戦闘株式会社シマダ武装警備 -Hate Crew Deathroll-

桃李

戦闘株式会社シマダ武装警備 -Hate Crew Deathroll-

Prologue Everything is too late.

Prologue Everything is too late.

 死なせるか生きるままにしておくという古い権利に代わって、生きさせるか死の中へ廃棄するという権力が現れた、と言ってもよい


ミシェル・フーコー 渡辺守章訳「知への意志(性の歴史)」








二〇二X年 台湾 高雄市

 その日の高雄市は雨のち晴れ。昼頃まで降っていた雨はすっかり上がり、日暮れ時の今では西日は鋭さを増していた。

 台湾一の工業地帯である高雄市であったが、今はひとけはほとんどなかった。コンビナートの稼働は全て停止しており、周囲の建物もシャッターは全て降ろされ、窓ガラスもほとんどが砕かれていた。夜市で使われる屋外用のテーブルや椅子は道端に打ち捨てられている。

 その代わりに、一台の中国人民解放陸軍の軍用車、BJ2022がのろのろと走っていた。

 高雄市は現在、中華人民共和国人民解放軍の勢力下におかれていた。

 二〇二〇年代、中国共産党主席の任期無制限化によって高まった台湾による中国本土への反発はやがて武力制圧をも必要とするほど大規模となった。当初はただのデモ隊と警官隊との衝突でしかなかったが、当時の台湾政権がデモ隊と同調したことで、中国本土の逆鱗に触れることとなる。

 また当時、中国共産党はこれまで築き上げてきた経済関係を無に帰すほどにインドとの政治的対立を決定的なものとしてしまったいた。中国側としては現実的となったインドとの本格的な対立に備え、その前に内憂をどうにか解消しておきたいという考えと、そしてインドとの対立による経済的損失を補填するために台湾の経済力を取り込もうという考えがあった。

 中国本土の人間にとって、台湾も中国の一部でしかない。だというのに、連中は西側諸国の自由民主主義を掲げて憚らない。だが内憂も全て潰せる。晴れて中華人民共和国の全土統一が成されることになる。ようやく「一つの中国」が完成することになる。

 中国共産党は「解放」と称して台湾への武力介入を開始。人民解放軍は高雄市へと上陸し、台湾の独立をかけた戦争の火蓋が切って落とされた。

 台湾政府は非戦闘員の住民の避難を優先させたのか、台湾軍による戦力配備は不十分なものだった。散発的な抵抗を全て制圧し、翌日中に人民解放軍は高雄市の制圧を完了させた。ましてや人民解放軍は軍備強大化の最中にあり、この戦争もわずか数ヶ月足らずで終わると誰もが考えていた。

 この中国の動きをアメリカ側が黙って見ているだけではなかった。だが、直接的な軍事支援が行われれば、それこそ第三次世界大戦の銃爪ともなりかねない。それは中国、アメリカともども望んではいない事態だ。

 それを避けつつ、なおかつ中国への嫌がらせを目論むのであれば、表向きは傍観、不干渉を決め込みながらも秘密裏の民間レベルでの支援、その程度のことしかすることはなかった。だがそれらも全て無意味に終わった。

 これで我が国はアメリカを追い抜くのは時間の問題ともなる。目の上の瘤とも言えるロシアもそう簡単にものを言えなくなるだろう。無論、日本に対してもこれまで以上に強気で出られる。

 中華人民共和国は文字通り世界の中心に咲き誇ることになるだろう。

 BJ2022のハンドルを握る周陸軍列兵は、誇らしく思えてきた。

 だがあまりにもあっけなさすぎた。

 高雄市は経済的価値の観点から鑑みても、台湾の要所足り得る。海にも面していることから、中国軍の上陸目標として見ることはできるはずなのに、昨今の本土と台湾の悪化した情勢からすれば軍備を整えていないほうがおかしい。

 まるで我々を誘い込んでいるようにも……。

 そのように考えを巡らしていると、周は進路上に人影がいることに気づき慌ててブレーキを踏み込んだ。

「危ねえな! 急に止まるんじゃねえ!」

 助手席に座っていた上官である張初級下士官が怒鳴る。

「す、すみません。でもアレ見てください」言いながら、周はフロントガラスを指差した。後部座席に座っていた李上等兵も何事か顔を突き出す。

「あ、なんだありゃ?」

「味方……でしたっけ?」

 張が細めた視線の先には一つの人影が立っていた。夕日が逆行となっており細かなシルエットを視認することができず、黒い影としか見て取れなかった。

 その影は人というには大柄であり、ずんぐりとしたものであった。

 彼らはこの時、油断しきっていた。

 自軍が制圧した地域だから敵など侵入しているわけがない。この哨戒もあくまで命令だからやっているものでしかない。

 張が助手席から降り、ドアを苛立たしげに叩きつけるように閉めた。

「おいお前! そこをどけって言ってるだろ!」

 張が怒鳴った途端、彼は急に踊りだした。手足が文字通りもがれるほどの激しいツイストだった。BGMは重機関銃の連続した銃声。数秒足らずで張は物言わぬ挽き肉へと変貌した。

 周と李は眼の前で起きた事態を理解するのに一拍の時間がかかった。

「敵襲! おい、敵だ!」

 李が叫び周が座っている運転席を蹴る。

「敵って、台湾軍はもうこのあたりにはいないはずじゃ!」

「わかんねえよ! とにかく攻撃してきたんだから敵だろ! 逃げるぞ!」

 周たちの装備は心もとないものだった。彼らに与えられた任務は制圧区域の哨戒だ。李が後部座席から身を乗り出して無線機をぶんどる。

 周は慌ててギアをバックに入れてアクセルを踏み込む。4WDのタイヤがわななくが、それだけだった。敵の銃撃が前輪タイヤを粉砕した。

「くそが!」

 李がアサルトライフルを手にして車両が飛び降りると反撃を試みた。95式アサルトライフルが火を吹く。だが、浴びせた銃弾は甲高い音と火花を立てながら全て弾かれた。前方の黒い人影はダメージも衝撃も受けた様子は全くなかった。

 お返しと言わんばかりに敵が重機関銃の掃射を周に浴びせる。そうして周もまた張と同じように銃声をBGMに激しく身を躍らせながら、随分と風通しが良くなった。

 周はフロントガラス越しに紅い光を見た。

 黒い影から怪しく輝く紅い一つの光点。

 あれは目か? 目なのか? そもそもあれは人間なのか?

「紅色的眼睛(紅い目)……」

 怯懦に震えながら周が漏らす。あの紅い一つ目を持つ人間などいるものか。あれは化物だ。

 タイヤを破壊され動かなくなった車両を捨てる。ドアを蹴り開け、逃げ出そうとする。だが、足元に転がっていた李の死体に躓き、その場で転倒した。受け身もろくに取れずにその身をしたたかに打ち付けるが痛みに悶ている暇など無い。だが恐怖にかられたその身はもう言うことを聞かなかった。周はへたり込んだまま後ずさるしか他はなかった。

 人のものとは思えない重量のある足音を立てながら、その影が周のもとへと歩み寄っていく。

 敵が距離を詰めてきたことで、ようやくその姿を視認することができた。

 敵は人間ではなかった。

 一体の鎧が周を見下ろしていた。隙間無く全身に鋼鉄の装甲を身に纏う鉄(くろがね)のおぞましい鎧。

 顔面は髑髏にも似たマスクで覆われていた。口元を覆うのは歯列を剥き出しに食いしばったようなハードポイントが並んでいる。一つの紅い光の正体は大きな鈍く輝く目玉だったようだ。

