第7話 それぞれの戦い

 舞花の父親から待ち合わせに指定されたのは、地域では有名なシティホテルのロビーだった。ここの最上階のバーラウンジで何度かうちの社長にご馳走になったっけ。

 仕事を終えて、指定の10分前に到着すると、舞花の父親はもう座っていた。キョロキョロと探す僕を受け止めるような視線で、すぐにこの人だとわかった。少し大柄だが痩せ型の体躯、ロマンスグレーのオールバックの髪、ヘリンボーン柄のスーツ。上場企業の重役という印象だ。そしてどこかしら風貌がやはり舞花と似ていた。

「今晩は。三崎です。年末のお忙しい時期に急にすみません」

 営業用のスマイルだ。対人に関して百戦錬磨という感じがする。やはり手強そうだ。

「鈴木海斗です。お会いできて光栄です」精一杯の僕の作り笑いは、多分引きつっていたことだろう。

「娘がお世話になっています。さあ、あちらでコーヒーでも飲みましょう」


 同じフロアのティーラウンジで向かい合う。コーヒーが運ばれてきた。

「さて実は、今日は君と仲良くなりたくて誘った訳じゃないんだ」

「はい」それはもちろん、わかっている。

「親馬鹿だが、私は娘がとても可愛くてね、私の生きがいと言ってもいい。それが、最近会社を辞めた頃からどうも、様子がおかしい」

「…」

「娘が会社を辞めた事情は聞いてますか」

「いいえ」

「そうか。言ってなかったか…実はね」

「聞きたくありません」

「何」

「聞くときは、舞花さんから聞きます。今ここで話すのは止めてください」

「なるほど」

「すみません」

「謝らなくてもいい。君の言い分は理解できる。ならば、私の用件を率直に言おう」ひとつ咳払いをし、少し背筋を伸ばして、

「どうか、娘と別れてくれたまえ」

 ついに来た。

「悪いが、君のことは人を使って調べさせてもらった。素行が悪いとは言わないが、家柄も、会社も、将来性も、娘にはふさわしくない。そう判断した」

「…」

「娘は、ふさわしい男と結婚させる。見合いもさせたいんだが、君の存在のせいで逃げ回っている有様だ。いずれにしても、君は娘と一緒にいるべき男ではない」

「…」

「もう、娘には会わないでくれ。娘には私から言って聞かせる。君にとっては理不尽な要求だろう。だが、納得してここは呑んでくれ」

 僕は拳を握りしめた。

「少ないかもしれないが、これは私の気持ちだ」

 懐から封筒を取り出した。それを見て、体中の血が一気に逆流した気がした。

「…ちょっと待て」

「うん?」

「馬鹿にしないでください。僕がお金で納得するとでも?それに、誰が何を調べたか知らないが、家柄?会社?僕だけならともかく、僕の家族や会社の人たちを見下すのは、許さない」

「言葉遣いに気をつけ給え」

「それに、僕は舞花を愛している。舞花も僕を愛している。一緒にいる理由はそれだけです。青臭いと言われようが、一緒にいるのにそれ以上の理由は必要ない。邪魔立てされる言われもない。舞花の大事なお父さんだから、僕も尊敬したいと思った、でもこれじゃとても無理だ」

「チンピラが。失せろ。私の家族の前に二度と現れるんじゃない」

「貴方の前には現れない。だけど、舞花は断じて渡さない」

「何だと」顔色が変わった。

「これからも僕は、舞花を命がけで守る。それは僕にしかできないことだ」

「違うな、私がお前のような男から娘を守らなければならないということだ」

「勘違いしないでください。誰といるか、誰と生きていくのか、それを選ぶのは舞花本人です。選んだ相手と生きていくのが、彼女の幸せなんです」

「若造に説教される言われはない」

「お父さんがどれだけ舞花を愛しているかよく分かりました。お願いです。一度舞花と三人で話す機会をください」

「鈴木くん、娘はもう君には会わさん。君が何を思おうが自由だが、これきりだ」

 舞花の父親は、伝票を持って立ち上がった。右手が少し震えている気がした。


 その後僕は、しばらく頭を抱えて立ち上がれずにいた。最悪だ。舞花の父親は、全力で僕らを引き裂こうとするだろう。なんとか軟化させ交渉の余地を作りたい。今夜は何があっても、何を言われても、我慢しようと思っていたのに。

 今僕がしなくてはいけないことは何だ。そうだ、家に帰る前に舞花を捕まえなきゃ。そう思い直し、僕はホテルから飛び出した。


 今夜舞花は9時半までのシフト。僕の部屋には寄らず、自宅に帰る予定だった。必ず先に会って状況を伝えなきゃ。解決策が何も浮かばないまま、アリエスの通用口で舞花を待った。

