第4話 LOVE STORY
四回生になって、僕はバンドを始めた。
実は、高校時代にもフォークグループ的なことをやっていて、ライブ・イン・桜台という視聴覚教室を会場にした校内イベントには二年続けて出演した。二年目はドラムスとベースに入ってもらって2曲ほど演奏したので、バンド形態での演奏経験も一応というレベルだが、あった。
サークル内や友達の伝手をたぐって何とかメンバーを揃えた。とは言え、編成は、ドラムス、ベース、ギター、キーボード、ピアノ、僕がボーカルでアコースティックギターを持つこともある。なかなか贅沢な編成だ。ちゃんとアンサンブルが構成できれば、だが。
バンド名はFIESTA。スペイン語でお祭りとかパーティーとかいう意味で、語感の明るさが気に入った。ラテンバンドっぽいと言われるけど、そうではない。基本歌のある曲をやる。コピー曲から始めて、最終的にはオリジナルを売り物にするバンドにしたい。楽器やアレンジの知識もなく、楽譜も読めないメンバーが多い中、手探りでともかく始めた。
練習はS町の楽器店併設のスタジオ。週末に2時間か3時間。SNSとかが普及してなかった昔は、今ほどバンドの露出の手段がなく、ライブをやるしかなかった。アマチュアバンドのライブイベントに応募して3曲か4曲の出演時間を得る、または、20人か30人で満員になる小さなライブハウスを借りて、大所帯なので重なり合うように演奏する。未熟だったが、楽しかった。
その頃、新しい彼女を作った。南野由佳。一つ年下で、アルバイトで知り合った。そこにいるだけで、周囲をぱっと明るくする感じの女の子だ。実際、よく笑う。初対面でいいな、と思った。こんな子と一緒にいると楽しいだろうな。サークルには未加入ながら、案の定、つぶらな瞳で天真爛漫が売り物の人気者だった。
ごく自然に声をかけ、「俺たち付き合おうか」「私でよければ、よろしくお願いします」というような感じで、ごく自然に付き合い始めた。由佳は由佳で、僕のことが気になっていたらしい。
付き合うようになったと言うと、相当みんなから妬まれ、攻撃された。あんな穢れないいい子をお前の毒牙にかけるのか、と。大きなお世話だ。
由佳は、バンドのマネージャーを自認して、僕らのために色々動いてくれた。バンドメンバーにも人気が高かった。彼女自身も女性四声のコーラスチームをやっていて、オリジナル曲についての意見をもらったり、一緒にライブに出演してもらったりもした。
さて、我がFIESTAのメンバーを紹介しておこう。
ドラムス、田原歩美。女性ドラマー。大柄で竹を割ったような性格、と思いきや、案外乙女でオシャレ好き。僕と同い年。O女子大の軽音楽部に在籍している。
ベース、畑岡拓哉。一つ年下だが、バンド経験が豊富で、アンサンブルの要とも言える陰のバンマス。他メンバーへ容赦ない意見がいちいち鋭いクールガイ。
ギター、宮本浩之。引っ込み思案の坊ちゃんという感じ。本当はハードロックが趣味だが、文句も言わずバンドに順応しようと努力している二回生。
キーボード、松井達郎。あまり経験はないが、耳は鋭い。主張が強く、僕ともよくやり合った。ストリングの音色にこだわりを持つ。ベースの畑岡とは高校の同級生。
ピアノ、福島義幸。一つ下で、子供の頃からのピアニスト、技術はピカ一、優しい風貌で人当たりがよく、人間関係を重んずるバンドの潤滑油だ。
僕、鈴木海斗はボーカルとアコギ担当。自分のわがままで集めたバンドなので、メンバーが気に入ろうと気に入るまいと、やりたいオリジナルをやると決めている。
独裁者と陰口を叩かれているのは知っているが、自分ではちゃんとメンバーを尊重しているつもり。
オリジナルは、全て僕の提供だ。今から考えると未熟な歌詞だと思えるが、こんなバラードを看板にしていた。
LOVE STORY
最後のくちづけ交わした後で