 一つ目の髑髏。髑髏は死の象徴であり、死をもたらす者である。

 その髑髏面は重さ二〇キロを超える改造された七四式重機関銃を両手で苦もなく抱えている。グリップを両手用銃把から片手用のものに換装した、強襲用携行型である。戦車などの戦闘車両に車載する大型のマシンガンをこの鎧は軽々と振り回していたのだ。分厚い装甲の下に張り巡らされたマッスルシリンダーによるパワーアシスト機能の賜物だ。

 子供のころ、ネットで視聴していた日本のアニメかハリウッドの映画に出ていたような存在がそこにいた。

「降伏だ! 降伏する! 捕虜になるから命だけは……!」

 周は両手を上げて叫ぶ。

「中国語はわかんねえよ。日本語か英語で喋れ」

 髑髏が喋った。だが広東語でも北京語でもなかった。音節がしゃちこばっている、アニメでよく聞いていた日本語だった。とりあえずは口を聞けるらしい。周はわずかに安堵して、言語を英語に切り替えて改めて降伏を伝えようする。英語なら通じるだろう。

「まぁ、大方降伏したいって言ってんだろうがよ」

 髑髏面の鎧は周の英語による降伏も無視して七四式を構え、周に銃口を向けた。

「俺たちの姿を見た者は全員殺せとの上司とスポンサーからのお達しだ」

 そして周もまた踊らされた。有効射程距離二キロメートル以上の威力を持つ銃撃を至近距離で受けた。おそらく痛みを感じる間もなかっただろう。

 髑髏面が新たに弾帯から銃弾を補給する。

「こちら〈イェーガー2〉、B3ポイントで会敵。人民解放軍兵士を三名射殺」

『おいおい、ミスタ・ムラキ。記念すべき新兵器の初めてのスコアはお前がつけたってわけか! 歴史に名を残したな!』

「馬鹿言ってくれるな。俺たちは今ここにはいないはずの存在だ。俺たちの戦績はあくまで台湾軍によるものだ」

 台湾軍にあって台湾軍にあらず。今の自分たちは所属も正体も不明の髑髏部隊である。

『こちら〈イェーガー4〉、B5ポイントで会敵した。戦闘を開始。こりゃ鴨撃ちだな』

『〈イェーガー5〉だ! すげぇなこいつは! ほんとにアイアンマンになった気分だ!』

『どっちかというと、ウォーマシンって感じだけどな。武器も名前も。あぁこちら〈イェーガー6〉、B9ポイント通過後〈イェーガー5〉と合流した。おぉーい、あんまり調子に乗るなよ』

 そこかしこで重機関銃の銃声が轟き始める。次いで悲鳴。人民解放陸軍との戦闘が始まった。それは戦闘というにはあまりに一方的だったが。

「よう、〈イェーガー2〉」

後方七時方向から、もう一体の髑髏面の鎧が近づいてくる。〈イェーガー1〉。この鎧たちの部隊の指揮官である。

「この調子だと明日くらいには高雄市を奪還できそうだな」

 〈イェーガー1〉がムラキの肩に手を置く。接触通信による会話は無線よりも明瞭だった。

「そういや、このアイアンマンスーツの正式名称が決まったってよ。『Deadly Asullt Exoskeleton』だとよ。略して『DAE』だ」

「ようやくかい」

 ある日上司から呼び出されて、「これがお前たちの新しい装備だ」と髑髏の鎧を渡された時はまだ正式名称も決定していないほどのできたてホヤホヤだったという。開発コードネームは『ナヅキ』とされていたという。ムラキたちが所属する組織のお偉方はパワードスーツやアーマーと呼んでいたが、自分たち現場要員は便宜的にアイアンマンだのと呼び笑っていた。その呼称に〈イェーガー2〉、ムラキは若干辟易していた。自分はスーパーヒーローになった覚えなどないし、なりたくもない。

 周囲では本格的に戦闘が開始されたようだ。通信では各ポイントで会敵の報告が上がってくる。重機関銃による銃声は濃くなり、悲鳴とのアンサンブルが始まった。ところどころアクセントとして手榴弾のものと思しき爆発音も混ざる。敵が使っているのだろう。だがDAEの装甲に対しては無力だ。爆発と粉塵の中をものともせず、鋼鉄の一ツ目髑髏たちは突き進む。

 やがて上がってくる通信は殲滅報告が多くなってきた。損傷は皆無。一方的な戦闘だなとムラキは思った。

「なぁムラキ。いつか訊こうとは思っていたんだが」

 〈イェーガー1〉、が声をかける。〈イェーガー2〉のムラキとは知己の仲であり、今回のこの任務も彼によって勧誘されたものだった。

「なんだ」

「どうしてお前は日本を出て兵隊になった」

 またこの話か。ムラキは髑髏のマスクの中に溜息をつく。会う人間会う人間皆に何度も説明してきた、自分のこれまでの経緯(バイオグラフィー)。日の丸を付けた迷彩服姿じゃない日本人が銃をかついで戦場を練り歩いてる姿はまだまだ珍しいようだ。

「あの国にはほとほと愛想が尽きたからだ。クソみたいな国だったよ」

 ムラキのこの手の話は、まずこのセリフから始めるのがお決まりだった。

「二〇二〇年の東京オリンピックがテロでやられてから、あの国は本当に肥溜めみたいになったよ。まぁそれ以前から相当クソだったがな。俺がまだ下の毛が生え揃ってないガキだった時分でも理解できたよ。今も昔もあの国を運営しているヒヒ爺どもは、未来のことなんか欠片ほど考えちゃいなかった。連中の頭の中は次の選挙と自分の腹に溜め込む金のことしか考えてねえ。あとは連中の支持母体であるカルトどものご機嫌取りもだな。そんな政府は選民思想丸出しときたもんだ。そういうクソどもを手前が搾取されてるとはわかってない連中が支持しているもんだから、なお質が悪い。まるで肉屋を支持する豚だ。

 野党も野党でそんなクズどもを引きずり下ろせない能無ししかいなかった。後はお前らも知っての通りだ。どっかの馬鹿がオリッピンクででかい花火が打ち上げてくれたよ。

 オリンピックがぶち壊されて、それであの国も世界も終わってくれればそれでよかったんだ。ゲームみたく、ミッションが失敗してゲームオーバーってな具合にな。だが残念なことにオリンピックが失敗に終わっても明日はやってきやがるもんだ」

 この話は何度も話して既に飽き飽きしている。だがムラキの日本をこき下ろし罵倒するその語り口は、とても滑らかで楽しげなものだった。

「だったらどうして自衛隊なんかに入ったんだ。やっぱ食い扶持か?」

 〈イェーガー1〉が尋ねる

「まぁそれもある。自衛隊は数年ごとに退職金が出るからな。つっても彼の国は搾取することしか考えてない。それは国を護る人間に対してもだ。提示された退職金の数字を見て反吐が出そうだったよ」

 あぁそれともうひとつ、とムラキが付け足す。

「日の丸を見ると蕁麻疹が出るんだ」

 〈イェーガー1〉はげらげらと大声を上げて笑った。髑髏が肩を震わせてその姿はなんともコミカルに思えた。

「実は俺もなんだ。星条旗が目に入ったり流れてきたりするとくしゃみと鼻水が止まらん」

「そいつはぁご愁傷様だ。この稼業じゃ嫌でも関わってくるだろ」

「あぁ。だが特効薬もあるんだ。核って言うんだけどよ。そいつさえあればご機嫌なんだが。このアイアンマンのスーツじゃ物足りねえ」

 地鳴りとともに金属がアスファルトを踏む音がムラキたちの話を遮った。履帯の音が地響きとともに響き渡る。

「おいでなすったようだぞ」

 〈イェーガー1〉が言いながら74式重機関銃を右手一本だけで持ちストックを脇に挟み込む。背部にある二本のキャリーアームの内一本がその鎌首をもたげさせた。その先にあるマニピュレーターにはロケットランチャーが保持されていた。〈イェーガー1〉はそれを左手で受け取る。

