第10話もしも次があるなら

「……痛くなかった? あの、あんまり上手にできたとは思えないんだけど」

「…………」

 何も言えなくなっちゃって、智にぎゅっと抱きつく。大好き、大好き、大好き!!!

「あの。わたしたち、何も変わってない? こんなもんかって、智は弓乃のこと思ってない? 用済みになってない? 急に明日から冷たくなったりしない?」

「急にどうしたの? 弓乃はこうしたかったんじゃないの? 弓乃こそ変わらない? 僕なんかじゃ物足りなくない?」

「……物足りなくなんか、ないよぉ」

 ずっと遠かった智の素肌がそこにあって、思いっきり頬を押しつけた。わたしの好きな人が最も近いところにいる。

 うん、この人を一生大事にしよう。決めた。

 手を繋いでくれる。ベッドの中で手を繋ぐなんてなんか照れる。映画みたい。いつもと何も変わらない手が、なまめかしく見える。

「よかった、弓乃を傷つけなくて。こんな風に思いのままにしたら傷つけちゃうんじゃないかって、ずっと、怖かった……」

 気だるげにそう言うと智は眠ってしまった。

 いつもは簡単に届かない彼のつむじを見る。そおっと髪に触って、そおっと頬にキスをする。絶対寝ちゃったりしない。夢だったら困るから。

 まず、わたしはシャワーを浴びることにした。


 名実ともに智の女になったわたしに、怖いものなんてない! だってずーっと欲しかったのは智の体だったし……って、あれ? わたしなんか、間違っているような気が。

 えーと、心も体も自分のものにしたかったってことで、良しとしてもらおう。

 智の顔を見て、へらっと笑う。

「そのワンピース、僕が好きって言った……」

「そう、カーディガンと合わせたんだけど、どう?」

「……夏までしまっておきなよ」

 え? 智のお気に入りだっていうから、ワードローブから引きずり出してきたのに。

「露出が多いよね。昨日までは東さんの二の腕に触れてみたいなんて思ってたんだけど……もう、そういうの関係なくなったんなら露出度の高い服はあんまり着てほしくないんだ。勝手なのはわかってるけど」

「ううん、ううん、いいの、全然! 気が利かなくてごめんなさい。そうよね、できるだけ露出がなくてしっかりした服がいいわよね? わたし、抜けてる。そう、智以外の人に見せる必要ないもの」

 智は恥ずかしそうに笑った。ああ、こういう顔されたらもう! たまんない!

「何か食べに行く?美味しいケーキとか? 記念に……おかしいかな?」

 ロマンティック。智のそういうところにきゅんと来る。今までいたかしら、そんな人。「終わったから腹減ったな」ってやつはいたかもしれないけど。

「エンゼルクリームでいいよ。特別なスイーツだもん」

「奢るよ? 好きなところを言ってよ」

「エンゼルクリームとフレンチクルーラーを食べるの。なぜならあのお店がわたしたちの歴史だから。それ以上でもそれ以下でもないの」

「そっか。確かにそうだね。付き合うことになる前から通っているし、僕は君が好きなエンゼルクリームを食べるようになったし、君は僕の好きなフレンチクルーラーを食べるようになった。それに、君がドーナツで汚した口の周りを拭いていいのは僕だけなんだ。忘れないで、僕だけだよ」

「それって大切なこと?」

「すごく大切なことだよ」

 そうなんだ、智にとって大切なことはわたしとはかなり違うところにあるんだな、と思う。


 智は不思議だ。今まで付き合ってきたどの男とも違う。それはわたしが軽くて頭の悪い女に見えてたからかもしれない。けど、智にはわたしがそういう風に見えないらしい。

 智にとって、相応しい女でいたい。

 それだからと言って、ワンピースはやめたりしない。だってそれはわたしらしさでもあるし、智の好きなものでもあるから。わたしは真っ赤なワンピースで、智をこれからも誘惑できる。

 ふふふっ、と声に出して笑ってしまう。

「楽しそうだね」

「うん、気分はサイコーだから! 智は、そうじゃないの?」

「弓乃に、最後の堤防を押し切られたかな? もう、他の男の触ったところで僕が触ってないところはさすがにない?」

「……どうかしら? 多分」

「まだここへ来て焦らすの?」

「わたしを焦らして、焦らして、焦らした罰よ!」

 気持ちよく笑った。もう憂いごとはない。智は最終的にポリシーを曲げてまでわたしを抱いてくれたわけだし? わたしには不満がない。

 早くドーナツを食べて、二人だけのお祝いをしよう。

「お、仲直りしたの?」

「したの」

「やっぱり西じゃなくちゃダメなんだな。弓乃を笑わせてあげられるのは西だよ。……ところで問題は解決したの?」

 沈黙。

 だって、どう言えばいいんだって。

「弓乃のヤってる時の顔、そそられるだろ?」

 こそこそっと智に耳打ちするから、わたしには聞こえない。なんの話しをしてるやら。

「……まだわからないよ。余裕なかったから」

「そうか、それはそうだよな。確かに」

 じゃあな、と言って翔は去っていった。お騒がせなやつだ。

「もしもだけど」

「うん?」

「次があるなら、僕にもっと顔を見せて」

「……それってけっこう恥ずかしいと思うんだけど。あ、でも智がそう言うなら、うん、やってみる。顔を見せないとキスの回数も減っちゃうしね。了解」

 次があるなら――よかった、次があるみたい。

 とりあえずドーナツ。

 エンゼルクリームとフレンチクルーラー。残りのひとつは智に決めてもらおう。智はわたしの食べたいものを決める天才だから。

 そして口の周りを拭いてもらって、手を洗いに行くの。よく躾られた犬のように。そういうのって嫌じゃない。

 智の女なんだって、実感できるんだもん。



(第3章 了)

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