微笑んでみせた
睫毛に光る 涙のしずくが
とても愛しく見えた
部屋の扉を静かに開けて
今 君が出て行く
ためらいがちに向ける眼差し
僕は背中を向けた
君が扉を閉ざした音が 僕の心を揺らす
やがてヒールの響きが止めば
ひとつの季節が終わる
気がつけば ぼくは男で そして君が女で
ただそれだけだった それがすべてだった
君が残したルージュがひとつ
僕の好きだった色
追えば今なら間に合うけれど
止そう 掌の中
二人が綴ったラブストーリー
想いは尽きないけれど
今度誰かを愛した時には
僕など忘れるがいい
明日からは別々の夢 追って歩き始める
いつか愛したことも 遠い記憶の彼方
気がつけば ぼくは男で そして君が女で
ただそれだけだった それがすべてだった
年が開けるとスキーもあり、もう卒業間近にもなる。FIESTAを盛り上げるために、クリスマス、十二月二十五日にライブイベントをやろう。思い立って動き出した。
早い時期に繁華街のホールを押さえた。集客と会場代やPA代を償却するために、
ライブ直前は雑務が忙しく、自分の練習時間が取れない。色々な調整事で眠る暇もない有様だった。
そしてライブ前日のクリスマスイブ、最後の練習を終えてスタジオを出てみると、それまでの雨が雪に変わっていた。
「『クリスマスイブ』そのものだな」ピアノの福島と、遅い夕食のために入ったファミレスの窓際から外を見て呟いた。「本当ですね」
(雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう)
そんな歌詞のある、山下達郎の『クリスマスイブ』を、まさにライブのラストで演奏する曲として予定していたのだ。
「この雪は積もるぞ」
思った通り、クリスマスライブは積雪の中のライブとなった。客足を心配したが、その割には盛況で、自分で自分を追い込んだアマチュアバンドの興行は、何とか成功という形で終わった。由佳にも随分助けられた。
この後も一年ちょっとバンドを続けたが、社会人も二年目ともなると忙しくなり余裕がなくなる。結局解散し、このクリスマスライブが、FIESTAの歴史で最大のイベントになった。
僕はミュージシャンに、シンガー・ソングライターになりたかったのか。それは、なりたかった。実際、オリジナルのデモをいくつかのコンテストに応募もした。しかし、選に洩れてしまい、結局そこまでだった。食えない覚悟でその世界に飛び込むことをしなかった。これまでの延長を、何となく居心地のいい「続いていく」世界を、僕は選んでしまったのだ。
就職は、アルバイトでお世話になっていた代理店に早くから決まっていた。だから就職活動もしていない。
「就職活動をしたところで、自分の人柄や仕事ぶりを見て選んでくれる会社なんてここしかない」両親はじめ、周囲にはそう説明していた。しかし、そこに自分がどうなりたいとか、将来の展望とかキャリアプランなどというものはない。それが悪いこととも思わず、今日と明日のことしか考えなかった。
周囲の期待に応えて今日と明日を必死に生きていればいいと思っていた。
そして、社会人としての生活が始まった。スーツを着て、ネクタイを締めて、しかし昨日までと変わらない人間関係の中で。仕事からは一歩も逃げないよう、周囲の期待に何とか応えるよう、自分に鞭打って忙しい毎日を何とかクリアしていく。
しばらくした頃、偶然会ってしまった。三崎舞花だ。会社のすぐ近く、大通りの横断歩道で。トレードマークの長めのセミロングの髪を揺らして、同僚と思しき男性と歩いていた。相変わらず、いや、これまで以上に、素敵だ。独特の可憐さを残しつつ、大人の女性になった。彼女もすぐに僕に気が付いた。
「海くん、久しぶり。何年振りかな」
大学一年の夏祭り以来。4年振りか。
「私ね、就職してこの近くに勤めてるの」
