第6話 無期限のサヨナラ

「ごめんなさい……」

「何が?」

「その、つまり、こんなことになっちゃって」

「ああ、原因は全部、僕なんでしょう?」

 このところ、こんなことばかりだ。わたしたちは上手くいってると言えるのかしら? これなら、妙さんに嫉妬してた時の方が遥かにマシに思える。わたしは智を手放さないように、必死だった。今は? 今も気持ちは同じだ。けど、距離が離れていく。

「弓乃、聞いてる?」

 智は急に立ち止まって、わたしの顔を覗き込んだ。ヒールの高い靴を履いても、智の方がまだまだ背が高い。

「うん」

 こんな時なのにドキドキする。わたしにだって乙女な部分はきちんとあるんだ。そんなに見つめられると、うっとりする。

「僕たち、少し離れようか? その間、君が何をしても自由だし、もしよりを戻したくなった時、君がしたことを責めたりしないよ。つまり、……北澤とそういう関係に戻っても、僕は咎めない。弓乃はまだ心の奥で北澤を求めてるんじゃないの?」

「あ……そう? そう見える? 見える、か……」

 肩を落とす。

 わたしは今、疑われている。しかも責め立てられてはいない。ただ静かに、別れを宣告されている。止める間もなく涙は限界突破して、わたしは顔を覆ってしゃくりあげた。智はいつものようにやさしくハンカチを出してくれるかわりに、わたしをそっと道の脇に寄せた。

 その手はまるで他人のようで、付き合う前より遠く感じた。

「……終わりですか?」

「なんでこうなっちゃうのか、僕にもわからないけど。でも、好きだって気持ちだけでは続かないってことはよく知ってる。北澤のところに戻ったら? 僕には荷が重いのかもしれない」


 重い女?


 いつからわたしはそうなってしまったんだろう? 智の身になってみれば確かにそうだったかもしれない。わたしの顔にはいつでも「抱いてほしい」と書いてあって、それは彼の主義に反することだった。どうしてかわからないけど、彼はとことんわたしの体を拒んで、わたしはわたしの体を彼に差し出し続けた。バカな女。空回りもいいところだ。

「……。わたしは穢れてる? だから抱いてくれないの?」

「いや、そういうわけじゃないよ。なんとも言えないけど、満足させられる自信もないし、理性を失うことが怖いとも言える。わからないんだ」

「わたしがいない方が、智を悩ませないで済むってこと?」

「いや、東さんの気持ちもわかるから、僕じゃ不十分なんじゃないかと思った。それだけだよ」

 智の手はいつものようにそっとわたしの髪を撫でて、そして離れた。

 じゃあ、と彼は消えてしまった。

 去って行く背中を追いかけるべきだったんだろうけど。唖然としたわたしの足は動かなかった。


『男の人の気持ちがわかんないの。どうしたらいい? あんたのせいなんだから答えてよ』

『とりあえず二人で話す?』

と翔は聞いてきた。


「弓乃」

「…………」

「お前の顔、ひどいことになってるぞ。美人なのにそういうとこ、ちっとも気にしないよな」

「そういうこと、智は言わないもの。黙ってハンカチを出してくれて、それ以上泣かなくて済むように……うっ」

 翔は頬杖をついて大袈裟なため息をついた。とりあえず二人分、ドリンクを頼んでくれる。

「好きならそれでいいじゃん。なにを迷ってんだよ」

「だって、抱いてくれない……」

「あいつもストイックだよな。元々、頑固なところもあるし。それで?」

「……少し、離れようって」

「事実上の、サヨナラか。でもさ、考えてみたらお前たち、付き合い始めてまだ三ヶ月にならないんじゃないの? 弓乃は貞操観念、緩いからなぁ。三ヶ月、普通じゃない?」

 目からウロコだった。

 そうなのか、三ヶ月って普通なの?

「手を繋ぐのに一週間、キスするまでに一ヶ月、ベッド入るまでに三ヶ月ってカップル、いると思うけど」

「……まともなことも言うんだね?」

「お前、俺の事、なんだと思ってんの?」

 まったく、と言いながら翔はドリンクを取りに行ってしまった。どっと疲れて、背もたれに大きくもたれかかる。そっかー、貞操観念、緩いのかぁ。確かにそういうとこ、あるかもしれない。反省する。そして今まで智にしてしまったたくさんのことを申し訳なく思う。

「わたし、帰る」

「おい」

「ありがとう、相談に乗ってくれて。まさに愛情が友情に変わった瞬間て感じだよね? また上手くいかなかったら相談するから、その時はよろしく。今のところ、わたしをよく知ってるのは翔なのかもしれない。信用してる。じゃあ」

「おい」

「こんなことで貞操を奪われたりしないの。わたしは変わったんだよ」

 そこから先はスキップだった。智がわたしを抱かないことが別におかしなことじゃないんだとしたら、焦る必要はない。愛されてないわけじゃないってこと。それがわかれば、それでもう問題は解決なんだもの。

 電車に乗って、智の駅で降りる。それがもう毎日の日課のようになって、足が覚えてる。わくわくする。もうバカなわたしじゃない。

 お母さんのために、途中でプリンを買うことを忘れないようにしよう。駅の階段を上がっていくと、わたしより先に帰っていたはずの智を見かけた――。

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