Chapter 2 Ignite ②
助手席に白拍子を、後部座席に二人の東南アジア系の男を載せた白のクラウン・マジェスタは環八通りを走っていた。ハンドルは宇春が握っている。
二〇二〇年代末に自動運転システムは確率されたが、人より機械のほうが信頼が置けないなどという感情論によって、日本国内において公道での自動運転機能の使用は高速道路など限定的となっている。その結果として相も変わらず酔漢と痴呆老人が幼児をひき逃げする悲しい事故は絶えない。
羽田空港から目的地へ向かう車内で、助手席に座る白拍子は我来の秘書から送られてきたキルジナ人二人の資料をミクスによる複合現実表示で眺めていた。
「あ、なんか気持ち悪くなっちゃった。車酔いだ」
キルジナ人民共和国。東南アジアに位置する国家の一つである。繰り返されてきた内戦とジェノサイドが二〇〇〇年代に入りようやく収束したが、現在においても情勢と治安は安定していない発展途上国であった。
我来の客人というのは正確に言えば誤りで、このキルジナ人二人も我来の直属の部下であった。
名はソクとフンセン。この二人もコンバットコントラクターであるそうだ。なんでも我来に恩があり、その縁で我来の身辺警護を主な任務としているとのことらしい。ソクが四十代の中年、フンセンが二十代前半といった具合に見えた。
その二人は今、後部座席に座っている。コンバットコントラクターらしく鍛えていることが、バックミラー越しの二人の姿から見てわかる。
「これでそれがしもお役御免になるといいんだけどなー」と白拍子は日本語で零した。
「どうかされましたか?」
後部座席に座る二人のキルジナ人の内の一人、ソクが白拍子の独り言に英語で反応する。
「あぁ、いや自己紹介がまだでしたねって話でした。ではあらためまして。あたくしは白拍子と申します。我来さんのお手伝いをさせていただいてますフリーランスのコンバットコントラクターです。で、こちらで運転しているのが、私の部下の宇春と言います。ようこそウェルカムトゥジャッパーン、美しい国ニッポンポンへ」
そう白拍子が声のトーンを上げて陽気に応える。それに対してもう一人のキルジナ人、フンセンが「もう何度も来てるって」と小さく吐き捨てた。
二人が我来から受けた恩。それはそれはニッタミによるキルジナ援助事業を指していた。ニッタミは人件費を抑え日本人社員の給料を抑える一方で、キルジナには多大な金を流し込んでいた。多くの学校を作り、キルジナ人に教育を授けていた。日本人を犠牲にした金でキルジナ人を養っていたと言える。そのほうが「人を救ってやった」という充足感を得られるハードルが低いからだろう。日本人の中にも教育を受けられず、明日の三食も心許ない者は大勢存在するというのに。「趣味悪」と白拍子は心中で唾棄した。
ソクは我来のおかげで娘を学校に行かせることが可能となり、フンセンもまた我来のおかげで大学まで卒業することができたと、誇らしげに車内で語っていた。
「その果てが傭兵ですかぃ」
白拍子の漏らした一言。それで車内の空気が一気に張り詰め、そして冷え込んだ。
フンセンが敵意を隠そうともせずに助手席の白拍子を睨みつける。ソクはフンセンの肩に手を置くと、首を横に振り彼を制する。
「ミスタ・白拍子。我来さんは我々に教育を授けてくれた。我々に仕事を授けてくれた。その日その日をやり過ごすだけの生活を向上させてくれた。我々は我来さんに恩義を感じているし、またそれに応え返さなくてはならないと考えている。だから私は彼のために戦うと決意したんだ。隣の彼も、ニッタミのおかげで、我来さんのおかげで家族を養うまでになれた」
「だけどその金は、本来は誰のものだったんでしょうね。ニッタミは社員、従業員を殺すまで使い潰し、下請けや協力会社に対しても平気で金払いを踏み倒してきた碌でもない連中ですぜ。実際、やつがれも我来から請けている仕事に対して釣り合ったペイなんか貰っちゃいないんですわ。キルジナからの観光客の添乗員なんてやるにしても、手当なんざもらっちゃいないんですがね」
ニッタミによる日本国内での黒い話はソク自身も認識してはいた。だが、その事実からは目を逸らしていた。知らないふりをしていた。自分の娘が誰かの犠牲によって教育を受けることができたことを考えないようにしていた。眼の前の能面男に、見ないようにしていない部分を突かれてソクは押し黙るしかなかった。
