第11話 体だけの女
オールドファッションはいつも通り少しパサついていて、それでいてしっとりしていた。
「東さん、僕と何を話すの? 君には北澤がいるじゃないか」
「翔は――その、なんて言うか上手く言えないけど、わたしのおしゃべりは必要ないみたいなの。何を話しても『へぇー』、『そうなの?』、『なるほど』、『よかったね』、……。返事のバリエーションは確かに豊富なんだけど、西くんみたいにきちんと話を聞いてきちんと返事をしてくれはしないの。それになんて言うか……」
ここまで一気に話しておいて彼女は顔を赤らめてそっぽを向いた。彼女にしては珍しく、言うべきか、言わないべきかすごく躊躇しているようだった。
「こんなことを話すのがおかしいってことはわたしにもわかってるんだけど、翔は最近、つまり……」
「言い難いことは言わない権利が東さんにはあるんだよ」
「う……言いかけちゃったし、西くんにたぶん、話したかったんだと思うから話すね。翔は最近、ヤることに熱心なの。他のことはどうでもいいみたい。それでわたしは、わたしじゃなくてもいいんじゃないかなぁって気がどんどんしてきてるの。誰の体でもいいんじゃない? どう思う?」
ずいと身を乗り出して、いつになく真剣な顔をして彼女はしゃべった。その様子を見ていると、それが彼女にとってどれくらい切実な問題なのか見て取れた。
「まず第一に」
「うん」
「女の子が『ヤる』なんて言葉を使うのはどうかと思う。もしも僕の彼女がそんな言葉を使ったとしたら、僕は少しガッカリすると思う」
「……ごめんなさい。確かにその通りだね。せめて『寝る』とか婉曲な表現があるのにね」
内容自体があれなので、婉曲表現がどれほど意味のあることなのか甚だ疑問だったし、彼女はその手のボキャブラリーがあまり豊富ではないということはわかった。
「西くん、第二は?」
「第二……。プライベートなことなので僕からはコメントしにくいよ。せっかく思い切って話してくれたのに申し訳ないけど」
カップの中のカフェオレは店内の冷房ですっかり冷めているように見えた。しかし、東さんの鋭い眼力で手をつけるのは憚られた。
「西くーん、そこを何とか! ねぇ、翔はどういうつもりなの? わたしはどうしたらいいの? わたしたち、寝てさえいればいいの? そのために会ってるのかなぁ?」
女の子の気持ちを推測するのは苦手だ。だけど東さんに関しては、今のままでいいと思ってないようだった。
北澤は。アイツは東さんにベタ惚れだ。そうじゃなければこのマシンガントークをさらっとかわせる技を身につけたりしないだろう。確かに彼女を黙らせるにはコーヒーラウンジに連れていくより、ベッドに押し倒した方が早いように思えた。
しかし、彼女の「しゃべりたい欲求」が望んでいるのはベッドではないようだ。要するに彼女は「欲求不満」なんだ。そしてその欲求のはけ口が僕に当てられた役割なのかもしれない。
「西くん、ここ、すごくシワ寄ってる」
彼女は僕の眉間を指さした。
同じようなことがごく最近、あったような気がする。
「東さん、僕が思うに――自分の気持ちを北澤にぶつけてみたらどうだろう? 僕には君が北澤に求めているものと、北澤が君に求めているものの間にズレがあるように思える」
「翔はやっぱり体目当てなの?」
「北澤は君にベタ惚れだよ。そうすれば自然とそういう気持ちになるのはわかるよ。北澤にとって君は魅力的な女性なんだね」
「そ、そうかなぁ。そんな風に言われると照れる……。西くんから見ても、わたしは魅力的な女性に見える?」
とんでもないことを言い出した彼女の、やわらかいウェーブのかかった肩までの髪が、ふわっと揺れた。驚いて後ろに大きく仰け反りそうになる。
「僕?」
「そう、どう?」
「……」
何かを言わなければいけない場面らしい。北澤を恨む。どうして彼女を野放しにするのか? そんなに彼女が好きなら、放し飼いはやめた方がいい。
「東さんは、東さんとして魅力的だと思うよ」
彼女は大いに納得したという顔をして、うん、と頷いた。今日の一番大きな山場を何とか越えた気がした。
そして彼女はふふっとキュートに微笑んだ。
「よかった。わたし、体だけの女なのかと思っちゃってたの。西くんから見ても魅力的だと思ってもらえるなら、きっと大丈夫だよね?」
だいぶ個性的だけどね、というのは声には出さなかった。冷たくなったコーヒーにようやく口をつける。危うくむせそうになる。
「君は魅力的だよ」なんてセリフは僕には永遠に縁のないものだと思っていた。頬が、上気して来るのを感じないわけにはいかなかった。
眼鏡のフレームがズレる。
「飲み物のお替り、どう? おごらせて」
「じゃあ、同じものを」
こくん、と頷くと彼女は財布を持って立ち上がった。今度はレジで滞りなく注文してきた。
東さんのおしゃべりの中毒になりそうだ。彼女の話はまるでくるくる変わる万華鏡のようだ。
北澤も、もう少し話をきいてやればいいのに。彼女の魅力は見た目や体だけではないことを思い出すべきだ。
彼女の着た服の、半袖から出たやわらかそうな二の腕に目が行く。どんなに彼女の話を聞いても、それは僕のものではなかった。
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