Final chapter Tower of qliphoth ⑨

 こいつだけは……いや、こいつも許さない……!

 バレット・M107CQを構え、満腔の殺意を込めてトリガーを連続で引き絞っていく。

 狙いは〈エアバスター〉。他人の物を、ましてや辛島のものであるDAEを奪い、そして利用しているというのが美月には許しがたいことだった。

 だが後方に控える敵の〈モビーディック〉達がそれを許さない。重機関銃の反撃に美月は遮蔽物のある階段踊り場まで退避せざるを得なかった。

 屋内の閉所の場合、機動力と運動性を重視した第二世代DAEよりも〈モビーディック〉のような防御力の高い第一世代型DAEのほうが有利である。だがそれでも、DAEが自由に動き回れる程の広さを持つ閉所での話だ

 先程の吹き抜けのエレベーターホールと違い、このフロアの高さは〈モビーディック〉の頭頂部よりも低い。敵〈モビーディック〉は皆膝をわずかに屈めている。〈エアバスター〉以外、ほとんど動き回るようなことをせず、〈モビーディック〉はほとんど固定砲台と化していた。

 だがその敵陣を打ち崩すことができずにいた。

 固定砲台となっている〈モビーディック〉一機ずつ潰していくしかない。美月は階段の踊り場の壁を遮蔽物にしながら反撃のバレットを撃ち込んでいく。

 だが美月についても対策済みだったのか、シールドを構えた〈モビーディック〉が前に出る。

 じりじりと追い詰められていた。

 夕夜がこちらに追いつくまで凌ぐか? だがその前に追い詰められるのが目に見えていた。

 アラートが表示されたのはその時だった。敵も焦れたのだろう。〈エアバスター〉が背部バーニアを吹かせて急速接近してきた。

 美月も迎撃する。だが〈エアバスター〉の機動力と運動性能に照準を定められない。〈エアバスター〉がグルカナイフを振るう。その刃を美月もグルカナイフを抜いて受ける。人工筋肉の強靭な膂力による斬撃がぶつかり合う。

〈エアバスター〉が下がる。それを追うように美月に刺突。だが美月は身を踏み出した時点で、誘い出されたと判断を誤ったと自覚した。そしてその時にはもう遅かった。突き出された美月の腕を〈エアバスター〉が絡め取ると、そのまま巴投げの要領で敵陣のど真ん中に投げ出されてしまった。

 美月の視界にこちらを覗き込む〈モビーディック〉の顔、そしてアラート。衝撃。〈モビーディック〉達が美月を踏みつけていく。手にしたバレットで反撃し二機ほど仕留めるが、バレットを手にしている腕も踏みつけられ、美月はとうとう拘束された。殴り、蹴られ、嬲られていく。〈シンデレラアンバー〉で鎧っているため、打撃は致命傷には至らないが時間稼ぎにしかならない。反撃の糸口を探るが、それも許されない程に美月は追い詰められていた。頭部を激しく打ち付けられ、意識が揺らぐ。

「ようやく大人しくなったか」「新型であっても、まぁ数で押せばなんとかなるか」「ソクさんのおかげでもあるがな」「なぁそれよりもさぁ、この中身、若い女だったよな。声がした」「おいおいマジかよ」「殺す前にお楽しみもいいか」「雇い主はガワだけご所望だからな」

 敵の下卑た声が美月の混濁する意識の中に届く。

 激しく頭部を打ち付けられる。遠のく意識を必死で繋ぎ止めるだけで精一杯だった。

《装着者(ドライバー)、バイタルに高い負荷を確認。メインシステム、心理的負荷軽減のため提案型対話モードへ移行。美月、影山美月、意識を保てますか?》

〈シンデレラアンバー〉のAI〈アンバー〉が美月に語りかける。

 力が欲しい。目の前の敵を倒せる力が。我来を殺す力が。我来の存在を許す者たちを蹂躙する力が。我来の為すことを許容し肯定するこの街を、国を、世界を焼く力が……!