「お疲れさまで〜す」そんな声とともにドアが開き、舞花が現れた。

「あれ、海くん、どうしたの?」

「ちょっと、時間が欲しいんだ。あっちに行こう」

「実は…」

 店から少し離れた、人気のない場所で、しばらく舞花と立ち話をした。残さず、事の経緯を説明した。

「もう、信じられない。海くんの悪いところね。今日父に会うことをなぜ私に内緒にしていたの?普通、二人で対策立てるもんじゃない」珍しく口調が僕を責めていた。

「父の性格とか、少しは助言できたはずよ。二人が決裂して一番痛い思いをするの、私なんだからね」

「わかってるつもりだった。でも苦しませたくなかったんだ。ごめん」

「今大変な思いをしても、将来を勝ち取るためには仕方ないじゃない。私、海くんのいない人生なんて考えられない。そんな人生、今すぐ下りるわ」

 僕も同じだ。舞花のいない人生なんて、想像もできない。クソ喰らえだ。

「父は私のことは絶対に諦めないわ。最悪なのは、逃げ隠れすること。どんな手を使っても探し出されて、引き裂かれることになる」

 少しカチンと来た。僕はそんなこと恐れない、と叫びたかったが、飲み込んだ。僕が恐れないのはどうでもいい。僕の無謀さがここまで事態を悪化させているんだ。対応の誤りはすべて舞花に降りかかる。

「私も逃げ隠れなんてまっびら。今、海くんがどう動いても、動くだけ事態は悪化する。事態を打開できるのは私だけ。私が戦うわ。私なりのやり方で」決意を固めたように顔を上げた。そして僕にまるでロープレゲームの姫…ではなく、勇者のような笑顔を向けた。

「きっとしばらく会えなくなる。連絡もできなくなるかも知れない。でも我慢してね。時間はかかっても、必ずなんとかする」

「何をするつもりなの」

「まだ考え中よ。でも何だかんだ言って、父は私には甘いの。何とか最終的には認めさせる」何かを決意した顔になった。

「ね、今回だけは信じて、私に任せて」

 人目を確認して、名残りを惜しむように道端で長いキスをした。

「何もせずに待つ」僕には思いつかない、最も苦手な戦術だ。しかし、全力を尽くしてそれを頑張るしかない。


 本当に、翌日から舞花に会えなくなった。電話はさすがにしなかったが、数日してメッセージを送っても、ずっと既読にならない。さらにメールを送っても、エラーで戻ってきた。メアドすら変えてしまったんだ。直接の連絡手段がなくなった。

 アリエスのホールスタッフの女の子たちとは何人か顔見知りになっていた。店に行くと、逆に僕が彼女たちから質問を受けた。

「舞花さん、どうしてるんですか」

「舞花さん辞めちゃってから、いや、特例で長期のお休み扱いらしいんですけど、舞花さん目当てのお客様も多かったんで、目に見えて客足が減っちゃったんですよ。オーナーずっと機嫌悪くて」

「カナダに語学留学って噂、本当ですか?」

 矢継ぎ早に飛んでくる。

「うん、そうなんだ。しばらく海外に行く」

 本当は僕が消息を聞きたかったんだけど、そう言うしかなかった。

「ほら、彼女思い立ったら聞かないところがあって、突然でごめんね。いつかまだはっきりしないけど、戻ってきた時は君たちまた仲良くしてあげてね」

「もちろんです。私、他のみんなも、舞花さんに憧れてたんです。優しくてしっかりしてて、働く女性のかがみって思ってました」そうよね、と、みんなが思い思いに頷く。

「鈴木さんも、寂しいですよね」

「まあね」肩を竦めるしかない。

 舞花は戦っている。今まさに戦っているんだ。男としては情けないことだけど、今は戦いを託して、ただただ信じて祈ることしかできない。会いたくてしょうがなくて動いてしまう自分が、とても情けなく思えた。


 街はクリスマス一色。どこもかしこもクリスマスソングを流している。赤と緑のペナント、金と銀の星、クリスマスツリー、街角のサンタ。浮かれた街の喧騒が、余計に僕を孤独にする。

 ふらふら歩いていると、肩がぶつかりわかりやすくチンピラが絡んできた。反射的に右ストレートを一発お見舞いしてしまった。殴り合いになった。派手に立ち回って、取り押さえられて、気が付いたら警察だった。さっぱり頭に入って来ないが、警察官に説教を受けてる。僕は一体何をやってるんだろう。免許証を出さされ、気が付いた、今日は僕の誕生日。生まれてこの方、最低の誕生日だ。


