二話 大雨

 目覚まし時計を止めて布団から這い出た。寒くて凍死しそうだった。清々しいのだろうけど、あんまり好きじゃない青空だ。

 1人で朝食を頬張りながらテレビで天気予報をみる。母はすでに仕事に出かけたのだろう。今朝はトーストにした。降水確率は2%で絶好のお洗濯日和だそう。ポケットから手紙をとりだして未来の自分からの手紙を見る。降水確率は2%と書かれている。こうとドンピシャだと、怖いくらいである。

 二階にある自室で制服に着替え、僕の遊戯室となっている地下一階の個室へと移動する。もともとは集中するためにオーダーメイドで作った仕事部屋らしいけれど、現在父は転勤しているので使っていない。代わりに僕が使っているのだ。狭くて暗くて居心地がいい。部屋の唯一の光源は黄色い光の電球であり、これも温かみを感じていい。父の転勤が終わるまでは自由に使ってやるつもりだ。

 地下室は2畳分の狭さで、ボロい机の上に赤いマットが敷かれ、万年筆とカレンダーの様に破るタイプのメモ帳が置いてある。そして、すぐ横には文字の書かれた手紙が3通。2029年からの手紙だ。僕はそれらを手に取ると、透明なクリアファイルに先ほどポケットに入れていた手紙と一緒にしまい、カバンの中に入れると、ビニール傘を忘れずに家を飛び出した。

 僕はこの手紙のことを信じている。未来の自分から手紙が届くなど、非現実的であるには違いないのだが、この手紙に書かれている通り僕はSFが好きなのである。それに、ミステリーも好きだ。だから、探偵気分で、僕の大切な友人が死んでしまうという未来を変えたかった。探偵ごっこか友人を守るためのどちらに意識が寄っているかと問われたら、もちろん友人を助けたい方に決まっている。だけど、ワクワクしてしまっているのも事実。だって、あんまり高難易度な事件というわけでもなさそうだからだ。

 殺人事件なのか、はたまた事故死なのか置いておいて、この世から去ってしまう10年後も大切だと思える友人は1人しかいない。それはクラスメイトの山田トモミだ。つまり、僕は山田トモミを12月25日に家から一歩も出させなければ良いことだ。それか、僕と一緒にいれば安心だろう。だから、簡単な事件なのだ。


「おはよ」

「あ、山田さん。おはよ」

「今朝は寒いね。それにクリスマスイブだってのに学校あるとか、自称進学校は面倒臭いよね」

「学級委員がそんなこと言っていいの?」

「君にだけは言われなくないわ」


 黒縁メガネを掛けた山田トモミは、僕がどうやって12月25日に山田トモミと一緒にいる口実を作ろうかと考えていたところにやってきた。

 そして、不自然な光景を目の当たりにした山田トモミはすぐさま疑問に思ったらしい。


「どうして舟橋くんは傘を持ってきたの?」

「降水確率は2%らしいからね」

「だから不思議なんじゃない。ニュースを見たのに傘を持ってきたって、相当変わってるよ」

「残念、今日は雨になるハズだよ」

「もしかして、今日も届いたの? 10年後からの手紙」

「うん、そうじゃなきゃ、こんな目立つことしないよ」


 僕は山田トモミに、昨日の夜届いた手紙について話した。でも、山田トモミが死ぬ可能性があることは伝えなかった。だって、彼女が臆病であることを知っていたからだ。

 僕と山田トモミが出会ったのは4月の入学式。同じクラスだから当たり前だろう。僕が通う高校には、クラスから男女1名ずつ、学級委員を選出しなければならない。メガネをかけた彼女が立候補したのをみて、僕も続けて立候補した。山田トモミに一目惚れしたからというわけではなく、彼女が真面目そうだったからだ。真面目な人と同じなら、僕がサボり気味でもなんとかなるはずだろう。そう思った。

 案の定、彼女は真面目で仕事熱心だった。でも、熱心すぎた。僕が少しでもサボろうとすると、狼の様に睨みつけては威嚇する。僕はそれに逆らうことなく仕事をする羽目になっていた。弱点さえ、発見できたら立場が逆転するはずだとあれこれ模索した結果、彼女が怪談や血が出る系のドラマやアニメを苦手とすることがわかった。それからは、定期的にサボれている。


「ふーん。じゃあ、10年後の舟橋くんが今の舟橋くんに伝えたかったことは、今日は雨が降るから傘を持っていけってこと?」

「そうなんじゃないかな。それか、また明日に手紙が届くかも」

「きっと届くよ。だって、そんなことくらいで手紙をよこしたりしないでしょ」


 山田トモミが臆病だと知った矢先、僕の元へ10年後の僕から手紙だ届いたのだ。僕はどうせ母の悪戯だろうと思ったが、ちょうどその日は学級委員の仕事があったので、これを都合に仕事をサボってやろうと思ったのだ。すると意外にも、山田トモミは怖がらず、それどころか興味を示し始めた。どうやら、山田トモミもSFやファンタジーを少々嗜むようだ。それから、山田トモミには手紙のことを教えている。その度に、山田トモミは楽しそうに僕の話を聞いてくれるのだ。女子と交流のない僕にとって少し嬉しい反面、僕の元へ手紙が届く地下室を、エンターテイメントが飛び出す箱かなにかと思っている節があるのでやめていただきたい。


「そうだといいな」


 手紙が書かれた時期は不定期と言えど、届いた時期は定期的である。毎晩、地下室のメモ帳に書かれているのだ。ポストに封をされて入れられているわけではなく、僕の家の地下室に届く。初めは、母が悪戯心で書いたものかと疑ったが、母の様子からして違う様だ。父は単身赴任でいないし、僕に兄弟はいない。つまり、あれらの手紙は本当に未来から来たのだ。