誰もが知る大手ハウスメーカー、確かにすぐそばに自社ビルがある。そこで、秘書室に配属されたという。なんか、舞花らしい。無敵の美貌で、すでに雲の上に行ってしまったようだ。この上彼女はどこまで行くと言うのだろう。
「へえ、海くんも近くなんだ。またお昼休みとかにばったり会うかもね」そう言って小さく手を振った。期待したものの、それからその辺りで偶然会うことはなかった。まあ、そんなものかも知れない、
由佳とは、付き合い始めて1年が経とうとしていた。春、勤め始める直前に二人で一泊旅行に行った。そんな旅行なんてお互い生まれて初めて。とても初々しく、楽しい時間だった。その辺りが絶頂だったのかも知れない。
しばらくして、いつでも会える、そう思うと、仕事の忙しさや疲れにかこつけて、僕から無理してまで会わなくなった。就職するまでは毎日のように会って、腕を組んで歩いていたのに。
彼女の方としては、寂しくもあるし、不安にもなる。たまに会っても心配や気遣いが顔に出る彼女が、時に無理して無邪気さを装う彼女が、僕はあろうことか、段々と疎ましくなってきていた。最悪なのは僕だ。わかっていても、どうしようもなかった。ある時ついに感情をぶつけてしまった。
「もういい、一人にしてくれ」
「私はこんなに海斗を心配してるのに、一緒にいたくないって言うの」
大きな瞳にみるみる涙が溢れて…僕は見てられなくて背中を向けた。しばらくして振り向いた時、彼女は姿を消していた。追いかけないといけないことはわかっている。でも僕はそれをしなかった。
その後はどんなに明るく振舞っても、機嫌を取っても、あの天真爛漫な笑顔が見られなくなった。由佳が壊れてしまう。これ以上は無理だと思った。僕は自分を呪った。
「俺が悪かった。でも、このままだとお互いを嫌になってしまう。別れた方がいいと思うんだ」とか細く言うと「海斗が私たちのことを考えてそう決めたなら、私はそれでいい」
しばらく俯いた後、顔を上げて、久し振りにあのチャームポイントの笑顔を見せた。ああ、こんなにも僕は彼女を苦しめていたのか。僕に悩まされて、やっと今、先が見えたということか。
僕がいなければどうにもならないと思っていた由佳が、僕さえいなければ、大丈夫な由佳になっていた。一体僕は、恋人としての時間の中で、彼女に何を与えられたんだろう。
ちょうどその頃、主に僕が忙しさに練習の調整がつかなくなり、FIESTAも解散することになった。一気に張り合いをなくし、僕は仕事と、仕事以外は麻雀とパチンコ漬けの生活になった。
その頃の僕は、荒んでいた。仕事は一生懸命だったが、私生活は投げやりだった。その割に女性にはよくモテた。適当に付き合い、遊んで、三ヶ月以内に別れる。そんなことを繰り返していた。
麻雀やパチンコにも飽き、遅い時間に仕事を終えては、夜の街へ。ひとりでバーに赴き、行きずりの出会いを楽しみ、朝帰りしては翌日の仕事へ。そんな無茶かできる若さだった。休みの日は、買ったばかりのクーペを駆ってドライブを楽しむ。その時の彼女と、あるいは一人で。そんな生活の中でもその時々の温度差はあれ、癖のように歌は書き続けていた。
何人かの女性と付き合い、概ね振り、たまには振られ、でも全ては僕のいい加減さや心変わりが原因で別れる。僕は誰かを愛したくて、愛しきれない、そんな気持ちだった。愛せる相手を探していた。でも潮時だと思った。もう止めよう。相手は僕自身を映す鏡でしかない。それに気付いた。実は僕自身が病んでいて、僕自身が変わらなければならない。今のままでは、相手が誰でもただただ相手の気持ちを冒涜するだけだ、と。
相手が誰でも…いや、たった一人例外がいるのもわかっていた。三崎舞花だ。
気が付くと僕はもう二十五歳になっていた。季節は初夏。
仕事は順調で、三年間実績を出して念願のプロモーションやイベントの企画営業の仕事を任されるようにもなっていた。忙しい。日々は飛ぶように過ぎていく。昔の友達とも疎遠になったな、と考えていた頃、休みの日、突然の来訪者があった。