《プロセッサバーストの使用を提案します》

 その力が美月の目の前に差し出された。

《深層疑似神経接続モード、レディ》

 システムによる推奨行動の提案。主である美月の危機的状況を認識しAIが行動の提案を行った。

 美月は迷わずその推奨行動を選択する。差し出された力を手にすることを躊躇なく手にすることを選んだ。

「プロセッサ……バースト……!!」

《プロセッサバーストプロセス、アクティベート。深層疑似神経接続モードへ移行》

 システムが即座に音声認識による処理を開始する。背骨に沿うように装着したスパインが脊髄の神経組織に電位的な干渉をより強くする。美月の背筋を激痛にも近い熱が奔り、美月は脳をかき回されるような感覚に陥った。

「あ……が……うぁ……」

 声にならないかすれ声で叫びあげる。

 プロセッサバースト。

 擬似神経接続をより深度の深いものにしたフルBMIモード。通常モードでは装着者(ドライバー)の挙動をDAE側が追従するというマスタースレイブという動作形態を執っているが、今の状態では脳神経系からの身体への命令信号と脳組織に達する以前の脊髄反射の信号をスパインが検出し、システムへと伝達。これにより操縦者の動きを追従するという必然的にラグの発生を免れないマスタースレイブの動作系統では実現し得ない反応速度を獲得することができる。装着者とDAEの動作が完全に同期することになるのだ。

 それと同時にエゲンに搭載されたプロセッサパフォーマンスとDAEを構築する人工筋肉のリミッターを解除する。

 神経接続による激痛にも近い熱が徐々に快感と呼べるものと変質していく。

 装甲は美月の地肌と化し、センサーは彼女の耳目となる。網膜投影される情報は極端に少なくなり、その代わり思考とシステムが並列化されていく。今まで網膜に投影されていた情報が美月の脳へ直接送り込まれるようになったのだ。

 そして、自分の背中に新たに三本目と四本目の腕が生えてくる感覚を覚えた。背部のエクスアームにも神経が接続され、肉体の一部、自身の腕であるという感覚を得たのだ。

 すなわち、完全なる人機一体である。

 さらにはシステム側から装着者の脳神経系に対し干渉が行われる。脳機能のリミッター解除だ。

 それは人間の無意識下で行われている身体機能のリミッターと心理的、倫理的観点での精神的なリミッターへの解除だ。〈シンデレラアンバー〉が主たる美月に対し狂奔へと駆り立てる囁きを行うのだ。

「おいさっさとしろよ。DAE剥いて中身とご対面しようぜ」

「逃げられないように、脚を潰しておくか」

 力無く項垂れる美月の頭を敵〈モビーディック〉の一機が掴み上げる。

 下卑た声で会話する〈モビーディック〉の装着者達。ソクにはその内容が日本語であるため理解できないが、良からぬ内容であることは把握できた。あの白銀のDAEの装着者は女性なのだろう。そこから想像できるのは尊厳を踏みにじるものだ。

 ソクは彼らの行為を咎めようと口を開いた。

 異変が起きたのはその時だった。

 それに対抗するように突如、美月の背中、〈シンデレラアンバー〉背部の二本のエクスアームが獲物に襲いかかる毒蛇のように鎌首をもたげ、マニピュレータで保持していた一挺のバレットの銃口を〈モビーディック〉に向けた。その動作に全く機械的ではなく生々しいものがあった。まるで人間の神経が通ったかのように。

 至近距離のバレットの射撃で美月を掴み上げていた〈モビーディック〉の頭部が粉砕された。

 ソク、驚きながらも即座に味方達に散開を指示。直後、寸前まで存在していた空間を銃弾が襲う。

 エクスアームに保持されたXM8とバレットが回避するソク達を銃口で追う。やはりその動きは血の通った彼女自身の腕のようでもあった。

 事実、今この瞬間、背部キャリアームはまごうこと無く美月自身の腕と化していた。

 美月が悠然と立ち上がる。背部の二つのライフルが銃撃を止め、エクスアームが美月の挙動を邪魔しないように銃口を天井に向けた。その動作、広がった二本のキャリーアームと二本の美月自身の腕の形はまるで千手観音を彷彿とさせる泰然さを湛えていた。

 肩で息をする美月。悠然と立ち上がったように見えて、目眩に襲われてゆっくり立ち上がることしかできなかったのが実際の所だろう。

 腕が二つも増えたという違和感による高いストレス、神経組織への負担による嘔吐感を知覚するが、臓腑の脈動はシステム側の神経干渉によって抑えられている。

《45secカウントダウン、スタート》

 その情報は網膜投影されなかった。複数に並列化された美月の思考の一つがカウントダウンを担当する。

「う……ぐ……ぁ……!!」

 ばかんっ、と固定を無理矢理引き剥がすように、〈シンデレラアンバー〉のマスクの口元、歯列のように並ぶハードポイントが展開される。

 その顔貌はまるで獲物を前にして牙を剥いた人食い狼か、あるいは鬼のそれであった。

 ーーグオオオオオオオオオオオォォォッ!!