 重い身体を引きずるように、部屋に帰り着く。ドアを開けてまず視界に飛び込んでくるのは、特等席にあるアームチェア、岳くんだ。舞花がしなやかな身体を無防備に預ける、僕のライバル。何も言わず、主人の帰りをじっと待ち続けている。僕も身体を、心を木にできれば、余計なことをせずにじっと待ち続けていられるのだろうか。

 そう言えば、僕はこのアームチェアに座ったことがないことに、今さら気づいた。初めからここは舞花の聖域だったから。

「岳くん、舞花じゃないけど、ごめんな」そう言って腰かけてみる。舞花が手作りした、ギンガムチェックのクッションが敷かれている。

 そうか、ここからはテレビがこの角度で見えて、ソファに座る僕はこう見えるんだ。

 -ふと、舞花の意識がここにいると感じた。

(舞花、いたんだね)

 こんな感覚は初めてだ。どういう訳か、違和感は感じなかった。やがて僕の中に下りてきて、僕の意識とシンクロした。僕に舞花が入り、舞花は僕の身体を借りて部屋を見ている。不思議な感覚。過去のイメージか、歩き回る、話しかける、ソファで雑誌を読む、そんな僕が見える。舞花は僕を見つめている。そうか、舞花はこんなにもこの場所が大好きで、こんな感じで、いつも僕を見ていたんだ。こんなにも優しく、こんなにもときめいて、こんなにも満ち足りて、僕を見つめてくれていたのか。

(やっと理解してくれた?私がどれだけ海くんのこと、ずっと大好きだったか。この部屋であなたといることが、どんなに幸せだったか)

 気が付くと、僕は声を上げて泣いていた。

(舞花、舞花…会いたい)

 それから何時間か、僕は椅子から立ち上がれずにいた。そこに舞花の魂がある間は。

 気がつくと夜10時を過ぎていて…午後8時40分、すでに僕は二十六歳になった。そうか、君は僕が生まれた時刻まで覚えていて、誕生日のお祝いに来てくれたんだね。寂しがっている僕のために。

 ありがとう、最高のプレゼントだ。

 帰り着くまでは最低だったけど、拳も傷めて顔に痣も作っちゃったけど、今日は生まれてこの方、最高の誕生日になったよ。

 その夜、舞花を抱いた夢を見た。

「ずっとそばにいるよ」あの優しい瞳で、夢の中の舞花は、僕に囁いてくれた。


 あっと言う間にクリスマスも終わり、年の瀬が来る。大晦日から正月二日まで、僕は実家に帰った。母親には、顔つきが変わった、少し見ない間に大人の顔になったと言われた。何だよ、とっくにいい大人だよ、と思うが、確かに色々なことがあり過ぎた。プラスとマイナス、振り幅の大きい経験に揉まれて、価値観そのものが変化した。成長したと言えるんだろうか。

 相変わらず舞花の声も聞けないまま、年が明けてしまった。二日の夜、部屋に帰って郵便受けを見ると、なんと、舞花からの年賀状が届いていた。

 葉書ではなく、封書になったカードだった。

 開けると、ガードの表面には

「あけましておめでとうございます」

「旧年中はお世話になりました」

「(裏も見てね)」と書いてある

 裏を返すと、舞花の綺麗な字で、こんな文章が書いてあった。


 私たちは、ひと時心を通わせたけれど

 確かに、周りが見えていませんでした

 しばらく実家で過ごすうちに

 儚い夢だったと思うようにもなりました

 誰と生きるべきか、自分を見つめる中で

 今では貴方ではないと思うようになりました

 時間の経過の中で様々なことがあり

 良かったこともそうでないことも絶え間なく

 移ろいゆくものでしょう

 不躾な言い方ですが、私は一人で頑張ります

 できれば、このままお会いできないとしても

 少しでも、遠くからでも応援いただけますか

 また、十年二十年先にでも、

 付き合っていた頃のことを振り返られたら

 手紙でも交換できれば幸せです

 天に祈ります、貴方の幸せとささやかな私の

 願いが叶いますよう


 何だろう、これは。不思議な文章だ。まともに受け取ろうとすると、僕と別れの決意を固めたようにも読める。でもそれを伝えようとしたのなら、中途半端だし、取って付けたような感じだ。僕へのメッセージとしては、伝わらない、あり得ない。