「ご存知ですかぁ? つい半年前もニッタミの不正会計を調査していた地検特捜部の検察官と財務のお偉いさんが死んだんですよ。金回りの管理をしている人間が同じ時期に二人も死ぬなんて不思議なこともあるもんだなぁ」
白拍子の座席が小突かれたのはその時だった。真後ろに座っているフンセンが前の座席を蹴ったのだ。
「うるせえよ、傲慢な衰退国の分際で」
フンセンが毒づく。英語ではなくキルジナ語だった。
わからないとでも思ったのだろう。だが白拍子はすぐさま反応して、後部座席へ身を乗り出し、フンセンの顔にその能面を近づけた。
「んなことオイラも生まれた時から知ってんだよ」
キルジナ語だった。ソクとフンセンが目を丸くする。能面が右に左に揺れて、嘲笑うように小刻みに揺れた。のっぺりとした白い顔が表情も無く嘲笑うように。
「キルジナ語、わからねえと思ってナメてかかったな。永遠の開発途上国の土人どもめが」
低く地を這うような白拍子の声音。先程までの道化とは全く違う、言葉で形容することのできないおぞましい白い能面がそこにはいた。
「ソクさんの娘ちゃんたちとフンセンくんの通っていた学校、いったいどこのお金で建てられたものかちゃんとご存じてる? そう! ニポンのお金! 我らがボス、我来臓一様が自ら汗水流さないで日本の労働者へ搾取に搾取を重ねて得た利益を社員に還元せずにてめえの名声欲しさと税金逃れ目的でキルジナに流したビッグマネー! そう! あなた方が受けた教育は日本人の搾取によって成り立っているのです!」
「ボス、車の中ではしゃがないでください」
ハンドルを握っている宇春が苛立たしげに口を挟む。
「だっていうのに、その言い草はひどいんじゃなぁい? まぁこの国は中身すっかすかなのは同感できるけどさ」
「ボス、シートベルトを外さない! 子供じゃないんだから!」
シートベルトを外して後部座席に乗り込もうとした白拍子のベルトを掴んで、助手席へと強引に引き戻した。
この白拍子とか言う男、見た目以上に信用が置けない。ソクとフンセンは互いの目を合わせてその認識を共有した。
車内に一瞬にして充満したひりついた空気にため息をつきながら、宇春はハンドルを切る。ニッタミ本社に到着するまで、四人は終始無言のままでいた。
ニッタミの本社は大田区大鳥居に鎮座奉られていた。一棟まるごとニッタミの持ちビルであり、その様相は十階から上は二股に分かたれている。さながらミニ東京都庁と言えるものだった。
目の前にそびえる権力の象徴を見上げて、白拍子はソクとフンセンに聞こえよがしに「何回見ても趣味悪っ」と言ってのける。日本語のわからないフンセンだったが、それでも碌でもないことを言っていることはわかるようで能面に向かって舌打ちをする。
我来が鎮座奉られている社長室が存在するフロアには一階エントランスのエレベーターから直接行くことはできない。「セキュリティだけにはちゃんと気を回してるんだね。まぁ権力の亡者なら当然か」と再び聞こえよがしに白拍子がつぶやくと、フンセンがそれに応えるように舌打ちをする。幾度かエレベータを乗り継ぎ、階段を昇り、いくつかのセキュリティゲートを通過して、ようやく社長室の扉の前までたどり着いた。ここまでに白拍子が「めんどくさ。はーめんどくさ」とつぶやく度に、フンセンが舌打ちを繰り返していた。
天井に貼り付いてる監視カメラが動く。映像認識により白拍子たちの姿が認証されると、社長室のドアロックが解除された。
サムヘンがノックをしようとするが、その前に白拍子が遠慮も無く扉を開けてずかずかと入り込んだ。
ニッタミ総裁の玉座の間。二間あるうちの手前の部屋は社長室というよりも、豪奢な私室と言っても差し支えないものだった。働くための場所ではない。権威を誇示するための部屋である。白拍子はぐるりと能面を巡らせる。部屋中には我来臓一の自己顕示欲の表れが所狭しと張り巡らされていた。政権トップと並んで写っている写真。よくわからない賞状。我来本人も価値を理解しているとは思えない高価そうだが統一感のない雑然とした調度品は、我来のセンスと教養の浅薄さが伺える。極めつけはまるで神棚のように、自身の肖像画が部屋の上部に飾られている。カルトか独裁国家の様相だ、と白拍子は能面の下でげんなりとした表情を浮かべる。
「やあ二人とも! 長旅ご苦労」
奥の執務室から声がかかる。磨き抜かれ普段から業務で使い込まれているとは思えない高価そうな木製の執務机を挟んで、革製の椅子に腰を下ろしている男。
