第12話 爆発しそう
そして翌日、水曜日の三コマは北澤を待つ東さんによって支配されていた。彼女は黒い日傘をさしてベンチに座っていた。いつものポジションだ。僕は約束の時間に少し遅れた。と言っても、彼女が強引にした約束だが。
「待ってた」
「ごめん、待たせるつもりはなかったんだ」
東さんは隣の席を手のひらでバンバンと叩いた。僕は仕方なくそこに座った。今日も飽きもせず抜けるような青空で、温度を気にする人はたくさんいるけれど紫外線指数を今さら気にする人はいなかった。測るまでもなく日光は肌を焼くようだった。
「ねぇ、毎日のように僕に会う必要はないんじゃないかな? 今まで通り、ばったり会った時には話もするし、コーヒーも一緒に飲むよ」
「そうね。なんでかな? 最近、西くんと話すのがほとんど日課のようになっているのは確か。西くんと話してると楽しいの。いろいろ新しいことも教えてくれるし、相談にも乗ってくれるし」
「……楽しんでもらえるのは光栄だけど」
でもこれ以上、彼女と彼のプライバシーに足を突っ込むのはごめんだった。既に片足はずぶずぶとハマり、その先には沈むべき沼しか見えなかった。
今日も東さんは両肩の大きく開いたワンピースを着ていた。もしも今日じゃなく風のある日なら、簡単に翻ってしまいそうな軽い生地の服だった。
「北澤は気にしてないの?」
「何のこと?」
「僕と東さんが頻繁に会って話をしていること」
ああ、と彼女はつまらなさそうに呟いて、ギラギラ光る空を見上げた。
「あー、西くんはいいやつだから心配いらないと思うけどって……それでその……」
「黙って俯かないで。続きが気になるから」
「つまりその……あんまり二人で会うなよって」
普通はそうなるよな、と思う。東さんの感覚は人とズレている。それもかなり。彼氏に対して遠慮はしないんだろうか? 北澤に悪いと思わないんだろうか?
「でもね、おかしいと思うのよ」
また「おかしい」の始まりだ。東さんの中には人とは違う物差しがあって、それから導き出される答えは斬新であるか、ナンセンスであるかのどちらかだった。
「わたしには話したい人を選ぶ権利はないの? 西くんと話したいと思うのはそんなにいけないことなのかなぁ?」
答えに詰まることを言ってきた。今度は義務と権利についてだ。そういう権利の主張は北澤にしてほしい。許可を出すのは僕じゃない。
――僕じゃない。そう、突き放してしまうのは本当は簡単なことだ。結局、僕はいつも突き放せずにいる。
「ねぇ、僕には不思議なんだけど、どうしてそういう疑問を直接北澤にぶつけないの?」
「……なんでかな? 笑われそう? 違う、怒られそう?」
「普通は怒られると思うよ。僕だって、彼女に異性の親しい友人がいるのはあまり好ましくないと思うよ」
「そうなの? 本当に? それじゃあ西くんはあの女の子と付き合い始めたらわたしとは話さなくなっちゃうの?」
ドキッとする質問だった。思わず腰が引き気味になる。あの女の子とはつまり、南野さんのことだろう。南野さんと付き合うつもりは僕にはなかった。
「一つ誤解を解いておきたいんだけど」
「うん」
「南野さんは僕の元カノの親友だったんだ。僕は元カノの親友だった人と付き合うつもりはないよ」
「……元カノ」
「そう、元カノ」
東さんの黒い日傘の影がゆらりと揺れた気がした。しかし依然、風はそよとも吹いていなかった。
「西くんに元カノがいたなんて聞いてないよ」
「聞かれてないし、話さなくちゃいけない理由もないよ」
「秘密にしてたことがあるなんて」
「だから」
「……かわいい子だった?」
告白してきたその時も、妙の後ろの角を曲がったところで南野さんが待っていた。妙は小さい体に女の子をぎゅっと詰め込んだような女の子だった。話す時はいつもはにかんで、一緒に帰る時には目が合うことすら恥ずかしがった。
「かわいい子だったよ」
東さんはすくっと立ち上がった。
日傘の影が僕にかかる。ワンピースの裾が立ち上がった勢いで揺れた。
「わかった。西くんはその女の子が今も好きなんでしょう? 忘れられないんでしょう? だからわたしと一緒にいてもいつでも普通にしているのね。わたしを女の子として意識してないから」
「は? 女の子である前に、東さんは北澤の彼女だからじゃないか。東さんに女を感じても不毛だろう?」
「魅力的だって言ったじゃない!」
「それは確かに言ったけど」
東さんがここまで噛み付いてくるのは珍しかった。あっけらかん、とした素直さが彼女の持ち味で、何かを引きずるような人ではなかった。
「そうね、わたしには確かに翔がいるわ。でももし翔がいなかったらどうなの? わたしは翔の付属品なの? わたしを一人の個人として見てくれないの? ねぇ、どうなの? もう……暑い! コーヒーラウンジに行こう。暑くて頭、爆発しそう」
行こう、と乱暴に手を取られて引きずられて行く。ちょっと待ってよ、と足を早めたら東さんと並んだ。彼女はおもむろに立ち止まると、日傘をパタンと閉じて、僕の手を取った。
「ごめんなさい。理不尽なこと言って反省してる……。仲直りしてくれる?」
彼女はかなり何かを持て余してるのかもしれない。もしかしたら僕にはそれを解消する力があるのかもしれない。
どうせ北澤も、僕たちが会っては話すだけの仲だと思っているんだ。東さんが望む限りは、東さんの話を聞いてあげるべきかもしれないと、そう考えていた。
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