 待てよ…そうか、まさに、取って付けているのか。文章そのものはダミーだ。やっと舞花が隠したメッセージに気が付いた。

 それにしても、こんな手紙まで父親に検閲を受けているということか。僕とのことでエスカレートしてしまったのか、メッセージによる安心より、不安の方がさらに大きく僕の胸で膨らんだ。そんな状況についても、この手紙で舞花は知らせたかったんだ。


 さらにそれから二ヶ月、膠着状態が続いた。相変わらず舞花とは連絡が取れず、三月になって、意外な人から連絡をもらった。三崎賢太郎、舞花の弟だ。

「海斗さん、本当は姉貴のことは関与しないのがポリシーなんだけど、今回ばかりは放っておけなくて電話しました」

「ありがとう。お姉さんの様子はどうなの?」

「うちの親父、変なスイッチ入っちゃって、年末からずっと家に軟禁状態。最初はそんな酷くなかったのに、姉貴も逆らうから、どんどんエスカレートしちゃって。携帯も取り上げられて、バイトも辞めさせられて。その辺りの事情は知ってるでしょ」

「もちろん。済まない、そもそも僕が親父さんと一戦交えたせいなんだ」

「聞いてます。まあ家族としては迷惑だけど、海斗さんが親父とぶつかったことについては、海斗さんに拍手ですよ。目下の人間は無条件で従う、と思ってる天然パワハラ中年だからね」

「なり振り構わずやっちゃったけど、僕には実際、打つ手がなくて」

「姉貴、体張って頑張ってますよ。これまで優等生だったのが嘘みたいで、家のメシをまったく食べない。親父と口をきかない、部屋に引きこもる、そんな戦い方をしてる。きっとそんな戦い方しかできないんだね」

「それじゃ身体は…」

「もちろん、痩せちゃってます。僕や母親が、カロリーメイトやスニッカーズみたいなのを差し入れてて、何とかそれで命をつないでる感じ。もう三ヶ月以上でしょ。痩せこけちゃってる。前から痩せるところなさそうなくらいだったのにね。僕も見るに見かねてって感じです」

 涙が出そうになった。やはり、そんな戦術しかなかったのか。任せて、なんて言っておきながら。

「でも、実は姉貴以上に精神的に参っているのは親父です。もう陥落すると思います。そういう意味では、姉貴の作戦は大成功です。最終フェーズは、僕が間に入ります」

「賢太郎くん、僕は何をすればいい」

「親父に対しては、海斗さんが直接絡むと悪化するだけです。僕に任せてください。海斗さんの役回りとしては」

「うん」

「両手を広げて、姉貴を受け止めてやってください。実際、万一海斗さんが冷めちゃってるとかなると、姉貴浮かばれないんで、実際死ぬかも知れないんで、そこを確かめたかったんです」

「任せとけ。全身全霊で受け止める」

「良かった、じゃ、K×2ケイツー大作戦、実行開始ってことで、頑張りましょう」

「ケイツーって何だい」

「いやだなあ、海斗のKと賢太郎のKでK×2ケイツーに決まってるじゃないすか」

 なんかこの姉弟似ている、と思ってしまった。


 やがて、賢太郎から呼び出された。作戦成功、任務完了したので、報告したいとのこと。三崎家近くの喫茶店に駆けつけると、賢太郎と、そして舞花がいた。

 可哀想なほど、痩せこけて、眼ばかりクリクリしてる。生まれたての子鹿のようだ。涙を堪えるのに苦労した。

「今回は、不肖の弟にレスキューされちゃった」

「賢太郎くん、本当にありがとう。どれだけ感謝しても足りないくらいだよ。今度3人で、高級焼肉腹一杯食べに行こう。ご馳走する」

「えっ、本当に? あ、いやいや家族として当然のことをしたまでで」

 よだれを拭きながら言うんじゃない。

「海くん、海くんの誕生日以来だね」舞花はそう言って得意のウィンク。と言うことは、やはり魂を僕の部屋に飛ばしてたのか?舞花は能力者なのか?

「年賀状の暗号は解読できた?」

「ワタシハダイジョウブデスマッテテネ」

「合格!」

「まあ、僕の頭脳をもってすればあれしきね」

「よし、じゃあ今日はこれからちゃんと舞花ちゃんのこと抱きしめるんだぞ。三月溜まってるんだぞ」

 自分で言う。おいおい、弟の前なのに。今度は賢太郎が僕にウィンクしてくる。やれやれ、この姉弟ときたら。ウインカーファミリーと命名するぞ。親父さんのウィンクだけは、想像したくないけど。

 どうでもいいけど名前を付ける癖が、僕にまで伝染しちまった。

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