 RPG。対戦車ロケットランチャー。戦車の性能が発展した今日においては、対戦車とは名ばかりとなってしまったものである。だが無いよりはマシであるし、何よりこいつは本命ではない。

 そうして履帯の音の主が姿を現した。廃墟となったビルから砲身が伸びてきた。

 中国人民解放陸軍九八戦車である。

 正体不明の敵勢力に対して、今動かせるだけの最大の戦力を用いて迎え撃つ。その判断は正しいと〈イェーガー1〉は思った。だが随伴歩兵をつけなかったのはミスだ。このような状況においては時間がかかってでも、部隊の編成を焦ってはならない。まぁ、そうこうしている内にキャンプに乗り込んでやるのだがな、と〈イェーガー1〉は髑髏の面の内側で舌なめずりをする。

 九八式戦車が〈イェーガー1〉を視認するや否や、主砲を発射。〈イェーガー1〉はこれを側転して回避。背後の建造物に砲弾が直撃し粉塵が舞い上がる。〈イェーガー1〉、そのまま滑らかな挙動で立ち上がり駆け出した。その重装からは全く想像がつかない俊敏さと身のこなしだった。

 〈イェーガー1〉、九八式戦車の周囲を駆け回りながら七四式を乱射、その次にRPGを発射する。サーモバリック弾頭が九八式戦車の正面装甲に突き刺さり爆発を引き起こした。だが手応え無し。そもそも第三世代主力戦車の複合装甲を歩兵用の携行兵器でダメージを与えられるなどと最初から期待していない。噴煙が舞い上がる。

 だが敵は混乱しているはず、と〈イェーガー1〉は判断していた。

 敵が最も恐れていることは戦車に乗り込まれて車両内部を強襲されることだ。そしてこのDAEの機動力と対人機銃を無視できる防御力ならばそれが可能である。敵もそれを警戒しているのだろう。

 舞い上がった粉塵が晴れてくる。

 九八式戦車の車長が視認できた髑髏の目はひとつだけだった。


 ムラキこと〈イェーガー2〉は大通りから外れて裏道を駆けていた。抱えてた七四式を腰部のハードポイントへ吊る。すると背部にある二本のキャリアームが鎌首をもたげさせた。その先にある二つのマニピュレーターが保持する武装が目の前に差し出された。

 大型のライフルだった。それもリボルバータイプ。口径もライフルのものとは思えないほどに大型であり、銃弾ではなく砲弾を撃ち出すためのものとしか思えなかった。ムラキもこの武器を受領した時には一体何を考えているものだと訝しんだ。

 リボルバーに収まっている弾丸は紛れもなく銃弾といえるものではなかった。かといって砲弾とも言えない。

 どう見ても杭か槍、ハープーンといった類であった。ライフルで撃ち出すようなものではない。鯨を狩るための代物にしか見えなかった。

『俺が奴と遊んでやる。〈イェーガー2〉、お前があのケツを掘ってやれ』

「了解。毛までむしり取ってやるさ」

 〈イェーガー2〉が超大口径リボルバーライフルを腰だめに構える。両足を広げ腰を落とす。

 島田機械製対戦車ライフル〈ドラゴンズブレス〉。

 昨今、ついに第四世代型主力戦車の開発が開始され、とうとうRPGなどの成形炸薬弾を用いた傾向型対戦車兵器が陳腐化した。ならば、と原点に回帰し単純な運動エネルギーを用いることにした武装である。

 超大口径の硬性を極めた特殊弾頭の運動エネルギー弾をぶち込む。質量攻撃という実に単純な原理であり、例え三・五世代主力戦車の正面装甲であろうとも特別製の劣化ウラン弾を用いれば有効であることが証明されている。

 そのような怪物じみたものをまともに携行兵器として運用できればの話だが。

 実際のところは生身の人間では数人がかりでようやく運用できる、運用できたとしても扱いにくいことこの上ない欠陥兵器だ。

 だがDAEのパワーアシスト機能がその運用を可能にした。大砲を持ち歩くという馬鹿げた行為を可能にした。

 〈イェーガー2〉、裏通りから再び表通りへと出て九八式戦車の背後に出た。ドラゴンズブレスを腰だめに構え、姿勢を低くする。九八式戦車の背後に照準を定める。敵戦車もセンサーによってこちらの存在に気付いたのだろう。旋回し回避行動を取ろうとする。だがもう遅い。

 〈イェーガー2〉が銃爪を引いた。低い轟音と衝撃。反動でひっくり返りそうになった。マスクをしていなければ鼓膜が破れそうなほどの衝撃が装甲の表面から全身に振動として伝わってくる。

 超硬質化コーティングされた劣化ウラン製の杭が発射される。運動エネルギーによる質量兵器が九八式戦車に叩き込まれる。

 セルフシャープニング効果により弾頭先端部分が先鋭化しながら侵徹していき、装甲をぶち抜いた。運動エネルギーによる銃撃によって着弾対象に行き場の失った衝撃が襲いかかる。九八式戦車が激しく揺れた。

 九八式戦車は尻に大穴を穿たれ沈黙した。撃ち込まれた杭は焼夷効果により炎をぶちまけながら戦車内をさんざん中で暴れまわったようで、戦車前面の装甲を内側から盛り上げていた。中の搭乗員は言うまでもないことだろう。

「こちら〈イェーガー2〉、敵戦車を撃破」

 今この瞬間を以てDAEは戦車に対する有用性を示した。一ツ目髑髏の鎧は市街戦において戦車にも対抗しうる最強の歩兵装備であると証明された。

 そうして殺戮を背に二体のDAEが談笑しながら進軍していく。死を象徴する鋼鉄の髑髏たちの行進が続く。紅い目が幽鬼のように揺らめく。髑髏は一つ、また一つと増えていく。一ツ目髑髏たちの葬列が出来上がる。

 彼らに所属は与えられていない。存在しないはずの兵士たち。髑髏たちに名前など無い。

 その晩、高雄市中心部の人民解放軍キャンプは一夜にして壊滅。ムラキたち所属不明DAE部隊を先頭として台湾軍の反撃が開始された。

 十日後、高雄市を奪還し、残存人民解放軍を殲滅した台湾軍が上海上陸の意思をちらつかせた。無論、示威行為に過ぎないことはわかってはいたが、それでも中国本土への攻撃だけはなんとしてでも避けたいと考えた中国中央軍事委員会は停戦を申し入れた。事実上の台湾の独立容認である。

 なお、後に台湾独立戦争(中国側は内戦と言い張っている)と呼ばれるこの戦争において、大多数の日本人傭兵が台湾として秘密裏に参加していた。民間軍事会社による傭兵(コンバットコントラクター)の派遣である。ムラキたち名無しのイェーガー部隊も日本国内の民間軍事会社によるものだった。

 無論、中国共産党は激しくこれを批判。沖縄近辺への嫌がらせにさらに励むことになった。対する日本政府はお得意の知らぬ存ぜぬといった曖昧な態度を通し続けて切り抜けた。

 この戦争でお披露目となった新兵器『強襲決戦用機甲強化外骨格・Dedly Assault Exoskeleton』略称『DAE』は新たに人類の闘争の歴史の表舞台へと躍り出た。ライフルの銃撃をも弾き返し、単体で戦車とも渡り合える最強の歩兵装備。

 DAEに用いられている技術には多くの日本企業のものが関わっている。かつて栄華を極めながらも成長の袋小路どころか衰退の一途を辿ってきた国内産業は、戦場を変える新たな兵器の開発と後に『戦闘プロパイダ』と呼ばれる傭兵コンサルタント業に禁忌に手を出した。その果てで日本は経済国家としての威厳をようやく取り戻した。平和国家日本はオリンピックなどではなく、戦争によって経済大国としての国威を回復するに至った。

