第10話 息抜きにお茶でもいかが?

 最近、僕の周りがややこしい。

 ややこしいの代表選手が、放課後の図書館に押しかけてくる。

「ねぇ、ねぇ、本、読まないの?」

「レポート作成中」

「あ、もしかして怒ってて、それで口きいてくれないの?」

 仕方なく、僕はシャープペンシルを机に置いた。この人には「常識」という言葉も効力を失う。

「あのさ」

「うん」

 できるだけ噛み砕いてゆっくり話す。

「学期末のレポートを書いてるんだよ。横に積んだ資料を使って。東さん、レポート終わってるの?」

「ああ、そういうのね。うん、ノート借りたりして少しずつ進んでる感じ。……そういうの、わかる?」

「わかるよ。でも僕は自分のノートで書けるから、資料を求めてここに来たんだよ」

「……わたし、邪魔してる?」

「誤解を招かずに率直に言えば。何かあったの?」

 ここへ来て東さんの口はピタリと止まった。彼女の脳内で小さな会議が行われているに違いない。話すべきか、話さぬべきか。

「もし西くんがわたしに少し時間をくれるなら、息抜きにお茶でもしませんか?」

「今さら敬語はいりませんよ」

「西くんも敬語じゃない」

 ふふっと、小さい笑いが二人の間に起こる。この前もこんな話をしたような気がするからだ。

「わざとだよ」

 思いっきり肘鉄を食らう。しかし、それが彼女の感情表現の一つであるということはこの短期間で学んだ。

「北澤は?」

「サークルだって」

「同じサークルじゃないの?」

 彼女は自分を指さした。

「幽霊部員」

 僕は諦めて何冊か並べてあったテキストを片付けた。ノートと筆記用具もしまう。

 東さんが今か、今かと待ちかまえていることがわかる。彼女の好奇心は今や抑えられなくなっている。

「ねぇ、今日はわたしがお店を選んでもいいでしょう?」

「どんなところ?」

「ふっ、前に西くんが言ったようなところ」

 思わせぶりな口ぶりで連れていかれたのは、なんてことはない、チェーンのドーナツショップだった。

 彼女は嬉々としてドーナツの並んだショーケースの前に並び、わーお、と言いながらドーナツを物色した。それは後ろに人が並んでいても同じだった。

「オールドファッションとフレンチクルーラーとカフェオレ、ホットで」

 ちょっと待って、という声にはかまわず席につく。彼女はかなり焦っていて、自分の欲しいものがわからなくなっているようだった。仕方がない。後ろに回ってサポートする。

「えーと、つまりね、チョコレートたっぷりと生クリームたっぷりが食べたい」

「ダブルチョコレートとエンゼルクリームで」

 おふたつでよろしいでしょうか、と聞かれる。彼女は僕の席をちらっと見て、アイスコーヒーを頼んだ。席に戻ろうとすると背中を掴まれる。え、と思って振り返ると念を送られていた。

「西くん、ありがとう~! ああいうオーダーっていつも上手く出来なくて。後ろの人に迷惑かけちゃうと思うと尚更、ボーンッとなるわけ」

「みんな大なり小なり同じだよ。人生は常に小さな選択の連続なんだ」

「……西くんて、本当に物知り。わたしの欲しい物当てちゃったり、すごい」

 ホットのカフェオレは冷えた店内にちょうどよくて、僕はカップに口をつけた。東さんはいつものように忙しなく、まるでリスが頬袋に餌を詰め込もうとしているように、ドーナツを少しずつ指でちぎっては口に入れた。

 ダブルチョコレートからは細かい焦げ茶色のパン屑のようなものが落ち、エンゼルクリームにいたっては指先がシュガーレイズドになりながら、クリームを堪能していた。

 こんなに破顔してドーナツを食べる人を初めて見た。食べ方こそナンセンスだったけれど、食べてる時の笑顔はCM級だった。

「あ、ごめんね。わたし食べ方が汚いっていつも怒られるの」

「北澤も?」

「服にこぼしたりすると嫌な顔される。どうせわたしが後で洗濯するのに」

 確かにね、と思ったけど、北澤の気持ちもわからなくはない。要はそそっかしい彼女が心配なんだ。

 彼女は今、指についてしまった生クリームをぺろりと舐めていた。指を潔く洗ってくるように言うと、よく調教された犬のように走って洗面所に向かった。

 やれやれ。

 彼女が戻る前に、散らかしたドーナツの屑を拾う。まるで撒き散らした星屑のようだった。

「洗ってきた」

「うん」

 さてこれでゆっくりコーヒーが飲める。ドーナツチェーンでありながら、ここのカフェオレは美味しいんだ。ついでに本を出そうと振り返る。

「ちょっと待って」

 待てと言われたら待つしかない。東さんの逆襲が怖い。改めて、彼女と付き合う北澤の勇気に脱帽する。

「この前、コーヒーラウンジに行った時に話したじゃない。おしゃべりをするなら賑やかな店がいいって。どう? ここは雰囲気も明るいし、女子高生も集ってる。こんなに条件の合うところはそうそうないと思うんだけど」

 僕は口を噤んだ。僕のレポートの息抜きに来たはずだった。読みを誤った。

 東さんは最初から、僕をここに連れてくる算段だったんだ。とりあえず落ち着こうとコーヒーをゆっくり口に含んだ。

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