 咆哮。それは〈シンデレラアンバー〉の駆動音なのか、それとも美月自身の喉から発せられるものなのかは判断がつかなかった。その野太い獰猛な咆哮は、決して十代の少女の喉が発してよいものではない。

 擬似的ながらもDAEによる神経接続はより美月の脳の深い領域にまで及んでいた。戦い敵を殲滅する以外の余計は思考と倫理観を削ぎ落とし、反射を極限にまで高める。 同時に全身の筋肉に課されたリミッターは外され、後先を試みないほどにその秘められた力を発揮する。

 無論、装着者である美月への負担は想像を絶するものとなる。スパインの干渉による神経組織への負担、腕が二つもいきなり増えるという感覚に襲われる違和感による精神的負荷とモード終了後の継戦能力の維持も鑑みて、プログラムの稼働限界は六十秒と見積もられ、余裕を以て四十五秒と制限をかけられている。

 普通の人間ならば、脳を始めとした神経組織への負担と違和感によって、もんどり打って胃の中のものをぶちまけるだろう。美月はそれらを全て無視した。彼女にそんなものを感じている暇などない。殺意が、憎悪が、憤怒が、凶暴性が彼女を駆り立てる。

 人間性というタガが外れる。獣性という衝動が彼女を支配する。

 これまで打ち倒した敵が取り落としたM2とM240を素早く手にすると、腰だめに構えて乱射し始めた。美月自身の腕とエクスアームが構えるバレットM107CQ、XM8の合計四つの火線がソク達を襲った。

「うあああぁぁぁッ!!」

 銃声と共に美月も叫ぶ。喉が裂けんばかりの咆哮。自らを奮い立たせるためか、あるいは神経組織への干渉による苦悶の悲鳴か。

 やがて美月はぱたりと静かに黙りこくった。力なく上半身をかがめて、両手もだらりと垂れ下がらせる。

 驚異とおぞましさ、そして〈シンデレラアンバー〉の銃撃の乱射に何も行動できなくなっていたソクたちが、ようやく遮蔽物から身を出して銃口を掲げ直した。

 その時だった。

〈シンデレラアンバー〉のカメラアイの色がコバルトブルーから変化していた。紅く怪しく血の色に煌めいている。

 四本の腕で保持していた武装を全てかなぐり捨てると、〈シンデレラアンバー〉は一体の〈モビーディック〉に跳びがかった。まるで狩りをする肉食動物のように。

 二本のエクスアームが〈モビーディック〉の頭部を掴み上げる。〈シンデレラアンバー〉はその上に逆立ちするように倒立していた。

 そして、〈シンデレラアンバー〉は腰を捻る。勢いよく身を撚るための予備動作だ。

〈シンデレラアンバー〉が〈モビーディック〉の頭上で駒のように回転した。エクスアームが掴んでいた〈モビーディック〉の頭部も回転し、そしてねじ切れた。首から上を失った〈モビーディック〉は力なく膝から崩れ落ちた。

〈シンデレラアンバー〉が四つん這いの体勢で着地する。背中から伸びる一本のエクスアームがねじ切った〈モビーディック〉の頭部を見せつけるように掲げていた。顔は見えないが、首から下のねじ切れた肉片と脊髄が覗いている。

 ソクは息を呑んだ。あの少女は一体何をしたというのだ。人のものとは思えない挙動と戦い方に身震いを抑えることができなかった。

 エクスアームで掴んでいた頭部を投げ捨てると、次の獲物に向かって〈シンデレラアンバー〉が襲いかかる。四つん這いの姿勢から這うように腰を落とした低姿勢で疾駆する。銃撃による迎撃も当たり前のことのように回避しながら、敵を激しく殴り飛ばし、四肢を引き千切り、へし折り、張り倒し、踏みつけ、打ち倒していく。白銀に煌めいていたはずの装甲は既に返り血で斑に穢れていた。後頭部から伸びる黒髪のポニーテールはまるで獅子のたてがみのように振り乱されている。