 安全地帯の島国から、自分本位で身勝手な死を売り歩く国として。

 そうして、後に〈キュクロプス〉と名付けられた日本製の一ツ目髑髏が世界中の戦場を闊歩するまでに、そう時間はかからなかった。



 二〇二〇年七月二十四日。東京オリンピック開催日。

 その日、東京は死んだ。

 ニューヨークの高い高い二つのビルに景気良く航空機が突っ込んだことで世界一の大国が大きく舵取りを変えたことと同じように、揉めに揉めた果てにようやく開催された二〇二〇年東京オリンピックが、その不細工な新国立競技場ごとふっ飛ばされたテロから、日本はその在り方を大きく変態させていった。

 そして誰もが思い返した。

 オリンピックの開催地が東京に決定したことで、この国は静かに発狂していくことを決意したのではないかと。

 二〇一〇年代後半に露見され始めた日本国内の素材メーカーによる品質改竄の不正はあらゆる悲劇の種となり、世界中のあちらこちらで交通インフラの大事故という形で萌芽し始めていた。

 さらに外国人実習生という名の奴隷市場が世界に明るみとなると、ジャパンバッシングは政府による情報規制の壁をやすやすと乗り越え国民の耳に入るようになった。

 その影響は数字という目に見えて理解せざるを得なくなる結果に現れた。訪日外国人客の数と彼らがもたらす経済効果の数字は急落し、彼らの落とす金を目当てに事業を拡大させた企業は軒並み焦げ付いていった。

 政府は〝古き良き日本〟あるいは〝強かった日本を取り戻す〟という的はずれな標語のもと、時代錯誤としか言いようのない現在を否定するような、そして全く問題の解決に繋がらない頓珍漢な政策を推し進めていった。

 施政者はまず労働のあり方を変えた。政権与党を務める権力者たちは面と向かって、労働者は奴隷に過ぎないと言ってのけた。定額働かせ放題とはよく言ったもので、このような政策を行っておきながら時の政権と経営者たちは、なぜ国内の消費が伸び悩むのかと間の抜けたことを言っていた。

 次に表現の自由を規制した。曰く、このような低俗な表現こそ美しい国にふさわしくなく、国民に悪影響を及ぼす原因なのだと。外国人が日本を嫌悪する原因なのだと。当初は実際に法的な規制などは敷かず、ただ静かに圧力をかけ忖度を強いていった。

 そして煙草を規制した。曰く、このような不健康なものを嗜む者は人間性に問題があると。これもまた初めは忖度の強制だった。

 一度抵抗が崩れれば、規制の波がなだれ込むのは時間の問題だった。酒、風俗に続きやがては報道、思想、教育にまで政府の手は及んだ。

 規制に次ぐ規制。施政者という者たちは何かを規制すれば、それで世直しができたなどと浅薄な考えしかしない生き物である。さらにどういうわけか、一般市民もそれに賛同していくことになる。浅薄で正義感溢れる一般市民ほど、規制をすれば自分の生活が良くなると思い込んでいるものらしい。自らの生活が窮屈になっていくとも自覚する能力も無い。彼らはあくまで善意によって規制を支持した。善意によるものだからこそ、反対意見には全く耳を貸さないどころか反対意見を述べる者たちを口汚く罵った。自分たちの考えは善意によるものだから、反対するのであればそれは悪意に他ならない、と。この国に、冷静な人間など誰一人としていなかった。静かな狂気が染み渡っていた。

 目先の金。目先の票。そして目先のオリンピック。時の施政者の、ただでさえ中身の詰まっていない頭の中にはそれしか転がっていなかった。因果関係の考察と深い想像力の欠如したポピュリズムによる法改正が続いていった。

 肝心の新国立競技場は開催日までに建設の目処が立った。ボランティアという名の強制徴募と幾人かの過労死による死者、それによって生活を破滅に追い込まれた人々の上に新国立競技場は建設された。

 人、物、事、様々なものを踏みにじりながら、そうして東京オリンピックの開催が近づいていった。ジャパンバッシングもこの時ばかりは鳴りを潜め、減り続けていた訪日外国人も多少なりとも減少スピードが和らいでいた。

 前年の平成天皇の退位から元号も平成から〝尊和(ぞんな)〟と改められた。政府保守派が伝統を重視という意味不明な理屈ですらない感情論で新元号の発表を渋ったがために多くの国内産業を混乱に陥らせたが、彼らからすればそんなことなど取るに足らないことだった。

 これから全てが良い方向に転がっていくと無根拠な希望的観測が蔓延した。

 元より、様々なものを犠牲にしてまて強行したオリンピックである。それは絶対にオリンピックを成功させなければならないという意図でもあるが、その意図はまさしく引っ込みのつかなくなったギャンブル中毒者のそれと変わりは無かった。

 そしてそれは失敗と終わった。

 東京オリンピック開会式。希望の祭典で手始めと言わんばかりに、まずは当時の内閣総理大臣が粉微塵になった。

 散々、舌触りの良い言葉で多くの人をだまくらかした政治屋たちはひとり残らず、新国立競技場と運命をともにした。お友達同士で利権を貪り既得権益を死守するのに終始し私腹を肥やしきった連中は、痛みや恥辱いった報いも受けることなく一瞬で粉微塵となって終わった。後に特に何もしていないのに護国の英霊として靖国神社で安らかに祀り上げられているという。

 その日、確かに東京が死んだ。

 日本をはじめとした各国要人とアスリートを灰燼に帰した新国立競技場での爆破テロを皮切りに、都内ターミナル駅を中心に同時に爆発事件が発生。

 死傷者、行方不明者はここで記しても何も意味はない。政府発表の公式情報をもとにした数字はあまりに少なすぎるものであり、その確度は極めて低い。このような点でも日本政府の対応の醜悪さが見て取れる。

 だが地獄はこの日だけで終わるものではなかった。

 終わりが始まったのだ。

 二つののっぽのビルに飛行機が突っ込んだらアメリカ人が沸騰したように、国立競技場が、東京が破滅させられたことで日本人は獣と化した。

 始まるのは決まって犯人探しだ。テロの首謀者は誰だ。北朝鮮か。ISISか。在日外国人か。それとも国内の過激派か。犯行声明などは皆無であり、警察の威権をかけた捜査にも関わらず犯人あるいは犯行グループの目星すらつけることも適わなかった。無論、その犯人探しの最中で謂れなき嫌疑をかけられ、そして日本人によって破滅に追い込まれたマイノリティとされた者は枚挙に暇がない。デマはデマを呼び、マスコミは勿論のこと、SNSや個人ブログまで駆け抜け人々は思考停止状態に陥ったことで、デマはオルタナティブ・ファクトなどという舌触りの良い言葉に言い換えられ正当化されていった。

 結局の所、世界各地に存在するテロ組織及び過激派組織は揃って関与を否定。犯行声明も決定的な証拠の無い東京オリンピックへのテロ行為は犯人または犯行グループ不明のままで決着しつつあり、ただ冷静さを失い恐慌状態だけが吹き荒れるだけだった。

 事故、北朝鮮やイスラム過激派による犯行、日本政府による自作自演、陰謀論、警察または自衛隊によるクーデター、どの線を辿っても証拠も動機も不十分であり、国民はやりどころとぶつけどころの無い混乱と悲哀と憎悪を持て余し、国家はそれらを国民へとぶつけ、国民はぶつけられたそれらをさらなる弱者へぶつけていく。