我来臓一。
それが当たり前のことのように仕立ての良いスーツを纏っている。ブランド云々に疎い白拍子にはそれがどこのものかまでかはわからないが、新卒社会人の年収くらいはありそうなものだと見えた。これが絶妙に似合っていない。この男のセンスの悪さが窺えて、白拍子は鼻白む。
そのスーツを纏った胴体の上には張り付いた笑顔が、その真中に鷲鼻が生えている。ソクとサムヘンの姿を見ると、だらしなく垂れた目がさらに垂れた。
株式会社『ニッタミホールディングス』の総裁。この男の悪評は白拍子の耳にも届いている。
そして政権与党の一派閥『勉強会』の一員でもあることも。先日も国会答弁でNHKのカメラが回っている中、労働法改正に関する国会答弁の折りに過労死防止を訴えかけた公述人の過労死遺族に対し「賠償金はいくらもらった? 一億か?」「話を聞いていると週休七日が人間にとって幸せなのか?」「それぐらい働けないのであれば日本人である資格が無い」などとのたまってみせたことは記憶に新しい。この後、ブラックウェブにあるアノニマスBBSは大盛り上がりであった。
以前には「人間は食べ物が無くても人から『感謝』を受けるだけで生きていける」という名目で社員の給料からキルジナへの寄付金を天引きしていることが発覚しても、何ら悪びれることもなかった。
むしろこの男は自分の為していることは全くもって正しいことであると、強烈に思い込んでいる。自分がやらかしていることが悪事である認識している悪党以上に厄介な下衆野郎、というのが白拍子が持つ我来への認識だった。
「白拍子君もありがとう。急な申し出を受けてくれて」
我来が握手を求める右手を差し出す。これまた高いだろうが、香りがきついだけで興ざめする。
「次から気をつけてくださいね。ほらぼく、零細フリーランスなんで。おたくらのお賃金だけじゃとてもじゃないけどやっていけないんで。これから他の案件にも手をつけないといけないんで。おたくらの仕事だけやってりゃいいってわけじゃないんで」
白拍子のあからさまな不満の言葉に、フンセンがまたもや敵意を込めた視線を向け、ソクもさすがに不満さを顔に露わにした。だが我来だけは張り付かせた笑顔を変えない。努めてやっているのか、あるいは素なのか、白拍子ですらわからない。
「いやいや、君の働きぶりには感謝しているのだよ」
「そういうのいいんで、拙者もう帰っていいですか。二十四時間、鼻血が出てぶっ倒れるまで働きたくないんですけど。人間にとって幸せなのは高い賃金と週休七日ですよ。やりがいなんていう抽象的なものなんかじゃなくて」
「はっはっは、次も何かあれば頼んでいいかい」
「話聞いてる? あとその時は文面でお願いします。いやほんとマジで」
社長室を後にする白拍子。ドアを閉めると、すぐさまロックがかかる音がした。
「いや今のは報酬上げろって言ってるつもりだったんだけど。わざとか? いや多分ほんとにわかってないんだろうな。というか、あともう少しあの部屋の空気吸ってたら危うく殺しちゃいそうだったよん」
そうぼやく能面姿の元に、外で待機していた宇春が歩み寄ってきた。
「さて宇春ちゃん、頼んでくれたことの首尾はどうかな?」
「申し訳ありません、思った以上にセキュリティが堅くて六割程度といったところです。ですが形跡は残していません」
「ん! 上等上等。”足跡"さえ残してなければ十分だよ。えらいえらい」
そう言って白拍子は宇春の頭を優しく撫でた。宇春は頬を赤らめながら、手のひらを差し出す。その中には一枚の小さなメモリーカードがあった。白拍子はそれを受け取るとケースの中に収納した。
白拍子は我来と謁見している隙を利用して、宇春にニッタミのサーバーへの侵入を命じていた。狙いはナノマシン関連の情報である。
「完全なデータでなくてよろしいのですか?」
「このデータはね、たとえ断片であっても存在することに価値があるんだよ」
「凍結された医療用ナノマシンの極秘の再開発計画。それをニッタミが主導しているという証拠データ……ですか」
「そ、影山総悟っていうすごい人の尊い犠牲が生み出した、ニッタミに対する銀の弾丸ってとこかな」
言いながら白拍子はそのケースを自身のスーツの懐へと仕舞い込む。
「この国を牛耳るクソどもに新しい尻の穴をこさえてやるには、ちょっと威力不足だけどね
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