第7話 おかしい

 やわらかい風が吹く夕方のキャンパスで、ようやく家路につけると肩の力が抜けてほっとする。

 大学は自由度が高いけれど、自分自身の頑張りが評価されるし、頑張りを続けていくのはもちろん大変だ。もう二年目だというのに、まだ緊張することが多い。

 閑散としてきた学食前、生協で読みたかった少し高い本を買おうと思い切って歩いていた。夕焼けが少しずつ訪れて、まさに心地いい時間だった。

「よお、西。まだ帰ってなかったの?」

「今、本を買って帰るところだよ」

 振り向いたのは北澤だけじゃなく、東さんもだった。二人は同じ角度で振り返って僕を見て、堅く手を繋ぎあっていた。

 なんだ、上手くいってるんじゃないか……。僕が気にするのもおかしなことだけれど。

「弓乃、西に迷惑かけてるんじゃないの?」

「うん、まぁ。西くんはわたしのくだらない話を聞いてくれるから」

「それはすごいな! 弓乃の話は弾丸トークだろう? あれについていけるなんて西しかいないよ。そういうの、得意そうだもんな。西は落ち着いていて人の話をしっかり聞くタイプだ」

 北澤には東さんの彼氏であるという自信が見て取れた。な、弓乃、と斜め下の彼女の顔を見た。

「うん、いつもありがとう。じゃあまたね」

 僕たちは手を振って別れた。

 こんなものだ。北澤の前では東さんだって借りてきた猫のように大人しかった。「言えないこと」を作る? とてもその必要があるとは思えなかった。彼は彼女を大事にしている様子が見て取れたし、彼女だって僕に気がつくまでは自然な笑顔で彼を見ていた。

 いいことじゃないか。世界は平和だ。


 南野さんからの返事が届いたのは、あの日の夕方遅くだった。講義があって返事が遅れたと書いてあった。

 僕は電車の中でそれを読んだ。女の子とこんなに個人的なことでやり取りをするなんて久しぶりのことだなと思っていた。

 そこにはこう書いてあった。

『西くんの空きコマも教えてください。二人ですり合わせればいいと思うの。よかったら一度、学食でランチしませんか? 返事待ってます』

『いいよ、南野さんさえ良ければ、明日の昼にカフェテリア前で待ってるから』

 ありがとうございます、とウサギが丁寧にお辞儀をするスタンプが返ってきた。話は決まったということだろう。

 次の日、僕はカフェテリアの入口すぐのところで先日買ったハードカバーの本を読んで南野さんを待っていた。カフェテリアに入る人たちが僕を緩やかに避けていく。

「西くん、ごめん、待った?」

 これは定型文だ。何かが暗に含まれてるというわけではない。よし、と一人納得する。

「講義が長引いちゃって、ちょっと抜けられる雰囲気でもなくて」

 彼女は伸ばした髪をひとつに束ねていた。けれど、その耳の脇の髪のほつれをひどく気にかけていた。何度も何度も耳にかけ直す。

「南野さんて、コンタクトだった?」

「うん。大学入ってからずっとだよ。西くんは眼鏡、変わらないね」

「イメチェンてタイプじゃないから」

 僕たちはとりあえず中に入って、何を食べるかを決めた。彼女は迷った末にサンドイッチとジュースを買い、僕は鶏肉の南蛮漬けのセットを頼んだ。

「ねぇ、もっと食べなくて平気なの? 南野さんは元々少食なの?」

 思い切って聞いてみると彼女は顔を赤くして、

「西くんの前で食べるのかと思うと少し緊張して」

と頬を赤らめた。

「緊張なんてする必要ないよ。僕たちは知り合ってからだいぶ経つし、何も知らない他人というわけじゃないからね」

「確かに、そう言えばそうだよね」

 南野さんが小さく見えたのは初めてだった。僕の知っている彼女は、妙の隣にいていつでも彼女をいじめたら許さない、という顔をしていたからだ。

 普通の女の子だったんだ、と少し失礼なことを思う。

「なんか印象変わった?」

「そうね、文学部って女の子がすごく多いの。だから自然と少しおしゃれが気になるようになったってとこかな? それに西くんの知ってるわたしはまだブレザーのままでしょう?」

「なるほど」

 そう言えば東さんも花柄の布の薄いスカートを履いたりしてる。女の子も大変なんだなぁと思う。

 北澤と歩いていた時の東さんをなぜか思い出す。僕といるより断然、女の子らしかった。恋に落ちた女の子は、あんなに違う。

「同じ文学部の東さんって知ってる?」

 なんの脈絡もない話だった。

「ごめんね、わからない。文学部ってひとくちに言っても学科、多いから」

「東さんていうのは、僕の友達の彼女なんだよ」

「ふぅん」

 南野さんはなんの興味もなさそうだった。当たり前だ、自分の知らない女の子の話に興味はないだろう。

「僕も同じ理学部でも、例えば地学科なんかは全然わからないし、そんなものだよね」

 もう、何を話しているのかめちゃくちゃだった。とにかくすることが……そう、今度ゆっくり会える時間を決めるんだった。

 思い出したことにほっとする。

 と同時に東さんの言葉を思い出す。おかしい……。どうしてこんなことになっているんだろう? 南野さんとゆっくり会って何を話すんだろう?

 今だってこんなに話題に詰まっている。二人きりで話すのが気まずいのは、それは今までの二人の関係から考えれば当然と言えるかもしれない。

 妙がいないのが不自然だった。

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