 そして次はテロを防げなかった責任者探しに移る。

 各官公庁に吹き荒れる清算という名の粛清の嵐。不可思議な死亡事故や行方不明者が多発したのは、ちょうどその時期だった。

 そうして一通り悲しみに暮れて自己憐憫に気が済んだところで、テロとの戦いという言葉がそこかしこで標榜されるようになった。

 お国のために。犠牲になった方々のために戦いましょう。

 かくして何を敵と定めないまま、具体的な何のための戦いなのかもわかっていないまま、目的の無い美しい国の戦いが始まった。

 作るだけ作っておいてさんざん放置しておいたマイナンバー制度を思い出したかのように利用し始め、国民の行動監視に用いられるようになった。誰がどこで何を買ったか、誰がどこへ何をしにいったかを全て政府機関が把握するようになっていった。買った本、観た映画やテレビ番組、ネットの動画でその人間がどのような思想を持つのかを監視し、どの交通機関を利用したかでどのような施設に出入りしていたかを監視する。それら全ての情報を集め、国家が国民に対して「この人間は国家に対して役に立つか」を判断していった。そして国家の思惑にそぐわない者たちに忖度を強制した。

 そうして日本は都合の良い資本主義への言い訳を立たせた都合の良い社会主義、あるいは国粋主義国家への歩みを進める。九・一一以降、暴力に怯えるが故に暴力を振りかざす大国以上に。アメリカの場合はその暴力性は外へと向いたが、日本の場合は内へと向けられた。

 後に海外の何人もの経済学者から〝市場経済主導型社会主義国家〟という特殊すぎる国のあり方は元来戦後から〝日本型社会主義国家〟と揶揄されてきた独特の企業文化と監視社会をより先鋭化させることとなった。有りていに言えば、ディストピアに他ならない。

 そのような国のあり方で最も割を食うのは若い人間、とりわけ子どもたちである。

 減り続ける一方のGDP、労働力不足、極まった超高齢化社会による社会保障費の増大を間に合わせるために、国家は子どもに対し労働を強いた。

 この国は子どもに対し子どもでい続けることを否定した。

 学徒労働者、学徒社員と呼ばれる者たちが生み出されたのは、そう時間を必要としなかった。

 〝市場経済主導型社会主義国家〟の言葉の通り、一般市民は大規模な経済活動から切り離され勤労は最早、糧食を得るためだけのものに変化していき、企業はその利益を労働者に還元せずにただひたすら企業そのものと経営者の腹に溜め込むばかりとなっていった。

 無論、これで少子化、労働力不足が改善するわけがなくむしろ悪化する一方だ。これまで外国人労働者、技術研修生という形の奴隷市場で賄ってきた労働を、一体何に代替とさせるのか。

 進退窮まった日本は、ここでついに禁忌へと手を出した。

 労働法の法改正。十三歳以上の生徒に就労を義務付けたのだ。

 子どもに対するあまりに早い大人への同化の強制は、子どもたちに子どもらしく失敗、挑戦、無謀、蛮勇、若輩を許さなくなった。

 この国は子供に子供でいられる時間までも徴用したのだ。

 この国にはもう子供という存在はいない。

 それはすなわち子供というプロセスを経ることで大人へと成長することもなくなったということだ。

 先の大戦、旧日本軍によるこうあって欲しいという願望により国民に三百万人の犠牲者を生み出した無様な希望的観測はまだ続いている。

 黄昏の時代が始まった。

 他方、政府がテロとの戦いを標榜するにあたって、手始めに行ったのが国民への監視強化だ。監視カメラの増設に始まり、マイナンバー制度にETC決済やクレジットカード、公共交通機関のICカードを紐付け、いつ誰がどこに存在するのかをデータベースで簡単に検索できるようにした。二〇三〇年代ともなれば、道端での夫婦同士の諍いで夫側が手を上げた途端に警察がすっ飛んでくることができるようにもなった。

 これを切っ掛けとして、次に国民の消費活動の監視も行われるようになった。いつ誰がどこで何を買ったかが記録されるようになり、例えば貞淑なはずだった妻が別の男のために、夫が不在の時間にドラッグストアでコンドームを買った、ということも国から丸わかりだ。

 無論、こういった体制を執るための法改正の際に野党側は大いに反対したが、結局のところ過半数の議席を確保している政権与党の前には無意味に終わった。

 だがこの事態の前に国民は大きく反対運動を行うことはなかった。むしろ、この法改正に少しでも反対や異論を唱える報道、言説にはネット上に蔓延る自称愛国者を名乗る国家主義者だけでなく、薄っぺらいリベラルを標榜する者までも「非国民」「反日」などといったヒステリックな毀損が容赦なく浴びせる風潮が発生した。

 国民は自ら監視されることを選んだ。まるで神か仏に罰を望むかのように。

 それほどまでに、新国立競技場が爆炎の中に消え行く光景がトラウマになったのか。あるいは、テロを防げなかった自らに罰を欲しているのか。

 このような監視社会の成立、維持するためには監視する者たちを必要とした。当初は警察がそれを担っていたのだが、すぐに人手も足りなくなり、民間への委託が始まる。

 そこから民間企業の警察権の取得まで、そう時間はかかることはなかった。

 治安維持、暴力装置としての権限を持った民間企業、日本国内における民間警備会社が歴史上始めて出現した。

 戦闘プロパイダ業の勃興である。

 奇しくも国内の重工業産業が銃器兵器開発に新たな利益追求と延命に望みを託し、銃刀法が緩和されることになる。この法改正に戦闘プロパイダの台頭は決して無関係ではない。

 そして企業が暴力装置を持てば、次に始まる事態は火を見るより明らかだ。

 後に〝企業間武力取引〟と呼ばれる企業同士の抗争が発生するようになった。競合他社や迎合しない子会社、クライアントなどに武力で以て取引を行う。既存の大企業も新たな部署、新規事業としての暴力を持つようになり、企業は営利活動の範疇の中に、他社への直接的妨害という項目が入ることになる。

 次に行き着くのは、暴力という業務、戦闘のアウトソーシング化だ。民間委託の警察権代行業者が現れたことを皮切りに、既存の大企業の武力所持から戦闘をサービスとして専門に行う外部委託業者、”戦闘企業”が誕生した。

 やがて企業と呼ばれる者たちが皆ライフルを掲げるようになるまで、そう時間はかかることはなかった。

 銃を掲げる大人が現れ、子供たちは勉強する時間を削り働きに出る。

 学徒社員と呼ばれる子供たちが存在する中で、銃を掲げる子供が現れるということも、おかしな話ではなかった。

 

 影山美月という少女もその中の一人であった。


 二〇四〇年。秋

 東京都某所。

『〈サーベラス1〉より〈サーベラス4〉、応答しろ〈サーベラス4〉……! おい美月!』

『〈カラード〉より〈サーベラス4〉、無事ですか〈サーベラス4〉! 影山さん大丈夫!?』

 自分を呼び掛ける通信音声に、影山美月は瞼を開く。 視界上に幾何学的な模様が走る。インジケータ類がアラートを幾重にも重ねて表示していた。直接網膜に投影されている『MR(ミックスド・リアリティ)』によるものである

 目の前には燃え上がるオフィスのフロアの光景が広がっていた。窓は全て砕け散っており、おそらくそこから攻撃を受けたのだろう。

 その網膜投影されているインジケータの一つである気温計はとても人間が耐えられないような数字を表示していたが、美月自身は特に熱さや息苦しさなどを感じることはなかった。

 自身を殻のように纏う鎧が彼女を守っていたのだ。

 火の海となったオフィスフロアに、一体の白銀の鎧が膝立ちで屈んでいた。高温と一酸化炭素を物ともせず、悠然と陽炎とともに立ち上がる。

「こちら〈サーベラス4〉〈シンデレラアンバー〉、敵の攻撃を受けた模様」

 白銀の鎧を纏った少女、影山美月が応答する。鈴鳴りのような声だったが、その内容と声音は朴訥で硬い。

「〈アンバー〉、ステータスチェック」

《正面装甲に軽微のダメージ。装着者(ドライバー)への一時的な負荷上昇を確認。現在は正常値へ推移。任務の継続、戦闘行為に支障無し。ステータス、オールグリーン。ドライバー・美月。大丈夫ですか?》