 人間の、傭兵の戦い方ではない。戦術や技能という概念を打ち捨て、それらを凌駕する圧倒的な暴力。ただそれだけであった。

 最後の一体の〈モビーディック〉にのしかかると、四本の腕が〈モビーディック〉の頭部を激しく打ち付けていく。何度も何度も何度も何度も。頭部パーツがへこみ、血と肉片が頭部パーツの隙間から漏れ出るまで何度も何度も。

 陸に上げられ締めている最中の魚のように、脳髄を破壊され脊髄反射しかしなくなった〈モビーディック〉を〈シンデレラアンバー〉は遊び飽きた玩具のように蹴り飛ばす。そして立ち上がると、ソクと対峙した。次はお前だ、とでも言うように血の色のカメラアイがソクを睨めつける。

 再び、美月が喉の裂けんばかりに雄叫びを上げ始める。

 ソク、バレット107CQで迎撃。だが全て回避される。壁を走り、天井を蹴る〈シンデレラアンバー〉に照準を合わせられない。ソクの視界上に〈シンデレラアンバー〉の顔面が一杯に迫った。

〈シンデレラアンバー〉、ソクが持つバレットを捻り上げる。トリガーガードに指を巻き込まれないよう、ソクはすぐにバレットを手放した。だがそれで止まることなど無い。〈シンデレラアンバー〉の四本の腕による殴打がソクを襲う。滅多打ちにされる〈エアバスター〉の装甲が激しく打ち付けられ、そして殴り飛ばされた。

〈エアバスター〉が床に転がる。視界上にはいくつもアラートが重なって網膜投影されている。激しく打ち付けられた痛みにもんどり返りそうになる。血液混じりの咳がマスクの中にぶちまけられる。どこかの骨もいくつか折れてしまったのだろう。多量の脳内で分泌されているアドレナリンが体感する痛みを薄めているのが幸いだった。そして同時にソクの中に一つの疑問が浮かぶ。なぜ、トドメを刺さない。

 その答えは頭を上げた目線の先にあった。〈シンデレラアンバー〉がかがみ込んで激しく肩で息をしていた。先程までの驚異的な動きはどういう仕掛けなのかは不明だったが、おそらくスタミナ切れなのだろう。だがその姿にソク驚きと悲嘆で目を見開いた。

〈シンデレラアンバー〉のフェイスカバーが開放され、その装着者の顔が露わになる。涙と鼻水と胃液混じりの唾液に塗れた美月の相貌。酸素を求めて必死に喘いでいた。

 その顔にソクは見覚えがあった。新宿駅東口で自分を道案内してくれた少女。そして長野の森林の中でライフルを抱えて田淵を追った少女。見間違えなど無い。やはり、あの娘だ。あの時、親切にしてくれていた少女。

 ソクはマスクの内側の表情を悲嘆に曇らせた。

 いくら経済的に行き詰まり疲弊しているとはいえ、日本は素晴らしく美しい国だと思っていた。だと言うのに今目の前には、DAEなどという兵器を纏った少女が対峙している。こんなこと、悲劇以外の何物でもない。今自分達が敵対しているのも、きっと何かの誤解なのだろう。

 ソクは全身の痛みを振り切り、美月に突進する。

「うあぁぁ!!」

 美月、フェイスカバーを閉鎖し迎撃に拳を振り上げる。だがそのまま力無くソクに組み伏せられてしまった。 

 プロセッサバーストの終了によって、腕が二つ消え失せた感覚に陥っている。それによる喪失感と倦怠感がさらなる精神負荷として美月を襲う。アームが機械的な動きで背中に折りたたまれた。神経干渉による多大な負荷が彼女に降り掛かっていた。リミッター解除の揺り戻しである。

