Chapter 4 It's pay back time with blood and bullet. ④

 まだ火を着けていないショートホープを咥えて夕夜は喫煙所へ向かっていた。着用している詰め襟の左肘が揺れている。左腕の袖から先にあるべき左手は、今日は装着されていなかった。

 喫煙所にあるバルコニーの扉を開くと、そこには美月の後ろ姿があった。学生服だった。既に夏の影も失せた秋の風に大きなポニーテールを揺らしてる。その長い足も色の濃いストッキングに包まれている。

「お前吸わないだろ」

「……そうですね」

 ここに来れば辛島がいると思った。またいつも通りサーベラスチームや他の面々が紫煙を吹かせながら談笑していると思えたからだ。

 夕夜は大仰そうにベンチに腰を下ろす。美月も夕夜の姿を認めると、その隣に座った。

 夕夜は当たり前のことのように咥えていたショートホープに火をつける。

「先輩、学校は?」

「面倒だからフケた。左腕、全部調整中でスペアも無いし」

 確かにクラスメイトの一人がいきなり片腕を失くした状態でやって来れば面倒なことになるだろう。

 夕夜の学校や同級生は彼が隻腕だということを知っているのだろうか。把握していたとしても、義手を着けずに隻腕姿を晒せば、それはそれでまた面倒くさいことになりそうだなと美月も想像がついた。

「影山こそどうした」

「わたしもサボっちゃいました」

 そっか、と夕夜は紫煙を吐き出す。

「そういう日もある」

 美月は浮き上がる紫煙を目で追った。

 見上げれば一面に青い空が広がっていた。夕夜の煙草の煙は青い空に融けて消えていった。

 秋の空だ。例年稀に見る暑い夏を引きずった残暑も嘘のように消え失せ、日が沈めば上着が一枚欲しくなる程となっていた。

 病院で羽田に声をかけられた時も、今見上げているような青空があった。あの時はまだ春先だったような気がする。もうはっきりとは覚えていない。

「吸うか」と夕夜がそれがまた当たり前のことのようにショートホープの箱を差し出す。おそらく本人は至って真面目に親切心で行っていることなのだろう。

「吸いませんよ」と美月が即座に断る。

 そうか、と夕夜は返す。そうして二人の間に沈黙が満ちた。

 辛島が死んでから、シマダの社屋内にはどこか沈んでいた。重い空気に耐えかねて夕夜はバルコニーに出てみたのだが、どこも同じだなと紫煙を吐き出す。

 シマダの社屋も、この豊洲の街も、そして二人の間にも重い静謐に満ちていた。夕夜の持つショートホープが燃えるちりちりという音も聞こえてきそうな程に。

 その静謐をそっと破ったのは夕夜だった。

「お前は何の為に戦っている。何が目的でシマダにきた」

 美月は夕夜の顔を一瞥する。ショートホープを中指と薬指で挟んで顔を手で覆うように紫煙を燻らせている夕夜のしかめっ面。煙草の煙のせいか、それとも別の不快さによるものか。

「金か、地位か。それとも戦うことそのものか」

「復讐です」

 即答した。

 夕夜は一度、美月に視線を向けるが、

「その復讐が終わったら、次はどうする」

 すぐに答えられなかった。美月は言葉に詰まる。

 それ以外のことを考えてはいなかったし、考えることもできずにいた。

「しんどいぞ。目標が無くなった後も動かなきゃならないってのは」

「そうですね。どうしたらいいんでしょう」

「知らん。それくらい自分で考えろ」

 ただ……と夕夜は言葉を続けた。

「これだけは言っておく。絶対に他人から与えられた理由なんかで戦うな。絶対に自分とは別の価値観に理由を求めるな。これは俺の……先輩としての命令だ。村木さんや辛島さんでも、楔でも同じことを言うはずだ」

 それと辛島さんも、と付け加える。

「何を、そんな当たり前のことを……」美月は夕夜の顔を見る。

「他人に戦う理由を求めれば、途端に正義やらイデオロギーやら愛国心やら何やらとゴミみたいな理由で戦う立派なアホが一匹出来上がる。そういう連中ほど大概タガが外れていやがって碌でもないことをやらかすんだ。……俺たちコンバットコントラクター、傭兵は紛れもない人殺しには変わりは無いが、それでも傭兵には傭兵なりのルールや倫理観や哲学ってものがある。だが、アホどもはそういうのを全部無視して、敵も味方も無関係の人間も巻き込んで勝手に満足して死んでいく」