 サンプリングされた女性の合成音声が応える。〈シンデレラアンバー〉のシステム、戦闘補助AIからの応答である。美月はこのAIを〈アンバー〉と呼称していた。

「うん、大丈夫だよ」

《それならば何よりです》

「〈アンバー〉、私はどれくらい意識を失ってたの?」

《およそ十二秒になります。目標、逃走を開始していますが既に捕捉済みです》

 システムの報告の通り、美月自身も違和感を感じてはいなかった。インジケータとして投影されれている自身のバイタルも全て正常値だ。

『こちらでも確認できた。いけるか?』太く低い男の声が訊ねる。サーベラス1、美月を率いるリーダーである村木三四郎の声。美月たちのステータスは離れた位置に存在する仲間たちにも共有されていた。

「いけます……!」

 島田機械製第二世代型DAE試作四号機〈シンデレラアンバー〉

 それが今、影山美月が鎧っているDAE、白銀の鎧の名前だった。

 美月は天井を見上げる。視界上にターゲットの人影が透過されて見えていた。その傍には彼我の距離が表示されている。ターゲットは屋上に逃亡したと判断できた。

 〈シンデレラアンバー〉が、影山美月が、白銀の装甲を鎧った少女が炎の中を泰然と進む。背中に携えられた蛸の足のような多関節のサブアームが蠢く。触手型隠し腕(テンタクルサブアーム)、〈シンデレラアンバー〉の追加装備(オプション)の一つだ。

 火災に反応して天井のスプリンクラーから消火用の放水が始まる。

 〈シンデレラアンバー〉が水と炎の中を征く。飛沫と陽炎に白銀に輝く装甲を煌めかせ、鎧を纏った少女が殺意を以て征く。

 この日の東京の夜は秋雨に濡れていた。月は熱い雲に覆われているが、そびえ並び立つビル郡が雨雲を地上から照らしている。 ビルの各頂点に灯る赤色灯は雨に煙っていた。

 スーツ姿の中年の女、仙田が慌てた様子で雨が降りしきる中の屋上に姿を現した。水たまりに濡れることも厭わずヒールを脱ぎ捨てている。

 自分の支援者が救援を送ったとの連絡を入れてきた。先程、ビルの窓側からミサイルをぶち込んできたヘリである。彼らの指示に従い、ビル屋上に出た。ヘリで回収するとのことだったが、それらしき姿形は無く、まだローター音が遠くから響いてくるだけだった。期待を裏切られたその現実に、仙田は年甲斐も無く子どものように金切り声を上げながら地団駄を踏んだ。

 だがその子供じみた行動も、かすかに聴こえてくるヒトならざる足音を耳にして身をすくめた。仙田は慌てて階段のあるビル建屋から離れる。

 早く。お願い早く来て。私を助けて。

 ビル建屋から最も遠いフェンスに寄り縋る。既に仙田の歯の根は合っていない。

 やがて足音が大きくなる。そうして、仙田を追う者、仙田の命を奪わんとする追跡者が姿を現した。

 二つのコバルトブルーのカメラアイが東京の夜景の一つとなる。雨にけぶる夜の闇に怪しく輝く。

 〈シンデレラアンバー〉が仙田の視界に現れた。

 鬼とも狼ともとれるマスクが仙田をねめつける。細く鋭く敵を見定める二つのカメラアイ。牙を剥き出したような口元のハードポイントには一本のナイフが噛むように保持されている。 

 白銀の鎧の後頭部から伸びる黒髪のポニーテールがビル風に揺らめく。

 DAEの存在自体は知っている。昨今、戦場での主役になっているパワードスーツだ。見るだけでもおぞましい姿形、形相をした殺人兵器。唾棄すべき非人道的な存在。

 だが、目の前にあるDAEは知らない。見たことがない。

 遠い紛争地帯のニュース映像でしか見たことがない〈キュクロプス〉や〈モビーディック〉以上に、そのDAEを目にするとおぞましさがこみ上げてくる。前者はまだ機械的で無機質な存在感ではあるが、今目の前に迫っている白銀のDAEは

 牙を剥いた鬼のような恐ろしい形相のマスクとは対照的に、そのDAEのシルエットと白銀の光沢は美しいとも思えた。

 白銀の鎧が雨粒を弾いて、夜景に煌めく。そのDAEの造形はどこか女性的なものを感じさせる上に、後頭部からは長い黒髪のポニーテールがたてがみのように揺れている。両者の対比が仙田が感じるおぞましさを増幅させた。

 さらに自分を襲いかかってきた時、この白銀のDAEから女性の声がした。しかもかなり若い。ドライバーが女性だという事実がわかったことで、疑問と恐怖が彼女の思考を埋めていった。

 なぜ同じ女性が自分を襲うのかがわからない。自分は女性や子供のような、弱い立場の者のために戦っているのに。

 仙田は大学で社会学の教鞭を執っていた。主な分野は子どもの権利、青少年の健全な育成についてである。

 詰まるところは、規制。それが彼女の活動の目的だった。

 現在、古文の教科書からは『光源氏』は削除されている。これは仙田の最も大きい功績と言えた。

 今では子供の労働問題、学徒労働者についての規制にまつわる活動を行っていた。子どもたちの学ぶ機会を取り戻せ、それでなくとも子どもの労働時間の削減を。彼女はそう声を張り上げていた。

 言葉だけで見れば、それは紛れもなく善行だろう。だが彼女のその考えはあまりに浅はかだった。

 既に経済は学徒社員、子どもによる労働を前提として動いている。既に走っているインフラを止めることなどできない。そして仕事を失った子どもはどこで何で糊口を凌げばいいのか。仙田はそのこと全く考慮していなかった。ただ単に、正義を成したいという欲求でしかなかった。

 結局、仙田の感情的な好悪でしかなかった。古典文学すらも次々と不健全な悪書と見なしたのも、このような短絡的な思考、浅薄な思想でしかなかった。議論に関しては論点のすり替えと誤魔化し、取り付く島もない感情論と自身の地位を利用したハラスメントを得意とし、帰国子女という立場から海外の事例を自分にとって都合の良いところだけをピックアップすることなど常であった。自身に対する批判は全て聞き耳を持たずにいた。

 全ては子供を守るため。彼女は恥も外聞も無く、そう声を張り上げて憚らなかった。

 だがその一方で彼女は国家に対し、政権に対しおもねる姿勢をとっていた。女性は子どもを生むための装置にしか見ない、子どもから学ぶ機会を奪い労働力として搾取しているはずの、自身が批判すべきはずの国家の運営者にどういうわけか喜んでかしずいていた。

 彼女にとって、健全さとは国家におもねることに過ぎなかった。そして質の悪いことに、それが本気で子供を守ることだと信じ切っていた。

 彼女の行動、思想は全てにおいて矛盾していた。

 仙田はただ単に自身のそのような行動と思想に陶酔していただけだった。自身の表層的でしかない正義に快楽を得ていただけだった。そして、自身の保身についても神経を尖らしていた。

 自分の感情の好悪によって、世論が動く。これほど得難い快楽は無い。

 その酔客を白銀の鎧が殺意を以て追い詰めていた。〈シンデレラアンバー〉の両のサイドスカートには一挺ずつバレットM82・アンチマテリアルライフルが吊ってある。美月はそれを一挺手に取ると、仙田へと向けた。重量十二キロ超えの対物ライフルを片腕で寸分もブレることなく構える。〈シンデレラアンバー〉を構築する特殊人工筋肉(マッスルモジュール)のパワーアシストによる芸当だ。