「武装解除しろ! 降伏するんだ!」

 美月を押し倒しのしかかったソクが英語で警告する。

「どうして子供が戦っているんだ! 君は強制されているんだな! そうだろう!」

 美月はソクを引き剥がすように〈エアバスター〉の腕を掴み、土手っ腹を殴りつけるがを入れるがダメージにもなっていない。

 殺される。

 美月にはソクの言葉は微塵も聞き届けられていなかった。

 このままでは殺される。

 きっと殺される。

 その恐怖と、まだ自分が為すべきことを為せていないという怒りが彼女の中でせめぎ合う。

 こんなところで終われない。

 殺される。

 お前は私に殺される。

 美月は傍に転がっているバレットM107CQに手を伸ばし、そしてソクに向けて至近距離でトリガーを引く。だがかちり、というハンマーが落ちる音だけで終わった。

「〈アンバー〉、もう一度プロセッサバーストを……!」

《非推奨。これ以上のリミッター解除はマスターへの……》

「うるさい!! 一秒だけでもいい!! さっさとしろっ!!」

 美月が日本語で叫ぶ。ソクにはその喚き声が何を意味しているのかを理解はできなかったが、何物かと会話しているということは察知できた。応援が来たのか? ソクは一瞬背後を一瞥する。

 それが致命となった。

「お前、私を哀れんだな……?」

 美月が牙を剥く。

 哀れみなど、一方的なそれは無理解と侮蔑に等しい。

《プロセッサバースト、アクティベート》

 一本のキャリーアームが突如動き出した。サムヘンは完全に不意を突かれていた。そのキャリーアームが〈シンデレラアンバー〉のサイドスカートに吊るされていたマガジンを引っ掴むと、バレットに叩き込むように装填した。

「お前に何がわかる! 家族を殺された悔しさを! 家族を殺した奴が法と秩序に乗っ取って正当に裁かれない理不尽を! そんな奴の庇護の元で生きた人間がそいつを善人と崇める不条理を!!」

 バレットM107CQの銃口がソクの、〈エアバスター〉の腹に突きつけられる。そして美月は躊躇なくトリガーを引いた。

 対物ライフルの接射にソクは吹き飛ばされた。激しく熱を持ち脈動する腹を見て、手に触れる。風穴が開き、〈エアバスター〉の人工筋肉の保護液と血液が混じった液体が流れ出ていた。

 上半身だけを起こし、前方に目を向ける。バレットM107CQを構えながら肩で大きく息をしている美月の姿があった。

 第二世代DAEの装甲では対物ライフルの銃撃を防ぐことはできない。ましては接射だ。致命傷だ。いくら装甲で減衰されていようと、中身は挽き肉になっていることだろう。

 だがなぜ自分は生きている。疑問と驚きを顔に浮かべながら、ソクはゆっくりと立ち上がる。立ち上がったことにもまた自分で驚く。内蔵も骨も蹂躙され即死するような攻撃を受けて、まだ立ち上がることができるとは。この新型DAEの性能によるものか。だがアラートは致命傷を負ったことを激しく警告している。撤退せよと煩く喚いている。

 美月は苦悶に満ちた表情で立ち上がり、ソクに銃口を向けている。

「お前もナノマシンを……!」

 ソクの中で理性が一つ残らず溶けていく。その代わりに快感にも似た高揚が埋めていく。痛みすらも甘美なそれとなり、目の前の少女を痛ぶり殺し犯したいという欲望がソクを支配した。

 美月、バレットを向けトリガーを引く。だがそこで特大のアラートが表示された。

 目の前のバレットのバレルが異様に膨張し、銃弾は放たれることは無かった。

 腔発。

 手にしたバレットM107CQのバレルが歪んでいたのだ。

 こんなところで……! 美月の中に絶望とあきらめが濁り水のように浸透していく。 

 ソク、その隙を逃さず美月目掛けて突進、タックルをぶちかます。激しく衝突した美月が突き飛ばされた。

 離れた距離を詰めようとソクは足を強く踏み出す。だがそこで全身が硬直した。

 いや、自分の体は動く感覚はある。だがDAEが、〈エアバスター〉の人工筋肉が一瞬にして硬直し、ソクを拘束した。

《よう、このメッセージが起動してるってことは、さてはてめーシマダの人間じゃねえな?》

 突如、音声が割り込んできた。〈エアバスター〉のシステム音声かと思われたが、AIによる女性の合成音声ではなく、録音ファイルが再生されたようだった。男の声。聞き覚えがあった。