なんと、中学二年の時の同級生、中西克則と赤川睦夫。この二人、まだつるんでいるのか。
「たまに克則とつるんでるんだけど、懐かしくなって、海斗の顔見に来たんだ」睦夫が言う。それは、嬉しい。
「もうじき取り壊すので引っ越した」と言う、中学時代から住んでいた克則の旧自宅、父親の社宅らしいのだが、そこで三人で、昔話をしながら買ってきた酒をしこたま飲んだ。「同窓会やろうぜ」ありがちな話になった。「よし、やろう」
「俺、三崎とは間で何回か連絡取ったことがある、俺幹事やるよ。女子の方は三崎に頼んでみよう」「ふうん」二人は意味深な顔をしたが、気にするもんか。結局、「じゃ、海斗に任せるわ」となった。
舞花と連絡を取る口実ができた。なんだ、この思春期のような胸の高鳴りは。
「えーっ!?ほんと?かっちやんとむっちゃんに会ったの?羨ましい!」
なんだよ、全然変わってないじゃん。昔のままの明るい声。電話かけるのに勇気を振り絞って損した感じだ。
「うん、海くんと私が幹事ね。いいよ、私女子はみんな連絡取れる。任せて」
頼られると必要以上に張り切るタイプだ。
舞花と楽しい幹事のやり取りが始まった。
クラスという単位になると設定が面倒だったので、仲良しグループの9人を集めることにした。克則、睦夫はOK。あとは康成と、聡。
聡に連絡すると、家に遊びに来いよ、と言う。一人暮らしなのか、初めての住所を訪ねていくと、アパートには聡と少し年上に見える派手めの女性がいた。
「実は俺、結婚してな」「そうか、おめでとう!」「うん、まあな。ビール飲むか」「いや、俺クルマなんだ」そんなやり取りをして、でも聡の茶髪の髪型や服装、雰囲気、アパートの様子を見て、何となく荒れた感じだな、と思った。
聡はテニスで高校に行き、怪我とかもあって挫折したと聞いた。結局、高校を中退したようだ。
「ごめん、今回やっぱ、俺は行けないわ」それが聡の返事で、「そこまで行くよ」と部屋を出てきた帰り道、「みんなには俺が結婚したことはくれぐれも内緒にな」どういうことだろう。ただの助平心なのか。
聡とはそれ以来会っていない。
康成も都合が悪い、と言う。かつての恋敵である康成とは、最近僕が一人でクルマに乗って立ち寄った深夜のファミレスで、偶然会ったことがあった。テニスウェアで綺麗な女性を連れていた。どうやら奴はコーチで、女性はスクールの生徒のようだった。僕の顔を見て決まり悪そうにしていた。なかなかの軟派っぷりだ。
克則と睦夫は意気込んでいたくせに、直前に二人セットで都合が悪くなったと言う。
前日の夜、舞花に電話した。
「どうしよう、克則と睦夫も揃ってダメになった。男連中全滅だ」
「女子もね、集まり悪いの。真由美が用事あるけど断って来る、って言ってるくらい」
「そうか、まあ改めて集まるにしても、せっかくだから三人で会おうか」
「そうね、海くんも私も楽しみにしてたもんね。それがいいと思う」
当日、待ち合わせのカフェ。15分も前に来たのに、もうそこに舞花がいた。
「ごめん、待った?…じゃなくて、早いね!」
今日の舞花は白いブラウスにオレンジ色のロングスカート。一流企業のOLらしいフェミニンな服装だ。トレードマークの長めのセミロングは、そのまま。ニッコリと優しい笑顔で迎えてくれる。そうだ。この笑顔に会いたかったんだ。
「いきなり残念なお知らせ。真由美も来れないんだって」
なんだって?もしやとは思ったが。いや、僕は残念ではない。むしろウェルカムだ。でもこんなことってあるんだろうか。
「仕方ない。二人だけで同窓会しよう」
「うん」
今日は神様が下りてきている。
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