 生身の人間相手には過剰火力(オーバーキル)だが、別に構うことも容赦も無かった。

 美月の視界上に新たなアラートが割り込むように映り込んだのはその時だった。さっきからぶんぶんうるさいヘリのローター音が一際大きくなったのだ。

『熱源接近中。敵勢力、武装ヘリと思われます。射程圏内です』

 オペレーターであるカラードからの通信が入る。「〈サーベラス4〉、こちらでも確認」と美月が返す。

 武装を施されたヘリコプター、改装されたと思われるBK117が下方から姿を現した。先程、仙田を追い詰めた際にビルの外から攻撃を仕掛けてきたのはこいつだ。

 たかが脳足りんの社会学者にこれほどの支援が行われるのは甚だ疑問であっったが、今そんなことを考えても栓のないことだ。〈シンデレラアンバー〉の青いカメラアイがヘリを睨む。

 ローターの風圧に地に伏せながらも、仙田が安堵に満ちた顔をヘリに向ける。自分を回収しにきたのだ。あの恐ろしい白銀のDAEをやっつけてくれるだろう。彼女はそう期待した。

 ヘリの両方のサイドハッチが開かれると、片側からはアサルトライフル、もう片側からは91式ミサイルランチャーを構えた敵兵が現れた。各々の得物を美月に向ける。アサルトライフルの掃射が美月に襲いかかる。

「〈アンバー〉!」

 美月、アサルトライフルによる火線を当たり前のことのように回避しながらシステムを呼び出す。具体的な指示を下すまでもなく、システム側が現状から美月の要望を判断し実行する。

《プロセッサバースト、アクティベート》

 システムが〈シンデレラアンバー〉のリミット及び全機能を解放する。視界上のインジケータが警告を示す赤に染まり、いくつかのアラートが重ねて表示される。美月の意識と背骨に熱が走る。理性が蒸発し、自身の奥底に眠る獣性と凶暴性が覚醒する。

 二つの青いカメラアイが血の如く紅く染まった。

 〈シンデレラアンバー〉の肩部にある小さな羽のようなアンテナが立ち上がる。

 ECMが発生した。

 発射されたミサイルに対しジャミングが行われ、誘導が切られる。目標を見失ったミサイルは美月を避けるようにビル屋上に着弾した。

 爆発とコンクリートの粉塵が濃い爆煙となる。

 美月に直撃したと勘違いしたのだろう。仙田は喜び、汚らしく美月に対し罵声を浴びせ、そして狂気乱舞した。

 だがその立ち込める粉塵の中で紅い目が輝く。怪物が健在であることを示す眼光に仙田の笑顔が消えた。

 粉塵から突き破るように〈シンデレラアンバー〉が飛び出してきた。

 雨に煙る夜空を背に、二挺のバレットM82・アンチマテリアルライフルを腰だめに構えた白銀の鎧の姿があった。美月が武装ヘリと同程度の高度にまで跳躍したのだ。

 ヘリのコクピットに飛びかかかった美月は、一度キャノピーに足を着けると後方に蹴って飛び退いた。そのまま空中で宙返りをしてヘリへ向き直すと、腰だめに構えたバレットM82を向ける。

 パイロットが驚異に満ちた表情を向ける。だが、次の瞬間にはその顔面は血煙と化した。バレットから乱射された50口径のNATO弾がコクピットを、そしてヘリそのものを粉砕する。サイドハッチにいた二人の敵もその末路は言うまでもない。

 制御を失ったヘリが錐揉み状に回転しながら墜落する。けたたましい金属音と爆音、そして悲鳴がビルの下から轟いた。

 雨の中、ビルの下からもうもうと上がる爆煙に、仙田はその場にへたり込む。ただただ絶望に満ちた顔で呆けるしかなかった。

 数メートルの高度から美月が着地する。落下時に痛みも衝撃も感じている様子は無い。

「あなたは散々、他人を値踏みして支配して、自分が不快だと思った、ただそれだけで他人やその思想を否定してきた。正義の名の元に、多くの人々の生き方を否定した」

 白銀の鎧の足音が仙田に近づいてくる。ヒトならざる金属質な足音。絶望に打ちひしがれる暇も与えることなく、〈シンデレラアンバー〉の二つの血の色の目が仙田へ殺意を向ける。

 だがそのおぞましさとは対称的に、鎧から発せられる声は可憐なものだった。鬼のような相貌と鈴なりのような声のギャップが不気味さを際立たせる。

「わたしはあなたに否定された人々に依頼されてここにいる。あなたを殺すためにわたしが来た」

 美月たちのミッションは大学教授であり社会学者の仙田の強襲または暗殺任務(ウェットタスク)。クライアントは学徒労働者問題を取り扱う弁護士、大学生らによるボランティアの保護団体など複数に渡る。

 仙田がやっていることをは子どもの権利を守っていると本人は吹聴しているが、その実多くの子どもを破滅に導いていることに過ぎない。子供の労働、学徒社員制度の規制に気炎を上げていた。

 規制。規制。規制。政治のみならず、どの近代国家においても多くの浅慮な者たちが「市民的公共性」や「他者への配慮」という口当たりの良い正義の元に規制を声高に喚くのは、世の常と言える。それは即ち、歴史から何も顧みず、何も学んでいないことの証左でもあった。

 そうして、仕事を取り上げられた子供のその後のことなど、彼女にとっては知ったことではなかった。今日の子供から労働を取り上げることで、どのような事態を招くかなどの想像と予測も仙田の頭の中にかけらほども存在していなかった。仙田にとって重要なことは自分の正義を成し得たか。それだけに尽きた。

 一方でシマダに依頼を寄越してきた団体はまだ現実的であった。既に学徒労働者が今日の日本経済に必要不可欠な存在ならば、せめてその待遇と賃金の改善を訴えかけていた。

 そしてついに仙田は自身が掲げた正義に狂い出した。都内で学校を終えて出勤途中の中高生に対し、実力行為に打って出ようとしたのだ。結局は未遂には終わったが、これを喫緊の事態と判断した保護団体も、対抗するように反撃を開始した。

 それが今回のシマダ武装警備に依頼されたウェットタスクであった。

「なに!? なんなの、お前は!? どうして私が殺されなきゃいけないの!?」

「あなたはこれまで多くの人を破滅に追いやってきた。今度はあなたがやられる側になった。ただそれだけの話」

「なんでよ! なんで私がそんな風に思われなきゃならないの!? どいつもこいつも私を誰だと思ってるの!?」

「あなたのプロファイルは読んだ。子供を利用して自分が気持ちよくなりたいだけじゃない」

「お前に何がわかる! お前たち人殺しごときに私がどれだけ子供のことを想ってるのか理解できるのか!?」

 自分は大学で社会学を教えていて、地位は教授だ。社会的地位も高い。年収も四桁万円は固い。自分は子供を守るために戦っている。自分は女性の権利を守るために戦っている。自分は愚かな男どもに反撃するの。自分はそのような高尚な存在なのだ。お前たち人殺しを生業にするような傭兵などとは違う。

 そうして愚かな男どもを貶めるのが自分の役割なのだ。

 そうして女、子供を守るのが自分の使命なのだ。

 そうして国に認めてもらうのが自分の希望なのだ。

 正義を成す。男どもを貶める。女を守る。子供を守る。そのために子供から労働を奪う。学徒労働者など許さない。それで子どもが食べていけなくなっても構わない。だって自分の正義を成したいのだから。後のことなど知らない。そうして国家の運営者たちに認められたい。政権は子供に労働を義務づけている。でも私は子供を救いたい。矛盾している。どうすればいいのか。私は知らない。関係ない。ただ自分は自分の正義を貫きたいのだ。子どもの権利、女の権利、やっぱりそんなものどうでもいい。自分が気持ちよくなりたいだけ。自分が偉くなりたいだけ。

