第7話 有終の美
智を見かけたのは、ちょうど駅の改札を出たところだった。人波の流れに流されないように壁際に寄って、誰かと話している。
それは、伸ばしかけの髪を後ろで一つに結んだ、妙さんだった。
声をかけるべきか、かけないべきか迷う。二人はあんなことがあったにも関わらず、すごく親しげに話していた。妙さんがうれしそうに笑う。不思議なことに智も笑っていた。
わたしは智に笑いかけてもらう権利がある?
妙さんには……妙さんとは付き合えないとあの時、智は言ったけど、わたしがいないとなったら話は別だろう。智は、今はフリーなんだから。
どうしよう。
二人が見えるところに隠れてしまった。人も多いし、多分、気づかれないと思うけど、だからと言って万が一の可能性もある。こことあそこにはものすごい温度差がある。
二人はまだ楽しそうに話していて、わたしにはそこに割って入る資格がない。どうしよう。このまま見てても悲しくなるだけなのに。
――やり直しちゃうのかな?
悔しいけど、妙さんはかわいい。小さくて一生懸命で、力いっぱい智を追いかけてる。もしわたしがいなかったら、二人はするっと付き合っていたのかもしれない。
ということは。
邪魔者はわたし……?
二人から目を離して、ずるずると柱に背中を付けたまま座り込む。テキストを入れたトートバッグを抱きしめて小さくなる……。消えちゃいたい。
「何してるの、こんなところで」
「うわっ、と、智、なんで……? 妙さんは……?」
「まったく。君には飽きることがないよ」
ほら、と手を伸ばしてくれるのでわたしも腕を伸ばそうとしてはっとする。
そう言えば、一日中泣いてたのにメイク、直してない!
「……ごめんなさい、顔、上げられないの」
ふう、とため息をついて智はわたしの前にしゃがみ込んだ。そうしておでこに手を当てて、わたしに顔を見せるように促した。
「目が真っ赤だよ。泣かせちゃったよね?」
「いいの。ぜーんぶ、自分のせいだもの。自業自得ってやつだわ」
「ほら、帰ろう? 今日は送ってあげるから」
智の部屋に行くとか、そんなのは甘い幻想なんだなと思って素直に手を引かれる。わたしの好きな人の手。離したら、次はもう無いかもしれない。
電車は思いの外、空いていて、一緒に席に座る。横並びに座った手をずっと繋いでくれる。
これからもこうして欲しいのに、それは叶わないんだなぁ。妙さんとやり直すのかな? そういうことに決めたのかな?
聞けるわけがない。
「弓乃、ぼーっとしてないで、降りるよ」
考え事ばかりしてる間に自分の駅に着いてしまった。ああ、貴重な二人きりの時間を無駄にしちゃった。
「マンションまで送るよ」
「いいの?」
「弓乃が嫌じゃなければね」
嫌なわけない。うれしい。
足先がもじもじする。
「秋だね」
「うん……涼しくなったもの」
「ノースリーブのワンピースはしまったの?」「さすがに見た目も寒いし」
「そっか……」
別れ話が出たのに、わたしたちの手は繋がれている。歩く度に自然に、繋いだ手が揺れる。
「ワンピース、似合うよね。僕はあの、赤いワンピースが好きなんだ。ひらひらした布地で、弓乃が動く度にふわっとするでしょう? 金魚みたいで」
「そ、そう? まだ何か羽織れば着られると思う。その……智が好きなら、だけど」
それには何も答えずに智は下を向いて歩いた。ああ、それはもう過去の思い出の話になっちゃってて、しまわれちゃってて、今はどうでもいい話なのかもしれない。わたしは察しが悪い。
「あの……もう、邪魔はしないから。今日はごめんなさい。智が終わりだって言うなら終わりなんだって、なかなか信じられなくて。でも、そうなんだってわかったの。ごめんね、空気読めなくて。わたしがいけなかったよね、最初からぐいぐい押しちゃったから。だって自分から好きになったことって、小学生の時以来で、どうしていいかわからなかったの。どうやって愛情表現すればいいのかわからなかったし、正直に言えば、今もわからないの。だけど、『有終の美』って言葉もあるし……あんなこと言わせちゃった以上、キレイに別れるのが、いいのかな、なんて」
「……そうやって無理する東さんを見るのが辛いんだよ。弓乃はいつでももっと自由で、僕の手元から飛び立ってしまうんじゃないかってくらいふわふわしてて、振り向いてにっこり笑う。そういう関係でいたいと思ったんだ。……変わりたくないし、変わるのが怖いよ」
今度はわたしも俯いた。
わかるような、わかんないような。はぐらかされてるような、誠実であるような。
「お互い、正直じゃダメなの? どっちも無理しないっていうのはナシなの?」
「ダメじゃないよ」
「……わたしじゃダメなの?」
「ダメじゃないよ、そういう理由じゃないよ。ただ、少し考える時間が欲しいんだ」
そう、と一言答えた。おしゃべりなわたしでも、それ以上は何もいい言葉が思いつかなかった。言葉が頭に思いつかないので、黙ってるしかなかった。こういう状況は、つまらないというのかもしれない。つまらなくてもいい、好きな人の隣にいたい。
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