第18話 冬の終わり

「ちょっと、こっちへ来て」


 俺はお冬さんを隣に座らせ、彼女のむき出しになった冷たい肩に手を回し、ぐっと抱き寄せた。


 その行為にお冬さんは一瞬ためらうようなしぐさを見せたが、特に恥じらうこともなく寄り添い、俺の合図に従って、携帯電話のカメラに向かって精一杯の笑顔を作ってみせた。


「これでよしと。……ほら見て、画面に俺たちが写ってるのが分かるか?」


「ほんとだ! あたしってこんな顔なんだねー」


 そう話すお冬さんの言葉に偽りは無いようで、どうやら本当に自分の顔も分からず、着の身着のままで俺の元にやって来たようだ。


「しかもこれを現像して、一枚の写真にすれば、記録として半永久的に残るんだよ」


「ずっと残るの?」


「うん。で、その写真を見れば、俺はずっとお冬さんに会う事ができるだろ?」


「じゃあ、あたしの事、ずっと覚えててくれるんだね」


「ああ。一生、死ぬまで忘れないよ」


「嬉しい!」


 俺の言葉にお冬さんは大喜びし、首元に手を回すように抱きついてきた。


 その体からは凍えんばかりの冷気が一瞬にして伝わってきて、思わず鳥肌が立ってしまったが、彼女のちょっと小ぶりで柔らかい胸が俺の肩に当たったその瞬間、俺は寒さを忘れて鼻の下を伸ばしていた。


 ほんとはこのままずっと一緒にいられれば幸せなんだが、時計の針はもう五時半を回っている。


 窓から差し込む陽の光もじょじょに強くなり、おだやかな暖気がこの部屋を包み込んできた。


 ついに待ち望んでいた、春の到来という事か。


 ――でも、今回ばかりは素直に喜べない。


 いつもは心地よい小鳥のさえずりが、二人の別れの時を告げる合図のようにさえ聞こえてくる。


「……浩ちゃん、あたしもう行かくちゃ」


 小鳥のさえずる音が大きくなるころ、ふと我に返った彼女は抱きついていた腕を離し、さみしそうに笑った。


「なあ。本当にもう、会えなくなるのか?」


「うん。ごめんね」


「でも俺……やっぱり、こんな別れ方嫌だよ。待ってくれよ!」


 俺は必死の思いで引き止めようとしたが、彼女の体はしだいに、後ろの部屋の壁が透けて見えてくるほどに薄れはじめた。


「もう、何も聞こえないの」


「そ、そんな。そんなのあんまりだぁ」


 いつの間にか、俺の目には涙があふれていた。


 いくら突然の出会いだったとはいえ、自分のことをここまで好きになってくれた人と永遠に別れるのは、ものすごく辛いし、胸が締め付けられる思いだったのだ。


「さよなら、浩ちゃん。会えて嬉しかったよ」


「お冬さん!」


「ありがとう……」


 彼女の最後の声は聞こえなかったけれど、唇の動きから、確かにそう言ってくれたような気がする。


 お冬さんは最後まで笑顔のまま、キラリと光る氷の涙を頬に滑らせ、あとかたもなく消えてしまった。


 これをもって、ついに冬が終わったのだ。


「何だよ……何だよ、ちくしょう! やっぱり冬なんて大嫌いだ!」


 俺はやり場のない怒りを床にぶつけながら、大粒の涙をボロボロこぼして泣いた。


 結局、俺は何も言えなかった。


 あれだけ嫌いだと公言してきた冬の中で、唯一彼女のことが好きになったのに、結局最後までその気持ちを言葉にできなかった。


 それが悔しくて、情けなかったのだ。


 たった数時間だけの不思議な経験だったけれど、これが俺にとっての初めての恋であり、同時に、初めての失恋でもあった。


 そして手元に残ったのは、携帯電話で撮った、二人の写真が一枚だけ。


 大切な人を失ったあとに襲いくる虚無感に打ちひしがれ、俺は、ただひたすら泣き続けた。

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