね」


 クリスマスに誘うのは少し違っていただろうか。別に他意があるわけでもない。


「舟橋くん、私という女の子をクリスマスに誘うなんて、なかなか大胆なことをするじゃないの。私に彼氏がいなくて良かったわね!」


 たしかに平沢ノゾミに恋人がいなかったから良かったが、それを自白したのには何も傷つかないものなんだな、女子って。

 それとも、能天気そうな平沢ノゾミだからだろうか。山田トモミのような真面目で繊細そうな女の子だと、クリスマスに予定がないことが苦になるのだろうか。そうなると、明日一緒に過ごさないかと誘ったとしても、強がりで予定があると答えてくるかもしれない。そうなると、未来の僕のような結末になってしまうのだろうか。

 ならば、どうにかして山田トモミとクリスマスを過ごすための誘い方を考えなければならなくなる。


「ああ、わかったよ。それと、傘がないなら入っていく? 僕はそろそろ帰ろうかと思ってるんだけど」

「え、ナチュラルに相合傘とは隅に置けない男子だね舟橋くんって。でも、そんなこと言ってられないくらい寒いので入らせてもらいます。変な噂とかになったら、舟橋くんのせいだからね」

「はいはい」


 僕はそう告げると、橋の外へでた。猫が心配そうな平沢ノゾミは、雨漏りをしておらず、知っていなければ猫を発見できなさそうな橋の隅に隠した。そして、僕の傘の下まで来るとこう言った。


「明日まで絶対に見つかっちゃいけないから隠しておいた!」


 そうかいそうかい。

 僕は少しの遠回りになったが、平沢ノゾミを家の前まで送った。もしかして、遠回りさせちゃった? と、余計な心配をしてきたので、僕は通り道だから気にしなくてもいいと、愛想よく伝えた。

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