 ショートホープを一口吸うと、夕夜は真剣な眼差しを美月に向け言葉を続ける。

「俺達傭兵が自衛隊や警察なんかと決定的に違うところは、命令では動かないところだ。傭兵は依頼で動く。命令は受けなきゃならないが任務は選べる。自分で考えて戦うし戦う相手も選べる。俺達は戦う理由を自分で決めることができるんだ」

「……とりあえず、お金の為ってことにします。ママ……母もまだ働けないですし、大学にもちゃんと行きたいですし」

 大学に行くための費用を工面するために傭兵をするというのも、なんだか変な話にも思えたが。だが、

「いいんじゃねえか。自衛隊よりも稼げるってんで傭兵になった人間も結構いるしな」

 夕夜は柔和な笑みを浮かべる。

「お母さんのこと、好きか?」

 何を当たり前のことを、と怪訝そうな表情を夕夜に向ける。

「たった一人残った家族ですから……」

 ふと美月は、夕夜はどうなのだろうと思った。自分だけ語るのはフェアではないし、よくよく思い返してみれば美月は夕夜のことを未だによく知らなかった。夕夜はあまり自分のことを語るような人間ではなかった。

「先輩はご家族は……」

「俺は殺したい程、母親が憎い」

 美月の言葉を遮るように、夕夜は一言だけ言い放ち、唇を真一文字に結んだ。これ以上は話さん、とでも言うように。興味はあったが、美月はそのことに深く踏み込もうとはしなかった。

 他の人たちはどうなのだろう。村木隊長はなぜ自衛隊を辞めてもまだ戦っているのだろう。辛島さんも北海道を脱してからは何のために戦っていたのだろう。聞くところによれば、社会衛生省のブラックリストにまで名を連ねていたという。あの優男が……と全く想像できないものだが。

 シマダ武装警備に所属するコンバットコントラクターたちは皆、何かしらのアウトサイダーである背景を持っている。三条は元警視庁捜査一課の刑事だったという。在日韓国人である林もおそらく何かしらの過去があるのだろう。キリカは「これしか生きる術がなかった。ここしか居場所がなかった」と本人の口から聞いたことがある。千葉もまたそれなりの過去があるという。

 先輩は? そう訊いてみたかった。夕夜がシマダに来た理由、戦う理由を。

 夕夜は肘から下が無い左腕を擦っていた。幻肢痛という言葉なら聞いたことがあった。痛むのだろう。その仕草を見て、美月は失くした左腕に理由があることを察し、そして興味本位で出かかった言葉を飲み下した。

 夕夜は指先に熱を感じた。右手に持っていたショートーホープが既にフィルターまで燃え上がっていたのだ。まだ三、四口しか吸っていないのに、と名残惜しそうに灰皿に押し付けると箱からもう一本取り出す。

「お前のその怒りと憎悪はお前だけのものにするんだ。生まれや国家、コミュニティ、そういった他人から借り受けたり押し付けられた怒りと憎悪なんかは決して持ってはならないんだ。みんなが怒ってるから自分も怒る、みんなが嫌っているから自分も嫌う、自分が嫌ってる連中が褒め称えてるから自分は嫌うってのは考えなしのアホのやることだ。お前のその怒りは、本当にお前自身の根っこから湧き出たものなのか。もしそうでなければ、いずれ何かしらの形で後悔することになるぞ」

 その疑問に対しては美月ははっきりと自信を持って答えることができた。

 この身に奔る憎悪は自分自身のものだ。

 バルコニーの扉が開かれ、久槻と羽田が姿を現したのはその時だった。アークロイヤルを咥えた久槻と、スターバックスのコーヒーを手にしている二人が美月と夕夜に気付く。

 シマダ武装警備のトップ。この二人もまたアウトサイダーの極みだ。なにせ、この二人は元社会衛生省公安局の官僚だったのだから。久槻に至っては実働部隊だったという。体制側の極みである。

 正確に言えば、久槻は元キャリア警官、羽田は総務省の元官僚であり、社会衛生省設立の際に省内の公安局に抜擢されたという。

 ただし在籍期間は半年足らず。その後、二人は結託して小さな会社を設立。その後島田機械が新製品のテスト運用も目的とした戦闘プロパイダ業に参入することを機に合流、今に至るという。

 社会衛生省。東京オリンピックテロ以降、その恐怖に立ち向かい新たな脅威を防ぐために国民を一つにするという治安維持機関。故に二人は古巣の話をする時は『ビッグブラザー』などと揶揄してみせた。

