第9話 今さらだけど怖い

 薄暗いホテルの入口をくぐって、部屋を選ぶ。横から手を出して、適当に安そうな部屋を選んでしまう。

 智はわたしの手をぎゅっと握りしめた。

 どうしたらいいのか、迷う。

 こんな時、普段ならキスをして気持ちを高め合ったりしちゃうんだけど、そういう雰囲気じゃないことは空気読めないわたしにだってわかる。

 部屋に入ると智は固まってしまって、何からしたらいいのか、どうしてあげたらいいのか考える。でも中身が多分カルフォルニアなわたしには、最適解が見つからない。

「お腹空いてない? わたしは空いたかも。ここ、何があるかなぁ」

 フードメニューを出してみる。パラパラめくって、真ん中にある大きなベッドを無いものにしたくなる。

 でも、お互いの部屋には行ったことがあるし、そこには当たり前のようにベッドがあったのに、なんなんだこの圧は。

 隣に智が座る。やさしくキスをしてくれる。髪の毛をいつものように撫でられて、いい気持ちになる。そう、お酒に酔った時みたいに。わたしはうっとりしてしまう。

 意外なことにそこにそのまま押し倒されて驚く。ソファでなんてレベル高くない? わたしに跨って、上からわたしを見る彼を見つめる。

「いつでも魅力的だよ。僕が僕に素直じゃなかっただけで」

「……」

 顔が赤くなる。

 わたしはこんなんだから、何人かと関係を持ったことはあるけど、こんなに恥ずかしいのは初めて。相手が純粋だと、自分は穢れてるみたいで、智まで穢してしまうのは間違っているような気がする。

 誰でも良くなくて、この人のことが好きなんだ。彼がわたしを大切にしたいと言ってくれたように、わたしも彼を大切にしたいと思っていることに気づく。

 キスが、やさしすぎる。

 ヤリたいばかりの男たちとは違う。

「無理しなくて、いいんだよ。なぜならわたしは抱かれても、抱かれなくても智の彼女であることに変わりはないから」

「抱きたい……。北澤に嫉妬してばかりなんだ。そんなに簡単に弓乃に触れることが妬ましい。弓乃を心のままに抱いてしまえばこんな気持ちに振り回されないで済むなら、ちっぽけなポリシーなんて捨ててしまえばいいんだよ。弓乃を好きな気持ちに変わりはないんだから」

「……えーと。あの、シャワーとか浴びてもいい? 今さら?」

「あ、ごめん。慣れてなくて気が利かなかった」

 きゃー!!!

 恥ずかしくて、うれしすぎて、変な汗かいちゃう。だってそうでしょう? 嫉妬? 翔に?

 あんな男、なんの役にも立たないと思ってたけど! あいつのお陰でヤキモチやいてもらえたなら感謝しなくちゃいけない。

 やっぱり、抱かれたいという気持ちは変わらなくて、胸がドキドキしてる。智はどんな気持ちなんだろう? ……複雑な心境なのかもしれない。

 それとも初めてだからこそ頭の中が本当は妄想でいっぱいなのかもしれない。

 大丈夫、わたしはその妄想を超えてみせるし!……えーと、胸はあんまりないんだけど。

 どうしよう。服は着た方がいいのかしら? それともバスローブ? バスタオルを巻いた扇情的かつ合理的な格好が手っ取り早いかしら? 迷う。

 んー、普通に間をとってバスローブでいいかしら? 服の方が燃えるかなぁ。翔にそういうのも聞いておけばよかったかもしれない。

「あの」

 ひょこっとバスルームから顔を出す。智は何も見ていないという顔をして、ベッドに座っていた。気が進まないのは、一目見てよくわかった。

「ああ、僕もシャワー浴びようかな。もう平気?」

「あ、はい」

 そそくさと交代する。智はわたしの方をチラッと見たきりこっちを見ない。

 あああー、何をやってるんだろう、わたし。その気のない彼氏を無理にベッドに誘う? 付き合ったからって、すぐにヤリたいなんて言う?

 そういうところが良くないのよ。付き合うイコールベッドだって、わたしに思わせたのは誰よ。誰よ、まったく……。変な経験ばかり積んじゃって、バッカじゃないの?

 布団の中でごそごそ暴れてると、せっかく着たバスローブがめちゃくちゃになる。いけない、胸元、丸見えになったんじゃ情緒がないじゃない。

「弓乃?」

「はい……」

 智は迷いのない足取りでわたしのところまで歩いてきて、予告無く、ベッドにするりと入った。

「……夏の間、着ていたワンピースの方が余程、薄手だったのに、今日は弓乃の素肌がすごく近く感じる。みんな普通にしてることなのに、何を躊躇ってたのかな、僕は」

「そこが智なんだと思うんだけど。ワンピースだって脱がせてくれても全然かまわなかったのに、一度だって全部脱がせてはくれなかったでしょう? でもそれは智だからで、わたしを嫌いだからってことじゃないと思ってもいいんだよね?」

「好きじゃなきゃ、嫉妬しないよ」

 するべくして、キスをした。していることと違って、智とするキスは全然いやらしくなくて、もしかしたら結婚式の誓いのキスってこんな風なのかもしれないと、そう思う。

 普通の女の子って、こんな感じなのかなぁ?

 彼氏にあげちゃうのって、うれしいけどドキドキで、これから関係が変わっちゃったらどうしようと思うとちょっと怖い。

「しよう」、「いいよ」ってわけじゃないんだ。

 智の手が、まだ彼が触れたことの無いところまで伸びてきて、今さらどうしようって気持ちになる。

 どうしよう。これ以上進んだら彼のポリシーを破らせてしまう。気持ちが焦る。ここからいいとこなのに、自分が望んだことなのに、それでいいのかわからない。なんてったってわたしはいつでも気分のままに生きていて、他の人のことを実際あまり気にしてない。

 でも、智のことならそういうわけにはいかないってこと、なんで気がつかなかったんだろう?

「気持ちよくならない?」

「ううん、そんなことないよ」

 智の手の触れた跡がわたしの体に残っていく。とっくにローブなんて意味をなさなくなって、素肌一枚なのに熱い。これから先が怖いなんてどうかしている。わたしの方が、経験豊富なんだし――。

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