 自分が捕らえて拷問し殺害した『カラシマ・ヒロキ』という男のものだった。

《このメッセージはセキュリティを突破された状態でマスターユーザー、及び予め登録されたゲストユーザー以外の人間が一定時間以上このDAEを着装していた場合に自動的に起動する。要はお前のような泥棒が人様のDAEで調子ぶっこき始めた時を見計らって起動するプログラムだ》

 辛島のメッセージは美月の〈シンデレラアンバー〉にも届いていた。突然のことに美月もマスクの下でその表情を呆けさせた。

《これを着ている不届き者のお前がどこのどいつかわからんが、残念だったな。くたばりやがれ》

 ソクは日本語がわからなかった。それ以前に既にソクは言語を解するような理性は消失している。それでも突如目の前で再生開始されたメッセージが何を言わんとしているのかくらいは理解することができ、屈辱に吠えた。

《そこにいるシマダの傭兵、誰だかわかんないけどお膳立てはしてやったぜ。それじゃ、後を頼むわ》

「……わかりました辛島さん。後は任せてください!」

 美月は使い物にならなくなったバレットを放り捨てると、腰部ハードポイントで保持していた折りたたまれた不格好な大型ライフルに手を伸ばす。

《非推奨。特殊兵装使用後の継戦能力に支障の発生を予測》

「いいから早く!」

 AIによる提案を無視し割り込み命令。〈シンデレラアンバー〉が特殊モードに移行する。美月には視界上には『超長距離狙撃モード』と網膜投影されていた。

 作戦開始前に急遽雪梅から持たされた特殊兵装。大型のアサルトライフルであることは見て取れるが、いざ使用するとなってみてもやはりその姿形は異様だった。

 シンデレラアンバーの白銀の装甲と対になるかのように、鏡のように磨きぬかれた黒塗りのボディ。その隙間にはスリットが伸びており、何より本来銃口があるべき箇所には銃口が開いていない。

 美月は右手その銃を保持しながら、左手を背後に回す。左脇腹部にあるカバーを外しその中からケーブルを引っ張り上げる。伸ばしたケーブルを銃の背面に空いた端子と接続する。

 システムが銃とのリンクを開始する。DAEのバッテリーから銃へと電力供給され、銃に熱が回る。通常の銃器ではありえない仕組み。だが、今美月が手に持つ銃は確かに電力を欲していた。

 銃が起動する。すると銃身がスリットから展開されていった。銃が変形したのである。だがやはり銃と言うには異様ではあった。変形したことで銃口と言える穴が展開されたがライフリングされた円形のものではない。まるで牙を剥いた肉食動物の横顔のようでもあった。そしてその銃口からさらに上下の一対のレールが伸びた。

《バッテリー接続、ドライバ認証、コンプリート。レールガン起動》

 AIの音声が言い終わると同時に二対のレールの間を稲光が迸り始めた。やがて電流による稲光はプラズマと化し銃身を中心に滞留していく。チャージに伴う甲高い轟音がソクの耳をつんざく。

 電磁投射砲(レールガン)。

 それが美月の構える不格好なライフルの正体だった。

 美月は片膝をついて腰を落とす。レールガンのストックを右肩に当て、立たせた左脚のヒールから小型の杭(パイル)が打ち込まれ床を穿ち、彼女の身を固定する。

《チャージコンプリート。エイムアシスト、照準補正、演算完了。ターゲットロックオン》

 エゲンの後頭部から背骨に沿って伸びるスパインから〈シンデレラアンバー〉の人工筋肉に編み込まれた疑似神経網に命令がくだされる。全身を包む人工筋肉が蠢き、銃口がソクへと定まるように美月の肢体を導くと、次に美月だにしないように硬直し彼女を拘束した。

 どれだけ銃弾を撃ち込んでも死なないのなら、その身そのものを消し飛ばすまでだ。

 美月の咆哮とともにトリガーを引き絞る。

《禁圧解除》

 余剰エネルギーが稲光となり弾(プロジェクタイル)に纏う。

 膨大なローレンツ力のエネルギーが死を導き、そして放つ。

 ソクが最期に認識したものは、まばゆい光のみだった。今際に故郷や家族のことを思い返す間も与えられず、痛みも音も感触も無く、ただ光のみにソクの存在は埋められ、そしてかき消されていった。

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