「おっと影山さん、未成年が煙草吸っちゃいけないんだよ?」羽田がおどけてみせる。

「それは真崎先輩に言うべきでしょう」

「自己責任ですよ自己責任。日本人好きでしょ、自己責任って言葉を口にすることが」

 夕夜は全く悪びれていない様子だった。

「こいつは何度注意しても言うことを聞かなかったからな、煙草に関しては」

 呆れたように久槻が言う

「どうだ参ったか」

「なんで偉そうなんですか、先輩」

 羽田が苦笑する。夕夜がその手に文庫本を持っていないことに気付いたのはその時だった。大抵、夕夜は煙草を燻らせる時は紙の本を相手にしていた。

「あれ? 真崎君、今日は本読んでないんだね」

「途中まで読んでたやつ、こいつに貸したんで」

 夕夜は顎で隣の美月を指し示す。

「何貸してもらったの?」羽田が訊ねる。

「『1984』って小説です」

「ジョージ・オーウェルか! いきなりハードコアなやつ貸すねえ、真崎くん!」

「古典SFの定番でしょう」

「どう、読み進められてる?」

 羽田が美月に訊ねる。

「そうですね……結構、手こずってます。あんなに分厚い紙の本とか初めて手にしましたし、あんなに内容の濃い文章を読むのも初めてです」

「だろうね。根気よくゆっくり読むといいよ」

 羽田は苦笑して言葉を続ける。

「影山さん、知ってる? 社会が人を支配するのに最も邪魔とされるものは、歴史と文学なんだよ」

 羽田が言葉を続けた。

「僕らが学生だった時から、歴史授業はだいぶ怪しくなってきたからねえ。馬鹿な連中がインターネットという文明の利器によって巣穴から出てきちゃったんだ。二十世紀末にインターネット黎明期というものがあって、二〇一〇年代にはSNS黎明期というものがあった。それからだね。東京オリンピックの開催前ということもあって、差別主義者の馬鹿な連中と頭の湧いたリベラル気取りのお馬鹿さん達がどんどん可視化されて、でかい顔をするようになっていった。聞きかじったようなソース不明の知識とも言えない知識をひけらかして世の中悟ったような駄目な頭の沸いた大人がゴキブリみたいに増えていった。溜息しか出なかったよ」

 羽田は呆れたように言った。

「今のこの国は、現在が完成された社会であって、今が一番最も良い時代だと認識させている。今より良い世界なんてありえないなんて妄言でしかない。それを保つことこそが最上であると……」

 溜息混じりで久槻が呟く。

「傭兵が街中でバカスカ撃ち合ってるってるのが最上な社会なんてね。悪い冗談にも程があるよね」

「過去の人間が何を考え、何を目指して社会を組み立て運営してきたか。その理念、過程や失敗を一つの大きなうねりや流れとして学ぶということは、今より良い明日を目指すということに繋がる。それが歴史を学ぶことの本質だ。そして文学は今の社会の在り方、人の在り方に疑問を呈するものだ。文学を学ぶということは、今とは違うここじゃないどこかの光景を垣間見たり、あるいは深淵の存在そのものを知ることがきる」

 久槻はアークロイヤルを一口含んで、紫煙と共に言葉を続ける。濃いバニラの香りが辺りに漂う。

「一つの普遍的価値判断基準を一人残らず強いたい社会からすれば、この二つは危険因子そのものでしかない。今日のものとはまた別の社会の在り方や価値判断基準、思想や哲学が存在し得た可能性を示唆する要素は、今の施政者からすれば邪魔でしかない」

 今日の教育現場では国語と地理歴史公民の授業量は極端に少ない。代わりに極端に増えたのが道徳だ。生徒達は源氏物語の存在も知らずに、只々、日本が美しい国であることを抽象的に仕込まれていく。日本は素晴らしい国です。お行儀よく列に並びます。食べ物も美味しいです。ポップカルチャーは世界でも一部には人気です。風光明媚な光景も数多くあります。実際には行ったことないですが。素晴らしい文学も数多くあります。半分程は十八禁ですし、内容も大して理解してませんが。たまに傭兵達が街中で銃を撃ち合います。ですが大丈夫です。日本には四季がありますから。

「さて、そろそろ戻ろうか。田淵信次郎を捕まえるためのブリーフィングをこれから始めるよ。奴さん居場所が掴めたんだ」

 羽田の言葉に美月と夕夜が顔を上げた。

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