「そういえば舟橋くん、目立つのが嫌ならなんで置き傘にしなかったの?」


 ……盲点だった。

 放課後、僕と山田トモミは教室に残っていた。雨が本当に降るのか確かめるためだ。現在時刻は午後4時。雨が降る気配はない。


「舟橋くん、本当に雨が降るの?」

「手紙によれば降るはずだよ」

「降らなかったら、どうするつもりなの?」

「決まってるさ。今度は手紙の差出人を探すんだよ。悪戯にしては出来がいいって、耳にタコができるほど褒めちぎってやるんだ」


 僕は本当に未来から手紙が来ていてほしいと思う反面、手紙は何者かによる悪戯であってほしいと思っていた。この手紙が嘘であるなら、山田トモミが死ぬことはなくなる。そちらの方が、ハッピーエンドだ。


「そういえばさ、今年のクリスマスはホワイトクリスマスになるんだって」

「ホワイトクリスマスって何?」

「え、雪が降るクリスマスのことだよ。それくらい知ってないと。一般教養だよ、これくらい」

「雪が降るクリスマスなんて、なにがいいの? 寒いだけだよ。それに、自転車登校の生徒が、冬は地面が凍って滑るからいつもより早めに家を出なくてはいけなくなるから嫌だと言ってたし。いいことなんて1つもないよ」

「舟橋くんはモテないタイプだね」

「そんなこと、重々承知だよ」


 それから、僕達は他愛もない話をしていた。サンタは今年から来なくなるとか、お年玉は2万円もいかないよねとか、そういえばクラスメイトのとある女子が猫の里親を探しているとか、実は私は置き傘を教室に常備しているとか。

 そんなことを話しているうちに時計の針は5時を指そうとしていた。

 すると、雲行きが怪しくなった。黒っぽい雲が空を隠し始めたと思うと、勢いよく雨が降り注いだ。


「うっわ、こりゃ土砂降りだね」


 目を見開いて外を眺める山田トモミの後ろで、僕は未来からの手紙を見ていた。降水確率2%という、当てずっぽでは当てられない数字に、この土砂降り。気が重くなり始めた。


「本当に未来から来たんだね!」


 そう興奮した様子で山田トモミは外を眺める。なにも楽しくなんかない。僕はこの時になって、ようやく事の重大さに気がついた。なんで僕に手紙をよこしたんだ。そんな責任重大なことを、過去の自分に押し付ける自分が嫌になった。そもそも、未来から僕へ手紙を送っている僕の世界では、山田トモミは死んでいる。だから、僕にそれを阻止して欲しくて手紙を書いた。ならば、未来は変わらないのではないか。10年後の僕も、当時は10年後の僕から手紙をもらっていたことになる。つまり、僕は抜け出せないループの中にいるはずだ。


「みてみて舟橋くん。みんな鞄を傘がわりにしてるよ。傘を持ってきてるのって、私達だけだよきっと。ね!」


 山田トモミは笑顔で僕の方をみた。

 いまから「君はこの手紙よると25日に死ぬことになる」と伝えるのは簡単だ。でも、山田トモミはきっと嫌な顔をするだろう。もしかしたら泣いてしまうかもしれない。恐怖のあまり明日から学校に来なくなってしまうかも知れない。僕は山田トモミの笑顔を守りたかった。守りたくなった。僕は手紙を握りしめてポケットにしまった。そのまま席を立ち、戸締りをしながらこう言った。


「急いで帰ろう。この様子だときっと通り雨さ。雨が降ってる最中に帰らないと、僕が恥ずかしい思いをして傘を持ってきた意味がない。鞄を傘代わりにしている奴らの横をドヤ顔で通り過ぎてやろうよ」


 山田トモミは「うん」と言って僕と一緒に戸締りをし始めた。

 きっと大丈夫だ。他殺にしても事故死にしても、彼女を守ってやれるのは未来を知っている僕だけ。それなら、最善の努力をするまでだ。答えが分かっている試験なんて手の体操だ。

 山田トモミと僕は学級日誌を職員室にいる担任に渡してから昇降口へと向かった。下駄箱で靴を履き替えながら外をみると、何人かの生徒達は通り雨だと予想して雨宿りをしていた。室内部活の生徒だろう。帰宅部はとっくに帰宅している時間帯だし、運動部はまだきっと外で運動に励んでいるはずだ。

 僕達は堂々と傘をさして校門を後にした。

 山田トモミはバス通学だ。自宅からバスで学校周辺のバス停で降り、それから徒歩で学校へと向かう。その途中に、僕とよく遭遇するらしい。よく遭遇すると言っても、かなり遭遇している方だ。先週なんて4回も山田トモミとばったり出会ったのだ。山田トモミが僕と一緒になるために時間を調節しているのではないかと思い過ごしたことがあったが、バスの到着時刻と僕の学校へ向かっている時の時刻が一致することが多かったので、本当にたまたまだろう。

 バス停に到着すると、山田トモミと同じくバスの到着を待ち望む生徒が4、5人いたが、全員が鞄を頭の上に持ち上げていた。

 山田トモミは偉そうな顔で4、5人の生徒をみた後、僕に言った。


「ばいばい舟橋くん、また明日。それと、手紙が届いたらちゃんと私に教えること。わかった?」

「わかったよ。でも、どうせくだらない事しか書かれていないよ」

「そうかしら。ドラクエの最新作なんて興味深いじゃないの」

「ああ分かったよ。くだらないことでも教えるさ」

「そ、ありがとう。じゃあね」


僕はバス停を後にした。

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