始まりの浪漫遊譚

不可説ハジメ

絶望の旗の元

第1話 出会いこそが奇跡を産む。

 人々は逃げまどい、安息の地を探し求め。

 獣達は勝鬨をあげ、蹂躙の牙を剥く。


 人々は未来で“古代種”と呼ばれる強大な力を秘めた存在に成す術無く蹂躙され、捕食され、淘汰されていた。

 

 並みいる強力な戦士がまるでゴム鞠のように蹴散らされ、人類の築いた文化は路傍の花のように踏みにじられ、最強と謳われた英雄は赤子のようにあしらわれ、捕食された。


 戦いに明け暮れ、血で血を洗う様な争いの中、数を大幅に減らした人類は残された人類の中でも争うようになり、数少ない資源を奪い合うために頻繁に抗争が起こるようになった最悪の時代。


 全ての種族が争い、全ての存在が殺し合う最低最悪の地獄絵図。

 未来でこの時代の事はこう呼ばれていた。


 神のごとき力を有する獣が地を支配した時代―――神代と。


 人々に抗う術はなく、抗う意志さえなくただただ死にゆく人類という種を、まるで他人事のように見ていることしかできなかった。


 ―――だが、絶望の中、たった一人、これだけの逆境になりながらも剣を振るうことを辞めない男が存在していた。





 人類の一部が何とか逃げ込むことに成功した大きな鍾乳洞。そこで消費される食料は想像を遥かに超える。だからこそ、口減らしと食料の確保は急務とされ、女性は生産活動の他、戦う力の無い者や、容姿の優れない者、手先の不器用なものなどは優先的に“消費”され、食料調達班に同行し、いざという時の囮にされた。


 そして今日もその“日常”は繰り返されていた。


 それは狩りの帰りのことだった。

 いくらか多くの食料の調達に成功した調達班の男リーガルは満足げな顔を浮かべながら、自慢の顎髭を撫で付けていた。


「まさかブルブル共の群れに遭遇できるとはなっ!」


 ブルブルとはこの時代に人間でも敵う数少ない種族で、小さな豚のような見た目と、自身よりも強大な敵に遭遇するとブルブルと全身を振るわせて威嚇することからそう呼ばれている種族だった。


 リーガルの背後で荷車を引く三名の女は誰もが粗野な、服とも呼べないような代物を身に纏っていた。


 足には何も履かされておらず、荷車を引く際につま先が地面と擦れ、既に全員が足先を赤く染めてしまっている。

 しかし、それでも少女たちは誰一人文句を言わないし、言えない。


 これこそがこの時代の自身達の正しいあり方なのだと、そう理解していたからだ。

 殺されないだけまし。捨てられないだけまだいい。囮にされるよりはずっといい。

 そう思いながらも彼女たちは手ぶらで気ままに歩みを進めるリーガルたち数名の後を追いかけていく。

 男たちは後方の女達を気にした様子もなく足早に進みながら時折談笑までし始める始末だった。


 ―――そしてそんな折、“最悪”は顔をのぞかせた。


 神にも匹敵する獣たちの上位にいる者達には序列が与えられる。だが、たとえ序列を持っていなかったとしても、その力は計り知れない。

 もしこの場に未来から、討伐ランクの選定をしている者達が召喚でもされようものなら、その獣を見てこういうだろう。


 ―――討伐ランク200以上の化け物だ……と。


「―――にっ逃げろッ!」


「テメエら一人喰われやがれ!その隙に逃げるんだよ!」


 先頭を歩く男たちからなんとも身勝手な言葉が投げかけられる。

 深い森の中にありながら、まるで太陽の光が差し込んでいるかの如く強烈な光を放つ獣。その名は光角獣ぺテルマイオス。

 のちにこの獣から派生し、神話などに登場することになるユニコーン等の起源とされる獣だ。


 それが森の中、男たちの側面から顔をのぞかせた。


 狩り取ったブルブルの処理は完璧だったハズ。臭い消しもこれでもかという程に使ったはず。それなのにどうして……


 そう言った声がそこら中から上がるが、理由はただ一つだった。

 この男たちが、今の人間たちの文化がそうさせているのだ。

 

 ぺテルマイオスが嗅ぎつけた臭いは“血”の臭い。狩ったブルブルからの物ではなく、獣の中で等しく餌として見られている人間の血の臭い。


 少女たちの擦り切れ、見るに堪えない事になってしまった足の裏と、その足跡の臭いを追いかけてきていたのだ。


「きゃぁっぁあっ!」


 空気が一瞬にして冷やされたような威圧感が漂う中、悲鳴を上げた少女が、真ん中で荷車を引いていた少女をぺテルマイオスの眼前に突き飛ばした。

 気が動転していたのかもしれないし、あまりの威圧感に錯乱していたのかもしれない。ただ、それでも唯一言えることは、彼女は生き残りたかったのだ。


 たとえ他者を犠牲にしても、自身だけは生き残りたかったのだ。


 だからこそ、脳が理解するよりも素早い、反射の領域で隣の少女を正確に獣の前に突き飛ばしてしまったのだ。


「……やっぱり、そう……」


 その女はあきらめたような顔をしていた。

 突き飛ばされて、叫び一つ上げない彼女は何となくこの展開を予想していたのかもしれない。


「今だッ!逃げるぞ!川向うまで行きゃ潜れる場所がある!そこから少し遠回りになっちまうがアジトに帰れるはずだ!」


 先頭を走るリーガルの声に続き、男たちは決死の思いで走る。この場に生き残っている者は皆、こうした命の危機に他者を犠牲にすることをいとわず、己を守ることだけを優先することのできる人間だった。だからこそこの絶望の時代を生き残ることができていた。


 一目散に逃げていく男たちと二人の少女をちらりと見やった少女はそのまま顔をあげ、大きな嘶きと共に、地面を引っ掻くぺテルマイオスを正眼に捕らえた。


 獣であるぺテルマイオスでさえ、今目の前の少女がどれだけ狂っているかを既に理解している。だからこそぺテルマイオスはその場で嘶き、威嚇を行ったのだが、それをもってしても、目の前の小さな少女を怯えさせることはできなかった。


 そう。ぺテルマイオスの目の間に座り込む少女は、一切ブレることの無い瞳をこの絶望の時代を生きる古代種である自身に向けているのだと、獣でありながら人間と大差ない思考能力を持つペテルマイオスは理解していたのだ。

 そして若干のいたずら心とでもいえばいいのか、賢いからこその道楽。強いものだからこその享楽がそこには確かにあった。


「どうしたの?殺さないの?」


 命の危険だというのに、その子はまるで買い物に行くか聞くような気安さで言葉の通じるはずの無い相手に問いかける。


 さすがにそこまでされれば絶対的強者であるぺテルマイオスであろうと怒りを露わにし、目の前の矮小な存在に自身の強大さを身をもって味わわせることに躊躇いもなかった。


 最後に一度大きく嘶き、高く上げられた前足が身長140センチ満たないほどの少女の全身を豪快にスクラップにする寸前―――少女からすれば二回目の、ぺテルマイオスにすれば一度目の乱入者が現れたのだ。


 その乱入者の姿に最も驚いたのは少女ではなく、ぺテルマイオスだった。

 それもそのはず、この土壇場で一人と一匹の間に滑り込み、10メートル近い巨体を持つぺテルマイオスの全体重がかけられた踏みつけを片腕だけで支えて見せたのは……黒い髪に、黒い瞳を持った若い男だったのだから。


「私の前で殺させはしないさ。これ以上私は悲しみに涙を浮かべる人を―――って泣いてないぃぃぃっ!?」

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