 そのような思いを喚き立てる。白銀の鬼の前では怯懦で言葉が言葉にならず、言っている内容は意味不明なものだった。

「へぇ、そう。よくわからないけど偉いのね。でもわたしには関係無い」

 白銀の脚がにじり寄る。それを見て、仙田も後ずさる。

「あなたは子供を守るために戦ってきたようだけど、その実全てを奪ってきたに過ぎない。わざとじゃなく、本気で子どもの権利云々を考えてここまでやってきたのなら、大したものね。本物の馬鹿としか思えない」

 美月は仙田の眼前に銃口を突き付けた。銃口の闇、死を吐き出す虚(うろ)が仙田の視界の中央に居座る。

「あなたたちは沢山のものを奪ってきた。だからわたしもあなたから奪う権利がある」

「何!? 何なの!? あんたは何者!? あんたにこの私を殺す権利がどこにあるのよ!?」

「株式会社シマダ武装警備、実働部機動強襲課第二係サーベラスチーム所属、コールサインサーベラス4。島田機械製第二世代型DAE試作四号機〈シンデレラアンバー〉のテストドライバー。学徒社員、影山美月。これがわたしの今の身分。そしてあなたの殺害が今日のわたしの仕事」

 言いながら美月はマスクを解放する。鬼とも狼ともとれる険しい表情のマスクが上下に分かたれ、少女の顔が露わになった。

 無機質な鉱石にしか見えない少女の双眸が仙田を射抜くようにねめつけている。その瞳には虚無しか湛えてていない。

「お、女の子……!?」

 仙田が驚く。美月にとってはいつもの、そして期待通りのリアクションだった。

 美月を差し向けられたターゲットたちは皆一様に同じような反応を示した。この美しくもおぞましいDAEのドライバーが少女であるという現実を突きつければ、誰も彼もが混乱と思考停止に陥った。

「ど、どうして……? なんで? あなた子供でしょう? 女でしょう? なのになんで? ねぇなんで?」

 そして誰一人として、美月という少女がこの殺人兵器を鎧うまでの背景を理解しようとしなかった。

「『どうして? あなたみたいな子供が傭兵(コンバットコントラクター)なんかやってるの?』 そう言いたいの?」

 詰まった言葉を目の前の少女が代弁する。唾棄するように。吐き捨てるように。声はその整った凛とした顔つきに似合う可憐なものだったが、底冷えするような酷薄さをたたえている。

「あなたたち大人が、この国がそう望んだんでしょう? 国家が十三歳以上の子どもに就労を義務付けて、銃規制をなし崩し的に緩和して、企業同士が殺し合いまでして利益を奪い合わせる。ならば、わたしのように傭兵として働く子ども、傭兵やってる学徒社員が現れるのも、当然の道理でしょ? そんなこともわからないの? 大学の偉い教授なのに?」

 目の前の現実、新型DAEという兵器に身を包んだ少女の存在を受け入れることができない。自分が守ろうとした存在が自分を殺しに来たことの理解ができない。

「それを今更疑問に思うの? 馬鹿じゃないの、本当に。あなたち大人というのは」

 呆れたようにため息をつくと、美月は構えていたライフルを下げる。

「やっぱりやめた。あなたみたいなのに弾一発使うなんてもったいなさすぎる」

 銃口が下げられたことで仙田はかすかに安堵の息をつく。その吐息を〈シンデレラアンバー〉のセンサーは聞き漏らさなかった。

「なに安心してるの」

 美月が舌打ちをする。

 〈シンデレラアンバー〉の背部に携えられた八本の蛸の触手のような多関節の腕、『テンタクルサブアーム』の一本がぐにゃりと美月の肩から伸びると仙田の首を掴み上げ、そして持ち上げた。

「あなたの命なんか、銃弾一発にも満たない。あなたを殺すのに、銃弾一発ももったいない。それだけの話」

 地から仙田の足が離れる。仙田は腕で掴み上げる触手を殴り、足で美月を蹴りつける。だが強固なパワードスーツで鎧った美月は全く動じない。

「あなたは子供を守ろうとしたんじゃない。利用してきただけ。だからわたしはここにいる」

 触手が声も出せないように仙田の喉を締め上げる。口答えも懺悔も後悔も口にすることを許さないように。

 美月は〈シンデレラアンバー〉のカメラアイ越しに仙田の顔を見つめていた。これまで手前勝手な正義を振りかざして悦に浸っていたであろうその表情は今では紅潮し、苦痛と恐怖に染まっている。

 美月は自分の背から伸びる触手にさらに力を込める。

 仙田の両目がぐるんと上に向くと、めきり、と砕ける音がした。

 暴れさせていた四肢が力無くだらりと下る。美月の視界上に投影されているインジケータも仙田の生体反応が消失したことを表示していた。

「〈サーベラス4〉、ターゲット仙田を殺害。ミッション目標をクリア」

 言って、肩から伸びていたテンタクルサブアームが、ただのものになった仙田の肢体を汚物を厭うかのように払い捨てた。びちゃりとビルの屋上に溜まった水たまりに仙田が投げ捨てられる。

『ターゲットの生体反応消失を確認』

 〈カラード〉からも確認の通信が入る。だがそこに低い声が割って入ってきた。

『〈サーベラス1〉から〈4〉へ、ちゃんとトドメは刺しておけよ。この前の夕夜みたいな間抜けはやらかしたくないだろう』

『勘弁してくださいよ。まだそれを引っ張るんですか……。というかこの間のあのバケモノは脳味噌ぶち抜こうが関係なかったでしょうが』

 夕夜と呼ばれた男が通信に入ってくる。こちらも低いが若い声だった。〈サーベラス3〉、真崎夕夜。美月の一つ先輩にあたる学徒社員だ。

「了解しました」

 と美月は返答する。こんな女に銃弾一発も使いたくないのが正直なところだったが、上官の命令なら仕方無い。

 蛹から美しい蝶が羽化するかのように、白銀の鎧の中から一人の少女が姿を現した。学校の制服と思しきブレザーに身を包んだポニーテール姿、影山美月が白銀の鎧を脱ぐ。システムによる管制が継続している〈シンデレラアンバー〉はその場に直立し続ける。

 雨にポニーテールを揺らしながら路傍に転がるゴミのように仙田の遺体を一瞥すると、ブレザーの裏地に仕込んだホルスターからハンドガン・グロック26を抜いた。

 物言わぬ仙田の傍に寄るとグロックの銃口を頭に向ける。9ミリパラベラムを脳幹に二発撃ち込む。ばすばす、と肉と骨を穿つ音。仙田だったそれは何も反応を見せなかった。

 鼻を鳴らすようにため息をつくと、セイフティをかけたグロックをブレザーに仕舞い、その代わりに胸ポケットから一つの箱を取り出す。

 箱は煙草だった。バージニア・エス・アイスパールを一本咥え、何ら衒いも無くジッポで着火する。煙草の先端が赤く明滅し、未成年が摂取を禁じられているはずの成分が美月の口腔を満たしていく。

 そして煙を吐き出す。秋雨に烟る東京の夜景に紫煙が薄れて消えていく。

 濡れそぼることも構わず、美月はその場で紫煙を燻らし始めた。

 美月は吐き出した紫煙と共に、ひとつ言葉を零した。

「……帰ったら学校の課題やらないと」

 ただ一本の煙草の火だけが、秋雨の夜の中で彼女の存在を示していた。

 ただ一本の煙草の火だけが、秋雨の夜の中で彼女を照らしていた。

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