第15話 彼女候補

 僕は頭が悪いのかもしれない。そのことばかりが頭の中をくるくる駆け巡った。

 東さんの言った言葉をすべて思い出そうとしても、全部はとても思い出せなかった。

 僕は確かに東さんに好意を抱いていた。そうでなければ他人の彼女のために何時間も割く理由はない。

 好意を抱くというのが恋なのか、それはわからなかった。北澤と付き合っていることに強い嫉妬を感じたかと言えば、正直なところ少しは感じたことはあるけれど、胸をかきむしられるような思いをしたわけではなかった。

 でもそう、北澤に抱かれる東さんというのはちょっと聞きたくない話だった。

「待たせちゃった?」

「ううん、大丈夫だよ。混んじゃう前に入ろう」

 昼時のカフェテリアは戦争のごとく混むので、油断ができない。速やかに行動しなければならない。僕は白身魚のフライの定食を、彼女はハンバーグランチを選んだ。

「今日は普通に食べられそう?」

「うん、西くんとの食事も三回目だし」

「それはよかった」

 タルタルソースが添えられたフライにソースをかける。

「あの、昨日の彼女、本当に付き合ってるの?」

「どうして?」

「……ううん、なんでもないの。考えすぎちゃった。西くんと彼女が付き合ってるなら、わたしと西くんが食事してるなんて嫌なんじゃないかなと思って。一回くらいって言ってたけど、一回だって嫌だよね。でも彼女じゃないなら、いいってことでしょう? ……一度じゃなくても」

「東さんは彼女じゃないよ。僕と同じクラスだった北澤、知ってる? よそのクラスからも女の子が見に来てたヤツ。アイツと大学でも一緒なんだけど、東さんは北澤の彼女なんだ」

 なに食わぬ顔で説明をしているつもりなのに、胸の奥がズキンと痛む。そう、言った通り。それこそがシンプルだ。

「そうなの? とてもそういう風には見えなかったけど、西くんは嘘をつくような人じゃないものね。東さんは北澤くんの彼女なんだ。北澤くんか、懐かしい」

 そっか、と言いながら彼女はお箸で器用にハンバーグを切り分けた。僕は南野さんが笑うと小さなえくぼが出来ることに気がついた。今まで知らなかった彼女の女性的な魅力のひとつだ。

 思えば南野さんの魅力について今まで僕は目を向けようとしなかった。僕と彼女は微妙な関係であり、またそこに東さんが挟まってややこしいことになっていたからだ。

 南野さんは妙の付属品ではない。一人の女の子なんだ。

「どうしたの?」

「いや、どうもしないよ。ゆっくり食べて」

 にっこり笑って、えくぼが凹んだ。


「あの……」

「何かな?」

「あの、月曜日、先週みたいにランチに誘ってもいいかな? わたしなんかとじゃ、嫌?」

「…………」

 僕たちは図書館脇の日陰になるベンチに向かって歩いていた。そうなるのは自然な流れだと思った。彼女とのランチも三度目だ。こうして幾度も重ねていくのが普通なんだろう。

「僕はかまわないよ。南野さんの好きなところへ行こう」

「ありがとう。週末の間に考えておくね」

 照れくさそうに、彼女は目を伏せた。女の子特有の長いまつ毛に目が行く。彼女が不意に目を上げる。

「西くん、嫌いなもの、ある?」

「いや、特にはないかな。強いていえばカボチャとか、料理に入ってる甘いものがちょっと。酢豚の中のパイナップルみたいな」

「ああ、ポテトサラダに入ってるリンゴみたいな感じ?」

「料理は塩っぱいものは塩っぱければいいと思うんだよ。もっとも料理を作る人たちにとっては『味のアクセント』なんだろうけど」

 ふふ、なんだかおかしい、と彼女はくすくす笑った。気がつくと彼女と僕の歩調はちょうどよく揃っていて、会話も和やかで、そういうのは久しぶりだった。

 僕がちょっと間の抜けたことを言うと彼女はころころ笑い、僕が神妙な顔をして話すと彼女は頷きながら僕の話を静かに聞いた。

 女の子とは元来、そういう生き物だということを思い出す。斜め下の彼女に視線を向けると、彼女は「どうしたの?」とふんわり笑った。「別になんでもないよ」と僕は返した。

 おそらく、外から見たら僕たちは仲のいい恋人同士で、穏やかに散歩しているように目に映るのかもしれなかった。

「あれ? 西の彼女?」

 北澤だ。サークル会館に向かうところなのかもしれない。自称・幽霊部員の東さんは一緒ではなかった。

「北澤は知らないかな? 同じ高校だった南野さん」

「んー、ごめん、わからないや」

 わからないと否定しながらも、この男は爽やかな笑顔を彼女に見せる。自分には彼女がいるのに他の女の子にもやさしい、それは東さんがこぼしていたことだ。

「じゃあ初めまして、北澤くん。西くんの彼女に立候補……してます。北澤くんの彼女さんにもよろしくお伝えください」

 北澤の目が「?」になる。僕の方は……くらくらしてきた。急速に外気は40度を超えて、僕の肺を焼くつもりらしい。

「弓乃のこと、知ってるの?」

「何度かお会いしたので。最初、西くんの彼女なのかと勘違いしちゃったんですけど、北澤くんの彼女さんでよかったです」

「西……相変わらず弓乃、絡んでくる? 迷惑かけないように言ったんだけどな」

 これが彼氏と彼女という関係なのかと思う。北澤の前では東さんはまるで……。北澤の言葉はずいぶん上からだった。

「東さんとはよく話したから大丈夫。もう僕たちは二人きりで会うことはないと思うよ」

「そうか、西がそう言うなら安心だよ。弓乃は何考えてるのかわからないからなぁ」

 でもかわいい方ですよね、と南野さんが言うと、そうなんだよ、と恥ずかしそうに北澤は笑った。

「もしまた絡んできたら追い払っていいから。南野さんにも迷惑かけちゃうしな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る