第19話 受け身が好きですか?

『講義の後、コーヒーラウンジにいるから。何時まででもいるから』

 ゆみの、というかわいい彼女の名前が表示されていた。何時まででも、とかいつも通りめちゃくちゃだなと思う。僕は学部の講義室で、裏のコンビニで買ってきた弁当を食べていた。

『今日は四コマで終わりだよ』

『わかった。四コマが終わる時間にコーヒーラウンジにいるから、絶対に来てね。来てくれるまで帰らないからね』

『はい、約束』

 既読がつく。相変わらず跳ね馬のような人だ。しかし、一体何を話すつもりなんだろう?

 この間のことを謝るつもりなんだろうか?

 僕のことなら放っておいてくれればいい。どちらにしても僕の方から東さんに話しかけることは滅多にないんだから。

 もし見かけてもスルーできる自信はあった。例え、それが北澤と一緒の時でも僕は心を揺らさず二人を遠目に見送る。


 南野さんとの約束がなくなったので、空いている時間に勉強をすることにして四コマを待つ。

 呆気なく時間は過ぎて、足はコーヒーラウンジに向かう。これが最後かもしれないな、と思う。

 思い返せば彼女と知り合ってからの数週間は荒波のような毎日の連続で、やって来る波に上手く乗ることはそれほど難しいことではなかった。彼女がふっかけてくる問題は珍妙ではあったけれど、僕にはさほど難しい問題ではなかったからだ。

 通い慣れてきた狭い階段を上る。果たして彼女は本当に僕を待っているんだろうか?

「こっち」

 静かなクラッシックが流れる店で、そのムードを壊すような大きな声で僕を呼ぶのは東さん以外にいなかった。

「東さん、声、大きかったよ」

「ここが静かすぎるのよ」

 相変わらず閑散とした店内からは学生たちの行き交いがよく見えた。

「この前……殴られなかった?」

 東さんは頬杖を外して僕を見た。目をぱっちり開いて。

「心配してくれた? 大丈夫、殴られなかった」

「そうか。北澤はそんなやつじゃないとは思ったんだけど、現場を見ちゃったから心配になったんだよ」

「……ほんと信じらんない、って言ってやったの。悪かった、そんなつもりじゃなかった、好きだからこそ、とかなんとか言うから『好きだって言って殴るのがDV男なのよ!』って言ってやったの。すっきりした」

 東さんはまさにすっきりした顔をして、冷えたアイスコーヒーを美味しそうに飲んだ。グラスに付いていた滴が落ちた。

「そうだ」

「何?」

「……今日のランチ、どうだった? 彼女、この前、告白してきたんでしょう? 本当は嫌な気持ちはしなかったでしょう? 付き合うことに決まっちゃったの?」

 僕の目を見てそれを一息にしゃべると、彼女は黙って外を見た。僕の方こそ、聞きたいことがあった。

「北澤とはそれで仲直りしたんでしょう? こんなとこで僕と会ってて、またまずいことになったら困るのは東さんだよ」

「西くん、質問を質問で返すのはマナー違反」

「あ、ごめん……」

「まずわたしの質問に答えるのよ」

 気まずい沈黙が訪れる。別に僕が悪いわけじゃなかった。ただ、東さんに詳細を話すのは気まずかった。

「それで?」

「……南野さんとは付き合えないって言ったよ。彼女は恋に恋してるだけなんだ。本当に必要なのは僕じゃない。それくらい、僕にもわかるんだよ」

「じゃあランチ行かなかったの?」

「行ってない。東さんからメッセージ入った時は講義室でコンビニの弁当を食べてたよ」

「……お腹空いてるんじゃない?」

「僕のお腹のことはどうでもいいよ」

 人の不幸話が大好物だと言わんばかりに東さんの目は輝いていた。生気に満ちて、キラキラと。

「じゃあ、わたしたちにもう障害はないわね。ノープロブレム。堂々と手を繋いで歩けるし、こそこそここで会う必要もない。ドーナツを食べに行ってもオーダーに困ることもない。どう?」

「ちょっと待ってよ、話が飛んでる。北澤と仲直りしなかったの?」

「言ってやったわ。西くんはあんたと違ってわたしの体しか目に入ってないわけじゃないって。きちんとわたしの気持ちを優先して考えてくれて、話を聞いてくれて、本当のわたしを否定しないでくれる人よって。……もちろん、あんなやつとはサヨナラよ。西くんとわたしは知り合ってからまだ日が浅いのはわかってる。でもね、西くんだって知らないふりしてるけど、わたしが好きでしょう?」

「いや、その……」

 いや、その、ではなかった。

 むしろ彼女の言葉に感動すら覚えた。いつもはただ長くて回り道ばかり多い彼女の言葉に心を揺さぶられた。

「受け身が好きですか?」

「いえ、そんなことありません。敬語はいらないと思うんだけど、……僕は東さんが好きだよ。初めて会った時から気になってた」

「初めて会った時から?」

「そうだよ、まだひと月程度しか経ってないけど」

「おんなじ! わたしも初めて会った時からなんだか気になってた。誰にでも気軽に声をかけたりしないんだよ、これでも。だけど西くんを見かける度についうれしくなっちゃって。強引じゃなかった?」

「……強引だった」

 だよねー、と小さな声で彼女はこぼした。

「でも、好かれたかったの。どうしてか無性に。わたし、この人に好かれたいんだなって自然にそう思うようになって、だけど西くんは友情がなんたらとか言うから、いけないのかなって」

 知らないところで、おしゃべりの裏側で彼女がそんな風に思ってるとは気がつかなかった。彼女のおしゃべりはいつも一方的だったし、僕の気持ちは理性で蓋をするのに一生懸命だったからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る